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その四 新井林健吾
この物語はねむさま(「月と星と」)からいただいた「これも愛情表現」のイラストをイメージとして綴った物語です。
9/18〜9/30までねむさまのサイト「月と星と」二周年企画にて、イラストとコラポレーションとなる
「これも愛情表現の一種なり」を短期連載中です。
自分よりもはるかに優れた女を妻にした場合、男は気持ち不安定になるものなのだろうか。
酒の席でふと出た話題だった。俺に当てつけたつもりなのかどうかわからないが、しかたないので答えてやる。
「やっぱし、『守る』という一つの行為、それだけは奪われたくねえなって俺は思うわけです」
上司たち、同僚たち、みな俺の顔をじっと見つめ、答えを待っているようすだった。
「だから、男はいつでも女を守ってやれる位置に、立たなくてはならねえし、その立場ってのははるかに高いところでないとだめなんじゃねえかって、俺は考えてます」
──おっとこらしいねえ、健ちゃんは。
──けどなんか女性蔑視もいいとこじゃない?
いろいろな意見が飛び交い、やがて大笑いの渦に巻き込まれ、話はいつのまにか霧消した。都合悪い質問をこれ以上受けなくてもいいというのは逃げかもしれないけれども、ほっとするものだ。試合が終わった後、特に負け試合の直後にインタビューされるのはかなりしんどいことだ。何度か経験してこなすテクニックは身に付けたけれども、だからといってそう気持ちが簡単に割り切れるわけでもない。負けた相手をたたえるのは、ある程度時間という名の冷却スプレーをかけないと、難しい。
立村さんは一番端の席で、しばらく黙ったままウーロン茶の入ったグラスをもてあそんでいた。もう氷しかない。
「なんか頼むっすか」
一応、声をかけてみる。この人は酒が一切だめだ。
「いや、いい。そろそろ帰るから」
他の同僚たちが「いや、立村先生、まだまだ時間あるでしょお」「せっかく独身なんだからああた、もっと楽しまないとだめですぜ」「そうそう、あんたにはもう少し、『華』がないと生徒もついてこないよ」「この機会にいい女捜してみなよ。二次会はもう少し落ち着いたところに行くし」いろいろと引き止めようとしている。もう五年もこの学校で教壇に立っているわけだが、まだまだひよっこ扱いされるというのが、異動のほとんどない我が母校の定めということか。俺なんて四年目だというのに、もう体育科ではボスみたいな立場だってのに。複雑なものだ。あきらめて今日は残るんじゃないだろうか。俺は居酒屋メニューを開いて、「ソフトドリンク」の部分を指でなぞった。
「立村先生、ウーロン茶にしますか」
やっぱり首を振る。静かで、感情は決して波立たない人だ。中学時代からそうだった。
「今夜、これから自宅で用がありますので、申しわけありませんが」
──珍しいな、かなり意地みたいだぜ。
大抵はしかたないという顔で座りなおし、またウーロン茶を注文するのが立村さんの癖だった。英語科というのは、専門クラスが存在するということもありかなりのトップレベルに属する教師達が集まってくる。俺はあまり英語の方が得意ではなかったし、普通科卒だったし、詳しいことはわからない。ただ、かなり切磋琢磨せざるをえない環境の中、立村さんが男子クラスの担任を持っているというのはそれだけの評価をされたからなのだろう。
「じゃあ、あとで電話しますよ」
今日の飲み会、どうしても立村さんにはいくつか確認しなくてはならないことがあった。できれば学校の外で打ち合わせしたかったのだが、なにぶん忙しい時期のことだ。どうしても打ち上げに付き合わねばならない。
「ああ、わかった。自宅ででは、新井林先生、お願いします」
かすかに笑い、一礼して立村さんは、すばやく戸口から出て行った。
「それにしてもなあ、立村先生もかわいそうだよなあ」
かなり酒が回っている英語科の教師と俺は酒を酌み交わす。体育科の俺とはあまり接点がないのだけれども、元青潟大学附属高校出身者ということもあって妙な連帯感がある。
「はあ」
