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青潟大学附属シリーズ・中学篇
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 しばらく居眠りしていた。天井のシャンデリアが目に入り、俺は他人のうちに泊りこんでいるってことに気が付いた。夢の中で俺は、いつもなら下のベットで寝ている三番目の兄を怒鳴りまくっていた。当然、埃臭い野郎部屋の匂いのはずだった。やたらと石鹸臭い。こいつの布団からは脂臭さが全く感じられない。
 ──立村、あれ? いないのか?
 首だけ下に落とすように、俺は広い部屋の中を隅々まで見回した。ここにもいない、あそこにもいない、四回首を回して首がひっぱられた感じになった時、脳天あたりで寝息らしいものが聞こえた。ずるずると、掛け布団をずらしながら上がって見下ろす。
 まさかとは思ったがまさかだった。膝を抱えて、チューリップの中の親指姫もしくはおわんの中の一寸法師のごとく。膝抱えてこっくりこっくりしているじゃないか。
 時計を見上げる。本棚の上、さび色の赤い置時計。
 ──十一時、かよ。
 俺がここに転がり込んだのが、だいたい六時か七時過ぎ。食わせてもらってシャワー浴びたのだって一時間も経っていないはずだ。結城先輩に電話をかけたのだってたかがしれている。
 ──三時間くらい寝てたのかよ、俺ってば。
 
 今度はちゃんとベットの上、枕を尻にしいてあらためてもう一度見落とす。
 全く動く気配なしだ。胎児、そのもんだ。口に紐くっつけていれば、それもんだ。
「おい、立村。こんなとこで寝てるなよ」
 全く動かなかった。大抵どんなに深く寝入っていても、「う、ううん」とか言ったり、ねぼけた風に身体を動かしたりするもんだが。
「俺に気つかわんでもいいのに。どうせ俺はその辺で転がってればいいんだからさ」
 足下には、わざわざ紺色の長袖パジャマが用意されている。たぶん持ってきてくれたんだろう。俺の女連中もそこまでしてくれる奴はいない。
 着替えるかどうしようか。
 迷ったが、トランクスだけ新品であとは臭いっていうのもなんなので、ありがたく頂戴した。カーテンは閉まっている。準備はそれなりにしてくれたんだろう。
 しかしそこまで締め切って、何を?
 朝帰りばればれにならないように、置いてあったえもんかけにブレザー、ズボン、ワイシャツ、ネクタイをひっかけ、あらためて立村の近くに寄ってみた。
 前髪と膝が密接しているので、顔がうかがえない。泣きつかれて眠っているようにも見えるし、寒さにふるえている昔話の孤児風にも見える。髪は完璧に乾いている。女だったらこういうところをそっと抱き上げるか、まあ、その、ちょっと、したりとか、できるんだが、野郎相手ではどうだろう。
 いや、結城先輩とだったら話は別だ。
 立村以外だったら簡単なんだ。
 すぐに蹴飛ばして「おい起きろよ、ほら、こっちに寝てろ! 俺はその辺でタオルケットもらえればそれでいいぜ」
 と言い放せるんだが。
 立村にはそうできない。シャンデリアの光りで揺らぐ自分の影。俺は黙ってしゃがみこんだ。そのまま、すぐ立てるように親指に力をこめた。一息置いてから、立村の膝裏と背中を持ち上げるようにして抱えた。男だからもっと重たいと思っていたが、んなことない。女よりも軽かった。

 こいつ、大丈夫か。本当に起きねえよ。
 時計の音だけが耳に響いた。俺は、ベットの上に立村の全身を横たえた後、足下に座りなおした。あらためて眺めると、水色のパジャマがかなりだぼだぼで、見た目以上に全身針金人間だってことがよくわかった。目は閉じたまま。顔の前で上下左右してみたが、気配はなかった。
 こいつが女だったらいくらでもやり方あるんだけどなあ。
 胸から腰、膝にかざし手をするように動かしてみた。所々触れてみる。胸も膨らんでない、それなりについている。やっぱりこいつは男だ。
 どうすればいいんだか。

