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その六 関崎乙彦  
この物語はねむさま(「月と星と」)からいただいた「これも愛情表現」のイラストをイメージとして綴った物語です。
9/18〜9/30までねむさまのサイト「月と星と」二周年企画にて、イラストとコラポレーションとなる
「これも愛情表現の一種なり」を短期連載中です



  作者:舞夜じょんぬ


 
「とにかく、人間として、これはやるべきことではなかったんじゃないのか!」
 喫茶店のウエートレスさんがしばらく右往左往している。俺も声を荒げるのは本意ではないし、できればもっと沈着冷静に話をしたかった。駅前側の喫茶店、台風がきたらひと吹きで飛ばされてしまうんでないかと思われる木造の建物だが、珈琲はうまい。俺が中学の頃から有名な店で、あの頃から壊れるのは時間の問題と言われていたが、現在にいたるまでまだ現役だ。
「その通りだ。反省している」
 素直にうなだれ、珈琲カップを見つめているのは、この前俺が花束を渡しに行ったところの花婿だった。結婚式というのか披露宴というのか、単なる集まりというのかよくわからない会合で、俺は彼の友人という繋がりで参加させてもらった。もちろん彼には今後の人生、幸いあれと祈るのみだし、花嫁となる女性も俺とはいろいろ繋がりのあった人である。どちらも本心から祝いの言葉を捧げたい相手である。
 がしかしだ。
「あれはないだろうあれは! 立村、俺はお前を見損なったぞ!」
 おずおずと砂糖ポットをテーブルからひっこぬいて去るウエートレスさん。
 申しわけないとは思うのだが、俺としても許しがたいことは許しがたい。
「関崎、君の言う通りだ。君にはとんでもない茶番となってしまったが」
「俺のことはどうでもいいんだ!」
 また腹の底から怒鳴りたくなってしまうのはなぜなんだろう。俺も社会に出て、いわゆるサラリーマンの身の上となり、多少は社会の掟も学んだ身の上だ。とはいえ相変わらず納得いかないことには何か一言言わないと気のすまない性格ゆえ、出世は期待できそうにない。それでもいいだろう。俺がエリートになるなんて、まずありえないことなのだから、それはいい。エリートでなくていいから、と笑顔で寄り添ってくれる人も側にいる。だから、それはいいんだ。
「俺が言いたいのはな、立村」
 珈琲が冷めているだろう。もったいない。まずは飲み干そう。
 ブラックのまま、俺は一気に口に放り込んだ。
「関崎、これ、クリームが入っているから冷めてないぞ、きっと」
 いきなり顔を上げて目の前の花婿殿が指を刺す。すっかりこけた頬、目の周りには隈。教職者であるゆえのストレスが溜まっているのだろうか。彼も、初対面の頃からほとんど印象が変わらない男だった。おとなしそうで、内気そうで、それでいてきちっと上下ともに仕切る。元評議委員会の委員長。当時は俺も生徒会の副会長だった。私立と公立の差こそあれ、俺と立村との繋がりはゆっくりと太く長く続いている。
「クリームなんかどうでも……」
 言いかけて、思いっきりむせた。そういえばブラックだと思っていた珈琲は、ウエートレスさんがオーダーミスしてウインナ―珈琲に化けたのだ。気付いて慌てて謝るウエートレスさんがかわいそうに思えて、立村も少し同情気味だったこともあって、「これでかまわないから」と受取ったのだ。よりによってこんなとこで気付くとは。
「関崎、舌、大丈夫か?」
 心配そうに立村が、静かなまなざしで尋ねる。
 ──答えられるかよ!
 舌先から咽奥まで、しっかり温度を熱く保った珈琲が俺の咽を焼いた。
「あ、ああ、だ、大丈夫なわけ」
「ないよな、ごめん、気付くのが遅れたな」
 立村はゆっくりと珈琲を半分、飲み干した。こうやってみるとやはり、俺とは違う落ち着きがある。いろいろと彼との間にはドラマが繰り広げられたし、その中にはほろ苦さ以上、それこそいまのウインナ―珈琲レベルのやけどを負うような出来事も起っていた。それもまた思い出になるには、それなりの時間がかかったけれども。先日の会でもって、そのうちの一つは暖かく解けたはずだ。いや、それが問題なのだが。
「だ、だからなあっ、立村!」
「ごめん。関崎、俺が悪かった」
 また、テーブルに手をついて、ふかぶかとお辞儀をする立村に、俺の舌はまだ回らないままだった。ったく、いつもこうだ。タイミングの悪い俺の星周りだ。

