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青潟大学附属シリーズ中学編
「すげえ昔、品山で人攫い事件があったってお前知ってるだろ?」
いやというほど聞かされた。去年の後半からは特に。
「いまだに死体もなにも見つかってないってなあ。昔から品山の方には幽霊が出るって話聞いたけど、立村は今まで一度も化けものみたことないって言ってたぜ。ということは」
「立村くん、霊感ないの?」
「霊感働かせたくたって化け物いねえんだからしかたねえだろ。ま、とにかく品山ってとこに、うちの父ちゃん母ちゃんたちは近寄りたくないって言ってるんだ」
「でも家があるならしかたないでしょうが。引っ越すわけにもいかないし」
貴史はカップを加えたまま、鼻息を立てた。他の女子の前ではやめることを勧めたい。下品だといわれるかもしれない。
「知るかそんなこと。うちの母ちゃんたちに言ってくれそういうのは。俺が言いたいのは、品山に住んでるからといって立村を色眼鏡で見るのはやめろってことだけだっての。関係ねえだろ。あいつには。そりゃあな、あいつがいかにも、俺とは性格違いすぎるし友だちっぽいイメージあわねえってのは分かるさ。そりゃあな。遊びに来た時に、いつも礼儀正しすぎるとか、人の眼見ないとか、そういうのはあるだろ。わかるよその辺は。けど立村を俺の友だちだってことにしたのは、他でもねえ俺なんだ。俺の友だちだってのに、文句つけるなよな。ったく、だからいつも腹立つんだあのばばあ」
貴史が「ばばあ」とまで言うくらいだ。相当ぶち切れているに違いない。
「なあ、美里もそうだろ?」
「言いたいことはなんとなくわかる」
あわせて美里も頷いた。
「まあね、誤解を解こうとしない立村くんにも問題はあるけど、でもうちの親うるさすぎ。どうせ知ってるんでしょ。私とか貴史が立村くんと学校で仲いいこと。わざとらしく品山品山言うなって言いたいよ」
「けどなあ、もし露骨にだぞ。立村と付き合うなとか言われたらどうするんだよ」
ひくっと震える。考えてないことじゃない。
「関係ないって言うわよ。向こうは私のことをすっごく仲のいい友だちだと思ってるんだから、そう思われていやな気持ちになんてならないよね。それに評議委員同士なんだから話してどこ悪いっていうのよ」
「じゃあなんでお前、隠してるんだよ。じゃあ堂々と言えばいいじゃねえか。立村のうちでなにがあったか知らねえけど」 「そんなのあんたには関係ないでしょ」
言えるものか。きっと貴史は、ふたりっきりで手を握り合ったかとかキスしたかとか、そういう想像をしているに違いない。結構やらしいのだ。貴史の想像は。もし親が二十四日の午後、立村くんの家を覗き込んでいたとしても、何にも恥ずかしいことなんてしていない。ちょっとしたアクシデントはあったけれども。
「だってなんにも悪いことしてないんだもん。立村くんの性格あんた知ってるでしょ。いやらしいことするほど、度胸ないって」
「まあなあ。でもあいつだってよりによってクリスマスイブに呼び出すなんてなあ」
「呼び出したんじゃないってば! だから、もう」
この辺の事情は話したほうがいいのだろうか。本当だったら貴史に説明した方がいいのだろう。
十一月から十二月にかけて立村くんが、一年生の評議委員ふたりをめぐるトラブルに巻き込まれ、神経をすり減らしていたらしいことを美里は知っている。貴史にもそれほど言わなかったらしいけれどもある程度は気付いているに違いない。一部の先生を巻き込んだちょっとした騒動に発展したけれど、火付け役はいわば美里だ。立村くんもあえて美里には何も言わなかったけれども、後始末にいろいろ動き回っていた。
