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青潟大学附属シリーズ  高校編


  作者:舞夜じょんぬ

 高一・一学期55



 一学期終業式が終わった。
 特段、珍しいこともなかった。
「関崎、お前、青大附属だからってみな、変わったことをするもんだって決め付けてるんでないの?」
「そういうわけではないが」
 古川こずえがスカートのひだを摘み上げ、膝丈でひらひらさせながら乙彦に話し掛けてきた。
「ただ、通知表を教室で受け取らないというのは珍しいと思うぞ」
「あっそっか。初体験だねえ」
「大抵は教室にてきちんと手渡しされるのが筋じゃないのか」
「昔なつかしのスタイルを求められてもさあ」
 古川はにやにやしながら、ぱふっとスカートを膝に広げた。
「今この場でさ、つうしんぼの結果見て、落ち込むよかいいじゃんよ」
「どちらにしても、家で見ることになるんだろう」
 青大附属の場合、通知表は後日、保護者名義で送付されることとなる。乙彦が見る前に、両親が内容を確認する形となる。さぞ両親はショックを受けることだろう。決して手抜きをしたわけではないけれども、やはりつらいものがある。学年トップ以外の結果を両親はこれまで見たことがなかったはずだ。
「うちはたぶん、お通夜だろう」
「お互い様よ。それよか関崎、これからさみんなで、学食で食ってかない?」
「みんなったら誰だ?」
 藤沖や片岡が入っていないことは確かだろう。藤沖は例の女子と落ち合うためさっさと教室から出て行った。片岡は終了の鐘が鳴るやいなや、猛ダッシュで廊下へ飛び出していった。乙彦も本当は廊下に出たかったのだが、古川に呼び止められてしかたなく話しているに過ぎない。
 古川は指を折って数え始めた。
「ええと、羽飛、天羽、難波、更科、あと美里に……」
「悪い、先約がある」
 いったいこいつはこのメンバーに乙彦が混じる気あるのかと思い込んでいるのだろうか。ありえないだろう。古川も無理強いはしなかった。
「あっそうか。しょうがないよね」
 今度こそ乙彦は教室を出ようとした。どちらにしても古川とは夏休み中、クラス内の問題および後期以降の引継ぎについて相談しなくてはならない。連絡を入れたいとは思っている。しかし今すぐ話す内容ではあるまい。背を向けようとして、ふと尋ねた。忘れていたことがあった。
「古川、その面子の中に立村はいるのか?」
「いないよ」
 短く返事が返ってきた。
「たぶん中学校舎に行ったんでないの、中学も同じく今日が終業式だしね」
「そうか」
 事情を知る古川はそれ以上言わなかった。

 ──立村とは話をまだしていない。
 あの視聴覚教室でのひと時以来、立村は乙彦を避ける。もちろん試験中休んだり、その後の追試なども続いたりなどで、物理的な暇がないというのもある。また体育の授業などでいろいろとすれ違う機会もあるのだが、露骨に逃げようとする。声をかけようとするだけで、背を向ける。
 ──そんなにやましいことがあるのか。
 乙彦からしたら、きちんと話をしないまま夏休みに突入したくはない。
 もっとも逃げられたままとしても、そのままあきらめる気はさらさらない。
 どちらにしても立村とぶつかり合わない限り、互いに前には進めないだろう。
 考えてみれば、急ぐ必要はないのだが早めに片をつけたい気持ちの方が強かった。乙彦の気性でもある。
 ──捕まえられるようなら、まずは中学校舎に行ってみるか。
 七月終わり際の太陽はまぶしく、痛い。風が弱い。
 
