■HOME■
■――涼月慕情――■
原稿用紙45枚弱
1
夕食がが終り、評議委員会のミーティングを終わらせた後、それぞれ自分たちの部屋に戻った。ツインルームに分かれているホテル。二人ずつだ。大抵は同じ学年同士で組むのだけれども、僕の一存で本条先輩と特別に一緒にしてもらった。
別に悪いことをするわけではない。一部、青潟大学附属中学評議委員会中で騒がれている「本条里希・立村上総ホモ説」を煽り立てるのはわかっているけれども、この夜は本条先輩とふたりっきりで話をしたかった。評議委員会合宿を企画している時、二年連中も僕の意向を理解してくれて、部屋を本条先輩と組のツインで取ってくれた。
もっとも理解してくれなかったのは女子のみなさまだ。
清坂美里、通称清坂氏にいたっては、
「立村くん、どうしてそんなに本条先輩にひっつきたがるわけ?」
「話が合うからだけど、それ以上の理由、必要か?」
わかってもらえないだろう。しかたない。
僕の一存だが、しかし、起こることはかならずしも予定通りではない。
たまたまオセロ勝負で、負けた方が勝った方の言うことをひとつ聞く、という約束をしていたのがまずかった。最初から蹴っておけばよかった。最後の最後で詰めを間違えて全部黒に染まってしまった時いきなり、
「男としての証拠を見せてみろよ。立村。人前に出せるような状態に保ってるのか? 『あれ』を」
言われるとは想像だにしていなかった。誰だってそうだろう。、
伏字にするしかない、あれのことだ。
わかってもすっとぼけるしかない。同学年だったら通じる。しかし相手が悪かった。
「なんですか、『あれ』って」
「自分の『息子』の面倒くらい見てるんだろう。写真のお姉ちゃん見せるとか、清坂の顔を教えてやったりとか。嘘つくなよ。今もだいぶ、たまってるんだろ。ほら、見せてみろよ。俺がレクチャーしてやる」
僕の神経を逆なでするようなことを平気で言うのが本条先輩の常である。
背中を向けて一切無視しようとしゃれこんだ。
「なに知らないふりをしてるんだよ。ほら、見せないなら俺が脱がせてやるからな」
あやうく押し倒されそうになり逃げる。
本条先輩は女性に関心大の人だから、「本条・立村ホモ説」はありえないと思う。
「ははあ、お前まだ皮がむけてないのかな」
「なに言ってるんですか!」
僕だって本条先輩の言いたいことが全くわからないほど鈍感ではない。あえて言うなら、小学校の頃からそういう知識は、本条先輩並みに本で仕入れている。こんなことで動揺するような自分ではない、はずだ。はずなのに、言い返せない。
本条先輩はめがねをはずして、僕の肩を叩きながら、耳たぶを軽くひっぱり、最後に頭を撫でまわした。
「もう一つの選択肢があるんだが、どうする?」
「なんですかいったい」
「今から俺の見ている前で、清坂のところに行って、『お前が好きだ!』と絶叫して来いよ。できるか? だったらやってみろ」
清坂氏のいる部屋は、たぶん二年女子が集まって騒いでいるんだろう。僕がのこのこ顔を出して叫ぶなんて、恥ずかしいまねできるだろうか。
あとで清坂氏に「あれは嘘だったごめん」と言えればいいけれど、かえってどつぼにはまるだろう。
浴衣の襟がはだけているのをそのままに、尋ねた。
「本条先輩。トイレの中でもかまいませんか」
「どういうことだよ。トイレの中って。俺が見てないところで手を抜いてしごこうなんて思ってないだろうな」
甘かった。完全に見抜かれている。
「だからお前はガキだっていうんだよ。立村。ほらほら、あきらめろ。手付かずのティッシュも、一箱あるぞ。毎日やってることなんだろ。俺は後ろを向いているから、背と背を合わせて励めばすむことじゃねえか。俺だったら余裕で五回は抜けるが、お前、できるか?」
人間じゃない。どうせ僕は家庭手工業だ。機械工業に燃える本条先輩とは違う。
「立村、おいどうした。そうか、お前身体弱いもんな。心臓が辛いか。なら大負けに負けて、三回にしてやる。それくらい立たないようだったら、お前、ちょっと第二次性徴の真っ只中でまずいよそれは」
「なんで俺がこんなことしなくちゃいけないんですか。たかがオセロに負けただけでしょうが」
男同士の掟として、先輩には基本として逆らえない。
上級生にはよほどのことがないと、刃を向けてはならない。
青大附属評議委員会は基本として、上級生下級生みな仲がいいけれど、一度命令されたことはかならず従うこと、が約束だ。
