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青潟大学附属シリーズ  高校編


  作者:舞夜じょんぬ

 高一・一学期58


「ここを、曲がって、それから真っ直ぐ、とにかく真っ直ぐ」
 半ばあの世に片足突っ込んだような状態で呟く立村を、乙彦はひょこひょこおぶって歩き続けた。いやがる立村を無理やり背負った段階で足腰に来るだろうとは思っていたが、想像以上に軽かったのですいすい進むことができた。だいたい三分くらいで辿り付いた。
「ここかお前の家は」
 返事のかわりに立村は顔を背中に押し付けてきた。頷いたのだろうと解釈した。立村を下ろした。何とか立つことはできそうだった。俯き、目を上げずに
「ごめん」
 そう呟いたように聞こえた。
「当然のことをしただけだ。それよりお前大丈夫か」
 立村は頷いた。パーカーのポケットから鍵らしきものを取り出し、ふらふらと戸口へと向かう。ついていくと乙彦に振り返り、
「家に、来るだろう?」
 問い掛けた。
「まだ、話すこと、あるんだろう」
「まあな」
 乙彦なりに、炎天下のもと語るだけのことは語ったつもりだ。もちろんまだ言いたいことはたくさんあるけれども、日射病でふらふらの立村に拷問をかけようとするほど乙彦も悪魔ではないつもりである。
 ──ここからは、無理に話すわけでもないからいいだろう。いくらでもまたチャンスはある。
 無理に勝負をかけなくてもいい。まずはハーフタイム。立村がどういう部屋でごろごろしているのかを見るのも悪くない。真っ白い壁に覆われた、二階建ての家。すでにひまわりや名前の知らない花がここかしこに全力で花開いていた。ビタミンカラーの力強さを必要としているのは、この家の住人である立村じゃないかと。ふと思った。

 入る前に自転車を運ぶことを思い出し、立村が一緒に行きたがるのを無理やり止め、乙彦はひとっぱしりしてきた。自転車を漕ぎながら片方の手でもう一台の自転車を引っ張るというのはなかなかしんどかったが、もと来た道を辿ればよいだけの話であってなんとかなった。
 立村が黙って乙彦を玄関先へ招き入れた。
「自転車はこの辺に置いていいか」
「悪い、申し訳ない」
「謝る必要はない。当然のことだ」
 無表情ではあるけれども、ほんの少し目を伏せている。そのまま乙彦を案内してくれた。
 玄関のたたきには靴らしきものが自分と立村のスニーカーしか並んでおらず、やたらと曲線の多い柱や天井のど派手なシャンデリアや、ガラス瓶に色のついた砂を詰め込んだ飾り物やら、いかにもおしゃれな母親のいそうな雰囲気でいっぱいだった。
 ──片岡の家とは違う。
 マンションの最上階に位置しながら、中は焼肉の匂い漂う生活感いっぱいの空間とは全く異なる。少なくとも十五歳の男子が暮らしている気配が薄い。乙彦からすると、柱の傷のひとつかふたつくらい、もしくはクレヨンで落書きして消せなかった分とか、そういうものが残っていても不思議ではないのだが。
「家には誰もいないから」
 尋ねる前に立村は小声で呟いた。奥の部屋のドアを開いた。自分の部屋らしい。乙彦が足を踏み入れる前に覗き込むと、異様なほど綺麗に整頓された、乱れのほとんどない空間がどんと広がっているのが見えた。「広がっている」は誇張ではなかった。ステレオとベッド、そして本棚。極めて簡素だった。洋室なのだが、座布団が用意されている。扇風機が回りっぱなしで、窓は開け放たれている。暑苦しくはない。
 ──こいつは整理整頓マニアか。
 本棚にも目を留めた。天井から足元までびっしりと本で埋められている。そのうち殆どは「世界文学全集」「日本文学全集」「百科事典」といった類のものである。漫画や娯楽系統の本は一冊もない。
 ──立村、漫画読まないのか?
 乙彦も漫画は好きな方だし三人兄弟でそれぞれ回し読みするのは日常のこと。しかし、そういうくだけたものがひとつもないのはどういうことだろうか。
 思いついて、尋ねてみた。立村が座布団を手で示しながら頷いたので座りながら。
「立村、野球とか、やらないのか」
「やらない」
「サッカーもか、陸上もか」
「嫌いだからしない」
「どうせ部活をしないのなら、運動部に入るという手もあるのにどうして」
「集団活動が嫌いなんだ」
 聞いた後で愚問と気づいた。それは当然だ。クラスの行事すら鬱陶しいと思う立村が、運動部の汗のにおいと馴染むとは思えない。
「サイダーがあるから持ってくる」
「ありがとう」
 やはり、一働きした後は、飲み物がほしい。自分の家に戻ってからは立村もだいぶ体調が落ち着いたようで、極めて普通に身動きしていた。甘えることにする。