 藤沖の口からはっきりと、乙彦を後期の評議委員に推す意思を表明された。
 麻生先生と片岡がそれをはっきり耳にしている。
 もちろん他のクラスメートにはまだ公表されないだろうが、噂が流れるのは時間の問題だろう。
 そのあたりは乙彦も承知している。
 しかしもうひとつの思惑を、まだ乙彦は隠したままにしている。
 ──立村を、後期の規律委員に押し込む。
 藤沖がそれをすんなり呑むとは思えない。他の女子たちの反応も正直読めない。
 ──だが、やり遂げないことには。
 どちらの方面から検討してみても、それが一番ベストな方法に思えた。
 かつては青大附中の評議委員長を勤めた奴を、このまま野に放したままではもったいない。
 だれよりもそれは、附属上がりだった連中が感じていることではないのか。
 乙彦はゆっくりと歩を進めた。自転車置き場には寄らなかった。そのまままっすぐ中学校舎へ向かった。
 できれば杉本梨南とは顔を合わせたくなかった。事情は十分理解しているつもりだが、実際何を答えればいいのか自分でもわからない。
 ──それになんだ? 俺と静内とは関係ないというのはなんだ?
 気になっていたことだが、つい聞くのを忘れていた。
 聞いておきたかった。忘れていた。いい機会ではないか。

 中学校舎の校門をくぐった。高校はすでに足元からなじんだ感覚がしみわたるが、中学に関してはまだ客人のままだった。
 何度入ってみても、少しばかり緊張が走る。
 砂利道を踏みしめ一度立ち止まると、あちらこちらに白いシャツ姿の男子が散らばっている。ほとんどもちろん中学の生徒だが、一部高校生も混じっているようだ。中にはシャツを脱いでランニング姿でうろうろしている奴もいる。女子はスカートをはいているという以外、特に目につくところはない。乙彦の視界に限って言えば、その中に立村も杉本も、また藤沖もいなかった。
 ──いないのならば、あとで電話をかけるなりすればいいだろう。
 古川の話につられてきてしまったが、よく考えれば立村が必ず来ている保証なぞないのだ。
 
「関崎先輩」
 後ろから呼びかけられた。立村でも、藤沖でもなかった。
「霧島か」
「覚えていただけて、光栄です」 
 おそらく同じ歳だった頃の乙彦なら決して遣えないであろう礼の言葉、それを霧島はさらりと述べた。しわのほとんど残っていないシャツをしっかり腰で締め、暑さにもかかわらず汗の少ない顔で霧島は一礼した。
「俺は、一度会った人の顔は忘れないたちなんだ」
「僕も同じです」
 ちょこっと張り合う言い方をしたものの、すぐに霧島は改めて穏やかな口調に変えた。
「関崎先輩には改めて、お礼を申し上げるつもりでした」
「別に俺は何も、お礼を言われるようなことはしていない」
 少し甲高い声で霧島は否定した。
「いえ、今回の一件においては、関崎先輩のおかげでまとまったと言って過言ではありません」
「俺が何をした?」
 もし視聴覚教室の一件を挙げるならば、それはたまたまのことだろう。何よりも不思議なのは霧島がなぜそのことを知っているかということである。
「さきほど立村先輩ともお話ししました」
「立村が?」
 乙彦が問い返すと、霧島はすぐに、また中学二年生らしからぬ言い方で提案してきた。
「もしよろしければ、説明させていただけませんか」
 ──こいつ本当に、中学生なのか? 
 「青大附属中学生」という不思議な生き物を見るようだった。やはり乙彦にとってこの学校は、アリスのワンダーランドだった。
 
