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青潟大学附属シリーズ中学編
すれ違う人たちに、じろじろ見られるのは美里の着物姿が目立つからだろう。髪の毛もちゃんとおかっぱに整えておいた。本日限りのお許しで唇にもうすい紅を差している。爪も、こっそり姉からかりた透明マニキュアを塗っておいた。自分なりにおしゃれはしたはずだ。
もう少し暖かかったら、貴史もジャンバーを脱いで歩いてられるだろうに。気分はお祭り帰り。
──私の美学からすると、やっぱし足りないのよね、貴史だと。
法被姿の貴史は、夏だったらさぞやかっこよく見えることだろう。町内のお祭りにはかならず顔を出す奴だ。二十歳過ぎたら御輿の上で手を振り回して騒いでいる姿が、美里にはかんたんに想像ついた。
──だから、あんたもさっさと誰かとつきあっちゃえばいいのよ。
もし隣りにいるのが、濃紺の和歌だんな風羽織を纏っている、かの君だったら。
──似合うだろうなあ。立村くんだったら。
彼氏と呼んで半年が経つ。言いたいことをぶつけているけれども、絵としてはかなりきれいに決めてくれるだろう。よけいなことを言わないで顔色をやたら見なければ、の話だが。
「お前、今考えてること当ててやろっか」
「言ってみてよ。違うと思うけど」
「隣りにいるのが奴だったらなあ、ってことだろ。どうせ」
──なんで当てるのよ、貴史の馬鹿!
ちろりとにらむと、貴史は少しほっとした顔をした。
「それさえわかれば、話は簡単だってことだって。おい、あそこのハンバーガー屋空いてるぜ、食おうぜ食おう」
「私は、いい。飲むだけでいいからさ」
やっぱり、歩くのが苦しくなってきた。本当は何かもっと食べたい気持ちなんだけど、腰の辺りの紐がきつくて、腰骨のところがくりくりする。さらにお茶を飲んでずっと外をうろついていたんだから、自然の要求がせっぱつまるのは自分だけじゃないだろうと美里は思う。
「とにかく早く入ろうよ。でね」
できるだけ焦ってないような口調でつぶやき、美里は貴史の背中を思いっきり叩いた。
「席、ふたりぶん取っといて」
「おい、どうしたんだよ美里」
「だからもう、紐がきつくってがまんできないの」
「小便したいだけだろ」
──もう、あんたって奴は!
思いっきり睨み付けたいけれども猶予がいくばくもなさそうなので、美里はさっさとファーストフード店の最奥を目指した。大抵そこに手洗い場があるはずだ。
──立村くんだったら違ったよ。きっと気付かない振りしてくれたよね。この前だってそうだったもん。ちょうどいい頃に、「ちょっと部屋に戻って用意するものあるから」っていなくなって。その前に「あそこにトイレとか手洗い場があるから、あのもし、使うんだったら何も言わないでいいから。だいたい五分から十分くらいしたらまた戻ってくるから」とか言ってくれたもんね。もしかして、私がトイレ行きたくなったのを気付いたのかな。気付いてないよね。でも、ちょうどいいときだったしよかった。ほんっとぼーっとしてて、昼行灯で、いつも「ごめん、俺が悪かった」しか言わないくせに、でもそういうとこは、やさしいんだよなあ。
個室でするべきことを片付けた。腰紐を少し緩めたり、胸の谷間に納まっている紐の結び目を解いたり、それなりに楽になる方法はある。ついでに胸に挟み込んだちりめんの抹茶色ハンカチを取り出した。使うことはしない。畳んでまた胸に入れた。帯と着物との間がだいぶすかすかになったので、うまく納まった。
後ろ見ないで手洗い室へ駆け込んだので、貴史がどこに座っているのかはわからない。店内はだいぶ混んででいたけれど、ちょうど手洗い室手前に二人向かい合える席があったので、たぶんその辺にいるだろう。
ちゃんと前髪が乱れてないかを鏡で確認し、前、後ろともういちど見直した。羽織は面倒なので脱がないことにした。
貴史がなぜ、立村くんとのことを聞き出そうとしたのか見当はつく。
二十四日の終業式後、貴史に「立村、美里、これから大学の学食で食ってかねえ?」というお誘いを振ったのがまず疑問。しかもふたりとも、ってところと、相手が誰なのかすらもわからないのがみそ。美里だけだったら、こずえと一緒にウインドーショッピングの予定とごまかしておけたけれども、立村くんもとなると、やっぱり怪しまれただろう。
立村くんの住んでいる家の、バス停で待ち合わせることにしていた。
バスの本数自体が少なくて、しかも揺れる。バスを降りるまでは間違えたらどうしようか不安でならなかったけれども、ちゃんと立村くんが待っていてくれたし、それからは全く心配なかった。