ひょんなきっかけから、立村くんの隠しておきたかったであろう秘密を、一年のあるクラスで暴露されたことを耳にした。たまたまその報告を受けた時、立村くんは教室にいなかった。だから美里はこずえとふたりで菱本先生に向かって、
「立村くんのことについて、一年の桧山先生がクラスの人たちの前でこんなこと言ったらしいです。これってプライバシーの侵害だと思います!」
と抗議しに出かけただけだ。本当だったら桧山先生に言った方がよかったのかもしれないが、いいかげんにもみ消される可能性もあるし、むしろ立村くんの担任たる菱本先生に頼んだ方が片付くんでないかと思ったからだった。あとでこずえが立村くんに、
「あんたにはね、前科があるんだから、美里と私と菱本先生にすべて任せておけばいいの!」
としかりつけたらしいので、何も美里に文句つけられることはなかったが。
結局、後で立村くんが菱本先生のところに行き、事情を聞いた後何か話をしたらしい。その辺は聞かないことにしている。立村くんにまた、立ち入ったこと聞くなら別れるとか言われるのはいやだから。
そのごたごたが落ち着いたのは、終業式三日くらい前のことだ。
多少美里も、立村くんの手伝いをすることができ 、
「清坂氏、ありがとう、何か俺にできることあったら言ってほしいんだけど」
とまで言わせてしまった。相当参っていたに違いない。このチャンス逃さない。
「それなら、品山に連れてって」
美里がリクエストしたのはこの一言だ。
家に連れて行けなんて一言も言ってない。
デートしようとか、ましてやクリスマスイブに二人っきりになりたいなどとはとんでもない。
「じゃあ、終業式の後、よかったら俺のうちに来るか? うちの親いなくても大丈夫?」
「いいよもちろん」
セッティングしてくれたのは全部立村くんなのだ。
決して美里がおねだりしたことではないのだ。
美里はただ、「品山に連れてって」と言っただけなのだ。
それを何を勘違いして、貴史も親たちもつっこみにくるのだろう?
「奴のうちってやたら広いだろ」
仕方ないので貴史の質問に頷く。その通りだから。
「野郎の家とは思えないほどきれいだっただろ」
やはり同じく上下運動。
「食い物はやっぱりあいつが作ってくれたんだろ」
信じられないくらい豪華な食事だったなんて言えないから、同じく。
「当然、クリスマスプレゼントかなにかしたよな」
帯の間に挟んだハンカチに触れてみる。美里の好みじゃないけれど、でも。
「あのな、なぜ頷きまくるだけなんだよ。美里。あいつ、趣味がうるさいからなあ、好みなんかいろいろ聞き出してやったのになあ。どうしてそういう時に俺を使わないんだよ。ったく、そう言うとこ抜けてるよな」
「……ちっちゃい、電卓あげたもん」
「はあ?」
貴史に聞き返されたけれど、しかたない。なんで貴史なんかに答えなくちゃいけないんだろう。でも腹がたってしまうので、言ってしまう。
「手の中でちょこちょこ使えるのが、五百円で売ってたんだもん。銀色で、蓋をして隠してしまえるもの。たぶん、必需品かなって思ったの」
貴史はしばらく黙っていた。美里の顔をまじまじと見つめ、大きくため息をついた。
「だから俺に話せっていったんだよ。ったくばっかじゃねえの」
「なんであんたに話さなくちゃいけないのよ!」
カップをテーブルに置いて、げんこで軽く叩いた。
「つまりだな、あいつが計算できない奴だってことをお前は考えたんだよな」
「わかりきってるでしょ」
「だったら電卓喜ぶだろうって思ったんだよな」
「よろこんでくれたもん!」
「そりゃあ美里からもらったんだから、あいつだって礼儀で喜んだ振りするに決まってるだろ」
「なんで怒るのよ!」
荒れたいけれど、貴史が全く怒ってないので怒鳴れない。流されそうだ。
「いいか美里、男はな、自分の恥ずかしいところを責められたら落ち込むぜ。俺があいつの立場だったら、今ごろどん底に沈んでるぜ」