先輩には頭を下げないわけにはいかない。学生時代は全く認識したことのない相手だというのに、同僚になっちまったらこう言う風に礼儀を要求されるというわけだ。まあしゃあない。俺も妻子持ちだ。
「新井林先生、立村先生の『これ』のこと、知ってるんでしょう? 教えてくださいよ」
「俺もそんなに知っているわけではないですよ」
嘘なんだが。今思えば、一度だけチャンスがあったんだが、俺はそれを逃してしまったんだと思い起こした。
「いや、俺たちがいた頃の、青大附中評議委員会は鉄壁の団結を誇っていたって話ですよねえ。今ではその面影なんて全然なくなっているらしいですが。新井林先生の頃はさぞすごかったことでしょうねえ」
「まあまあですよ」
──大嘘だ。
俺はそれなりにごまかし笑いをしてみせた。納得いかんが、やっぱり俺も、一年前に嫁さんをもらってから頭を下げるということを覚えた。正々堂々が通じない相手であっても、唇を噛まざるを得ない時もある。チョンガーの時代はいくらでも突っ張ることができたけれども、今の俺はやめるわけにはいかないわけだ。たとえ青大附中評議委員会の栄光時代を俺が率いていたことを自慢したくでも、できやしない。
「立村先生の上だったわけですよねえ」
「いや、一学年下ですよ」
どうやら俺たちの学年差を思いっきり勘違いしているらしい。もともと立村さんは腰低く動くところがある。たとえ学年下の相手でも、女子でも、かなり無視をこかれることが多かったんじゃないかと思う。俺も学校で顔を合わせる時はあまり感じさせないように振舞っているけれども、同じ教師仲間からみたら、やはり立村さんの方が迫力なく感じられるんだろう。
「いや俺も知っていましたけどね。なんか恰幅が違うじゃあないですか」
曖昧に笑って、俺はビールをもう一杯飲んだ。なんだか疲れていた。早く家に戻って飲みなおしたい。多少飲み過ごしても明日は休みだ。
立ち上がろうとしたとたん、肩を押えられた。また逃げられると思われたらしい。
「そんなそんな、立村先生の真似して逃げちゃあいけませんよ。今夜は、立村先生の、例の件について聞かせてもらえませんかねえ。もちろん、誰にもいいやしませんぜ」
「俺もほんっと、その辺わかりませんよ」
わかりすぎていることを隠す。十年前の俺だったら、汚いやり方、正々堂々でないとわめいたことだろう。でも今は、言ってはならないことを隠すことも、思いやりの一つなのだと思い知った。同じ位置にある、「恋愛」という言葉でもって。
酒をしこたま飲み干し、それでもへろへろにならずに立ち上がれる根性は、大学時代のバスケ部で仕込まれたものだ。やはり俺の性格は体育系に向いていたのだろう。
「じゃあ、また今度、新しい展開がありましたら報告しますよ」
「またまたあ、新井林先生」
妻帯者の俺に今更色目を使う奴もいないだろう。ちらりとへべれけになっている女性教師たちを眺める。俺が結婚するまでは、いや子どもが生まれるまではふたりだけの二次会、三次会に誘われることもあったけれども、最近はすっきりしている。自分でも律儀だと思う四十五度の角度でもって一礼し、俺は外に出た。酒の匂いが篭らない外気を吸いきったとたん、一気に酔いが回ってくる。水を飲んでくればよかった。酔い覚ましに少し遠回りして帰ることにした。徒歩で帰ることのできる場所に家があるというのは、便利なのか不便なのか、たまにわからなくなる。
──清坂さんじゃねくて、羽飛さん、になっちまったんだよなあ。
今の嫁さんはガキの頃から守りに守り抜いて我が手に納めたもの、と周りには伝わっているだろう。しかもその嫁さんが、家庭の中では納まらずに青潟市の市議員として活動し、ちょっとした有名人ということも、計算違いではあったけれどもまずくはない。ただ、子どもが生まれてからしばらくは産休ということで、家に落ち着いてくれているというのはやはり俺としても安心するものがある。
──あん時、俺が一声かけてみれば、人生別の展開になったかもしれねえがなあ。
もう過ぎたことを思い出すのは、あまり俺らしいことではない。もうとっくに人の嫁さんになってしまった相手だ。向こうは俺のことなんて、ただの後輩としか思っていなかっただろう。それに当時、俺は今の嫁さんのことしか目に入っていなかった。何度か割り込むチャンスがあったとはいえ、あえて手放した部分もある。
