HOME




BACKこれも愛情表現の一種なりNEXT
その七 古川こずえ  
この物語はねむさま(「月と星と」)からいただいた「これも愛情表現」のイラストをイメージとして綴った物語です。



  作者:舞夜じょんぬ


 
 あの、怪しすぎる結婚披露パーティーから一週間経った。一応、企画に携わった私としては、その後花嫁と花婿が無事に暮らしているのか知る義務があると思う。一緒に手伝ってくれた(旧姓)西月小春ちゃんには止められたけれども、やはり私は行くべきだと判断した。
「当たり前でしょが。あいつはともかく(旧姓)杉本さんの立場が気になるじゃないのよ」
 あんな、いわば無理やり捕獲された格好で、あいつの花嫁にされてしまった立場、場合によってはあれって犯罪じゃないだろうか。詳しい話を聞いたところによると、親同士が相談した結果の見合い結婚だったそうだし、「戦前まではそれが普通だったんだろう?」とのことだったし、と意味不明な昔の慣習まで引っ張り出してきている。民主主義の旗が振られてもう何年、何十年経ったというんだろう。高校教師として、立村にはその辺認識してほしいものだ。
 ──けど、第三者からみたら、いい組み合わせだとは思うけどね。
 本人の意志をここまで無視した、きわめて鬼畜な会だったにも関わらず、みな和やかなムードで進んだのは、なんだかんだいってあの二人が「ばかっぷる」の典型的な行動を交していたからに違いない。杉本さんも大きな猫の耳を生やした状態で、すっかり「猫」扱いされていたし、いわゆる「じゃれつき」と認識されてもしかたないのかもしれない。一週間経っても、特段あの二人が刃傷沙汰を起こしたとは聞いていないので、たぶんうまくいってはいるんじゃないかなとは思う。
 ──ああまったくねえ、あの二人も永過ぎる春にならなくてよかったねえ。
 ──雨振って地固まるっていうしさ。うまくいってほしいよね。
 素直に幸せを祈りたいとは思う。がしかし。
 ──けどさ、あのふたり、本当に大丈夫なのかなあ。だってあの立村でしょ。
 かつて立村と恋人同士だった子から、色々な事情を聞いているだけに、旧姓・杉本さんがこれから受けるであろう衝撃は相当なものではないかと思う。旧姓・杉本さんだってもう二十歳過ぎた成人女性だ。当然、女としてのことがらはすべて学んでいるはずだ。しかもあのナイスバディー……あくまでも「人間」としての身体つきの場合……Cカップではたぶん足りないんじゃないかなあ。Dくらいは? その体を目の前にしてふらふらしない男がいないとは思えない。貧乳好みの人は除くけど。立村は一応、その手の関心がない男ではなかったはずだ。ちゃんと、それなりに、そういうことは知っているはずだ。ただそれが上手かどうか、テクニックが素晴らしいかどうかは、言葉を濁した友人の言葉からして想像するしかないけれど。
 ──いや、その前に、杉本さん、もう、なのかな?
 以前聞いたところによると、杉本さんは王子さまを見つけて懸命に追いかけるものの、一方的に逃げられる……そう、振られるのではなくて、「逃げられる」のだ……パターンを繰り返し、お付き合いまでたどり着かなかったらしい。ここ一年ほどはIT関係の仕事で彼女の優れた能力を発揮し、よくわかんないけれどもすっごく大きな仕事をやり遂げ、本当だったら一生もんの御褒美が出てもいいくらいだったらしい。がしかし、彼女の性格があまりにも男性受けしないこともあって、そのお手柄をあっさりと会社側に奪われてしまったとか。この辺日本の会社組織にも問題あるかもしれないけれどもね。アメリカとかだったらもっと作った人の評価が高くなるんだろうけれども、やはり「会社組織」のお手柄となってしまい、こしらえた彼女はお払い箱。そうよね、仕事は「みんな」でやりとげたものだから、「みんな」の中に入りきらない人は落としても可なのよね。正直、ばかにするんじゃないよって文句を言いたかったけれど、代わりに立村が全部面倒を見てくれたらしいのであえて何も言わないで置いた。
 ──まさか、そのお礼にバージンをプレゼント、なんてことないよねえ。
 いくらなんでもそれはないだろう。旧姓・杉本さんはその辺についてもかっちりした好みが確立されている人だから。
 立村と曲がりなりにも結婚を決意したということは、それ以外の理由もちゃんとあるはずだ。いや、ないと困る。一応は私も、立村の友だちなんだから。もし杉本さんを手篭めにしたなんてこと聞いたら、張り倒して急所蹴飛ばして悶絶させた後、知り合い連中みんなに言いふらしてやるだろうし。
 いや、それ以前の問題として、杉本さんと立村は無事、新婚初夜を迎えられたのだろうか?
 興味津々で出かけることになったわけだ。前日と、三十分前、本条先輩から、
「悪いが、花嫁花婿の様子をあとでレポートしてくれねえかな」
 とのお達しもいただいたし。もちろん! やらなくてどうするってのよ。