 ──このあたりがいじめられた原因なんだろう。
 真上をじっと眺めた。やはりシャンデリアがぶら下がっていた。さらにベッドのカバーは薄い水色。いやベッドカバーなんてものを利用すること自体が乙彦には信じ難い。かける手間、というものを面倒くさいと思わない立村の性格かもしれないが、やはり十五歳の男子が自然にすることではない。
 ──そういえば立村は、新歓合宿の時もアイロンをきちんとかけてあるシャツを用意してきていたな。
 母親にやってもらうならまだしも、立村の場合は確か父子家庭のはず。自分でしっかりそういう手間をかけることができる、というのがまず信じ難い。
 ──女子ならともかく、男子でそういうことを気遣う奴がいたら、大抵の奴は妙だとか変人だとか思うだろう。青大附属が変人に対して寛容なのはわかっているがそれでもだ。
 青大附属中学に合格しもぐりこむことができたのは、立村にとっては幸運だったろう。
 ──立村のような個性を受け入れられる学校は、そうそうない。
 ──小学校の連中はきっと、立村をどう扱っていいかわからなかったんだろう。
 乙彦なりの結論を出した。極端に潔癖で神経質な立村の性質を、どうやって青大附属という場で受け入れていけばいいのか、わかる奴はそうそういないだろう。担任の麻生先生だってさじを投げる寸前なのだから。しかし、このままでいいとは思えない。比較的環境としては恵まれている青大附属の中で、なんとしても立村の本来持つ力を発揮させる方法を考えねばなるまい。麻生先生や藤沖が頼りにならない……とまではいわないが……現状において、動くのはやはり乙彦しかいないだろう。自然に与えられたひとつのチャレンジ、なんとかしなくてはならない。

 立村が運んできたラムネをまずは一気に半分ラッパ飲みした。ちゃんと中のボールを瓶の首あたりにてくぼんでいる部分に落とすようにして、すいすい飲んだ。
「器用だな」
「どうやって今まで飲んでたんだ?」
 当たり前のことだと思っていたのだが。立村はわざわざグラスにちょぼちょぼと移しかえながら、
「なかなか出てこないだろう。サイダーが」
「そういうのはガキの頃にみな習うだろう?」
「誰に習うんだ」
「友だちとかだ」
 乙彦の場合は、近所に住んでいた三年上の男子だった。ラムネのラッパ飲み方法だけではなく、近所の駄菓子屋でどうやってあたりくじを引き当てるかとか、牛乳瓶の丸いキャップを集めてメンコをやるにはどうすればいいかとか、遊びの常識を教えてもらうのはむしろ当然のことだった。
 説明すると立村はわけのわからない顔でもってグラスを見つめ呟いた。
「そんな友だちなんていないからわからない」
 沈黙が生まれ、続いた。
 しばらく乙彦は立村に言葉をかけあぐねていた。
 ──根本的に何かがずれているんだ。
 ずれているのは青大附属の生徒すべてに言えることではあるのだが、しかし乙彦からすると立村の感性は、一般的男子高校生とは異なりすぎているように思える。
 もちろんその感性を、乙彦自身は受け入れるつもりでいる。
 しかし、他の連中にそれを要求することはまずできないだろう。
 