本条先輩に絶対服従の身の上だ。
「わかりました。それでは、てぬぐい貸してください」
薄いタオルを四つ折にして、僕は本条先輩に目隠しをした。
「おいきついぞ、ちょっと痛いぞ」
「いいですか、絶対に振り向かないでください。絶対に終わるまで、何も言わないでください。約束してください」
最後に部屋の鍵を締め、カーテンを掛け、ライトを最小限に絞り、僕は本条先輩の背中合わせに座った。膝を抱えて、息を整え、ティッシュの箱を側に寄せた。
2
「さっさとひっくり返ってるんでねえよ」
髪を引っ張られても起き上がる気力がない。自分で手ぬぐいを外し、本条先輩は僕の顔を見下ろした。ぐいぐいと膝の側までひっぱっていった。浴衣の前が思いっきりはだけている。
「お前、ふつうは三回だろ。毎日そのくらいはしてるだろ?」
「悪かったですね。どうせ俺は本条先輩と違います」
「たった二回でへたばってて、ったく。こんなんだったらお前将来清坂に愛想つかされるぞ」
「本条先輩のように毎日鍛えてないですから仕方ないでしょう」
部屋の中は全部締め切っている。ぎっちりとクーラーを掛けたまま。それでも暑いのは汗をかいたせいだと思う。本条先輩のお言葉はさらに続く。
「まあ立村のことだから、五回はしんどいだろうとは思っていたさ。だから三回に値切ってやったのにな。二回で、もう限界か? ちゃんとタンパク質取ってるのか? おい、ほら、返事しろよ」
額をぺたぺたやるのもやめてほしい。顔を振り切り、背中を向けた。
背を向けたままでさっきまで、していたことだった。
「本条先輩、もう義務は果たしました。俺はそういうのを見る趣味ありませんから、あとは勝手にしてください」
両手をついて立ち上がり、僕はあらためて襟をかきあわせ、帯を結び直した。裾が乱れるのは、まあしていたことのことを考えると仕方ないけれど、もし誰かに今の状況および室内の匂いをかがれたら大変なことになる。
「いいさ、とにかく、やることは、やってたということはわかった。しばらく補給してろよ。ほら」
本条先輩は冷蔵庫からレモンジュースを一缶取り出し、横たわっている僕の枕もとに置いた。そのまま床に座り、ベットにもたれて大きく伸びをした。
「あのなあ、立村、他の連中とこういう話、しないのか。一、二年の頃なんてな、他の連中や結城先輩たちとまさにこういうネタしか振り合わなかったぜ。こんな感じで」
言いかけるのを遮った。
「先輩も、背中と背中を合わせて、今やってたようなこと、なさったんですか。あの、結城先輩に命令されて」
「勘違いするな。俺は全員で顔を合わせながら、互いの『もの』を見ながら、やったんだ。大きさ、太さ、堅さ、使いやすさ、全部チェックしながらな。お前みたいに、『第三者にじろじろ見られて平気でできる奴なんて、いませんよ。変態なんじゃないですか。本条先輩』なんて言わなかったからな」
本条先輩は少々露出狂の気があるらしい。
僕には理解不能だ。
本条先輩の嗜好というのは、僕と百八十度違っていることくらいわかっている。でも、押し付けないでほしかった。
「男同士で、きれいなものじゃなし、そんなの見てどこが楽しいんですか」
「男の本質がそこに現われるってことだ。まあ原点ってとこだ。立村、お前ももう少しな、堂々と見せつけるなりしろよ」
「嫌ですね。人のを見る趣味なんてないんです。俺はそういうのは」
言いかけると反対に遮られた。
「真剣にはあはあ言ってたくせにな。悪いが全部、耳澄ませて聞かせてもらったぜ。お前の息遣いにせよ、身体の動かし方にせよ。見られなかったのはかんじんのものだけだ。大目に見てやっただけでも感謝しろ」
「一言言っていいですか。変態っていうんですよそういうの」
言い終わる前に額を思いっきり弾かれた。
「お前は本当に、ガキだぜ全く」
浴衣の襟をぐいぐいひっぱられ、とうとう膝に押し上げられた。膝枕っていうものなんだろうが、野郎の膝にのっかったって何が嬉しいものか。女子だとしてもそれほど気持ちいいとは思わないような気がするけれど、あぐらをかくのはやめてほしい。へこみに頭を押し込もうとするのもやめてほしい。
「前から思ってたけどな、どうしてお前集団で風呂に入ったりするのをあそこまで嫌がるんだ? そりゃ、宿泊研修でツインルームにしようとか、大部屋の雑魚寝はやめようとか主張するのはわかる。俺だってあんまりプライバシーを侵害されるのは好きじゃねえよ。だがな」