 しかも連れて行かれようとするところは学校内ではない。
「内密にしたいので」
 もちろん事情はよくわかっているのでそれは理解できなくもない。霧島の立場からすると、生徒会副会長でかつ外見からくるミーハーファンも多い。
 乙彦の顔はおそらく知られていないだろうが、壁に耳あり障子に目あり。
 一般生徒にとってはたいしたことじゃないのだろうが、生徒会役員としてはやはり落ち着かないのであろう。
「ここなら人もいないので」
「確かにいないな」
 さほど歩いたわけでもない。霧島は近くの神社を指差した。
「ここは夜になると何かが出るらしいので、女子は特に寄り付きません」
「まあ、それはそうだ」
「来るとしても年寄りだけです」
 ずいぶん渋い趣味である。
「どちらにしても、うちの学校の生徒はきません」
 切り出した霧島は、乙彦に一礼し、稲荷神社の赤い鳥居裏まで手招きした。白い神狐の像が二体、こちらを見守っている。
「関崎先輩のおかげで、一件落着しました。ありがとうございます」
 改めて頭を下げられても困る。理由がわからないし、なぜこうも簡単に頭を下げることが平気なのだろうか。もちろん何かきちんと理由があるのならばわかるが、霧島の下げ方にはどこかうさんくさい匂いがする。どこが、と聞かれると乙彦も答えられないのだが。
「繰り返すが、俺は何も役立つようなことはしていない」
「立村先輩から話をすべて伺いました」
 霧島は切り出した。神狐の隣でそのままきちんと立ったまま。
「今回の話し合いをきちんと、外部の教師たちにばれないように行う案を出してくださったのは関崎先輩だと聞いています」
「ああ、それはたまたまだ」
 説明があいまいなようだ。乙彦がそれなりの説明をしようとするとさえぎられた。
「もちろん関崎先輩はそうおっしゃるでしょうが、僕の目から見るとそれは謙遜のし過ぎです。もしも関崎先輩が手を差し伸べてくださらなければ、青大附中生徒会最大のスキャンダルとして大恥をかかされることになったでしょう」
「あくまでも個人的な問題だと思うが、そう片付かなかったのか」
 乙彦が尋ねると、霧島は神狐と顔を見合わせて頷いた。
「はい。関崎先輩はご存知ないのですか。藤沖先輩からどこらへんまで?」
「とりあえず、片付いたということだけだ」
「藤沖先輩はご自分の恥を隠したいらしいですね」
「やめろ。仮にも自分の先輩だろう?」
 声を荒げるとまた霧島は神狐に向かい首を振った。
「僕は、能力ある人間以外は認めません。今回の一件を通じ、藤沖先輩の能力には疑問を感じました」
「その言い方は失礼だ」
「失礼かどうかは、今から僕の話を一通り聞いてからにしてください」
 自分より二歳下とは思えないその態度。
 ──こいつはいったい……!
 自然と握りこぶしを作っている。人が誰もいないのだ、一発張り倒すくらいしてもいい。藤沖は乙彦にとってかけがえのない友だ。後輩にそこまで罵倒される相手では決してない。
 しかし、違う言葉が勝手に飛び出した。
「わかった、説明しろ」
 さらっと目が合ったその神狐は、妙に顔立ちが整っている。
 ──こいつは狐か。

「僕が渋谷先輩に対して嫌悪感を強く感じていたのは事実です。ですがそれは個人的感情であって生徒会の中に持ち込むつもりはありませんでした」
