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青潟大学附属シリーズ


  作者:舞夜じょんぬ

 

   23
 
 それきり司はE組に近づかなかった。
 泉州さんも無理に司を誘うことはしなかった。

 A組の女子たちのうち、西月さんと仲良しだったグループの子たちがこぞってE組に出かけている様子をうかがいつつ、司はひたすら勉強に打ち込んだ。もともと、教室にいる時は他の男子たちとも話をほとんどしないので、することがない。スポーツ新聞を広げる勇気はないし、漫画を持ち込んでひとりだけ怒られるのもいやだ。宿題の多い学校だし、勉強しようと思ったらいくらでもするだけの課題があった。どうせうちに帰ったら、桂さんにやってもらえばいいとたかをくくっていた。その分を学校で片付けてしまうだけのことだった。ガリ勉なんかじゃない。ただ、時間つぶし。
 でも時にはいいこともあるものだ。
「この前の抜き打ちテストの全クラス結果が出たぞ」
 英語の先生が答案を返し終わった後、成績を全部納めてあるらしいノートを開いて、司に向かってにやっと笑った。
「片岡、最近よくがんばっているなあ。学年で二番だぞ」
 周囲から、男子中心のやわらかい「へえー二番」とつぶやく声が聞こえた。そりゃあ、自分にしては英語の抜き打ちテストの結果が良かったのはほっとすることではあるのだけれども。桂さんから「よくやったなあ」とごほうびに、おいしいソフトクリームをご馳走してもらえるから、実はそちらを楽しみにしていたところだった。
「この問題はなあ、高校レベルのものも入れてあったからなあ。そうそういい点数は取れないだろうと思っていたんだが。片岡、この調子でがんばれよ」
 男子限定、女子一切無視。この状態の中で発言した奴がいる。
「片岡もやればできるじゃん」
 ──うるさいってば!
 泉州さんがピースサインを送ってくれた。
 あとでわざわざ席に近づいてきて、
「明日から小春ちゃん、A組に帰ってくるよ」
 こちらは笑みを見せずに教えてくれた。

 ──僕じゃ、だめなんだ。
 あのテープ、あの瞳、すべてで悟らされた言葉ばかりだった。
 家に帰っても、桂さんにどやされても、何をしていても頭の中は西月さんの表情だけ。
 司を求めていない、ということ。
 ──やっぱり、僕はA組の恥さらしで「下着ドロ」でしかないんだ。
 わかっていても、やはりひとりになるとわあっと部屋の中で絶叫したくなる。
 「僕のどこがいやなんだよ!」という言葉が吐けない。すぐに答えがこだまのように帰ってくるのが見え見えだから。
 「天羽なんて心底西月さんのこと、嫌ってるのになぜまだ好きなんだよ!」と叫べない。だって天羽の方が司よりもずっとできた男だということが見え見えだから。
 「どうしてあんなテープ僕に聴かせたんだよ! 僕をむかつかせたかったのかよ!」と罵りたい。でもどうしようもない。西月さんも一緒に嫌われたいのが見え見えだから。 
 願わくば、西月さんのことを憎みたかった。
 司にしては命がけで想いを告げたのに、結局他のA組連中と同じく馬鹿にしただけなのかと。  親友たる泉州さんすらも愛想尽かしを了解してくれているのに。
 司に西月さんがしたことを、泉州さんははっきりと「間違っている」と言ってくれたではないか。
 ──嫌いになんてなれないよ。
 みんなの前で、A組全員が司を嫌いになったあの時、たったひとりだけ声をかけてくれたあの人の姿、あの人の声。藤棚の笑顔。うわべだけのものだったとしても。あの微笑がなければ、今日まで司は歩くことができなかった。