今度はげんこつでこめかみをぐりぐりもまれる。首根っこを捕まれたままだから身動き取れない。足をばたつかせる。
「痛い、やめてください、先輩」
「黙れ。もしもまだ皮がむけてないんだったら、俺とか結城先輩とかがいろいろレクチャーしてやるさ。小さすぎるから見せられないとか、そういう問題か? おい、立村、本当のことを言ってみろよ」
「何また勝手な妄想膨らませてるんですか。関係ないです」
身体に手が回ってくるので、全力つくして腕を振り払った。起き上がる表紙に先輩の腕を思いっきり振り払ってしまった。腰をついた格好で本条先輩は僕をねめつけた。僕は正座して、息を整えた。よけいな誤解を解くためだ。
「いいですか。本条先輩。俺は集団行動が嫌いなだけです。風呂くらいゆっくり一人で入りたいし、湯船につかってぼんやりしたいですよ」
「じじいくさいこと、言うなあ」
「本条先輩だってそうじゃないですか? 評議委員長やっていて、神経張り詰めていて、やっと一人になれる時がなかったら、やってられませんよ。俺だってそうでなかったら、うちの担任をいつ殴りつけたかわからないです。校内暴力を未然に防いだだけです。それをなんですか。まるで」
言葉に困った。皮だとか大きさだとか、非常に言いづらい。
「お前、よっく聞け」
本条先輩は自分の頭を軽くかきながら、、膝を撫でて、
「今の二年野郎連中にぶちまければいいだろ。そういう問題はな。何もお前ひとりで抱え込んでばかりいるんじゃねえよ。俺だってそうだ。評議やってから三年になるけどな。なんとかやってこれたのは、暇な時に息子の大きさ比べあってしゃべりあえた連中がいたからだ。まあ、大きさは俺の方が一番上だと思うけどな。だいたい十九センチいってるかいってないか……」
「本条先輩はどう思うかわかりませんが、俺は今の二年生連中とうまくやってますよ。ものの比べあいなんてしてませんが、でも、困った時はお互い様だし。それにみんないい奴だって、俺の方が十分わかってます。でも風呂場に集団で入ることとそれとは違うでしょう。本条先輩」
いったい本条先輩は何を言いたいんだろう。自分の持ち物自慢をしたいのか、それとも僕にお説教したいのか、二年の誰かから僕についての告げ口みたいなのが届いたのか。もし目の前にいるのが、わが二年D組担任の菱本先生相手だったら即座に蹴り飛ばして部屋を出ているだろう。本条先輩だから、おとなしく正座して聞いている。言いたいこと言わせてもらっている。
「立村、この二年ですっかり俺に口答えするようになっちまったなあ。一年の頃は俺の後ろばっかりくっついてたのにさ」
「今でも先輩のことは心から、尊敬しまくってますよ。ただ、間違って変なこと言われたくないだけです」
大げさなため息をつくと、本条先輩は両足をV字に広げたまま、うつむいた。視線はご自分の帯下にむかっている。
「ああいえばこう言う。ったく、俺もストレスたまった。一発抜くか」
「本条先輩、抜くって何をですか」
話の流れから行くと、「抜く」というのはひとつしか連想できないが、確認の意味で尋ねた。
「一晩五回、の『あれ』に決まってるだろう」
──先輩、正気か。
僕の顔をうざったそうに眺め、さらに頭の痛くなるようなことを、本条先輩はつぶやいた。
「見たいなら見るか? 俺のは最高で二十センチは行くことあるぞ」
「本条先輩の家ではどうかわかりませんが、立村家ではそういうのを見るなんていうのは、変態行為だと認識してます。ええ本当に」
見ていたらそんなことしないだろう。思っていた僕が甘かった。
「しっかと目を見開いて見ておけ」
本条先輩は浴衣の裾を軽く広げると、すばやく準備を済ませた。
手際のよさよ。僕は目を見開かされていた。
3
確か、小学校の時に同級生だった恋人がいて毎週一回は、泊りこみしていると聞いた。その一方で、現在高校三年の恋人がいるとも。そちらの方には毎週二回。泊りこむってことは、それなりに、そういうこともあるんだろうから、毎週三回の計算になる。
本条先輩の口からも聞かされたし、他の三年評議の先輩からも、
「本条は遊び人だからなあ、まだいるかも知れねえぞ。最近は野郎にも手を出してるってもっぱらの噂だぜ」
と脅かされたりしている。もっとも、僕は半分以上嘘だと思っている。もちろん恋人らしい人がいるのは確かだろうし、コンドームを持ち歩くのが日常だというところまでは真実だろう。
だれかれ問わず、女子に手を出して、傷つけて、捨てる、そういうことをする人はない。
僕は信じている。