 周りからは「青大附中開闢以来の女ったらし」と言われている俺だが、ばかいっちゃいけない。単に初体験が早くて、もうひとり付き合いたい子がいた、それだけのことじゃないか。体力的にもそれ以上はもたないし、それに。
 ──ふたり、だけだっての。
 そりゃあ、黙っていても俺の方に告白めいたことをしてくる女子はいないわけじゃない。覚悟しているんだろう。すぐに触られるんじゃないかとか緊張しまくっている子もいる。女ったらしっていうのは、そういう子を食いまくることだろう。悪いが俺はそういう不経済なことをしたいと思わない。
 俺は女を選んでいる。  
 ただ誰も信じてくれないのでそのまんまにしているだけだ。
 いろいろそっちの方が都合もいい。すっきりする。
 なんで二股かけるはめになったのか、よりによって小学六年であーはーいう経験をしちまったのか。俺だって運命の神様に詳しく説明してもらいたいもんだ。なりゆきといえばなりゆきだ。俺の本能と、背中に背負ったさまざまな事情、あとは相手とのいろいろな問題。人間関係いろいろあるもんだ。
 初体験させてもらった子と、もうひとりこれまた運命的出会いで俺の方から付き合いを申し込んだ相手の二股で、相手もお互い分かっている。もちろん顔を合わせたことはない。どっちとも別れるつもりはない。三角関係のいざこざはクラスの連中もかなり抱えているみたいだが、今のところ評議委員会の仕事に支障をきたすようなことは起こしていない。
 ──なんだ、俺の方がずっとマジじゃないかよ。

 まあ、立村が女だとしたら、俺が何をするかは決まっているわけだ。寝てようが何しようが本能のまま、触る触る触る。もむもむもむ。しかし、あったかいまま硬直しているのは立村だ。やっぱりこいつは男なのだ。俺は完全な、ノーマルな、はずなのだ。
 そうだ。男なんかを触って嬉しくなる人間ではないはずなんだ。
 ──里理みたいに。
 年子の兄が思い浮かんだ。いつもなら俺の下のベットで寝ているあいつだ。三年前から俺はあいつを「兄貴」と素直に言えなくなった。。
 ──正真正銘、そうに決まってる。俺が女とやれることが、その証明じゃねえかよ。
 俺はシャンデリアの紐を引いて、ライトを三つだけ残した。橙色の光が天井にちょこっと浮かんでいた。ホテルだと相手によっては身体を丸ごと見られるのが嫌だという子もいるんで、こんな風にすることもある。もっとも細かいとこが見えないと俺の方が困るのだが。
 こんなことしたって、反応しねえよな。
 いったん離した手をもう一度かがんで差し伸べてみた。ぬいぐるみを抱かせてみたい雰囲気で、立村は手をほおの側に重ねるようにして、横に向いて眠っていた。膝は軽く曲げるようにしていた。姿勢はいい。肩に手をやり、温みを感じる。死んでない。背中にも。ベットからおちるか落ちないかの距離で、俺は自分の身を横たえた。反応はない。大丈夫だ。絶対に、女に対してのと同じ反応はしない。
 ──俺は、里理とは違うんだ。
 腰の方まで、髪の毛を撫でつける延長上で手を伸ばしたとたん、びくんと震えが背骨にきた。手を離す。目を覚ましたのかと思う。しかし、目は閉じたまま、唇だけがかすかに動いていた。あごをあげるように軽くえびぞりするようなしぐさをした後、弾みをつけて。
 ──おい、立村、おまえ。
 けど、俺が受け止めているのはこいつの頭であり、両腕の中にあるのは立村の上半身全部だった。
 ──こいつ、猫だ、犬だ。それだけだ。
 別のところから出てくる「ペット」の概念。俺はそれにつかまった。握り締めるように、胸にかじりついてくるものを抱きしめた。目はまだ閉じられたままだった。

 本能はやっぱり「俺は正真正銘の男だ!」と主張しているわけであり、俺はただぼんやりと腕の中の「猫か犬」を抱っこするだけだった。
 ──まさか、こんなところで。
 時計の針がそれほど動いているわけでもないのに、汗がにじんできたみたいだ。そりゃそうだ。男同士で抱き合っていて、なんもしないでただ体温を上げあっているだけなんだから。
 ──しっかし、こいつ今何夢見てるんだろ。
 俺はできるかぎり息を止めて、立村の髪に手を置いてみた。生きている。暖かい。
 ──こんなこと、里理、したいのかよ。
 吐き捨てたくなる言葉をつぶやく。
 