「ねえ、ちょっと。片岡、意識があっちの方に行ってるよ」
 目の前で手をひらひらさせるのは泉州さんだった。学校で話をするのはいろいろと煩わしいということもあり、桂さんの取り計らいで車の中、ふたりきり。本当は桂さんとふたりきりを希望しているのだろうが、そんなのどうだっていい。さすがに桂さんの前だとおしゃれもしたくなったようで、めずらしく香水なんぞを纏っている。汗とは違うくささだ。
「泉州さんの匂いだよ」 「悪いわね。窓開けりゃあいいじゃんねえ」  外で孤独に缶コーヒーをのみ、路肩に腰掛けている桂さん。運転席のすぐ側なので、よその悪党が中学生二人をさらっていこうなんてことはずありえない。ただ、泉州さんからなにか耳打ちされているらしく、とりあえずは司とふたりきりで密談させてほしい、ということは受け入れてもらえた。
「いいよ。それよりもなんだよ」
 いつもだったら助手席なのに、しかたなく後部座席に移動した。思いっきり助手席をリクライニングさせて、橋のような形にして後ろへ移動するという、非常に窮屈なやり方だった。
「でさ、あんたにもう一度確認したいんだけどね」
 尖った鼻を軽く人差し指でさすり、
「あんた、天羽のこと、最低だって思ってないわけ」
「思ってないよ」
 それだけは本当のことだったので、そう告げた。顔をしかめて「へっ」と答える泉州さん。 「天羽になんでそこまで、あんたこだわるのさ」
「だって、天羽は一生懸命だったんだ」
 ──僕よりも、ずっと、真面目で、懸命だったんだ。
「はあ? 悪いんだけど私あんたの発想がどう考えても納得いかないのよねえ。あのテープを聴いた上で、なんでなのよ。私理解できないよ」
「女子にはわからなくたっていい」
 泉州さんも普通の女子たちに較べるとだいぶ変わっているけれども、やはり理解できないところはあるんだろう。あらためて思った。
「片岡、あのさあ、よく考えてみなよ。確かに奴は話も面白いし、受けることするし、女子にもてそうだなっていうのはわからなくもないよ。小春ちゃんが熱を上げたのもそりゃまあ、そうだなって思うけどね。たださ、天羽が小春ちゃんを振った理由、聞いたでしょうが」
「『宗教の決まりで、嫌いな人を好きにならなくちゃいけないから』だろ」
 司にはまずできそうにない。
「よく覚えているよねえ。小春ちゃんのことが大っ嫌いだったから、天羽はなんとかして好きになろうとしたわけよねえ。けど近江さんのことが本気で好きになっちゃったから、代々受継がれてきた宗教をかなぐり捨てて女に走ったと。これって最低じゃん」
「最低じゃないよ。やはり、それが天羽のすごいとこなんだ」
 自分でもどうして天羽をかばってしまうのか、わからない。泉州さんの言う通り、天羽は西月さんを残酷なまでに叩きのめした奴だ。救いようのないくらい罵った奴だ。西月さんを侮辱した無礼者!と殴りたくなってもおかしいことではないだろう。泉州さんが喜んで助太刀してくれるだろう。
 でも、司には別の言葉が続いている。
「泉州さん、天羽は、僕のために、きっとみんな仕組んでくれたんだ」
 「下着ドロ」疑惑を告白する前、司は泉州さんに約束したはずだった。すべてを話すと。もう泣きはしない。涙は流さない。静かに、ゆっくり司は話し出した。
「僕が、このままだとクラスから浮いてしまうこと、天羽は心配してくれていたんだ。僕も気付かなかった。四月になってからそれ言われるまで」
「四月?」
 学校を出てきた頃はまだ薄い光が差していたのに、だんだん曇ってきている。雨の予感だ。 「僕がなんであんなことしたかって、今聞かれても、わかんない。本当だよ。忘れてるんじゃなくて、本当に覚えてないんだ。だからあの時約束したこと言えないけど、ただ、やったのは僕なんだってことは本当なんだ」
 教室で告げた言葉がまた蘇る。違うのは、今の司が泣いていないことだけだ。
「けど、僕はどうしても、言えなかったんだ。もし言ったら、もう追い出されるって思ってたし、学校も退学だし、警察に捕まるしって」
「あんときあんたは十三歳でしょうが。まだ少年法が適用されるよ」
 よくわからないことを言う泉州さん。
「あの時、ちゃんと、言っておけば、こんなことになんてならなかったんだ」
 外の桂さんは退屈そうに大きなあくびをしていた。
「西月さんが僕のことかばう必要もなかったし、天羽が僕のことを心配してくれる必要もなかったんだ」
 そこまで言い、司はあらためて泉州さんの横顔に向かった。
「別に僕、桂さんと一緒の生活すごく合ってるし、学校で友だちなんてなくたって神乃世の親友がいればそれでいいやって思ってたし、学校では何にもしないで黙っていればそのまま終わるし、って割り切ってたつもりなんだ。楽しいことなんて、神乃世にいけばいくらでも手に入るって。けどさ」
 ここまで言っていいんだろうか。迷う。
「西月さんと天羽のことは、僕も全然わかんない。けど、もし天羽が僕にこういうことをしてくれなかったとしたら、僕はきっと、一生青大附中A組の人と口利かないで終わったと思うんだ。天羽ともそうだし、あの、泉州さんとも話さなかっただろうし、他の奴ともきっと」
 西月さんのことはあえて口に出さなかった。
「だから、僕は天羽が悪い奴だなんて思わない」
 すっかり軽蔑の眼で見る泉州さん。首をかしげて、ヤンキー風にがんつけ調子で。
「ちょっとさあ、あんた本当に小春ちゃんのこと好きだったの? 今はどうだかわかんないけど、仮にも自分の大好きな子をあそこまで罵られたら、普通は切れるよ」
 ──そうなんだよなあ。
 たぶん西月さんでなければこうも思わなかっただろう。
「だって、天羽は」
 司はもう震えなかった。
「西月さんがあそこまで好きになった奴なんだから」
 