実際、本条先輩を追いかける女子は青大附属でも多いと聞くけれど。一切、告白関係は断っているという。単なる女ったらしだとしたら、どんどん受けて飽きたらあっさり捨てるだろう。
最初からそういうことをしないで、現在の恋人ふたりと長い付き合いをしていることからして、先輩はポリシーをしっかと持っている人だと思う。
本条先輩がひとりで息を荒げて励んでいるのを、いつのまにかぼんやり眺めていた。考え事していると、視界に見たくないものが入っても気付かないですむ。
「さってと、ラストだ。おい、立村。何凍り付いてるんだよ」
「いや、やっぱり、すごいなあと」
気が抜けた声で僕は答えた。本条先輩が豪語していた通り、ご自分の所有物は相当な長さだった。しかも、休みなく四回ぶっつづけだ。大丈夫だろうか。心臓苦しくないのだろうか。
「先輩、もう無理しないほうがいいんじゃないですか。嫌ですよ。こんな格好でぶっ倒れて、病院に運ぶなんて」
「まあ、言い訳はできないわな。じゃあもっかい行くぞ」
──さっきだって、本条先輩に目隠しして、部屋の中を締め切って、薄暗くしたから、恥をしのんで出来たけれどさ。
──小さいとか皮かぶってるとか、そういうことじゃなくても、見られたくないものではあると思うんだけどな。
正座したまま僕は、まだ気力に満ちているであろう本条先輩の顔を覗き込んだ。どうしてかわからないけれど、汗をかいているわりに顔は真面目だ。おちゃらけて見せびらかしている、そんな雰囲気ではない。
「よっし、終わった、これでノルマは果たしたぞ」
ティッシュを数枚毟り取り後始末をした後、本条先輩は後ろにばたんと倒れこみ、万歳と手を挙げた。今だったら襲ってしばきあげられるチャンスだ。両手をひっつかんで、僕は本条先輩の腕を起こそうとした。
「なあにボートこぎのまねなんてしてるんだよ」
「先輩、こんなとこで寝転がってると、けりを入れるか腹に座り込むか、それとも首しめるか。襲われても文句言えませんね」
「ばっかじゃねえの。お前の腕力が俺にかなうと思うのかよ」
それでもやれやれという風に起き上がり、本条先輩は裾を直した。
「立村、せっかく正座してるんだから、真面目なことひとつくらい聞いとけ」
あぐらを書き直すと、周りを見渡した。
「さっき部屋を締め切ったから外には漏れないな」
「大丈夫でしょう。お互い何してるかなんてわかりませんよ」
「いや、清坂あたりが聞き耳立ててるかもしれねえぞ。どうする立村。さっきのはあはあを聞かれていたら、どう言い訳する」
「本条先輩とプロレスやってたと答えますよ」
つらっとした調子で僕は答えた。
「まあ、似たようなことだもんな。お互い竿をしごいていたなんて、女子には俺も簡単に言えねえな。お前、羽飛や南雲とも、こういう話しないのか?」
首をかしげてみる。耳もと、耳たぶを通してあの二人とのしゃべりが蘇ってくるようだ。
「ない、ですね。一方的に聞いているだけで」
また大げさに、「お前嘘こくなよ」とどつかれるかと思っていた。
だから身を堅くしてすぐに動かせる態勢を取っていた。待っていたのに全く気配がない。足の裏を両方つけたまま、本条先輩は器用に立ち上がり、ベットに腰掛けた。両手を膝の上に、ハの字にしておき、軽く握っていた。こう言うときの本条先輩は、僕にきつい指示を出すか、もしくはちょっとしたしくじりで説教されるか、のどちらかだ。あまり嬉しいことじゃない。手招きされて、膝をついたまま僕はにじりよった。ちょうど、犬が飼い主にひっつくかのようだった。
4
部屋の中には、終わった後に漂う独特の匂いが漂っていた。野郎仲間の部屋に入ると、大体どういうものなのかがぴんとくる。僕だけではない、他の奴だってきっとそうだろう。ひとりで片をつけた後はかならず、空気の入れ替えをする。本当だったらすぐに窓を開けて深呼吸したかった。
本条先輩は首を振ったまま黙っていた。動くわけにいかない。互い、汗の匂いも残っていて気持ち悪かった。
「もう分かってると思うがな、お前、来年から評議委員長だって自覚持ってるのか」
「本条先輩が委員長である以上、考えてはいけないことじゃないですか」
たぶん誰かが壁に耳を押し当てていても聞こえないような声だった。
本条先輩は言葉を切った。僕の顔をじっと見下ろした。返事しろということだろう。
飼い犬の気持ちで答えた。
「俺は本条先輩のやり方に納得いかないことがないとは言いません。本条先輩そのものとは違うとわかっています。だから、従っています。悪いですか」
