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青潟大学附属シリーズ・中学篇
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 確かあいつは銀色細身の自転車でここまで来たはずだ。他の連中のように有名ブランドの名前がかかれていたり、色を塗っていたりはしないタイプのものだ。自転車の鍵もがっちりしたものを使っている。
 結構いいとこのぼっちゃんじゃねえか。
 十分くらい前まであいつが叢でぜいぜい言っていたのに、すでに吐いたものの匂いがかすかにするだけだった。制服だと夜はだいぶ寒くなる。ビールを飲んでいるので体が火照っているけれども、ブレザーは脱げない。そんな四月の夜だった。
「おーい、立村、どこいるんだ?」
 声をかけてみる。俺だってかばんが重たい。表面がつるつるした学生かばんは、まだ手に馴染んでいない。
「かばん、俺預かってるぞ」
 一声、石ころの転がる場所に掛けてみた。反応がない。
 たぶん、先に行きやがったな。
 しょうがない奴だ。立ち上がったとたんへど戻しそうになっていたくせに。
 お前はいいかもしれんが、飲ませた奴は誰なんだ、ってことになったらしゃれにならないぜよ。探しにいってやるか。
 踏み込みのいい雑草をよけながら、俺は自分の自転車を探し出し、鍵を外した。自信もって仕込んだ究極の仕上げ。ちょっとやそっとのスピードではかなうまい。

 品山はバスで一時間近くかかるという。自転車でもそのくらいらしい。結城先輩の命で、品山近辺をうろついていたので俺のこの辺地理関係は完璧だ。すでに一年坊主たちの住所も一通りチェックしておいたので、先回りして立村の家まで行くこともできなくはない。
 足下おぼつかない青大附中の制服姿を見つけ出すのは、意外と簡単だった。サイクリングロードに沿って自転車を漕いでいくうちに、タイヤ跡が微妙にずれてころげ落ちた奴を発見した。
 土手だが、雑草がクッション代わりで、ごろんとねっころがるも自由、スノーボードで滑り降りるのもまた乙なもの。ちゃんと川の近くには柵が張り巡らされている。ただ、斜面は急なので、打ち所悪かったら死ぬかもしれない。
 暗さに目を凝らしながら、車のライトの点滅を頼りに俺は声をかけた。
「立村、いるなら返事しろ。俺だ、本条だ」
 同時に自転車が横に転がっているのを発見。乗っていた本人もその辺に転がっているはずだ。
「おい、返事しろ、立村、おい」
 返事はなかった。かわりに、かすかな息遣いと、「ひ」の音に近い声。続いて、押し殺すように嗚咽が聞こえた。
 ──打ち所悪かったか。やっぱりな。
 ──やばいなあ、酒入りで病院かよ。とにかく掘り出すか。
 手で冷たい空気をよけ、腰から滑り降りた。まだズボンから冷たい湿気は上がってこない。声の響く方向と自転車のころがったところまで、巧くバランスを取りつつ足を運んだ。つま先に柔らかいものがぶつかった。
「おい、立村、お前か」
 背中を軽く蹴ってしまったらしい。激しく咳き込んだが、吐くほどではなかったようだ。背中をまるめ、完全に膝を抱えている。俺の顔を横からおそるおそる見上げた。お月様が昇るのと一緒だ。
「本条先輩、ですか」
 かすれた声だ。俺はしゃがみこみ、尻を地面すれすれまでつけた。つま先でバランスを取るのはしんどくて、べたっと座り込んだ。
「ほら、かばん持ってきてやったぞ。あせって帰るなよ」
「すみません」
 おなかのところにちょうどおさまるよう、かばんを差し込んだ。膝と腹の間だろうか。きらっと車のライトで金具が光った。気のせいか、立村の目からぬめったものを読み取った。
「どうしたんだ、こけたのか」
 最初は小さく、そしてだんだん大きく首を振った。
「突き落とされたのか? ぶつかって」
 それほど意味はない。細いサイクリングロードだし、ぶつかって落ちるなんてざらじゃないか、って気もする。俺がそんなへますることはないだろうが。
 立村は同じ位置に並んでいる俺の目をじっと見詰めた。今度は余裕で表情を読み取れた。なんかわからんが限界に来ていることは想像がついた。小学校時代さんざん遊び呆けた町だ、やばいことはいろいろあるだろう。