「そうかなあ。だって立村くんは」
「数学のできない馬鹿男だとただでさえ、あいつ落ち込んでるのに、美里にすらそう思われてるんだと思ったら、そりゃああいつだ、泣くだろう」
立ち上がり、貴史は美里の分と一緒にカップを下げた。
「だから俺に一言相談しろって言ったんだ。美里、ほんっとわかってねえよな」
どうやらトイレに行きたいのをがまんしていたらしい。美里の背中側を通って、手洗い所のドアを音立てて締めた。露骨に水音が響いた。BGMが途切れたタイミングか、はっきり聞こえてしまった。
思わず頬が火照った。
この席に貴史がいたってことは、たぶんさっき慌ててトイレでしていた音も丸ぎこえだったってことだ。
──どうしよう、やだ。こんな響いてるなんて思わなかったよ。
ただでさえ立村くんのことで胸がぱくぱくしているのに。美里は貴史が出てくるまでずっとうつむくしかなかった。相手は貴史なのに、トイレの音なんて気にしたことなかったのに、なんか、今日の自分は変だ。
貴史が出てくるのを待って、美里は巾着と一緒に立ち上がった。トイレから特有の芳香剤くさい匂いがした。
「さ、早く出ようよ」
「行くけどな、おい、美里どうしたんだよ」
いきなりずずっと全身を見下ろして貴史が目を丸くする。別になんもしていないはず。
「なんもしてないってば!」
「ほら、足んとこ」
貴史が目で指す方へうつむいてみる。 動けなかった。
「やだ、どうしよう」
山吹色の裾が、だらんと地面にくっついていた。おひきずりという感じではないけれど、かなりずるずる。ちょっとだけ裾が黒くなっている。
「お前歩ける?」
何も考えていないような顔で、貴史が尋ねてきた。
「歩けるけど、けどどうしよう」
裾のところを引きずっているのがはっきり見える。とにかく押し込んでこよう。
「ちょっとだけ待ってて。まずいよこれって」
お上品な感じで帯のすぐ下にかかっているところを押え、美里はふたたびトイレに駆け込んだ。
──どうしよう。ほんと、どうすれば元に戻るんだろう。家で着た時とおんなじ格好にしたいのに。
改めて確認すると、やはりべったり下にくっついている。帯の下で縛っている紐のところに押し込もうとするのだが、うまく入らない。食べる前に少しゆるくしたのがまずかったのだろうか。結び目を必死に探すが、こう言う時に限って見つからない。やり方がまずかったのか、さらにおへその辺りで緩んでしまったみたいだ。結び直したいけれど、結び方がわからない。とにかくおなかあたりにかかっている腰紐の下に、着物を押し込んで裾を上げようとするのだが、かえって紐が緩んでしまう。
──まずいよ。これだと、私歩けないよ。
全部母が着付けてくれたものだ。当然美里は和服の着方なんて見当つかない。とにかく胸が苦しくて、おなかが苦しくて食べ物食べられないって感じだたのだから。泣きたくなって鏡を見たら、羽織から見える襟もとがぐあんと開いている。それほど目立つほどではないけれど、なんとなくだらしなく見えた。襟の白いところが三センチくらい開いていた。
──最悪。もう、こんなんだったら着物着てくるんじゃなかった!もう貴史のばか。もうこんなとこに来るなんて、あんたが悪いんだから! あんたが変なこと言い出すから、ついてくるしかなかったんじゃないの、もう嫌い嫌い、大嫌い。もういや。
いくらいじってもうまくいかない。突然、こみ上げてきてしまった。
──こんな着物汚したら、お母さんだって怒るよね。けどこんな裾めくって帰るわけにもいかないし。貴史なんか役に立たないし。もうどうしよう。
なんだか頭の中がぐしゃぐしゃしてきた。ドアにもたれて、裾を右手でひたすら押え、美里は涙を必死にこらえていた。声が出てしまった。
──ばかみたい。こんなことで泣いちゃうなんて。