「悪くねえけどな。この前の杉本のことといい、一年野郎組とのどたばたといい、お前のしていることはどう見たって、次期委員長の意識を持っているとは言えないだろう」
「すみません。尻拭いしてくださったのは感謝してます」
情けない話だけれども、その通りだ。二年に入ってから僕は、本条先輩の考えと若干のずれがあることを感じていた。正確に本条先輩の意図が読み取れなくて、つい反発してしまう時もなきにしもあらずだった。別にうちの担任だとか、先生たちには申しわけないと思うことなんてない。
本条先輩にはなんとなく、そうしても嫌われないんじゃないかという甘えがあったのも否定できない。
同じクラスの友達、担任、ましてや評議仲間には感じないものだった。
「まあ、いいさ」
まるで犬だ。今度は頭の上にちょこんと手を置かれ、軽く振られた。本条先輩は僕を飼い犬としか思っていないのだろう。おとなしく従う僕も僕なのだが。
「でもな、立村」
天井を見上げる本条先輩に釣られ、僕も視線を追った。ぼんやりした影のかたまりが動かないままでいた。
「俺は来年、公立を受験するつもりだ」
話のつながりがつかめなかった。
また評議委員関係のことで怒鳴られると思っていた。もしくはひっぱたかれると思っていた。
髪の毛と一緒に頭の中がぐしゃぐしゃに乱れた。
「本条先輩、来年、公立って」
言いたいことが口からうまく出てこない。
青潟大学附属中学の場合、三年の秋に附属高校へのエスカレーター式進学を希望するか否かを確認される。今はまだ夏休み。三年の秋に最終的な決断をするとは聞いている。音楽大学に進むとか、学業についていけないとか、そういう事情がない限り、大抵の青大附中生は附属高校へ進むものだと信じきっていた。
もちろん、本条先輩もだ。
学業の問題なんてあるわけない。三年間学年トップだと聞いている。
考えられるのは、いくところまで行っている女性関係だけだが、今までその手の問題でつるされたことはないとも聞いている。
変だ。納得いかない。
「なんでですか、本条先輩」
残りは咽に押し込んだ。とんでもないことを口走りそうだった。
「何でもいいだろう。それこそお前の言う『プライバシーの侵害』だ」
きっぱりとそれ以上の追求を拒否された。
今誰かが、僕と本条先輩との状態を生で見ていたらどうしようもなく「本条・立村ホモ説」に真実味がかってしまうだろう。他の連中のように軽く「あ、そっですか。本条先輩公立で新しい女の子をひっかけようとしてるんですか」とか「何かまずいことやらかしたんですか、あらあら」とか切り返せればたぶん他の先輩や同じ学年の友達だったら僕もそのくらいの機転はきいたかもしれない。それができないのが、僕にとっての本条先輩たるゆえんだろう。
「附属高校、どうして行かないんですか」
プライバシーの侵害と罵られようと、これしか聞けなかった。情けない。
本条先輩は天井からゆっくりと視線を正面の壁に移していった。手は僕の頭にのっかったままだった。一人でぼんやりと考えていたかったのかもしれない。言えない理由がきっとあるのかもしれない。聞き出したかった。それこそ、浴衣の襟を締め上げて白状させたかった。
「立村、他にこういうことを話せる奴とかいないのか」
話が飛んで、ついていけない。答えられなかった。
「一日何回やってるとか、皮がどうなってるとか、授業中いきなり元気になっちまって困ったとか、そういうこと、俺以外に話せる奴、いないのか」
「本条先輩にだって好きで話してるわけではないですよ。ばかばかしい」
切り替えがうまくいってない。回路は本条先輩公立進学ショックでヒューズが飛んだまま、僕は答えた。
「羽飛にも、南雲にも、しゃべってないのか」
「あたりまえでしょう」
「じゃあどうやって欲求不満解消してるんだ? まさか清坂に直接……」
「んなわけないでしょう!」
回路がただでさえ混線状態なのに本条先輩は、僕に変なことばかりふっかけてくる。
話をごまかしたいのかそれとも。
「俺はただ、本条先輩が公立受験するのが信じられないだけです。俺なんかよりもずっと成績いいのに、なんでよりによってですか。いきなり聞かされたら俺じゃなくても驚くに決まってますよ」
「そうか、話したのは、お前が初めてだ」
つばを飲み込みながら、じゅうたんのけばをむしった。
どのくらい黙っていたのかわからない。時間の感覚は完全に麻痺していた。