 すっかり毒気を抜かれ、しばらく舌の痛みが治まるまで黙って考えた。
 目の前の立村がぽつ、ぽつと言葉を滴らせる。
「あの会は、ほとんど冗談だと思っただろう。周りにはそう思わせたかったんだ。でもさ」
「でも?」
 短い言葉でしか相槌が打てない、今だ俺の舌。
「やはり、俺にとってはけじめをつけたかったんだよな」
 ──けじめか。
 店内の音楽がいきなり、「モルダウの流れ」から「ツゴイネルワイゼン」に変わった。
「ほら、関崎とも、いろいろあっただろう」
「昔のことだろうお互いに」
 そうだ、もう十年以上も昔のことだ。しかもお互い中学生の頃の、ガキだった時代だ。
 あの頃は涙が出るくらい悔しい出来事も、今思えばもう少しさらりと流せたはずなのにと微笑さえ洩れる。
「立村ってそういうこと気にする奴だったのか?」
「特定の相手にはそうさ」
 また静かに珈琲をソーサーごと持つ。
「つまりさ、俺にとって、どうしても勝つことのできなかった相手というのが、関崎であったわけで」
「反対だろう。俺にとってお前の方が」
 言いかけた。目の前の立村は首を振った。
「どんなに俺が求めても、関崎、お前以上の王子さまはいないらしいんだ。世界中探し回ってもな」 「じゃあお前が王子さまになってやればいいだろう」
「そのつもりだよ、でもな」
 大きくため息を、うつむいたまま吐いた。ふと、立村の表情にどこか、陰りが見えたように感じたのは気のせいだろうか。頬の所が深く掘り込まれているように思えてならなかった。
「『ローエングリン様』はひとりだけなんだよ」
 ──ローエングリン様、か。
 ワーグナーのオペラ、「ローエングリン」。立村曰く、「ドイツ版鶴の恩返し」という話ということなのだが、音楽に弱い俺にはよくわからん。いまだ、俺にとって音楽とは野球やサッカーの応援歌、と繋がるものであって芸術とは異なりそうだ。
 「白馬に乗った王子様」の意味として、きっと彼女は俺の代名詞にしたのだろう。俺のどこが「白馬に乗った王子様」なのか意味不明だが、何かのきっかけとタイミングがかみ合って、いつのまにかこういうことになってしまったという。品のあるドレス姿でもって、俺と当時の弟分の前に現れ、キャベツの花を手渡したあの少女を思い出す。正直、受取った時は嬉しいと思えなかった。それどころか、どうやってキャベツの花を処分すべきか悩んだものだった。女子から告白されたのもその時が生まれて初めてだった。もっと、人間として、してやるべきことがあったのではないだろうかと今なら思うが、当時の俺はまだ中学生だった。何も知らない大ばかもんだった。子どもであることが、人を傷つける原因であることも、その頃少しずつ学んでいた矢先のことだった。
「けどなあ、そんな中学時代のことをひっぱりだしてどうするんだ?」
「俺もそう思う。でも、梨南にとっては違うんだ」
 立村はまた、無理やりな笑いを浮かべ、指先で珈琲カップをさすった。
「完全なる王子様は、たぶん、今も、お前だけだろうな、関崎」
 新婚一週間も経っていない旦那に言われることだろうか。俺は当然反撃した。
「じゃあ今の王子さま、どうするんだ、嫁さんに浮気されていたら怒るだろ」
「怒るまえに、だから、ちゃんとけじめをつけたかった。それだけだよ」
 また立村は、うつむくようにして、今度は咽でため息を押えるようなしぐさをした。