 次の瞬間。
 女でもこういうことされたことはない。
 猫か犬だったらあるかもしれないが。
 ブレザーの中にすごい勢いで堅いものがぶつかってきた。ラグビーボールを受け止めた瞬間ってたぶんこういうもんだろう。くる衝撃。しかも投げられない。受け止めっぱなし。
 ──全身からだをぶつけてくるなよ、おい。

 俺はむしゃぶりつくように顔をうずめる立村の背中をそのままさすってやった。全身震えが止まらなかった。ダムをせき止める場所が決壊したようだった。えんえんでもなく、わんわんでもない、声は胸板でしか捕らえられないけれど、ラグビーボールが押し付けられたように俺は支えることしかできなかった。なんとなくシャツが暖かくなる。手の甲の皮だけがびりびりと痛む中、俺はなすすべもなく立村をさすってやっていた。

 真っ暗闇で、上を通る自転車の音だけが響いていた。こうやって座っていると、川の向こう側すぐそばにも家の灯りが見えたりして、人間どこでも生きていけるもんだと、見当違いなことを考えたりした。巨大な猫を一匹抱きかかえたような気分だった。
「立村、もう大丈夫か」
 ずいぶん女っぽい言い方だ。
 本当だったら、
「ばあか、早く起きれっつうのがわからねえのか! 変態が」
 とでもぶん殴ってやるところだろう。他の奴だったらためらうことなくそうしてやるところだ。その一方でだんだん冷えてくる身体に、妙な暖かさを与えてくれる物体を手放したくなかったのも、また俺の本音だった。
「すみません」
 俺が軽く肩をずらしてやると、すうっと目を上げた。
 何度か目をこすって、ほおを手の甲でさすり、慌てたように一歩、俺から離れた。
「今のことはなかったことにしてやるよ。しっかし、何があった」
「すみません、ただ」
「自転車でこけて滑り落ちたくらいで、泣き喚くような玉じゃねえだろ。お前も」
 立村は黙り込んだ。かばんを叩き、草をむしるような真似をした。首を振っているのは、俺の想像がまんざら外れているわけでもないのだろう。
「見えたから」
「何がだよ」
「向こうから、自転車でぶつかってくる相手が、見えたんです」 
 か細い女子めいた声だ。まだ声変わりしてない。
「で、ぶつけられたのか?」
「いいえ、自分で、たぶん、ふらついて落ちたはずです」
 えらくこの辺は冷静に分析している。
「すれ違いざまにか」
「ぶつかる寸前に、それが消えたから」
 激しく咳き込み、口を覆った。ネクタイの襟を緩めるようにして、息をつぎながら。
「今日に限って、まさか、見えるなんて思わなかったからだから」
 意味がわからんが、酒の幻覚を見てしまったんではないか、と俺は解釈した。飲みすぎると人間の輪郭が二重になったりするもんなあ。初体験のアルコールは相当きつかったんだろう。
「よっしゃ、じゃあな、俺がお前のうちまで送ってってやるよ。酔っ払いが一人で歩いてて、補導されたらしゃれにならねえもんな。立村、立てるか?」
 脇から立たせてやると、数回ふら付いた後、俺と同じ目線に立った。
「ありがとうございます。でもひとりで」
「帰れるわけねえだろ!」
 一喝した。
「俺が目を離して、また土手から落っこちたらどうするんだよ。たまたま相手が俺だからよかったけどな、この時間帯は、夜の怖いおにいさんがうろつくんだぞ。お前は小学校出たてだからわからんだろうが、世間はなあ、怖いんだぞ」
 返事を待たすに、奴の自転車を引き上げた。俺の分は盗まれずに路上のまま。自転車をひっぱって歩くだけの気力はあるだろう。四つんばいになりながら、立村は坂を腰曲げて上がってきた。車の通り過ぎる灯に照らされた顔はかなり汚れていた。