「古川先輩、ようこそいらっしゃいました」
 高校教師が平日の昼間にいるわけもなかろうってことで、まずは旧姓・杉本さんとふたりきりになれるチャンスを。この子はいまだに私のことを旧姓で呼ぶので、私も同じく旧姓・杉本さんとしておこう。ストレートに肩、背中に流れる髪の毛はいまだ変わっていないもの。つやつやしている。部屋の中は少々使い古されているけれども、蛍光灯がひとつもない淡い光の部屋。橙色に包まれていて、ちょっとした高級レストラン気分。ソファーにさっさと座った。ぴんと張った生成りのソファーカバーと、花の刺繍が施されたナフキン、アフタヌーンティーセットというんだろうか、三段がさねでやたらと場所を取る銀食器。上にはちゃんとケーキとマフィンが用意されている。
「紅茶はどの銘柄がよろしいですか?」
「いいよ飲めれば」
「では、アールグレイにいたしましょうか」
 相変わらずというかなんというか、まっすぐなしゃべり方は変わっていない。私の周りで旧姓・杉本さんのような抑揚のないしゃべり方をする子はそれほどいない。まあ仕事も仕事だなんだけどね。私の場合、店やっているからね。明るく回りを守り立てるような会話をしないと、やっぱしまずいでしょう。杉本さんがもし、お客さんだったら困るだろうなあ。会話をどこからひっぱっていくかが難しくって。
「アールグレイって何?」
「清坂先輩もお好きなのできっと古川先輩も好みかと」
 ──なぜ、なぜ美里のことを出すのさ!
 よかった、まだ紅茶飲んでなくて。絶対私、噴いてたよ。
 私の返事を待っている様子の旧姓・杉本さんはもう一度大きく頷くと、
「清坂先輩とはもう、こういう展開になってしまった以上、お会いしてお話する機会もなくなってしまいました。ですがどうか、お幸せに羽飛先輩とお過ごしになられることを祈っております、そうお伝えください。私、清坂先輩には心からの想いを伝えたいのですが」
「ちょ、ちょっと待ってよ、杉本さん!」
 仮にも、美里は杉本さんにとって、「旦那の前の女」だ。
 それも、「かなり深い仲」だった女だ。
 もちろん手はとっくの昔に切れていることくらいわかっているだろうけれども、複雑な想いがないとは言えないだろう。
 少なくとも美里は、学生時代からずっと杉本さんのことを意識していたはずだ。もちろん評議委員会の中外、とにかく可愛がっていたけれども、それ以上に立村への接近を危惧していたはずだ。「立村くん、きっと杉本さんのことが好きなのよ、どうしよう!」とか行っておろおろしていたくせに、結局は自分の方から振ってしまうんだから。立村の大失恋についてはいつか、詳しく聞き出したいものだけれども、まだ新婚一週間というお嫁さんの前でそんなこと言いたくない。
「私はこうやって、拉致されてしまったわけですが」
 「アールグレイ」とかいう紅茶をカップに注いでくれた。薔薇の小花とつぼみが細かく飾られたものだった。
「きっと、清坂先輩もあの人の悪趣味なところに恐怖を覚えて、お別れになられたのでしょう。それは当然だと思います。私ももし真実を知らなかったら近づいたりしなかったことでしょう。でもいいのです。私は清坂先輩が間違った道をお進みになられないで本当によかったと思うのです。どうかお伝えくださいませ」
「杉本さん、あの、立村の悪趣味なところって、何?」
 ソファーの端に腰掛け、杉本さんはひだがやわらかく寄せられている桃色のワンピースに、白い長そでのニットボレロを羽織ったまま無表情に答えた。
「人間なのに、なぜ、猫を好むのでしょうか?」