 切り出したが、すぐに神狐を見つめた。乙彦へ目を向けるのがしんどそうだった。
「ですが今回の事件を通じて、人に自分のしでかした不始末を押し付けようとする人間と仕事をすることにどうしても耐えられませんでした。周囲の人たちは僕が潔癖すぎると言いますがはたしてそうでしょうか? 生徒会という組織は小さなチームであり、その中でレベルの低い人間が混じることによりどうしても不協和音が起こります。それは生徒会役員経験をされてらした関崎先輩も、よくお感じだと思います」
「不協和音は確かにある。がそれはレベルの問題ではない」
 乙彦の言葉を聞き流す霧島。
「生徒会役員の任期が切れるまでの間はそれも耐えねばなりません。もちろんそれは承知しています。義務ですから。ですがせめて、まともに働いている人間の邪魔をしないでほしいと要求するのは果たして間違っているのでしょうか? 僕が彼女に要求したのは、自分の立場をわきまえ、僕および佐賀先輩の邪魔をせずに黙っていてほしい、というそれだけです。しかしそれを彼女は無視しました。それどころかさらに自分を押し出そうとし、僕たちが拒絶すると今度は自殺未遂などで憐れみを乞おうとする。ついには藤沖先輩をも色じかけで落とし、自分の味方をこしらえて、結局自分の罪を隠してしまった。そういう人間を果たして軽蔑せずにすむでしょうか?」
「霧島、お前は物事を偏った捉え方しているのではないのか?」
 思わず乙彦が発すると、霧島はまた神狐に向かい首を振った。乙彦の目はまだ見ない。
「僕が男尊女卑主義者と思われているのはしかたないことです。僕はただ、レベルの低い人間を嫌うだけです。それは男女関係なく、藤沖先輩のようにあっさり渋谷先輩の誘惑を避けられなかった人間も含めて考えていることです。女子であっても人間には佐賀先輩なり、古川先輩なり、人間として受け入れられる人は確かにいます。そういう人間以外を僕は認めたくないそれだけです」
「じゃあ俺はどうなんだ? なぜ、藤沖の友人である俺を、受け入れようとする?」
 霧島は答えなかった。すぐに話を逸らした。
「とにかく僕は、残念ながら生徒会副会長という立場上、元生徒会長である藤沖先輩の言い分を受け入れざるを得ませんでした。悔しいことですが、二年の歳の差はあまりにも大きい。藤沖先輩に頭を下げられて、すべてを丸く治め、ふとんに地図を書いた張本人が別の女子であることをやんわりと認める立場を守らざるを得ませんでした」
「藤沖が説得しにきたのか?」
「そうです。藤沖先輩は、土下座をして僕たち生徒会役員たちに頼み込みました。そこまでされて、足蹴にするほど僕は上下関係を軽くみてはおりません。しかたなく、僕は佐賀会長の意向を受け入れ、だんまりを通したわけです。ただし条件として、渋谷先輩には一切役員として行事に口出しをしてもらわないこと、いわゆる幽霊生徒会役員のような存在に甘んじていただきたい、それだけは伝えました」
「藤沖が、土下座までしたのか!」
 乙彦は神狐の耳をつかみ、一歩前に出て叫んだ。
 浮かんだその映像を認めたくなかった。あの藤沖が、下級生たちに対して土下座したという場面を、一瞬たりとも映したくなかった。