 途中なぜか遠回りの道を選んだりもしたが、なんとか無事に送り届けることができた。
 話に聞くとおり、品山までの距離は結構長い。遠い。
 こいつ、無事に明日の朝起きられるか? 
 土日だったらまだしも今日は金曜日だぞ。
「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」
 言葉だけは妙に礼儀正しい。
 立村の家を覗き込んでみた。
 二階がない分狭くみえるがよくみると地下車庫付きの豪勢な館だ。庭らしき場所も広がっている。真っ白くペンキで塗られている。
「今夜、誰もいないって言ったよな」
「はい」
 わけのわからぬ顔で立村は答えた。
「そっか。じゃあここまで俺が送ってきた見返りに、ちょっとだけ、上がっていいか?」
 これも立村でなければ……たとえ結城先輩であっても……「せっかく人が送ってやったんだからな、食い物くらい食わせろよ」と脅すところだ。だが、やはりこいつのかもし出すオーラが、俺にも「丁寧語使用しろ」と命令しているようだった。
 戸惑った風に足を数回もじもじさせたが納得はしていたのだろう。かすかな笑みとともに、奴は答えた。、
「わかりました、入ってください」
 ──なんだ、こいつも入ってほしがってたんじゃねえか。

 自転車を門の奥につけ、立村に案内されつつ玄関に上がった。煉瓦と大理石を交互に敷き詰められた、いかにも注文してこしらえた家って感じだった。ドアを開けると、やたら線香くさい匂いが漂うのが感じられる。灯りが着くと廊下ともにつやつやしている。立村が靴をそろえて脇に並べ、ふらつきながら左側部屋の電気をつけた。
 背中が堅そうな黒い椅子、後ろには同じ色合いのソファー、みな着物の布みたいなもので覆われている。天井からなぜか小さめのシャンデリアがぶら下がっているが、ど派手、というイメージがないのは、灯の一部が紙でふんわり覆われているからだろう。光がやわらかい。
「どうぞ、お座りください」
「いや、俺も座るだけで」
「飲み物と食べ物、たぶんあります」
 光で眺めると、かなり立村の顔は体調崩してぶっ倒れる寸前、そのものだ。こいつは食べる気ないだろう。胃が持つまい。
「先輩、シチューだったらすぐ出せます」
「出せるって? そんな豪勢なもんじゃなくても」
「昨日作って冷蔵庫に入れたのがあります」
 台所で手を洗う音。水しぶきがやかましい。。
「いや、ほんとうに俺、そこまでされなくたっていいって。それよか立村、お前、大丈夫なのか?」
「大丈夫です」
 ──んなわけないだろ。
 想像以上に豪勢なシチュー皿と、フランスパンを切った奴。さいごに冷たい紅茶のポットまで持ってきた。手だけ洗っているが、制服はずたずただ。
「立村、ここまでサービスしてくれるのは非常に嬉しい。だがな」
 全部、俺の分だけ運んできてくれた後、ささやいた。
「俺はお前と少ししゃべりたかっただけだ。さ、顔だけ洗って来い」
 固まったように立村が俺を見つめた。
「あの、まだあの」
「だから、今俺も食うから。お前の格好みてると、いつぶっ倒れるか気が気じゃねえんだ」