「猫?」
 いや、確かに杉本さんはあの夜、猫耳が一時的に生えてくる薬を嗅がされて、わけのわからぬうちに立村の熱い抱擁を受け、呆然としている間にお披露目されてしまったという悪夢を経験している。でも今私の目の前にいる杉本さんは、きちんとした大人の女性だ。胸も相変わらずDカップ……今確認したところEあたりでもいけるかも……だし、耳の位置はちゃんと定位置だし、私よりほんの少し背が高いようにも思うから。気位の高いお嬢さま、という冷たさはあるのかもしれないけれど。彼女の本質はとにかく一途、純粋すぎていつも傷ついてしまう、懸命にほしいものへ手を伸ばしても届かなくて、それでもあきらめないところ。なんかあの怪しい会では、懸命に立村の腕の中から飛び出そうとして、それでもうまくいかなくて結局最後は胸に耳ごともたせかけて眠ってしまった。あの時の杉本さんは確かに抱きしめたいほどめんこかった! 立村、気持ちわかるよあんた!って背中をばしばし叩いてやりたかった。
 話がそれた。猫? けど猫って、あの時一回だけでしょうが。
「あの後あの人は何をなさったかと思いますか?」
「そりゃあ、あんなことこんなことそんなこと」
 野暮よそれを説明させるのは。
 旧姓・杉本さんは髪の毛を後ろにまとめるようなしぐさをし、咽のところをちらっと覗かせた。
 金色のかわいらしいチョーカー、かと思いきや、
「今は人間に戻れますからこういう純金のチョーカーとしてみてもらえますが、一度猫に戻ろうものなら大変なことになります。これが、いつのまにか、真っ赤なリボンと大きな鈴になるのです」
「鈴って、でもどうみてもこれ、チョーカーよねえ」
 咽のところ、鎖骨あたりを触らせてもらった。ちょっと大きさがでかいかなとは思うのだけども、確かにチョーカーだ。
「いつも夜十時になってから、あの薬をきちんとかいで、私は横になります。そういうのを求めてらっしゃるのがあの時よく理解できましたから。そうすると、あの人は私に餌付けを行い、耳を撫でて、ベットに座らせるのです。ひたすら髪の毛を撫でつづけ、最後には転がしておなかを撫でて遊ぼうとします。猫ならよいのです猫ならば。しかし、この私に対して、なぜ、そういうことをするのでしょうか」
「もちろん、洋服は着ているのよねえ」
「もちろんです。一度十五分くらい寝て、その後、あの日着ていた服に着替えるのです」
「あの日着ていた服?」
 思い出した。あの、やすっぽそうなウェディングドレスだ。ドールショーかなにかで見つけて買ったと自慢気に話していたなあ、あいつ。
「でないと、全身、猫の体ですからしかたないのです」
「あれ、杉本さんって、あの日は耳しか生えていなかったはずじゃ」
「そうです! でもあの時に、中途半端な化け方をしたからあの人は、人前であんな非常識なことをされたに違いありません。あの時の私は爪も不十分でしたし、口も人間の歯。きちんと動物としての凶器である爪と牙を用意して、あとは人間の格好で待つことに決めたんです。冗談ではないのです。きちんと、私にあの人が『どうしてこういうことになったのか、どうして私をここに連れてきたのか』その理由を説明してくれるまでは」
「ちょっと待ってよ! 杉本さん、あなたってまさか」
 出しかけて引っ込めた言葉。だって、これってまじでやばいよ。
「おそらく、古川先輩のおっしゃられる言葉、その通りだと思います」
 相変わらず無表情のままで、杉本さんは取り皿にハムサンドイッチを置いて差し出した。
 ──まだ、あんたたち、「他人」のまま?

