★ 晴れ着とはっぴのごあいさつ 1★NEXT
青潟大学附属シリーズ中学編
近所のあいさつ周りが終り、美里は着物を脱ごうかどうか迷ったけれどもやはりこのままで過ごすことにした。めったに晴れ着なんて着ることもないし、帯の締め付けや脇の辺りがぐりぐりしてきつかったけれども、それ以上に似合っている実感があった。ちょっと濃い目の山吹色に、名前のわからない大ぶりの赤い花がいっぱいにあしらわれている。母のお下がりだそうだ。ちなみに姉は薄桃色の無地、妹は地味に黒地にやはり赤と白のおとなしめな感じ。一番自分でも派手だと思うけれど、
──けど、似合ってるよね。やっぱりね。
鏡に映してみて、横向きで袖を揺らしてみる。振袖と違って少し短めだ。
帯がきついというよりも、おなかと脇にかかる紐がちょっとだけ痛い。食事はしたくないけれども、咽は渇く。
「美里、せっかく着物着てるなら、あともう一軒、あんたひとりで挨拶に行って来る?」
からかい調子の母の声。
言いたいことはわかっている。うんざりだ。
「お母さん、一番乗りであけましておめでとう攻撃してきたくせに」
「なあに言ってるの。あんた、たあちゃんには会ってないでしょ、たあちゃんには」
──毎日顔合わせない日がないってのに、なんでよなんで。
一番最初に羽飛さんちのおじさんおばさんに、「あけましておめでとうございます!」と三姉妹元気にごあいさつして、ちゃんとお年玉をもらってきたじゃないか。貴史がいなかったのは理由がある。朝一番で、獅子頭をかぶってかぷっと噛み付く手伝いしに出かけただけだ。
「それにね、美里。獅子頭にお正月、がぶっと頭をかんでもらうと頭がよくなるんですってよ。まだたあちゃん、外にいるはずだから探してきたら」
「だからなんでそんなこと私だけしなくちゃいけないのよ。ばっかじゃないの」
姉が物言いたげに美里を眺める。
「美里、黙って行ってきな。あんたこれ以上ここにいると、言わされたくないこと言わされるかもよ」
──お姉ちゃん、何意味不明なこと、言ってるのよ。
たぶん母も、姉の言葉に深い意味を読み取らなかったらしい。美里と一緒だ。
「さ、草履あるでしょ。たぶんたあちゃん、そろそろうちに戻ってくるはずだから、迎えに行ってあげなさいよ」
清坂家の女性連中はなぜ、貴史をここまでひいきするのだろう。もともと羽飛さん家のおばさんと美里の母とは大の仲良しだったし、今でも「いつか二組の家で結婚させられる子どもを作ろう」と計画しているとも。今のところ両家に生まれた男は貴史だけなので、嫁さんになる最大候補は美里のはずだ。お互い、ちゃんちゃらおかしいと笑っているけれども、母たちの燃え方はちょっとばかり怖い。
──どうでもいいけどね。どうせ私には彼氏がいるんだから。
そっと、帯の間にはさみこんだちりめんのハンカチを取り出してみた。ちらっと母には見られてしまったし、姉にも二人っきりの時に「美里、誰からもらったのよ」と問い詰められたけれども出所を一言も口にはしなかった。抹茶色の地に金粉めいたぼかしが入っていて、淡く広がり最後に桜の花がその金色で、三角形に散らばっている。縁取りは紫と紺のあいのこめいた濃色。美里の好みではなかった。もっと可愛い華やかな柄の方が好きだった。でも、ちゃんと笑顔で受け取ったのだから。ざらざらとして、くしゅくしゅと指先に伝わるざらつき。美里はそっと帯の間にハンカチを入れなおした。落ちないように、両胸の間にきっちりと収めた。
「わかったわよ。行ってきたらいいんでしょ、行くわよ」
「行きたいくせに」
ひとり、父だけが黙って美里の姿を眺めていた。娘の色っぽさに悩殺されたのだろうか。なんも言わずに後ろを向いて新聞を読むのは、いかにもって感じだ。
雪の中を滑らないように、静かに足を進める。ちょっと高めの塗り下駄なので足がぬれる心配はない。つま先も隠れるようになっている。でも、履き慣れないせいか親指と人差し指の間がすれて痛い。さっさと貴史を捕まえて、あけましておめでとうの挨拶をして帰るつもりだった。
羽飛家の門一軒手前で立ち止まり、様子をうかがう。
貴史がどんな格好で出かけたかはわからないけれど、美里のような華やかな格好でないことは断言できる。
──あんまり待たされたら帰るからね、貴史。あんたもいろいろ去年あったけど、全く性格変わってないんだからなあ。もう、そんな奴相手に「今年もよろしく」なんて言うの? 年賀状書かなかったけどさ。正解だよね。
前もって貴史にも「今年はあんたに年賀状書かないからね、葉書節約のためよ」と言っておいた。
白い空だが雪はない。空気は冷たいが風はない。初日の出はきれいに観られなかったけれども、歩きづらくはない。気持ちいい今年のお正月。