──けどなあ、やはり、隙間、ってのはあるよな。
ネクタイはとっくの昔にかばんの中だ。襟を開け、黒い空とかすかなネオンの色を追った。
──やっぱし俺は、こうなる運命だったのかもなあ。
ポケットの携帯電話が鳴った。やれやれ、嫁さんだろうか。遅くなろうが何にも文句を言わないくせに、たまにフェイントで電話をかけてくる。浮気なんてしてくてもできねえよ、と言い返すにとどまる。
「はい」
──おう、新井林か。
少しテンションの高い声が響いた。
「本条先輩っすか」
この人にはいまだに「先輩」と呼んでしまう。いきなり笑いこけたのは、どうやらあの人も酔っ払っているんだろう。飲みなおすなら、この人の方がいい。
「ちょうどいいっすね。俺も今から帰ろうと思っていたんですよ。本条先輩、飲みのお誘いならつきあいますぜ」
──ジャストタイミングだな。OK、じゃあこれから、作戦会議といくか。
「作戦会議ってなんっすか、本条先輩。何かまた悪いことたくらんでるんですか」
──あ、そうだそうだ、健ちゃんには話してなかったなあ。
電話の向こうの本条先輩は、「はあ」と酒臭そうな息を吐く声を出して、
──あいつがさ、どうやら嫁さんもらうらしいんだよ。
「あいつって、誰?」
頭が酔いでまともに働かない。耳をほじりながらさらに尋ねた。
──健ちゃん鈍いなあ、ほら、あんたの同僚ちゃんで俺の弟分」
──り、立村さんか?
さっき静かに立ち去った、あの立村さんだろうか。驚くべきところなんだろうが、なんだかまだ頭が回転しない。鸚鵡返しに
「りつむら、さん、りつむら、さん、ですかあ」
と答えてしまった。
──おいおい健ちゃん、千鳥足じゃねえのか? しゃあねえなあ、詳しいことはまた後で話すけどさ。
ゆっくりと、言葉が脳細胞に行き渡るには、あと五秒かかった。電話の電池をしっかり溜めておいてよかったと後々思う。いきなり意味を理解できたとたん、頭を思いっきり交通標識の白い棒にぶつけてしまったことに気付く。電信柱でなくてよかったとつくづく思う。
「先輩、申しわけないんですが、立村さんが、ってことっすよね」
「だからさっきから言ってるだろうがあ」
「俺、全然聞いてねえけどなあ」
──そりゃあいつも話さねえよ」
また、ははっと笑い声。相当ご機嫌らしい。
「俺の知っている子ですか」
──まあな。
含み笑いだ。
「縒り、戻したんでしょうか」
それもあまり歓迎したくないパターンだ。すでにあの人は、「羽飛」姓に替わっているのだから。離婚なんて縁起悪いことなんてありえないだろう。なんだか俺の中では、旧姓清坂さんがそんな安易に、ご自分の選んだまっとうな道を捨てるようなことはないように思えてならなかった。俺からしたら、正しい選択だと思う。
──まさかそれはねえだろ」
「じゃあ、同期じゃねえってことでしょうかねえ」
──お前と同期だ。あと嫁さんと」
一瞬、夜空がぶっこわれて月の顔面色に変わったような気がした。何の色かといわれたら説明しがたいが、つまり、にきび面の中学生の肌そのものに、と言った方が正しい。気持ちわるいったらないぞこれは。
俺は、十年以上忘却のかなたに消え去った、ある名前を口にした。
あの当時感じていたはずの嫌悪感もなく、ただ、ああといった感覚で。
「杉本、さん、ですかねえ」
黙った電話の向こう、やがて「ふふ」と小さな笑いと一緒に、
──ご名答。
とりあえずはこれから別の居酒屋で詳しい話を聞かせてもらうことにした。本条先輩の行きつけでかつ、今の俺の位置からそれほど離れていない場所を決めてもらった。電話を切った後、すっかり冷め切った頭をぐるぐると回した。
かつて立村さんが、清坂さんと結婚寸前のところまでいき、「正しい判断」により清坂さんは別の先輩を選んだ。すでにその時俺は青大附高の教師として働いていたし、ある程度の情報は耳にしていた。だがほとんどは他の教師、あとかつての同級生先輩後輩たちからのものであり、当のご本人からは何も聞いていない。まあそうだろうなとは思う。一学年下とはいえ、元評議委員会の先輩後輩だしな。中学時代、一度はさしの勝負をした相手だし、その後は和解したが。仲良しこよしではないだろう。ただ、立村さんの性格というのか、及び腰というのか、一言で言っちまうと「軟弱」というのか、その辺がどうしてそうなるのか、なんとなくわかるようになってきた。そうせざるを得ない、いろんな事情があるのだというものだ。俺が大学出て社会人になるまで知らなかったものを見ざるを得なかったってことだろう。これを中学のころから経験させられてきたとしたら、そりゃあしんどかったことだろう。