 俺に命令されるやいなやすぐ顔を洗いに駆け出した。白いシャツとカーキ色の下に着替えて、立村はまた俺の隣りにちょこんと座った。ちゃんと椅子があるっていうのに、なぜか俺の腰掛けているソファーの足下に、正座している。
 ──お前、犬か、猫か。
「ほら、隣りに来いよ。なにもそんな、ひざまづいたりせんでも、俺は何も」
 言われている意味がわからないらしく、またくいっと見上げる。酒の酔いが……たったお猪口一杯だっていうのに……残っているらしい。無表情で、ただ俺の目を見て、指先を眺め、最後に減っていないシチュー皿に着目し、
「残るともったいないので、もっと食べてください」
 猫の目だ。まさに。暗闇で黄色く光る、あの瞳。やたらとらんらんとしているのが怖い。
 まったく。どうやって帰るか、だよなあ。
 
 パンをちぎって口に押し込み、すみからすみまですすり満腹になった後、俺は立村に確認した。。
「今夜、お前の親帰ってこないのか?」
「はい」
「明日、お前、この状態で朝起きる自信あるか?」
「たぶん」
「ねえだろどうせ。入学早々遅刻で違反切符切られたくねえだろ。俺が起こしてやるよ」
 口がぽっかり開いていった。無言で見返して、立村は答えた。
「俺の部屋でいいですか」
 女ならともかく、なんで。

 まあ立村に興味を持っていたのは確かだ。
 最初の評議委員会で、
「一年D組、立村上総です」
 と名乗った時から、なんとなく浮いた感じを覚えていた。他の連中と比べると……なにせ他の一年坊主ときたら「巫女ちゃんになりたい!」を合唱する連中だ……際立っていた。
 見かけがはっきり男だとわからない顔立ちっていうのもあっただろうし、制服がだぼついていて、今にもすっ転びそうにあぶなっかしいところがあったからかもしれない。
 結城先輩にも即座に
「一Dの評議の奴なんですが、なんか変わってませんかねえ」
 と意見を求め、
「今までいないタイプだな」
 と同意も得た。
 続けて、
「ほんさと、ああいうタイプを「弟」にしたかっただろ?」
 と言われた瞬間、俺の中で何かが繋がった。
 そう。弟だよ。
 結城さん、やっぱりあんた、ただのアイドルミーハーじゃねえよな。俺を拾い上げただけならともかく、よくもまあ。あんた絶対将来、いい実業家になれますぜ。
 結城先輩のおとっつあんが芸能関係の仕事をしていて、やたら羽振りがいいのは知っている。どういう芸能関係かは教えてもらえない。俗にいう「めかけの子ども」ということで……結城先輩の言葉を引用……、「本家には頭が上がらないが、その代わり子どもひとりなので、思う存分やりたいことをやらせてもらえるんだ」とも。はたして「日本少女宮」の追っかけをすることが本当にやりたいことだったのかは俺もわからない。ただ、青大附属に入学した際、そのおとっつあんから言われた言葉が強烈だったという。
「中学から大学まで、とことんお前の好きなことをやれ。その代わり、卒業したら徹底して俺の下働きだ!」
 などと豪語したと言う。
 おとっつあんて、芸能プロダクションやってるのかよ。もしかして、結城さん、未来の大社長? そりゃあな、やることが違うぜ。

 立村は俺が食い散らかした後を片付けた後、風呂場を指差した。
「シャワーあびますか」
 ──お前、これって、はっきり言って。
「父用の、着替えがあります」
 ──女のうちに泊っても、こんなことされたことねえよ。
 尋ねる間もなく、俺は風呂場に案内され、封を切っていない黒い無地のトランクスを渡された。お前ほんとに俺と一年年下か?いや、お前、本当に男かよ? つっこみたいのを耐えながら、俺は制服を脱いだ。