 三年前、というと小学校六年。か。十二歳になったばっかりだから俺もガキだった。まだ親が日本にいたからあまり馬鹿はできなかったけれども、それなりのことはしていた。開いたまんまのマンホールに石を投げ込んだり、隣りの小学校の連中と殴り合いやったり、まあいろいろだ。事の後は大抵、一番上の兄貴、里司(さとし)に頭をがっと押さえつけられぼこぼこに殴られる。俺も俺で要領悪く反抗していたわけだ。
 今なら違う。建前上頭を下げて、裏をかく。教えてくれてありがと、結城の旦那。
 頭が働くくせに悪ガキ扱いされてきた俺が、決して女子……今なら「女」って呼び捨てにするなあ……に関心あるそぶりを見せなかったのにはわけがある。頭がいい奴なら、話のわかる奴なら男女関係なく友だちでいたいと素直に俺は思っていたんだが、当時のクラスはとんでもない女ばかりだった。ひとつ上の兄貴、里理を「おかまやろう」などとさんざんなぶりやがった。
 六年の夏休み前までは、里理もふつうの「男」だった。
 俺からみたら、やたらとなよなよしているところとか、女子とばっかりくっついているところとか、オバケ屋敷に一人でいけないところとか(大抵俺が付き合わされる)、言われてみればそういうところもないわけではなかった。
 でも、風呂に入るのも一緒、部屋も一緒、当然奴の「男」の証もうっとおしいくらい見ている。どこがおかまだってんだ。
 でも、そうだったんだよな。
 俺にとってはありゃ裏切りだ。
 「里理のことをおかま扱いするんじゃねえ!」と怒鳴りまくっていた俺が言葉を失ったのは、里理の部屋から野郎専用のエロ雑誌を見つけた時からだった。
 怖気立つ。題名なんて覚えてない。
 奴も中学に入って色気づいたとは思っていた。俺も関心あったからたまには貸せよ、ってことで何気なくベットの下を探った。大抵定番としてエロ本は、隠すとしたらそこだろう。まあ俺と里理しか使っていない部屋だし、兄貴たちにばれても問題ないのだが、人前には見せられないだろう。
 一冊二冊だったら、冗談だと思えただろう。もっというならお笑い雑誌だったらよかったのだろう。逃げ道が見つかっただろう。
 二十冊くらい隠れていた本は、「男しか愛せない男の苦しみ」「男同士のあれこれそれ」などなど、里理のくそまじめな性格を現すものばっかりだった。
 もちろんすぐ、知らん顔して通した。俺だって人の秘密を見つけてばらしたくなるような奴じゃない。そうしちまったらもっと楽だっただろう。上の兄貴二人に
「里理さあ、男同士でスケベなことしてる本どっさり隠してるんだぜ。すっげー悪趣味」
とか笑い飛ばしてしまえたら。
 里理が気づかないわけがない。六年の七月以来、俺があいつにしゃべりかけなくなったことあたりから、そう思っているはずだ。そりゃそうだろう。クラスの女子どもに里理のことを罵られた時、俺は黙って鉄拳を食らわせた。今までは「んなわけないだろ」と怒鳴るだけだったが、手が出た。
 あんな奴でも、ホモでも、あいつは兄貴なんだ。
 なっさけねえことだが、俺は里理が兄貴三人の中で一番楽な相手だ。双子みたいな扱いだったこともあるだろう。ベットの本事件で俺も、里理に対してどう接して言いか分からなくなったけれど、やっぱりこいつには頼ってしまいたくなる何かがある。いろいろ、あるんだ。

 三年間、兄貴もうすうすは気づいているだろう。里理の隠している嗜好のことを。ついでに俺がすでに、ふたりの彼女もちだってことも。ばれた時にはさすがにまた殴られたが、ちゃんとコンドームの使い方を教えてもらったりもしたので、まあちゃんちゃんってとこだ。
 俺がなんでさっさと筆卸しちまったか。一生言う気もない。

 ──俺は、男だ。里理とは違う。
 ──だから。

「くる……な」
 不意に闇へ生の息が混じった。声だ。
「立村?」
 背骨が震える気配あり。俺はあわてて髪から手を外し、「きょうつけ!」の姿勢を寝たまま取った。
「くるなよ……くるなってば」
 膝を丸め、「猫か犬」の立村は背中をベットにこすりつけるようにしている。つぶやくのだけ聞こえる。鼻から抜けたような、寝言だ。
 ──こいつ、起きるのか?
 ──どうするんだよ、俺。