 いや、私が究極のスケベだから言うわけじゃない。けど言わせてほしい。
 ──新婚初夜であいつ、まさか、しくじったか?
 考えられないことではない。今の段階では私も口をつぐむけれども、立村はそういうことについて、わりと淡白な方ではないかと予想していた。外部からの情報からしてもそう思うし。でも、やっぱりなにはともあれ、男であることは違いない。あやしの会において思いっきり露出していた杉本さん猫に対する愛からして、夜、何もしないで、耐えていられるとは思えない。もし耐えていたとしたら、杉本さんに思いっきり抵抗されて使い物にならなかったとか、たまたま疲れ果てて抱き合って寝てしまったとか、それくらいしか想像がつかないぞ私は。
 百歩譲って、一日目は杉本さんの体調を加味してお休みさせたとする。
 でも、今日まであと五日か六日はあったわけだ。その夜、ちゃんと使って、なんとかせねばとか思わなかったわけなのか? 
 新郎として、旦那として。
 いや、まてよ。杉本さんは今「猫に化けて」いたんだよね。
 杉本さんが立村に対して、仔細の説明を要求し、「拒んで」いたってわけか?
 彼女ならありうる。納得いかないことについてはとことん筋を通す彼女の性格はよーくわかっている。
 もちろん説明をきちっと受けたならば、それなりの覚悟はあるだろうけれども、あの馬鹿男はそれすらしていないってことだろうか。よくわからない。親と親同士の間で決まった結婚話、決して杉本さん本人だって絶対いやってわけではないだろう。本当にいやだったら人間のまま逃げ出すことくらい平気でする人だ。でも、していない。ただ猫になり抵抗している。
 ──そうか、立村、相当、欲求不満溜まっているわけね。
 ──せっかくのお嫁さんがすぐ手の届くところにいるのにね。
 DもしくはFカップの胸がねえ。これはしんどいわ。そりゃあ、猫をじゃらしたくもなるわ。首輪してやりたくもなるわ。