 立村が当時、心から可愛がっていた「キャベツの花」の少女を自分の花嫁に迎えるにあたっては、いろいろな事情が絡んでいたと聞く。こいつだって全く恋愛沙汰に疎かったわけではない。おそらく八合目まで来ていたであろう、長年の付き合いの恋人と諸般の事情でわかれたとは聞いているが、その時に何が起こったのか、詳しい事情は把握していない。立村はそうぺらぺらと過去の恋愛沙汰について語る奴ではない。同じように今回「キャベツの花」の少女についても、いわゆる惚れた晴れたではないらしいということくらいは聞いているけれども、それがどうというわけではなかった。  ただ、俺からしたら、最初から自然にぴたりと添う形でのなりゆきで、違和感を全く感じなかった。男女については俺もそれほど詳しいわけではないけれども、何かの拍子に、ふと感じる一体感が存在した時、恋なり愛なりに発展するのではないかと思う。立村が当時付き合っていた永年の彼女について言えば、確かに繋がりの深さは感じていたけれども、いわゆる「一体感」というものは得ていなかったように思う。大人の付き合いだし、それなりのことはあっただろうが、それでも匂わない何か、というのが感じられた。
 しかし、「キャベツの花」の彼女と立村が並ぶと、ふと、大きな花束のようなものに包まれて安らいでいるような雰囲気が存在した。俺もこういう詩的な言葉を使うのはかゆくてならないのだが。それでも感じてしまうのはなぜだろうか。強調したいのは、その雰囲気を無意識ながら、初対面の頃から感じとっていたことだった。立村と「キャベツの花」の少女が通っていた私立中学では、周囲の人間たちが懸命に二人を守り立てようとしていたらしいが、それも当然だっただろう。たとえ俺のことを彼女が「ローエングリンさま」と呼びかけ、想いを伝えようとしたとしてもだ。俺にはせっかくの想いを「キャベツの花=不気味」という式でしか認識できないだろう。立村ならば、その花の名をしっかりと覚え、いとおしむことができるだろうが。そしてこれは、誰にでもできることではないだろう。おそらく、世界中捜しても、立村ひとりだけだろう。
 考えているとまたむしゃくしゃしてきた。冒頭の怒りがまたもやもやしてきた。怒鳴り直す。
「だからなあ、立村!」
 また後ろでびくっとしたのはさっきのウエートレスさんだった。おびえさせてしまい申しわけないが、今うやむやにされるわけにはいかない。
「お前、俺のことをいまだにぐちぐち気にしているからじゃないのか? 今だに!」
 少し話がそれてしまった。はっと立村が顔を上げた。俺が本気だということに気がついたらしい。 「関崎、いやそういうわけでは」
「違うだろ。しつこいようだが、中学の時の話なんて、俺はほとんど忘れているぞ。なんでそんなことをいまだにひっぱってるんだか俺には理解できないってことだ。それも仮にだ」  一呼吸置いて続けた。
「俺はとっくの昔に身を固めているんだ。そういう相手にまだ彼女がひっかかっているってことは、一種、心理的な不倫だろう? それを許していいのか? 立村!」
「心理的な不倫って、関崎、それはなんか違うと思う」
「黙れ!」
 珈琲に含まれるカフェインは、量を取りすぎるとドーピング検査に引っかかると聞く。俺も陸上をやっていた頃はあえて珈琲だとか風邪薬だとか飲もうとしなかった。めったに飲まない刺激物を取ると、なぜかエキサイトしてくる俺がいる。
「立村、もし彼女の気持ちにほんの少しでもだ、そう言う異物が残っているんだとしたら、お前が体張って取り除いてやるのが当然だろう! ここでうじうじと俺に小細工させたりとか、彼女を猫にしたりとかして、小手先ばっかりのことやるんじゃなくてな!」
「花束のことだよな、あれは悪かった」
「悪いとかいいとかの問題じゃないんだ!」
 思いっきりテーブルを叩いたとたん、後ろから咳払いの声がした。まずい、ここは珈琲を飲む場所であって演説するところではない。中学のことなんてとっくに忘れているなんて言ったくせにだ、だんだんあの頃のエネルギーが満ちてくる。
「俺だったら、彼女を何も言わせないくらい、精一杯のことをする。立村、どういう意味か、わかるな」
「亭主関白は、正直なところ苦手なんだ」
「違うだろ!」
 どうして俺イコール亭主関白だと思いこむのだろう。立村もその例外にあらずだった。
「全力尽くして彼女を抱きしめたこと、お前あるのか!」
 思わず口に出た、たまらなく恥ずかしい科白だった。
 ──しまった、しくじった!
 これも、中学時代から変わっていない、俺の癖だ。
 かっとなった時つい、こうやってくさい科白が飛び出してしまう。
 立村はそのたまらなく臭すぎる科白を、やっぱり穏やかな表情で聞いていた。
「まだ、ないな。そうだ、言われてみればその通りだな」
 珈琲を飲み終えた後、こっくりと頷いた。
「お前、まさか、今だに……」
「うん、まだ、彼女、猫なんだ」
 俺はもう一杯立村と自分の分、ブラックで注文した。