 急いで言い訳を考えた。こいつをなんで俺がだっこしてなくちゃいけなかったのか。まさか、膝抱えているところにふらふらしてとか、いきなり妄想にふけってしまってとか言えるわけがない。俺は断じて女以外でまあ、そのああ、なることはない。それは断言してやる。しかし、誤解を招いてもしかたないだろう。いつか里理の本で見た、野郎どうしでぶちゅーしている姿と、今の俺と立村とが、あんまりにも似ているのが情けねえ。
 ──俺から好んで、こうしてるわけじゃねえんだ。立村だろ、いきなり俺の腕に顔うずめてきたのは。自転車から落っこちて泣いてたときと、シュチュエーションはほとんどおんなじだっての。ああ、そっか。そうだそうだ。
 嘘は方便だ。
 まだ「くるな、こないで」と寝言を繰り返す立村がいる。まずはここで開き直ろうか。
 俺は軽く奴の方を叩いた。
 夢から呼び戻せるくらい強く。
 指先なんて使わず、手のひらで。
 立村はいったん、身体をこわばらせ顔を上げた。目を閉じたままだった。もう一度俺が、強めにたっぷり叩いたとたん、魚の水揚げ直後の格好で飛び起きた。かけぶとんが飛びそうだ。俺は覚悟きめて、横たわったままでいた。
「ほんじょう、せん、ぱい」
「お前なんの夢見てたんだよ」
 俺もベットから起きるいいわけができた。もろに犬猫まるだしで、立村はぺたりと両手を前についた。目を袖口でぬぐっているのは、涙かなにかついてないか慌てたからだろう。首をぶるぶる振るわせた後、俺の方をゆっくりと向いた。
「あ、あの、すみません!」
「何も謝るこたあねえよ。それよかどうした。さっきからひでえ寝言言ってたぜ」
 起きなくちゃあまずいだろう。身を起こして、用意した言い訳を並べてやった。
「さっき俺が目を覚ましたらな、立村、お前が地べたでころがっててな。やっぱり客としては気を使うっていうか」」
「すみません、本当に、ごめんなさい!」
「別にそんなの気にしてねえよ。だから俺がここまで運んで寝させたんだ。俺はこの辺で横になってな」
 大うそつき。床を指差した。青いじゅうたんが敷き詰められているが、結構ふかふかしている。ひっくり返っても寝られない堅さじゃない。
「そしたらさ、いきなりお前寝言言い出すじゃあねえか。『くるな、くるな』って。何にうなされてたかわからねえけどさ、ちょっと気になって様子を見てた。そうしたらいきなり」
 俺って詐欺師になれるかも、だ。
「お前の方から俺にしがみついてきたんだよ。何と間違えてたのか分からんけど。ベットからずり落ちそうでさ。それで」
「やっぱり、そうでしたか。すみません」
 もう顔を上げようとしない。立村は完全に土下座の態勢で俺を見上げ、深々と頭を下げた。時代劇のお奉行様に悪人どもが「ははあ」とやる、あれそのもんだ。
 ──嘘だなんて思ってないのか?
 ──やっぱり、って、こいつ。
 罪悪感はある。大有りだ。
 俺だって、いい奴でいたいんだ。

「本条先輩、すみません。いつも寝ていると何するかわからないって、言われてるから、すみません。本当に覚えてません」
 声が震えている。身体もたぶんがたがたしているだろう。嗚呼こいつが女だったら最高のシュチュエーションなのにと思いつつ。
「たいしたことじゃねえよ。それよりなあ。さっきから気になってたんだが、お前、やたらと何か怖がってないか?」
「なにか、って」
 まずい時は話を逸らすだけ逸らしまくる。これも俺が結城先輩からマスターした技だ。とことん使ってやる。
「結城委員長のうちでもそうだし、ほら自転車でひっくり返った時も、そして今もそうだ。なんか、お前、かなりがまんしてるんじゃないのかって、思えてさ」
 これは嘘じゃない。
「一言で聞くとだ、お前、どうして人の目見ないで話すんだ?」
 えさを見せられて顔を上げた犬や猫、こういう格好をするんだろう。きっと。立村はまさにそれだった。ルアーを見つけた魚のような目をしやがった。一応俺は釣りも趣味だ。俺が口走った言葉は、時間稼ぎのつもりだったけれども、あいつは本当のことだと思い込んだみたいだった。
「すみません。ど、どうしても」
「責めてるんじゃねえよ。安心しろ」
 俺はゆっくりと、言葉のルアーを本物のエビとかミミズとかのえさに変えてみた。
「俺はお前みたいな奴、なかなか好きなタイプなんだ。だから、俺にはびびってほしくねえなあとか、思っただけなんだ」
 食いつくか、食いつかないか。
「誤解するなよ。俺はそっちの趣味なんかねえからな。女は十分間に合ってるしな」