本条先輩の手はそのまま僕の頭に乗っかったままだった。
なんでここまで僕が、本条先輩を慕うのか、分からないと誰もがいう。
ただ評議委員会で一緒だったから、何となく声を掛けてくれたから。
そのくらいのことだったら、他の三年先輩だって同じことだった。現在三年の先輩たちとの仲良さは、それこそおかしいと思われるくらいだった。二年の連中だって、それぞれ仲のいい先輩はそれぞれいるだろう。
委員会中怒鳴られたこともある。手こそ出さなかったけれども激しい言い合いをしたこともある。
でも、この人にだけは絶対に認められたい。それだけいつも考えてきた相手だった。
周りから「立村が次期委員長だな」と暗黙の了解で視線を送られて、冷静でいられるのは、自分が本条先輩のようになれるかもしれないという夢があるからだった。いろんな修羅場に立ちながら、顔色変えずに納めていく手腕。ひとくせある今の一年生たちを手に納めているなんて、僕にはまだできない。本条先輩だからこそできることばかりだった。
──どうして泣かないでいられるのだろう。
成績がいい人だからとか、面倒見がいいとか、頭がいいとか、そんなことではない。
本条先輩のように、なりたかった。ただそれだけだ。
5
いきなり頭をはたかれた。と同時に、本条先輩が僕の背中にまたがってきた。正座したかっこうを押し倒し馬乗りになる、いささか誤解を招きそうなポーズだ。僕が馬なら、当然騎乗者を振り落とすだろう。当然だ。身体を横ひねりして、ごろんと落とした。大の字でひっくりかえる本条先輩。裾が乱れっぱなし。すねは丸見え。本条先輩に熱を上げている女子たちには見せたくない。起き上がる拍子に本条先輩は、僕の方を見て、
「行って来い」
命令口調で、つぶやいた。
「どこへですか」
「他の奴らのとこで、サイズを測って来い」
話が飛びすぎる。繰り返し尋ね返すしかない。
「なんのサイズですか。また変態じみたことを命令するつもりですか。オセロの罰ゲームは終わらせましたから、俺はもう本条先輩の言うことなんか、聞く耳もちませんよ」
「口答えもいいかげんにしろ。行けっていうのがわからんのか」
今度は本気ではたかれた。目を見る。しゃれでやってるのか、それとも本気なのかを探る。冗談かとたかをくくっていたのだけれど、真面目な顔だったのに、かなり退いた。
「本条先輩、それって上級生の下級生いじめって奴ですよ。体育系の部活だったら、試合出場停止ですよ。俺に、聞けって言うんですか。できるわけないじゃないですか」
他人様のそんなのを知ってなにが楽しいっていうんだろう。ただでさえ僕は二年連中とそういう話題をすることが少ない。クラスの友達とだって、めったに自分から振ったりしない。聞いているだけだ。
「だから、行けっていうんだよ。つべこべ言うんだったら俺がじきじき解剖してやるからな。さ、さっさと行け!」
しつこいようだが、本条先輩はひとつ年上だ。
男は先輩に、よっぽどのことがない限り、さからえない。
帯をきっちりと締め直して、僕は無言で部屋を出た。
灯はそのまま、薄暗いままだった。本条先輩の影だけが、身動きせずに固まっていた。
二年連中の部屋ではみんながカードゲームに熱中していた。混ぜてもらいしばらく盛り上がった後、僕は事情を話してそれぞれが何センチくらいになるのかを捏造することにしようと決めた。
「本条先輩のご命令とあったら、立村も逃れられねえよなあ」
「ご苦労さん。とりあえずさ、クラス名で適当に何センチってことを書いて出せばいいだろ。本当のことじゃなくていいんだからな」
もちろん、オセロゲームの罰ゲームについては何も言わない。
ただ、本条先輩の命令だというだけで、みな協力してくれる。
僕がそういう下ネタの話題にうまく溶け込めないことを、こいつらはみな理解してくれているのだろう。無理やりはめ込むことはなかった。
「まあ、がんばれよ。いざとなったら俺たちの部屋に逃げ込めよ。守ってやっから」
もっとも、「本条・立村ホモ説」がしっかりと根付いているのを再確認したりもしたけれど。
一時間くらい間があっただろうか。僕は連中がメモしてくれた、でっちあげのサイズ表を持ってふたたび部屋へと向かった。廊下には女子たちの声が響いていた。言葉にはなっていないけれども、何かで騒いでいるのだということはよくわかった。へたしたら、さっき僕や本条先輩が息を荒げていたところもライブで流れていたかもしれない。聞いていないことを祈りたい。いや、聞かれていたら、明日の太陽拝めない。