「杉本さん、ということは一つ確認したいんだけど」
 やはり聞くしかないかなと思う。私のキャラで。
「杉本さんは立村と別れたいの? もしそうしたいんだったら、私手伝うよ」
「別れる?」
 紅茶の入ったお上品なカップをおちょぼ口に持っていきながら杉本さんはきょとんとした顔で、
「いえ、それはないでしょうきっと」
 と意味不明な返事をした。
「なんか他人事みたいじゃん、自分のことなのにさ」
「いえ、もし私があの人と別れたとしたら、犠牲者がまた増えます」
「犠牲者のことなんかより、杉本さんがどうしたいかが問題よねえ。結婚って、紙切れ一枚だけど、重たいことだよ」
 この子はやはり、現実を直視してないように思う。
「一緒にいたいかいたくないか、が問題だよ。一番大切なことはね、自分の好きな相手が帰ってくるのを待つ生活に耐えられるかってこと。杉本さんだって本当は、社会でばりばりやりたいよね。ほら新井林のお嫁さんが今、市会議員でばりばり活躍しているみたいにさ」  表情が曇った。やはり、傷はうずいているのだろう。 「それをある意味、立村によって遮られたってことでしょうが。杉本さんを部屋の中に閉じ込めて、社会から隔離して、他人の迷惑にならないようにしたいとか、そう思っているかもよ。それでもいいわけ?」
 かなり攻撃的な言葉をぶつけてみた。
「いえ、それはよくないことです」
 相変わらず抑揚のない言葉で彼女は答えた。続けて、
「ただ、私がもし逃げたとしたら、まず、清坂先輩にご迷惑が」
「美里のことなんてどうだっていいの! 美里は最初から立村捨てて逃げたんだから」
「いえだからです。私と猫遊びするのが飽きたら、さっそく次は清坂先輩を猫化しようとするはずです。清坂先輩のようにあれだけ可愛い人でしたら、当然です」
 ──美里が、猫化される?
 それ以前の問題として、近寄らないと思うぞ、絶対、別れた男の近くには。
「私でしたらまず、猫としての作法を生猫見たり、百科事典のCD−ROM調べたりして研究する余裕があります。またあの人の説明を待つ余裕もあります。説明された後にはきちんと、御褒美を差し上げる準備もしております」
「御褒美ってなに?」
 なんか私好みの匂いがしていたのは気のせいかなあ。ついつっこみたくなった。相変わらず旧姓・杉本さんは無表情のまま、今度はクッキーを差し出してくれた。
「あの人は猫を可愛がるしか楽しみがないみたいなので、人間でもかまわないのだという説明です」 「人間って、すなわち、杉本さんが今のままでってことよねえ」
「はい、その通りです」
 ──この子、ってもしかして。 
 とてつもないのろけというか、告白をしているんじゃないだろうか。本人は気付かないままに。
 いきなり立ち上がった杉本さんは、「失礼します」と奥の部屋に向かい、すぐに戻ってきた。手には大きなショッピング用のバック。本の角がビニールの中から浮き出ている。古本らしい。
「私はこういう本を、三日前に知ったのですが、まとめて購入しておきました」
 一冊、丁寧に取り出して差し出す。全部お手製の布カバーがかかっている。小花プリントでたぶん少女小説かなにか、いやロマンス小説のたぐいだろうか。そう思いつつ手に取り絶句した。エロ小説だった。中年のおじさまたちが愛読するものだった。
「これ、いったい、どうして杉本さんが?」
「はい、いつかちゃんと私に説明をしてくださって、お詫びしてくださったらその段階で、こちらの準備を整えておかねばなりませんから」
 さらに、と杉本さんは別の本を取り出した。さっきのエロ小説が文庫だったのに対して、今度は少し大きめだ。「愛の医学」とか書いてある。文章ばかり、たまに説明用のイラスト。「新婚初夜の心得」なんて副題がついている。
「どうでもいいことですが人間は面倒なものですね。準備するべきものもいろいろ用意しなくてはなりませんし。でももし私がこういう行為を引き受けなければ、あの清坂先輩が苦しむことになりますし、努力しなくてはなりません」
 ──いや、絶対、その心配はないと思うよ! 杉本さん!
「また、こういう漫画もあるのですね。勉強になります」
 おいおい、なんなの。この怪しい絡み合いは! レディースコミックが他にも大量にあるではないか! この類はかなりグロテスクなものが多いと聞くけれども。
「あの人が、昨日、少し参考にするようにとまとめて古本屋で購入してくれました」
 ──えっ、り、立村が?
 ずっとおあずけ食っている旦那、なんでだ?
「私がこの類の本で勉強しているのを見て、やはりいろいろ思うところがあったのでしょう。ちゃんと御褒美の内容が理解できたのでしたら、一刻も早く説明していただきたいものです」
 そりゃそうだろう。猫の格好でしか触らせてくれないお嫁さんが、勉強するような顔をして、真剣に「愛欲生活〜新婚夫婦の夜」とか「飼育生活〜僕の可愛い子猫ちゃん」だとか、そういうもんを読んでいるのを観て、理性が飛ばないわけがない。でもそうか。レディースコミックで攻めたか。立村、これはもうそろそろ勝負をかけたいところだなあ。
 でももうひとつわからないことがある。私は質問することにした。
「さっきから杉本さん、説明してほしいと言ってるけど、何をどう言ってほしいわけ?」
 ご自分のサンドイッチを口にくわえたまま少し考え、すぐに飲み込んだ。
「私が評価されるのは、この猫としての姿のみです。この時だけは意味不明なことをなさいますが、きっと私が人間に戻ったら瞬時にあの人は、清坂先輩を選ぶはずですから」
 一気に胸が詰まった。そうか、やっぱり、そうなんだ。