 いきなり立村が姿勢を正し、乙彦に対峙した。
 それまで片膝を立てたまま、無言でグラスのラムネをすすっていたのにだ。
「関崎、この機会に聞きたいことがある」
「なんだ」
「聞きづらいことかもしれないが、重要なことなんだ」
「俺は隠し事をしない人間だ」
「なら、信じる」
 正座し、グラスを持っていた手を軽く握り、平たいテーブルの上へ載せた。凛と見据える。
「関崎」
「だからなんだ。言いたいことあるならはっきり言え」
 想像がつかないので、じれったくなる。テーブルを指で叩いた。
「あの、静内さんとは付き合っていないんんだろう?」

 頭のてっぺんだけがかあっと熱くなった。いきなりフライパン状態。
 ──こいつ、いきなり何を聞くかと思ったら、そんなことか!
 反射的に言い返していた。
「今は付き合っていないが、それ以上もそれ以下もない」
「今は、ということは将来は」
「そんな先の見えないことを断言するほど、俺は無責任ではない」
 ないが、言葉が濁りそうになる。静内菜種が視聴覚教室で、立村の心ない言葉に傷ついていた表情を思い出してしまう。なぜか自分がその時かっとなってしまったことも、今は不思議と受け入れられる。聞くのをたった今まで忘れていたのが、かえって変だ。
「俺も立村に聞きたい。なぜ、この前の視聴覚教室でお前は、俺と静内との関係を勝手に邪推するような言い方をしたんだ?」
「そんな言い方をしたつもりはない」
「『俺と静内とは付き合っていない』などと話していただろう。もちろんそれは事実だが、人に話すべきことでもないだろう。第一俺は立村に、そういう話をしたことは殆どない。たまたまそれは事実だったが、これから先勝手に事実関係を捏造されるのは俺としては不愉快だ」
「それは俺が悪かった。申し訳ない」
 素直に立村は謝った。拍子抜けしてしまい、それ以上突っ込めない。
「なら改めて聞きたい。これから先、関崎が静内さんと付き合う可能性は何パーセントくらいある? 大体でいい。七十パーセントか、それとも」
「だからそれが邪推だと言うんだ!」
 テーブルをひっぱたいた。ラムネの瓶、くぼんだ部分を握り締めた。底で叩いた。
「立村、お前仮に友だちに対して、『お前は俺のことを親友だと思っているのか? 親友になる確率は何パーセントくらいか?』とか聞くか? そんな阿吽の呼吸でもなければわからないようなことを、なぜ聞きたがるんだ。それに第一、俺が静内と付き合うかどうかを知って、立村になんの利益がある?」
 利益、と口に出してみて気がつく。言葉が詰まる。
 ──あの、杉本という女子にそのことを話す必要があるとすれば、確かに立村としては知っておきたい気持ちがあるだろう。
 おせじにも色恋沙汰に詳しいとは言えない乙彦だが、立村の杉本梨南に対する一途さは知っている。同時に杉本梨南が乙彦へ相変わらず一途な思いを抱えていることも、そして乙彦がそれを受け入れる気を持たないことも。
 杉本梨南の公立高校入試が終わるまではその事実を伝えたくないと、立村はかつて訴えていた。それは外部入学者である乙彦も、理解できない感情ではない。
 だが、第三者にこれから先、自分が取るかもしれない言動を決め付けられたくない。それも本心だ。静内とこれからどうなるのかを考えるのは乙彦の役目であり、立村ではない。
「変なことを聞いてしまって申し訳ない。俺は決して関崎に口出しするつもりで聞いたんじゃないんだ。あの、妙なことを言うようだけど、杉本に対してその、気持ちがないということは」
「その通りだ。変わりない」
 強調しておいたほうがいい。
「わかってる。関崎の言いたいことは、理解しているつもりだよ。無理に杉本の気持ちを受け入れてくれとは、決して言っていない」
 それはそうだろう。立村の心の動きは表明するまでもなく明らかだ。乙彦はただ頷き次の言葉を待った。
「ただ、もし関崎が本気でこれから静内さんと付き合いたいというのだったら、俺は杉本にきちんと事実を伝えるし、そうでなければまた」
「立村、何度言ったらわかるんだ!」
 扇風機の風を背中にめいっぱい浴びながら乙彦は怒鳴った。ふつうの言い方では通じない。
「そんな未来のことなんかわかるわけないだろう! 第一俺にそんなことを考える暇があると思うのか! 俺はまずクラスの今後とお前の復活と藤沖と片岡の平和と、とにかくたくさんのことを考えなくてはならない立場なんだ。さらに言うなら、奨学金狙いの成績アップの方法やら、バイト先の売上にどうやったら貢献できるかとか、うちの親のすねをこれ以上かじらない方法はあるかとか、そんな付き合う付き合わないの問題を考えている暇なんてない」
「それならば、付き合う可能性はないんだろう」
 念を押す立村の瞳は、まっすぐ貫いてくる。この目をもっと、立村自身の問題において見たかった。どうしてこいつは、他人のことに対してのみ一生懸命になれるのだろう。
「だから言っただろう! もしかしたら別の恋愛沙汰に巻き込まれている可能性だってゼロじゃないわけだ。数限りないパラレルワールドの中の選択肢の中にあるわけで、それが全くなくなるわけじゃない。いや、ありえないとは思うが俺が何かの拍子で別の誰かに惚れて速攻深い関係になる可能性だってないわけじゃあない。つまり、何があっても不思議ではない。藤沖があの、寝小便したという女子と付き合ったことも、半年前の俺たちならまず思いつかないことだが、実際そういう未来はやってきた。俺にそれを見通すことはできない。お前に勝手に決め付けられたくはない。俺の言いたいのはそれだけだ!」
 言い忘れたことがある。付け加えた。
「立村、俺のことはどうでもいい。お前の方こそ本当はあの女子と」
 ──杉本梨南と……。
 言いかけたところで、いきなり立村が立ち上がった。グラスにはまだサイダーが残っていた。
「もう一本持ってくる」
 乙彦の質問には答えず、立ちくらみをこらえるようにこめかみを押さえた。
「関崎、悪いが、もう少しここにいてくれ」
 てっきり帰れと怒鳴られるかと思っていた。ぽかんとしたまま乙彦は空のラムネ瓶を手渡した。