「ただいま帰りました。本条先輩」
おそるおそる覗き込む。本条先輩の姿を探すと窓の外をぼんやりと眺めているようすだった。同じ三年同士の先輩のところに行かなかったのだろうか。
「立村か」
「お約束通り、聞いてきました。ちゃんとメモまで取ってきました」
けらけらと、受けを狙う調子で答えたつもりだった。
本条先輩は笑わなかった。
うなづくかうなづかないか微妙な位置に、あごを動かして、ベットに腰掛けた。
「ちょっとこっちに来い」
立ち上がり、椅子に腰掛けた。有無を言わさぬ調子だけど、出掛けよりはおとなしい口調だった。ほっとした。本条先輩が本気で怒ったら、僕は太刀打ちできないだろう。手からさらりとメモ書きを受け取り、にやっと笑った。二年男子評議一同が頭を寄せ合って
「ほら、このくらいの方が現実味あるだろ」
とでっちあげたものだと、ばれなければいいが。
「ちゃんと、しゃべってきたのか」
真面目すぎる。嘘だと気付かれないように、僕は頷いた。よけいな言葉を挟まないようにした。
「奴らも、しっかし、結構でかいなあ。見せてもらったのか」
「自己申告に決まっているでしょう」
今度は互いのものを見せ合えと要求するつもりじゃないだろうか。そこまできたら僕もさっさと二年男子の部屋に逃げ込み「守って」もらうつもりだ。
本条先輩はそれ以上追求しなかった。じっと、僕の顔を見つめた。何かを話してくれるのだろうか。
「なら、もう、大丈夫だな」
待っていたのに、言葉はそれだけだった。本条先輩は軽く僕の頭をふかふか浮かすようにして叩き、部屋を出て行った。
「どこに行くんですか」
「俺が三年連中のサイズを測ってくるんだ。はは、俺たちは自己申告じゃない、直接計らせてもらうってわけだ」
──本条先輩、やっぱり変態っていうんじゃないだろうか。
僕の中で打ち出された言葉。ドアが閉まったとたん、空気が煮詰まった。戸を開けて空気を入れ替えた。部屋にこもった身体の匂いがわずかずつ冷えていき、消えていく。汗をかいていたのが気持ち悪くてシャワーをもういちど、浴びたかった。
6
本条先輩が戻ってくる前に、身体のぬめりを落とし水浴びし、ベットに横たわった。いつもしていることとはいえ、二回も抜いてから、さらに本条先輩の衝撃告白を聞き、二年男子連中と多少なりとも下ネタをかまし、と、苦手分野の実践をむりやりさせられたのだ。身体の方が悲鳴をあげていても当然かもしれない。
本条先輩が公立に進むということは、もう半年しかこの学校でしゃべることができないってことだ。同じ附属高校だったら、なんだかんだ言っても顔を合わせる機会は多いだろうとたかをくくっていた。僕は最初から、青大附属高校の英語科を狙っているから、公立に進むなんて選択肢は持っていない。無事に附属高校推薦をもらえるかどうかの方が心配だ。
僕が本条先輩に頼りっきりだっていうのも、周りに言われるまでもなく分かっていた。本条先輩がいろいろ僕のことを面倒みてくれたから、評議委員会でもふつうに話しをすることができた。ろくすっぽ九九もいえない僕が、評議委員長の内定をもらうことができた。
何もかも、本条先輩がいたから。
青大附中でやってこれた。
今の一年と二年が折り合い悪く、特に僕に対しての信頼が薄いということも、肌を通して伝わってくる。僕の責任だ。本条先輩にいつも怒鳴られている。
でも言い返せたから、評議委員会では壊れないですんだ。
本条先輩には何を言っても許される。
味方でいてくれると、本能でわかっている。
もちろん、他に仲のいい友達はいる。同じクラスの羽飛貴史や、南雲秋世、さらにいうなら同じ評議委員の清坂美里、数えていけば溢れている。時々、ずれを感じて戸惑う時もあるけれども、それはそれでみないい奴だとわかっているから、飲み込める。ただし、ふたりっきりで目隠しをしてどうのこうのとか、相手のものを見合うとか、そういうことは決してできないだろう。すぐに立ち上がって部屋を出て、三日くらい話をしないとか、そのくらいは僕もやりかねない。
先輩だから逆らえなかったわけじゃない。
同じ歳の連中には口には出せないことが、二年の春から増えてきた。
そうだった。
みんなどんな写真を見て、しているのだろうかとか。
授業中、いきなり反応してしまった時にみなどうやってしのいでいるのかとか。
一晩何回抜いているかなんて、絶対に聞けるわけがない。