 立村と美里との間に何が起こったのか、わかっているようでわかっていない私。
 また、羽飛に走った理由がなんだったのかも。
 たぶん、説明できない部分もあるのだろう。実際知らなくてもいいことではないかと私は思っている。私が立村の立場だったらきっと黙っているだろう。でも、杉本さんにとっては
 ──私は清坂先輩の代わりだから。
 ──でも、代わりにはなれないかもしれない。
 ──猫だから可愛がってくれるけれども、
 切ない。杉本さんはまだ、立村が本当に思ってくれているかどうかをつかめていないのだ。
 第三者からしたら立村のめろめろ状態は目に毒だったけれども。でもそれは、まだ猫だからという条件のみのものだというのか。
 ──杉本さん、それは違うよ。
 ──今、一刻も早く、人間としての杉本さんを抱きしめたいのは、立村の方だよ。
 ──だから、ああいうやばい本を買ってきてくれるんじゃないの?

 このままではまずい。たぶん立村はなんとかして夜十時以降猫になるかぎ薬をかいで、白い猫として甘える杉本さんをじゃらすのに甘んじるだけだ。もちろん杉本さんの戸惑いを察してだろうが、それを続けていたらかえって杉本さんは、美里の替わりなのだと思い込むだけだ。
 いくら御褒美の準備をしていても、おあずけが長すぎたらやる気なくしてしまう。
 なんとかしなくては。なんとか。
 あのふたりはいつもそうだった。お互いを想い合い、気遣うくせにやることがすれ違ってしまう。ずっと繋がるチャンスがあったのに、いつもどちらかが逃げ出していた。
「杉本さん、一つお願いあるんだけど、いい?」
 私は紅茶をお代わりした後、頼むことにした。
「私も、最近マンネリした夫婦生活を活性化したいのよ。猫になって久々に、旦那を興奮させたいもんよ。だから、少し、かぎ薬ほしいなあ」
「よろしいですよ。いくらでもありますから」
 ライター風に蓋がぱかっと開く、手の平に納まる小さな金の箱を受取った。
「嗅ぐとすぐ眠くなりますから気を付けてくださいね」
「じゃあ粉ごともらっていくわ」
 白い粉だったのでラッキーだった。杉本さんが奥の部屋で別のお菓子を取り分けている間、素早く私は砂糖に中の粉をすりかえた。今夜、使ってみよう。もちろん!

「では、清坂先輩にどうかよろしくお伝えくださいませ」
 ふかぶかと頭を下げる旧姓・杉本さんに手を振り、私は外に出た。すぐに公衆電話ボックスへ飛び込んだ。時間はちょうど学校の授業が終わった十五時三十分前後。教師ならばいるはずだ。当然、我が母校青大附属高校へ。三年男子クラス担任の立村先生をお願いします。

「あのねえ、立村、いそいでるから用件だけ話すね」
 ──なんですかいきなり。先日はどうもありがとうございました。
「今日、あんたのハニーとお茶飲んできてさ、お土産にあの白い粉、いただいちゃったのよね。彼女には言ってないけれども、一応旦那のあんたにはご報告しておこうと思って」
 ──白い粉? ま、まさか。
「そう、あのセクシーな粉ね。でも、あれはスパイスとして使うならいいけど、もうマンネリしちゃうのもなんでしょ。だから、本条先輩たちとわけるね」
 ──分けるって、けどあれ危険だって!
「危険だから持ち出したんでしょうが! あのままだとあんたのハニー、本物の猫になっちゃうよ。まあ、それで満足できるならいいけどさ。あんた一週間、よく堪えてるよねえ」
 ──余計なお世話だ。それで用件はそれだけか。
「今夜、彼女が猫に化けられないのは確定してるからさ、ちゃんと帰り、女もののセクシーなネグリジェ用意してあげなよ。あの子もあれだけエロ本で定期試験の勉強するみたいに勉強しているしね。たぶん、あんたが待っていただけの効果はあると思うよ」
 ──あんたが待っていただけのってなんだよ! 昼間から何考えているんだよ!
「それともうひとつ。例の粉、南雲と、新井林にも御褒美で分ける予定なんだけど、新井林ってあんたの副担任になるんでしょ。伝えといてよ。あとで本条先輩の携帯に電話かけておいてって。いやあ、ああいう粉、冗談かと思ったけど、あんたたちみたいに難儀なカップルには愛のきっかけになってよかったわあ。私たちも夫婦円満のお守りとして、たまーに使わせてもらうんでそのおつもりで。じゃあね!」
 ──なんだよ、おい、切るなよ!
 悪いけどさっさと切らせていただきました。

 ──そうだ、言い忘れてた。
 一度四等分にした白い粉を、もう一度分け直した。五等分にして薬包紙に包んだ。
 ──よろしく伝えてくれって杉本さんにも頼まれていたしなあ。美里にもこっそり、送っとくかな。夫婦円満お約束の、縁起物だしね!
 
 ──終──


 
  BACKNEXT 


 ──終──      
 

 



Copyright (C) 2001 馬に描かれた館 All rights reserved.