 泉州さんの返事は曖昧だった。
「それなら別にいいけどさ。それより天羽と話をするのはいつよ」
「明日」
 こればかりは泉州さんに頼み込むしかない。
「わかった。放課後あいつをうまく外にひっぱってくるわよ。ほら、委員会活動なんかがあると足がついてまずいじゃないのさ。小春ちゃんも明日からA組に戻るって言うしさ。やっぱり小春ちゃんは大切に隔離されているよか、傷つけられてもいつものクラスにいたいんだって。さっき駒方先生とうちの担任が相談していたよ」
 ──やはり、天羽のいる教室に戻りたいんだ。
 どんなに西月さんを天羽のいない世界に連れていきたくても、いけない。これが答えだ。
 だから司は決断したのだ。
 ──僕は西月さんの求めるものを、捧げることしかできないんだ。
 泉州さんにどれだけ理解してもらえているかは見当がつかないけれども、もう後戻りをするつもりはなかった。
「泉州さん、いろいろとありがとう」
 桂さんがくしゃみを三回している。そろそろ車の中に戻ってもらおう。
「僕は、泉州さんとこうやって話、できたこと、ものすっごく助かったって思っている」
「なあによ、いきなり照れるじゃないのよ!」
 だからといっていきなりげらげら笑いながら背中をひっぱかれるとと、
 ──今の、打ち消しておいたほうがいいかも。
 そう思いたくなる。