大きさがどのくらいあるのかとか、どうしてそれがいいことなのか、とか。
周りには「立村はあまりそういうのに関心ないから」と思われているだろう。わざとクールなふりをしてきたつもりだったから。いまさら聞けるわけもない。口に出せないけど気にかかっていたことを、本条先輩はさりげなく示唆してくれた。それだけだ。
いつしか本条先輩ばかりにべったりしていて、「ホモ説」を打ち出されるようになったのは必然だろうと、僕も思う。そんな感情なんてわからないけれど、たった一人、自分のことを理解してくれる、そういう人に出会えたら、多少のやっかみや噂なんて気にならなくなるもんだとも、よくわかった。
身体はぐったりしているのに、眠れなかった。
本条先輩が戻ってきた時も、まだ目は冴えていた。
「立村、起きてるか」
「もちろんです」
「蚊が入ってくるから、窓閉めるぞ」
「網戸にしているから大丈夫でしょう」
「いいのか、女子に聞こえたらまずいだろ」
先輩に窓を閉めさせる後輩の図。
僕は横たわったまま、そっと本条先輩の影を追った。背は僕よりもこぶしふたつくらい高い。本条先輩よりも低いのはあきらめがつくが、羽飛に背たけを抜かれたのはショックだった。牛乳を飲んだほうがいいんだろうか。それとも何か問題があるんだろうか。
「先輩、いいですか」
「お、どうした」
横たわったまま、つぶやいた。
「どうすれば、背が伸びると思いますか」
振り返り、本条先輩は驚く顔も見せずに答えた。
「寝てれば勝手に伸びてるだろ。夜、ぎしぎし言うだろ」
──そういうもんなのか。
やたらと関節が痛い程度だ。足を曲げられないだけだ。
実は一番自分にとって、大きな問題のひとつだった。言えるわけがない。
「羽飛に抜かれたのが悔しくて夜も眠れない」
なんて、同じ学年の連中に言えるわけがない。
「あのなあ、立村。もしかして、夜励んでしまうから背が伸びないと勘違いしてたりしないか? そうだろ」
疲れがどっと出た。身体がだるかった。言い返す気力もなかった。僕は本条先輩に背を向けた。ちかよってくる気配がする。幽霊でなければ、本条先輩の手のはずだ。ゆっくり、肩を叩いてくれた。
「じゃあ俺なんかどうするんだ。週に三回は生を経験している俺の背が、百六十九あるのはどういうことなんだ?」
「週に三回っていったい」
「お前今、何センチあるんだ?」
「百五十九くらいです」
そうだ。羽飛は百六十三だった。四センチ抜かれたってわけだ。
身体検査の結果は結構、衝撃だった。
「まあ、のっぽではないわな。でもな、お前別に、バスケやるわけでもないだろ。清坂よりは明らかに高いだろ。今んところはそれでがまんしとけ。黙ってれば、嫌でも伸びてくるってさ」
それに、と付け加えた。身を硬くして聞いた。
「二年評議野郎連中にそういうのは、これから聞けよ。あいつら、お前に全部、もののサイズを教えてくれたんだろ。それだけ聞けるのだったら立村、大抵のことは奴ら、相談に乗ってくれるだろ」
「委員会のこととは違います。本条先輩、そういうことは」
「ばかだなあ、お前。いいか立村。来年、もう俺は評議の人間じゃねえんだぞ。もう俺は青大附属から出て行くんだ。明らかに今の一年連中のものはでかいと、風呂場で見せてもらって思ったし、たぶんお前はこのままだったら勝ち目ねえよ。ひとりじゃ無理だ。もっと、同期連中を信頼しろよ。まずは手始めに、毎日何回しごいているかを聞き出すとかな」
本条先輩はそばでずっと話しつづけていた。途切れなかった。僕の顔を覗き込み、ずっと繰り返しささやいていた。僕は黙って聞いているしかなかった。頷いて、いつのまにか約束させられた。
「いいか、お前には二年野郎軍団が味方についているんだ。忘れるなよ」
できるだけすみやかに、奴らと派手な猥談をかますよう、命令だされた。
「俺ばっかりに甘ったれてるんじゃねえよ。全く、立村、ずっと俺の後ろばっかり付いて来てな。少しは自分で、エロ本仕入れろよ。もうお前とお前の息子の面倒を見る奴いないんだからな。おい、聞いてるのか、なんか精魂疲れ果てたって顔してるな。立村、わかったか」
頷いて答えるしかなかった。本当に聞きたいことは、口に出来なかった。
──本条先輩、どうしても、公立高校受験するんですか。
毎日生まれてくる、口に出せない言葉の数々。僕はこれから、誰にぶつけたらいいのだろう。
──終──
Copyright (C) 2001 馬に描かれた館 All rights reserved.