──やっぱり、これは受けるしかねえか。
もうひとつ、頭をよぎった問題。
──あんな嫁さんもらったら、立村さん、体壊すよなあ。
──それに、三年の男子クラスっつうのは、しんどすぎるよなあ。副担任も死ぬほどこき使われることになるぞ、ほんと。
高校のクラスは、一学年だけ男子のみとなっている。なぜかわからないが、クラス替えも三年間ない。俺の在学していた頃もなかったが、英語科ならともかく普通科でなぜ、男子クラスをこしらえる必然性があるのか、俺には理解できない。
二年前、立村さんは初めて担任を任せられた。それも男子クラスをだった。
果たして体が持つのかどうか、胃にいくつくらい穴があくのか、もしかしたら精神的にぼろぼろになってしまうんでないか、さんざん馬鹿にしたような意見が職員室内で飛び交っていたが、いろいろあったにせよ無事三年まで、退学者も出さずにというのはめでたいことだ。あと一年、無事に附属の大学に送り込めるか、もしくは他大の進学を決められるか。いろいろ評価の対象となる要素はある。これからが正念場だろう。俺は所詮、体育と部活に命を賭ける日々だったし、たまに教室に行くとすれば保健体育の講義くらいだ。担任のことなんて考えたこともなかったのだが。
「新井林先生に、三年E組の副担任へ回ってもらいたいんですよ」
──ち、また副担任かよ。
かなりむっときた。よりにもよってなぜ、立村さんのクラスで、しかも男子クラスなのか。
学年を牛耳ているある先生から、裏の話を回されたのは二週間くらい前だ。
「ここだけの話なんですが、立村先生の体調が思わしくないんですよ。今まで副に入っていてもらった先生も心配ということで、こっそりと、ねえ」
ずいぶん正々堂々とはかけ離れた行動だ。俺としてはこっちの方がかなりむかっときた。
「病院で見てもらっていると伺ってますが、本当は担任を降りていただいた方がいいのではと立村先生にお話したんですね。ですが、どうしてもこの一年だけはE組を持ちたいという、強いご希望がございましてねえ」
──そりゃあそうだろう。
いくら問題児たっぷりのクラスだとしても、一度男が受けて最後まで貫き通さないっつうのは、最低だ。立村さんもその辺は覚悟の上だろう。
「なにせ、心臓なんですよねえ。いつ、それこそ、ぱたりと、ということがないとも限りませんし。そこで、若手の先生の中でも、一番情熱的に生徒に接してくれる、新井林先生に控えに回っていただいてですねえ」
「そんなに、立村先生は、悪いんですか」
ずいぶん俺も単刀直入なことを口走ってしまったものだ。
「悪いというよりももともとの持病みたいですねえ。やはりあの先生には荷が重すぎたのかもしれませんね。それに男子クラスの場合、もう少しあくの強い先生の方が、いいのではないかなと思わなくもないわけで」
──じゃあ俺は、いわゆる代休かよ。
かなりご機嫌ななめになっちまった俺は、一応の社交辞令でもって、
「わかりました、考えておきます」
と答えた。
「立村先生も、新井林先生にならということで了解をいただいておりますので」 ──なんだよいったい。
先輩教師が出て行くのを待ってから、体育教員室で俺は、珈琲をがぶ飲みした。
立村さんの体調が思わしくない、というのは今に始まったことではないだろう。もともと運動部関連では活躍しない人だった。色も優男風で白いし、ベルトの穴はたぶん、一番初めのところに入れっぱなし、ますますやせこけているような気はした。むしろ、精神の問題が大きいのではという気はしていた。俺には想像しがたい神経の細かさで、他人に理解しがたい感情を読み取ってしまうのだそうだ。一種の宇宙人的感覚の鋭さってことだろうか。それは芸術家だとか、音楽家だったらいいんだろうが、日常生活を普通に営んでいくには迷惑極まりないものだと思う。職業、間違えたんじゃないかと人事ながら心配している。