 ──藤沖が、まさか土下座……?
 いや、きっとそれは事実だろう。乙彦もそれはうすうすわかっている。それだけのことをしてまでも、渋谷という女子を守りたい想いが奴にはある。
 自分がひっぱってきた青大附中生徒会にて軽蔑されてしまうという犠牲を払っても、なんとかしたかったのだ。
  
 霧島は薄笑いを浮かべた。
「おっしゃる通り、僕も驚きました。藤沖先輩はおそらく、渋谷先輩に色仕掛けで落とされたに違いありません。全く、男子たるものなぜ、女子の色香に弱いのでしょうか。最初は正当にその女子のレベルを認定していたのに、突然何かとち狂い守ろうとする言動が、僕には理解できません。そうです。藤沖先輩は最初、露骨に渋谷先輩を軽蔑していました。正しくその真価を見極めていたはずです。それが、突然なぜ、あの女子を守ろうという言動に出たのか? 同じ行為を僕はつい最近身近にて確認しましたが、それは相手が特殊だからだと納得していたはずでした。しかし、それがひとり、ふたりでないとすると、いったいこの学校にモラルというものは存在するのでしょうか?」
 口を片端、くいと引いた。
「犯人を曖昧なままにして幕を引くことに僕はどうしても納得いきませんでした。ですがそれを受け入れざるを得ない。しかし立村先輩の助言により、僕はあえてこの屈辱を耐えることにしました」
「立村はどんな助言をしたんだ?」
「結論を言ってしまうと、『どんなに隠したところで、明るみにされない事実はない』ですね」
 霧島はさっぱりと答えた。
「事実だが、あたりまえのことだ」
「そうですね、関崎先輩ならそうおっしゃるだろうと思っていました」
 乙彦をかろうじて「先輩」扱いしてはいる。しかし、乙彦にその感覚はない。
「僕は今まで立村先輩を、できそこないの評議委員長経験者としか思っていませんでした。しかし立村先輩のおかげで僕たち生徒会に本来あるべき権限を取り戻すことができたばかりか、きわめて平和な形で学内を運営していけている実情を見逃すわけにはいきません。さらに、正々堂々を掲げてきた藤沖先輩が、自分の誇りを捨ててまでも真実を曲げようとし、僕たちも納得いかぬままにそれを受け入れねばならない! ですが立村先輩は、たとえそうだったとしても、いずれ真実は白昼の下明らかになるはずと語っておられます。そのために僕たちがあえて、何も言わずに正々堂々と振舞いつづけることにより、いずれ答えはわかる人に伝わるものだと、断言されました」
 ──立村がか?
 耳にはまた、ぐるぐると渦を巻く音が響いた。
「以前の僕なら、ばかばかしいと切り捨てたでしょう。しかし、いくつかの例を挙げられて説明されたならばそれを受け入れないわけにはいきませんでした」
「いくつかの例とは?」
「僕の、姉です」
 初めて霧島は、神狐ではなく乙彦にうなづいた。
「聞いたことがある」
「ろくでもない噂ばかりでしょうが、事実です。学力を含めた低レベルの能力しか持たないくせに、コネで青大附属に入学し、当然中学卒業と同時に附属高校への進学を拒絶されたことに逆恨みし、わざとらしく自殺未遂をやってのけ、たくさんの人たちに迷惑をかけた女です。現在は可南女子高校という別名女子刑務所に押し込まれてますが、僕からすればまだまだ甘い。僕の家族に対してあの女がしたことの数々は、永遠に償われることはないでしょう」
「自分の家族にそこまで言うのは間違いだぞ」
「関崎先輩ならそうおっしゃるでしょうと思っていました。ですが僕の母が精神を病む寸前まで追い込まれ、かつ周囲から自殺未遂させるほどに追い詰めた家族として見られる苦しみ、僕たちは精一杯姉に対して尽くしてきたのにそれを無視される立場。すべてを否定された家族の苦しみを理解してもらえるとは思いません」
 乙彦は黙った。
「僕の姉も、本来ならばうまくごまかす形で高校進学させられても不思議はありません。しかし、能力の欠如はどんなに隠したところであらわになるものです。その他いろいろな事件を踏まえて、この場に存在すべきではない人間と判断された以上、それは当然追い払われるべきなのです。個性の違いではありません。人間としてのレベルの違いです」
 霧島の端正な顔が赤らんだ。すうっと汗がにじんでいる。王子様然としたその顔に険しいものを見たのは初めてだった。
「どんなにごまかそうとしても、真実は僕の姉の件と同じくくはっきり浮かび上がるはずです。僕はそれに賭けることにしました」
「立村がそんなことを言ったのか!」
 ──違う、どう考えても間違っている。人間をレベルで区分けするなんて間違いだ!
 叫びがどうしても喉からあふれそうになる。
「はい。立村先輩はご自分の例を出してそう語られました」
 霧島は乙彦の目を見た。鋭かった。
「あいつの言う自分の例とはなんだ?」
「立村先輩が小学校時代に犯した罪が、三年後にしてすべてが明らかになったという事実です。藤沖先輩から聞いていないのですか?」
「聞いたことはある」
「ならば繰り返しません。立村先輩はこれから先、高校以降十字架を背負っていかれるおつもりのようです。それが正しいと僕は思いません。藤沖先輩が使い物にならない以上、能力のある人間がきちんとあるべき地位に立つべきです。数少ないまっとうな価値観を持つ立村先輩には、できるだけ早く表舞台に戻っていただきたいと言うことを僕は伝えました」
「あいつはなんて答えた?」
「『期待するのなら、関崎にしたほうがいい』とだけ、おっしゃいました。今のところは特に動くつもりはなさそうです」
「だから俺に声をかけたというわけか」
「僕も以前から、そのように思っておりましたので」
 まだ声変わりが終わりきっていない、甲高い声で霧島は答えた。一瞬神狐のしっぽを握った。その手を乙彦は振り払った。
「いいかげんにしろ!」
 神社の境内には誰もいなかった。だから思いっきり怒鳴ることができた。隣の神狐と同じ顔を霧島はしていた。