 シャワーを風呂場で浴びて……こりゃあ「バスルーム」だな……制服に着替えて戻ると、やっぱり正座したまま立村が居間にいた。テレビをつけるでもなく、一通り着替えらしきものを持って、ぼんやりとしている様子だ。
「なんか悪いな」
「いいえ」
 小さな声で、また俺の顔を見つめるようにして答えた。改めて見下ろす。まだまだ小学生体型だ。他の一年連中と並べてみるとそれほどとも思わなかったのだが、背中にゴムの木ややつでの植木を置いた中、座り込んだ。野郎版「親指姫」を見せられているような気がしてならない。
「よかったら、部屋に入ってください」
 脇の着替えとタオルを抱え直し、立ち上がった。俺としては別にソファーで寝させてもらうだけで十分だったのだが、いろいろまずいのだろう。言われた通りに従った。
 天井のライトがどっかのラブホテルみたいに淡くかすんでいた。廊下は長く、左に曲がり、最奥のドアを開けた。廊下の幅もまさにホテルなみ。人の家というよりも、一発目的のためのご休憩コースって感じだった。

 灯りがついたとたん、足がふらついた。眩暈がした。
 広い、広すぎる。
 これじゃあ下手したら俺の部屋の五倍はあるんでないか? 
 十畳くらいだろうか。天井からはやはり古びたシャンデリア、端にはベットと白い洋服ダンスの作りつけられた奴が並んでいる。本能的にたんすの中を開けてみたい衝動に駆られた。なんか秘密の通路でもあるんでなかろうか、と昔読んだ児童文学の内容を思い出した。
「うちの父ので、やはり手付かずのものがあるからよかったら、使ってください。ベット、使ってもらっていいです」
「いいですって、じゃあお前どこで寝るんだよ?」
「俺はどこでも寝られるから」
「ちょっと待った、あのな立村」
 こいつは正真正銘、自分を俺のペットにしたくてならないようなことを言い出す。
「俺が今夜、なぜお前のうちに泊ろうと思ったか、何度も言うがな。お前と話をしたいからなんだ。でも今の段階じゃあ、全然だろ。食い物は食わせてもらったしシャワーも浴びたし、いた競りつくせりなのはすんげえと思う。でも、俺はまだ」
 一呼吸置いて、
「立村、お前がどういう奴なのかがわからねえよ。お前だって俺のことがわからないだろ? どうせ学校に行っちまったらもう、こういう感じでしゃべることも難しいだろうし、だからだ」
 わかってるのかわかってないのかわからない顔をしている。たぶん、わかってないのだろう。
「じゃあ、電話だけ、借りていいか? 俺のうちとあと、結城委員長のところにかけるからな」
「はい。市外局番いらないです」
「んなことわかってるって」
 一礼して、立村は部屋を出て行った。俺の言いたいことがちゃんと伝わっていればいいんだが。ベットにまずごろんと横たわり、一気に身を起こした。

 真っ正面に並ぶステレオデッキと、対になったどでかい本棚。
 どんな本読んでるんだか、漫画ないのか、と棚を眺めた。 
 こいつ、こんなのしかないのかよ。

 ふつう野郎連中の部屋だと、昔お世話になった超合金のロボット残骸とか、サッカーボールとか、バットとか、とにかく身体を動かして遊んだものが転がっているはずだ。異常なほどきれいな部屋だというのも異様だったが、親が掃除していると思えばそうでもない。しかし、なんでだ。一切おもちゃらしきものが残っていないのは。俺が野郎四人兄弟だったから特別ってわけでもないだろう。
 けどこいつ、漫画持ってねえのかよ。
 「世界文学全集」「日本文学全集」その他、お高そうなクラシックレコードや美術書、歌舞伎や舞踊、茶道、などなど嫁さん育成講座のような本、そういうのは大量に並んでいる。百科事典だって底にずらりだ。しかしだ。児童書といえるものもなければ、当然コミックもない。もちろん色っぽい写真集なんで混じっているわけがない。
 やはり泊りこんで正解だった。
 今夜、じっくり聞き出そう。