 泣くんじゃないかと思っていた。
 部活の試合で負けたから泣くとかそういう乗りではない。叢の中で俺に抱きついてきたように、涙をこらえている状態なのかもしれないとも思った。俺がもし、本気でこいつを追い詰めようとしたら、こんなきれいな言葉は使っていない。
「隠してやばいことしてるんだな。青大附属に入学したばかりでいきなり退学処分なんか受けたくないわなあ。あとでばれるよりも、ここで俺と取引したらどうだ?おい」
 とでも言っているだろう。
「すみません」
 いったん顔を上げたものの、目と目を合わせるのがしんどくなったのだろう。立村はもう一度うつむき、からっぽになったペットフードの皿を未練がましく見つめる、犬の顔をした。
 待てない性格ではないが、さっさと知りたい。あてずっぽうだが俺の勘は良く当たる。
「お前、自転車になにかトラウマとかあんの?」
 答えない。一発目は食いついても来ない。
「何が襲ってきたふうに見えた? お前の知らない奴か?」
 どうせ幻だ。本当のことを答えろよとつっこみたい。奴は首を振るしぐさをした。白い壁にでかい影が揺れた。
「やっぱ、知ってる奴か。近づかれたら、やばい奴だったのか?」
 答えない。だんだん俺のペースに近づいてきた。釣りざおに手ごたえあり。一気に引き上げた。
「お前さ、逃げようとしたんだな。で、ハンドル切り損ねて落っこちたと」
「違います! 消えたからただ」
 歯を食いしばっているのだろう。俺の直感はやっぱり冴えている。十中八苦、当たっているだろう。でなければ立村がうつむいたまま動かないなんてことはないだろう。俺に「違います」と言い換えそうとしながら、ちゃんと本当の答えを返してくれたところなんて、単純明快、そのもんだ。
「消えた、か。消えたならもう大丈夫じゃねえか。何まだうなされてるんだよ。お前が寝ている間、おびえようは尋常なもんじゃなかったぜ。なんせ俺に抱きついてくるくらいなんだからなあ」
「すみません、申しわけありません」
「だからあやまるなっての。そんなびくびくしている原因があるんなら、さっさと解明しちまって、すっきりした方がいいんでないかと、まあ俺なりに思ったわけだ」
 
 肝心要のところにはたどり着けなかった。
 立村はうつむいたままずっと「すみません、ごめんなさい」を連発するのみだった。思い当たる節はあるのだろうし、まだ幻の自転車が怖くてならなかったのだろう。俺に抱きついたことまでは覚えていないにせよ、かなり精神的にいっちゃっていたことは確実だ。酒の見せた悪夢と思えばそれでもいいんだろうが、立村にはそれが背後霊のようにくっついているんじゃねえか、そんな気もした。
 ──もしこいつが俺の弟だとしたら。
 ──里理だとしたら。

 いつもあいつ……里理が俺に対してすることを、試してみようと決めた。少しだけ気を長く持ってみよう。
「わあった。立村、お前まだ酒が抜けてねえな。俺はこの辺で寝るから、お前はちゃんとあったかくして寝てろ」
「それはいけません。本条先輩こそ、どうぞこちらに」
 慌てて今度はベットからすべりおりようとする立村。制して俺はベットの端を叩いた。
「どうしてもっていうんだったら、俺もお前のとこにもぐりこませてもらっていいか。なあに、また夢で何かしたら、たっぷり抱きしめてやるって。お前のバージンを奪ったりしねえって」
 慌てるかと思ったが、立村は頷いた。
「うちにお客さん用の布団ありますけど、本当にいいですか」
「いいって。もう朝までそんな時間ねえんだから」
 返事を待たず、俺は立村のベットにもぐりこんだ。背中を向けた。おずおずと別の温もりが隣りに入ってくる気配がした。ベットの広さは野郎二人が寝るにかなりきつかったが、気を遣ってくれたのか立村が壁にぴったりと張り付いているので、寝相を極端に悪くしなければ……立村にも関連することだが……問題はなさそうだ。
「すみません。目覚ましは朝五時半にかけておきました」
 一言だけ残し、隣りではくうっと聞こえる寝息のみになった。俺もしばらく、立村からもらったいくつかのヒントを、頭の中でこねくりまわしていたが、段々面倒くさくなり目を閉じた。無理しても寝なくちゃなんない。なんせ、こいつい朝五時半に起きれっていうんだぜ!ラジオ体操にでも行くのかよ!

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