──彰子ちゃんは南雲くんと一緒に初詣行くのかな。
家族で出かける時は大してそれがという感じだったけれども、なんとかくんという存在が近くにいると、行事そのものもちょちょっと色がつく。両手を合わせて神社にお参りし、おみくじを引いて、先に確認したのはやはり、あのこと。
──小吉、かあ。
着物用の朱鷺色羽織だけでは、手が冷たい。
道路に身体を斜め向けて、手を擦り合わせた。
勢い良く走ってくる奴が紺色に染まっていたのを見つけたのは、その三分くらい後だった。
美里を見つけて、いきなり足をゆるゆるさせるのだけはやめてほしい。
──なによ。私なんかに急ぐ必要なってわけかなあ。ま、貴史にあせってこられたってこっちが困るけどさ。
美里は真横を向いて、天を見上げた。思いっきり、無視でお迎えだ。
「なんでこんなとこいるんだよ。うちに入れよ」
「は?」
なんで紺色の格好しているかは、近づいてきて謎が解けた。獅子頭ってところがヒント。髪の毛をちゃんと短く刈っていて、スパッツ、法被姿。特に模様はない。良く観察すると、家庭科の運針練習みたいな縫い取りがされている。ちょいとつついてみた。
「なんだよいきなり」
{いやね、なんだろうとか思って」
見ると足下も見事に紺だ。靴ではない、なんとぞうりだ。しかも藁草履。
「あんた足冷たくなあい?」
「は? そりゃあ冷たいに決まってるだろ」
「で、あんた何してきたの」
「うん、もちろん獅子頭担いできたんだぜ」
「うそ、あんた一番下っ端だから、どうせくっついて走り回ってただけでしょ」
そういうもんだ。町内会ではそういうところの上下関係が厳しいのだ。否定できない貴史は口を尖らせて背を向けた。あわてて呼び止める。
「ちょっと、貴史」
「いいか、男にはいわれたかあねえことだってあるんだ」
ごまかさないで素直に答えるところが、実に貴史らしいところだ。
「わかったよ。悪かったって。それよか、忘れてない?貴史」
「なんだよ」
乱れた髪をかき回すようにして振り返り、すぐに戻ってきた。美里も、しかたなく決まりごとを答える。
「あけまして、おめでとうって」
「お前それ言うだけに来たのか」
「だってさっき、いなかったから」
「あ、そっか」
あわてて頭を掻きながら、貴史はそのまま頷きつつ
「あけまして、おめでとうってか。これでいいか」
「今年もよろしくお願いしますって」
ちょっと怒った風な言い方になってしまったけれど、美里もこっくり頷いた。首だけだ。
「当たり前だろ、縁切れるわけねえだろ」
あっさり答える貴史は、腰を締めた共布の紐を縛り直した。
「うちにあがっていかねえの。うちの母ちゃんたちには会ったのかよ」
「さっき言ったでしょ。あんたと会ってなかったから、うちの親たちがあんたに挨拶してこいって」
貴史の顔に、少しだけ真面目な色が映る。
「美里、そっか。お前、せっかく来たなら、一緒にその辺でお参りするか?」
「はあ?」
「だって、そのまま帰るのもつまらねえだろ。俺もちょっと、お前に聞きたいことあるしな」
「聞きたいことってなによなに!」
にやりと笑って貴史は、じろりと美里を眺め回した。顔から足下、草履まで一直線に筆でひっぱったように。
「着物着てたら少しは、おとなしいだろうしな」
「なによおとなしいってなによ!」
「ま、来いよ。めったにお前のこういう顔、見られねえしな」
貴史がこういう風に妙なやさしさを見せる時は要注意だ。美里も今までなんどか経験しているけれども、大抵なにかを白状させられる。去年貴史の部屋で、あのことを白状させられた時も、似たような状況だった。そう、あのことを。
「さ、いくぞ、美里。寒いからマフラーだけ持ってくるからな」
「それと靴も履き替えてきた方がいいと思うよ。悪いこと言わない。冬の格好に着替えてきなよ。寒いよあんた」
貴史は大急ぎで羽飛家の門に駆け込んでいった。スニーカーとジャンバーだけ変え、あとは法被そのまま三十秒後、美里の前に戻ってきた。服にこだわりのない貴史、頼むからズボンをはいて来いといいたかった。なんというか、これってももひき一枚ででてきたのと同じだと思う。
「さ、行くぞ。寒いから走るぞ」
「私がこの足で走れるかどうか、考えなよ」
「あ、そっか」
足下をじろっと眺め、納得したらしい。
「じゃあ、先に行ってるぞ。お前来るまで、賽銭入れずに待ってるぜ」
背中を見せて走っていく姿は、犬だ。馬だ。いのししだ。
──貴史じゃなかったら、絶対、私にあわせてくれるんだろうな。
美里はもう一度、羽織の上から帯あたりに手を当てた。苦しいからじゃない。脇が痛いからじゃない。
── 別にあわせてくれなくたって、いいけどさ。
仕方ない。着物に似合わぬ大股歩きで、美里は貴史を追いかけた。
★NEXT