「いいか、人間にレベルなんてない。習ってないのか日本国憲法も福沢諭吉も!」
 溜めてきたこれまでの苛立ちを、一気にぶつけた。
「藤沖の言動を納得いかないというならばそれはわかる。俺も納得がいかないからな! だがそれを人間レベルの問題としてなぜ決め付けようとするんだ? 学力や運動能力で人間の価値を決め付けるような教育を青大附属はしているのか? それとも霧島、お前の一方的な思い込みか? お前の姉さんの事情も噂でしか聞いていないが、成績が悪いという理由で切り捨てられるなんて考えがそもそも間違いだ。少なくとも俺は水鳥中学時代、そういう発想はしていなかった」
 ここまで言いかけたが、すぐに首を振った。違う、嘘が混じっている。勢いがうせた。
「……いや、間違いだ。俺も昔はそういう思い上がったことを言っていた。決して霧島、お前を責められない」
「思い上がってなんかいないですよ」
「いや、違う。俺は自分と違う個性の人間を同じように見下していた。見た目で人間レベルを判断していたこともある。成績が良いということでできない奴を軽蔑していた。だがしょせんそれは俺の勘違いだった。そのことに気付いたのは中学卒業間際だ。お前のことを怒鳴る権利はない。だが」
 両手を握り締めた。あの頃の自分なら殴りつけていた。でも殴る権利がないということも理解していた。あの頃と同じく人間レベルで見下していた自分が、今、霧島の姿で側にいる。
「お前は一刻も早く気付け! 人間は成績や能力だけで判断されるべきじゃないんだってことを理解しろ! 貴重な中学時代を無駄にするな!」
「無駄にされたのですか」
 冷静な受け答えだった。
「三年もだ」
 中学三年間、生徒会役員だったあの頃に。
「気に入らない奴がいるのは当然だ。藤沖のやり方が納得いかないのも、立村の意見に共感するのもお前の自由だ。だが、気に入らないからといってすべてを見下すというのは間違いだぞ! 軽蔑する以外にもっと別の気持ちを持つことはできないのか? 怒ってもいい、怒鳴ってもいい、どうしてぶつけようとしないんだ? お前は納得いかないとどうして藤沖に言わなかったんだ? あいつは話をすればわかる奴だぞ。それくらい、同じ生徒会役員だったんだからわかるだろう?」
「関崎先輩」
 静かな声で、霧島は受けた。
「先輩のご助言、確かに」
「わかってるのか!」
「はい、ただ先輩は、まだご存知ないのではないですか?」
「何をだ」
「心底腐っている人間が、いるということをです。更生なんて全く期待できない、疫病神から身を守ることが間違っているとは思いません。ですがそういう人と出会う機会がないのなら、お分かりにならないのは仕方ないことです」
 霧島は一礼した。最後に言い残した。
「お話しさせていただき、立村先輩がおっしゃる通りの能力ある先輩だと、改めて納得しました。どうぞこれからもよろしくお願いします」
「お前正気か?」
 あれだけ怒鳴ったにもかかわらず表情が変わらない。
「価値のある先輩とは、これからもお付き合いさせていただきたいので」
 やはり乙彦の言葉は、届かなかったようだった。

 霧島のことを軽蔑はしない。しないが間違っていると思う。
 ──立村はどういうつもりであいつに接触したんだろうか。
 神狐の顔をひっぱたいてみた。さっき触った時には気がつかなかったが、太陽の熱でかなり熱せられていた。やけどすれすれの感覚に慌てて手を放した。
 ──立村も、間違っている。
 黙っていても真実があらわになるからではない。間違っていない真理だ。
 ──確かにばれるだろう。本当のことは黙っていても知られるだろう。藤沖の言動も、その渋谷とかいう女子のしたことも。霧島の姉のインチキ入学も。
 だが、再起不能になるほど、叩きのめされる必要はない。立村のように、
 ──過剰なほど、自分を罰することはイコール、逃げることじゃないのか?
 乙彦には受け入れられない考えだった。霧島も言ったではないか。これから先、立村が表舞台に立つことを期待すると。能力ううんぬんは別として、立村を必要とする場所は確かにあるのだ。だからこそ、罪を意識するのならばなおのこと、
 ──立村は戻ってくるべきだ。逃げ出したすべての場所に。
 
 時計を覗き込むとまだ一時半だった。乙彦はポケットから先日、久田さんからもらったテレホンカードを取り出した。生徒手帳にメモした立村の電話番号を探した。
 ──品山の近くなら、今日はまだ、自転車で行けるだろう。
 まずは腹を満たそう。まずは学校に戻り自転車を持ち帰り、その後であいつの家に電話をかけよう。捕まるまで何度でも。
 ──夏休みに入るまでに、伝えるべきことを、急いで告げよう。霧島に訴えたことと同じことを、言葉を変えて。
                
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