そろそろ俺も担任持たせてもらえるかと期待していないわけではなかったんだが。
ただ、青大附高のバスケットボール部の練習試合が詰まっていたりしてかなり忙しかったこの頃。今日やっと時間が取れたので、飲みながらその辺相談しようかとは思っていたところだった。電話、家にかかってきているかもしれない。OKの返事はまだしていないのだが。
──選びようねえよな。
──クラスだけじゃねえもんな、立村さんの精神状態、ほんとこの調子だと持たないぞ。
よりにもよって、さらにお荷物を担ぐはめになるんだから。
──あのさ、立村さん、嫁さんって自分の気持ちを楽にしたくてもらうもんじゃあねえのか。
つぶやいてみた。
──この調子だと、仕事場と家でストレス胃潰瘍になっちまいますよ。残された三Eの男子連中どうするんだっての。
中学時代、杉本さん……と、あっさり「さん」付けで呼べるのが不思議だ……という女子は、俺にとって史上最低の馬鹿女として映っていた。俺の嫁さんも同学年だったが、ずいぶんえらい目に合わされたものだ。だが、中学で二人の関係が大逆転して、あっという間に嫁さんが回りを味方につけてしまった。その後、杉本さんの行く末というのがあまりにも悲惨すぎて、さすがの俺も哀れだと思ったものだった。自業自得といえばそれまでなんだが、人間、やはりやったことにはやっぱり、報復がくるものだってことを思い知らされた。余りにもあんまりだったんで、いつのまにか俺は、「愛」の反対「無関心」というところに行き着き、高校以降は一切記憶を抹消してしまったわけだ。その後、彼女の噂は嫁さんと、あと本条先輩からの口から聞くにとどまった。本条先輩もまた、直接杉本さんのことを話すわけではない。
「立村、あいつ相変わらず、杉本のこと心配してるみたいでなあ」
と。
──じゃあ、俺の想像つかないところで相変わらず、繋がりがあったというわけだな。
かつての俺、十年前の俺だったら、
「けっ、しょせんあいつ、あんな馬鹿女しか相手にしてもらえないでやんのな」
とか言ってばかにしたことだろう。その後、さらに悲惨を極める杉本さんの情報については……会社も追われたとかなんとか……聞いたには聞いたが、忘れてしまっていた。
──けどな、しょせん、はるみとは正反対の世界にいるんだな。
自然にすうっと思った。また酒臭い息を吐いた。家に帰れば俺には、嫁さんと一緒に、ぐっすり眠ってたまに泣き喚く赤ん坊が待っているわけだ。家に帰ることはかならずしも、苦痛を伴うことではない。
──ほんと、安らぎがほしいのか。結婚ってことは。
立村さんがほしがっているとはどうしても思えなかった。むしろ、苦しい路を喜んで歩きたがっているようだった。いくらでも、見合いなどで女、選び放題だろうに、あのおとなしい性格だったら。どうして、一筋縄ではいきそうにない相手ばかりに、立村さんは想いを寄せてしまうのだろうか。それに、もっというなら、どうしてあの人は、体を直そうとせずに、担任にこだわりつづけるのだろう。楽をしようとすれば言い訳も、別の道もいろいろ見つかるはずなのにだ。
俺は今の嫁さんを選んだ。たとえ多少、教師としての堅苦しさに辟易しながらも、嫁さんと娘のために、頭を下げられる。それだけの価値があると俺は信じている。立村さんは果たして、どのくらい杉本さんと三年E組に価値を見出しているのだろう。体を痛めつけ、さらに苦痛を伴いそうな……俺も決め付けるのはどうかと思うが、さまざまな情報から見て、杉本さんの性格は全く変わっていないらしい……結婚という路を選んだ理由を、何となく俺は知りたかった。
──とにかく、本条先輩に会って、それからだな。
俺は自動販売機から水のペットボトルを一本キープし、一気に飲み干した。完全に酔い覚ましだ。
──で、状況によっては携帯から立村さんに電話をかけてみるか。
結婚祝いはまた別の形でやってもいい。
──俺、受けていいですよ。副担任。俺だったらもう、鉄壁でしょう。安心して倒れていいっすよ。
まずは婚約のお祝いとして、ひとつ。
──終──