 ──まだ、彼女、猫なんだ。
 さすがに詳しいことを根掘り葉掘り聞くほど、俺も下ネタ好きではない。立村もはにかんでいたようだったし、いろいろと周りの視線も痛かったこともあり、小声でささやくにとどめた。「関崎が持ってきてくれた、かすみ草の花束あるだろう」
 立村に指示されたものだ。
「あれを、枕もとに置いたまま、ずっと見つめているんだ。猫のままで」
「猫って、でも人間に戻れるんだろう?」
「一応な。でも、夜になると梨南はあの薬をどこからか持ち出してきて、それをかいで、猫になるんだ。耳と尻尾をはやした状態でさ」
「耳と尻尾。って、体に悪くないのかそういうのは」
「よくないだろうね。でもしょうがない。猫と人間とだと、抱きしめ方も違う」
 自嘲気味に立村は笑った。
「じきに薬も切れるとは思うし、梨南もどこかであきらめてくれるんじゃないかと信じている。でも、お前が現れた時、あれだけ梨南が動揺するとは思わなかったしさ。それこそ、中学時代のことだしな」
 ──いや、わかっていたはずじゃないのか。
「だから、今は猫になりたいなら薬の続く限り、そのままにさせてやろうと思っているんだ。いつか、薬が切れて、かすみ草も枯れるまで。そしたら関崎」
 言葉を切った。
「今度、俺のうちに来てほしいんだ」
 さらりとした言葉で告げた。
「いきなりなぜだ」
「さっき話しただろう。俺としては、きちんと、今度こそ、けじめをつけたいんだ」
「もうこの前つけたんじゃないのか?」
 軽く首を振った。微笑んだ。
「梨南が、猫になることをあきらめてくれた時に、こちらから連絡するよ」
 ──猫になることをあきらめる?
 言われた意味がわからず、俺はただ「ああ」とだけ答えた。
 
 立村の言いたかった意味を理解したのは、その夜、妻を抱擁した瞬間だった。
 かつて俺も、妻の中に刷り込まれたものを塗り替えたくて抱きしめたことがある。
 立村は人間同士の温もりでしかローエングリンを溶かせないことを知っている。指折り数えて彼女を人間の姿のまま、抱きしめられる日を待っているのだろう。
 
 近い将来、立村からその連絡が届いたらすぐ妻を伴って訪問しよう。
 その日ができるだけ早くやってくることを、俺は心より祈っている。

 ──終──

 
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 ──終──      
 

 



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