また十分も歩かされたけれど話す相手がいればそうでもない。
相手は立村くんなのだから。
それから後の三時間近くは、美里の経験したクリスマス史上最高のひとときだったと言って、過言じゃない。立村くんと付き合いはじめてから、ここまで美里ひとりのために尽くしてくれたのって、初めてじゃないだろうか。こういうのが、「おつきあい」の醍醐味なんじゃないだろうか。
──だから、ないしょなんだから。貴史に聞かれたって絶対、ごまかさなくちゃ。
美里の予想は当たっていた。貴史の取った席は、やはりトイレの真っ正面だった。ドアを開けたとたん貴史と目があったけれど、向こうはなんとも思っていないようすだった。さっさとココアを用意してくれたらしい。貴史の分にはそれプラス照り焼きバーガーがセットだった。すでにぱくついている。
「ああ、生き返ったぜ。最中だけじゃあ、食った気しねえもん」
「私もなんか食べる」
「苦しくて食えなかったんじゃねえのかよ」
「もう大丈夫だもん。私はチキンバーガーにする!」
おなかが楽ならあとは食べるだけ。しばらくふたり向かい合ってかじりつきつづけた。しかし、和服のままでハンバーガーを食べるというのも、実はかなり難しいもんだと思った。袖がまず重たくて邪魔。かじればかじるほど垂れてくるドレッシングを襟元につけないように気を遣う。手もべたべたしてしまうので、うっかり着物を触らないようにしなくてはならない。結局、帯の中に突っ込んでいたハンカチを取り出して、襟に涎掛けとして使うしかなかった。
「お前、ばぶばぶ言ってる赤ん坊みたいだな」
「うるさい! 染みつけたらお母さんに怒鳴られるんだから。お正月そうそうけんかするのはいやよ」
「それで二十四日の日も言わなかったって奴か」
「どこがどう繋がるのよ、関係ないってば」
どうして貴史はこうも鋭いところばかり突いてくるのだろう。言われるまでもなくわかっている。二学期に入ってから親がわざとらしく、
「あまり遠くに行ったらだめよ。品山の方は特にね」
「あそこは人攫いがいるんだから。女の子は危険なのよ」
とか、さりげなくかまをかけてくる。なんで「品山」という地名をこれ見よがしに出すのだろう。
それ以前に、美里の家族はどこまで、立村くんとのつきあいに気付いているのだろうか。
もちろん美里なりに万全の対策は整えてある。かぎのついた引出しに立村くん関連の写真や手紙はしまい込んである。日記なんて爆弾は作らない。貴史を相手に馬鹿話で盛り上がっている、そのついでに立村くんもお友だちなのだ、というスタンスを崩していない。でも菱本先生が妙なことを口走っているとしたら、かなりあぶない。もちろんばれたらばれたでかまわない。なんも後ろめたいことしてないんだから。
ただ、「品山はね……」と口癖のように言われると、美里としても頭に来る。
──そうだよ、品山は遠いよ。それが?
──昼だったら明るいから人攫いなんて関係ないじゃない。
──だって十四年間立村くんは品山で暮らしてるんだよ。それがどうしたのさ!
わめきたい、叫びたい。親あいてに文句を言いたい。
でもできないから、あの日だってないしょにしただけだ。
食べ終わったハンバーガーの包み紙を籠に突っ込んで、ココアをすすった。まだ熱いままだった。
「あまりお前と駆け引きしたくねえから、さっさと言っちまえよ」
「駆け引きったって、なんも私、悪いことしてないもん」
それは本当だ。
「やましいことしてねえんだったら、別に立村と一緒にいたって悪かあねえだろ」
「ないよ、ないけどさ」
もう一度襟元のハンカチを畳み直した。細長く丸めて握り締めた。
「もういやなんだってば! なにかあるとすぐ『品山』がどうのこうのって言われるの!」
「けど行ったらどうだったんだ?」
「人攫いなんていなかったよ。だからここにいるんじゃない!」
口をつぐんだ。貴史がふむふむと頷いている。すべてお見通しといった風に親指で美里を指した。
「やっぱり、品山に行ったんじゃねえか。俺と同じだって」
「あんたとは違うんだってば!」
「違わねえよ。品山品山言われてるのは、俺もおんなじだ」
──は? 貴史あんた、何言ってるの?
耳を疑った。貴史の家に立村くんは何度も遊びに行ったことがあるはずだ。羽飛のおばさんも立村くんのことを感じいい子だと思っていると聞いたはずだ。
「あいつのことが気に入らないんじゃねえんだ。うちの母ちゃんたち。とにかく品山ってことが気に入らないだけなんだって。けっ、別に今、人がさらわれてるわけじゃねえのにな。勘違いすんなってか」
ひとりで怒っている。相槌うつのもなんなので、美里はずっとカップの端をなめながら貴史の瞳を覗き込んでいた。