 部屋に取り残された乙彦は、立村が出ていった後立ち上がって窓辺から外を眺めてみた。花の終わったあじさいが、濃い緑の葉に囲まれ干からびていた。どうやら裏口の近くらしい。風がなめらかに部屋へ注ぎ込んでくるのを感じる。扇風機も「弱」程度でまわして十分なようだ。名前のわからない木々が塀の前を囲い、その向こう側で自転車が数台通り過ぎる気配を感じた。軋む音と、小さなベル。
 ──そういえば、あいつをおぶって歩いている間、誰にも会わなかったな。
 品山は人気のない町だった。
 今通り過ぎた自転車がせいぜい、目立つくらいだった。
 ──こんな誰もこないようなところで、夏休みずっと篭っているのか。
 ──もちろん、青大附属の連中とは遊ぶだろうが。
 ──駅前に出るのも一苦労だろう。
 やはり、夏休み中はこまめに乙彦の方から誘う必要がありそうだ。立村がなんと言おうとも、乙彦は面倒をみようと決めた。補習および宿題よりも優先順位は高い。

 呼び鈴が部屋に響いた。
 ──あいつの親か。
 急にびしっと背を伸ばさなくてはという気にさせられる。
 初対面の相手とあっては、やはり緊張する。
 しかもこんなシャンデリアだらけの家に住む家族なのだから。想像がつかない。
 
「関崎、あのさ」
 ドアを開け、立村がまず先に入ってきた。
「ちょっと、いいか」
 また無表情なままでいる。ラムネを取りに行くと言っていたくせに手ぶらのままだ。乙彦が立ち上がろうとするのを手で制し、
「もう少し、そこにいてくれないか。頼む」
 同じことを繰り返し、振り返った。
「入っていいよ」
 身体を斜に向け、後ろで待っているふたりを招き入れた。
 黄色いワンピース姿の女子と、緑色のTシャツ姿の男子とを。
「関崎くん?」
 清坂美里が呆然とした表情で、乙彦の名を呼んだ。

 後ろで見守りつつ立村が、もうひとりの男子と話をしている。
 ──C組の男子評議の、羽飛だ。
 ちらと、乙彦を厳しい視線で射た。






     
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