 うちに電話するのは後回しでかまわない。兄貴どもには怒鳴られるだろうがそんなの慣れだ。評議委員会の関係でと言い訳しとけばいい。モットーとして俺はまるまる一泊女の所に泊るようなまねはしない。男連中とだべる時ぐらいのもんだ。
「結城先輩っすか」
 自宅にかけて、呼び出してもらった。まだ部屋に直接電話は備え付けられていない。だからトランシーバーを使用してるのだ。すぐに代わってもらえた。
「おお、ほんさと、お前どこいる?」
「立村のうちに、なんか流れで泊りこむことになっちまったんですよ」
 かいつまんでここまでの事情を説明した。さすがに部屋の中が一種の高級ラブホテルっぽいとかシャンデリアとか、やたらとかいがいしく接待してくれる奴とか、そう言う話はしなかった。
「ほお、じゃあ立村の具合は悪くないのか」
「吐くだけ吐いてたみたいだし、今風呂に入ってるとこみると、大丈夫じゃないっすか」
 まさにぶっ倒れる寸前の状態だった立村が、家に入ったとたん、こまごまとしたことを片付けるわ俺に食事を用意するわなんてこと、まず想像してないだろう。本当に酔っ払っていたらできることじゃない。てっきり居間で雑魚寝する程度だと心積もりしていたんだが、あいつには「先輩を家に泊めるイコール徹底した接待」こそ本当のものらしい。
「詳しくは学校で話しますよ。ネタになりそうなことはあるんで」
「しかしなあ、ほんさとも、すぐに願いが叶うとは思わなかったよなあ」
 話によると他の一年たちがまだ部屋に泊りこんでいるんだそうだ。
 相当嬉しかったらしい。ちなみに奴らの親にはどう言い訳するんだ? 
「俺はそっちの趣味はないっすよ」
 結城先輩、この人は怖い。
「お前、ずっと言ってただろ、弟がほしかったって。ガキのころから弟がほしくてならなくてってな」
「俺の性格で、四人兄弟の末っ子っていうのはかなりしんどいですからねえ」
「まあな。でもこれで念願がかないそうだろ?」
 軽く交わして、俺は受話器を置いた。
 家には、やはりかけないことにした。

 上に兄が三人いるという環境は俺にとってむかつくことこの上ない。もともと俺は頭を押さえられるのが嫌いだ。この性格で小学校時代からさんざんえれえ目に遭ってきた。成績・スポーツ万能で、いかにも男っぽい顔だというのが受けたらしく幸い、いじめられることはなかった。大人からすると「リーダーシップの取れる優等生」だったんだろう。日本から離れる予定の親を説得して、青大附中を受験させてもらえたってのも俺の被ってきた仮面にある。
 親、兄弟の前では単なる「最低扱いの末っ子」のままなんだが。そんなところを第三者に見せたらどうなる? 弱みは簡単に見せられない。とにかく俺は必要なものをすべて手に入れてきた。成績、ルックス、運動神経、リーダーシップ、それと、女。
 ──とにかく、俺の後ろをついてあるく、俺のことを「里希兄ちゃん」ってくっついてくる、俺の言うことを真面目に聞いてくれる、そんな弟がほしかったんですよ。俺は。妹じゃない。女の年下なんていらない。俺についてこようとする、そんな弟がガキの頃からほしかったんですよ。
 ──弟なんてこにくたらしいだけだぞ。
 ──俺みたいな奴が弟やってたらそうなりますわな。
 結城先輩は偉い。一年前の春、俺とさしで飲んだ時にすぐ、「格下扱い」されたとたん逃げられると読んだんだろう。三年連中と同じに評議委員会で持ち上げてくれた。もちろん他の同期連中も面白くなかっただろうが、その辺も考えてくれて、やはりアイドルポスターの部屋で「手打ち式」なることをやってくれた。今の二年たちが俺を「やっぱり本条お前はすげえよ」と言ってくれるのは、結城先輩が間に入ってくれたからに違いない。

 ──弟か。
 ほしくてならなかったものが、今、手の届きそうなところにある。
 俺は立村の部屋に戻り、ベットに寝そべった。世界文学全集の間に、いわゆるエロティックな描写で騒がれたらしい「チャタレイ夫人の恋人」なんぞも並んでいる。
 なあんだ、こいつもそれなりに色気づいてるんじゃねえか。


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