 桂さんが鼻水をすすりながら車に乗り込んできた。まったくおくびにも出さず、泉州さんは当然のごとく助手席に座り込み、おいしいラーメン屋や焼き鳥屋の話で盛り上がっている。司と話している間の生真面目な表情はどこへいったんだか、という感じだった。ひとりにしてもらえたので司はいろいろと頭を整理することができた。
 ──とにかく、明日。泉州さんに任せておいて人のあまり通らない場所へ天羽を呼び出してもらおう。学校だといろいろ問題になるしなあ。そして、あのテープを天羽のものか確認しよう。きっと天羽、西月さんがどうしようもないくらいあいつのことを想っているなんて想像していないんだ。せっぱつまるくらいもうだめだって思うくらい。  もちろん近江さんがいるのだから、もう一度付き合ってもらうなんてことはできないだろう。でも、半年間だけでも。
 ──A組に西月さんがいる半年間だけでも。
 親切にしてあげたり今までどおりに振舞ってあげたりすることはできるんじゃないだろうか。  天羽はすべてを切り捨てたがっていたけれども、それはいろいろとまずいのではと思う。近江さんと付き合いを続けながらも、西月さんにやさしくしてあげることくらいはできるはずだ。あまりしたくないことだけど、あのテープがもし公表されたならば、天羽の立場は大変なことになるだろう。泉州さんの態度や、最近の女子たちの冷たい視線がすべてを物語っている。西月さんを守ってくれていることはありがたいのだけれども、それだけではいろいろとまずいのではないか、そう思わずにはいられない。
 ──僕じゃ、だめなんだよ。天羽。
 ──せめて、A組の中だけでも。
 助手席と運転席で、「青潟の餃子屋で一番おいしいところはどこか?」ランキングを作っていた泉州さんへ、司は割り込むように話し掛けた。
「泉州さんあのさ」
「うっさいわねえ」
「あのテープ、明日までに預かっておいて」
「ください、って丁寧に言いなさいよ。なによお、その『おいて』って」
「すいません。『預かっておいてください』!」
 一瞬、言葉に詰まった様子だったが、すぐに戻った。
「オッケー、それより桂さーん」
 全く司のことなんて気にしていないかのように、桂さんは「巨大餃子」のおいしい店の名前を言い、
「じゃあこれから食いにいくぞ! 司も付き合え!」
 と、車を発進させた。その日はただ、ひたすら食いつづけた。

 帰ってからも一切話題に上らなかった。自分のことでかまけていてすっかり忘れていたけれど、あと一週間少しで修学旅行だ。ボストンバックとカメラを用意した以外はみな、桂さんにまかせっきりだった。買物以前の問題として、外に出ること事態が少ない。せいぜいコンビニや文房具屋、本屋に行くくらいだ。近所のスーパーになんてほとんど足を運んだことがない。 「司、来週の修学旅行の準備なんだけどなあ。この前狩野先生に言われたものだけ用意すればいいのか」
「わかんないけど、それでいい」
「しゃあねえなあ。着替えのシャツとパンツをどっさりこと、寝巻きはいらねえだろうなあ。あとは食い物だなあ。小遣いが五千円というのは聞いているけれども、それは当日渡すからいいよな。で、さっき修学旅行予定表を目、通していたんだがなあ」
 両手で肩を揉み解すような真似をする。気持ちいい。少しだけのけぞって桂さんの足下に持たれた。
「いっちゃん最初の休憩所なんだけどな、ここ、神乃世に近いんじゃねえか?」
 ずとんと押し返された。腹筋で足首を掴む体勢を取った。背中をそのままぐいぐい押されたまま話を聞いた。  全然修学旅行の休憩所情報なんて関心なかったし、見ていなかった。桂さんは結構こういうところ、鋭い人だ。鉄道関係にも詳しい。
「ここだったら周平と会えるかもしれねえぞ。呼ぶか? 朝一でな。司もひさびさに会いたいだろ」
 また背中をつんと押された。早く解放してほしい。背中が硬い。無理やり反動つけて後ろにひっくり返った。桂さんの持っているプリント用紙をひったくり読んだ。
 『青潟大学附属中学三年・修学旅行・保護者のしおり』によれば、朝六時半に校門前で集合、その後バス乗り場から七時に出発し、八時に一度バス休憩を取る。確かに神乃世近辺のバスステーションだった。ちなみに連絡船出発の時刻は八時四十五分だった。
 来てほしいと言えば、来てくれるかもしれない。けど。
「来られるわけないよ。だって学校あるし」
 なにせ学校は青大附中も神乃世中学も同じ八時二十分開始のはずだ。周平は部活をやっているからなおさら無理としかいいようない。いくら司でも朝連をサボらせてまで呼び出す気にはなれなかった。
「あいつが学校真面目に出る奴だと思ってるのかよ、ったく」
「だって、部活だってあるし」
「関係ねえだろ。あとで聞いたら周平の方が怒るぞ。なんでせっかく近くにきたってのに連絡しねえんだってな。ほらほら、『親友の証』見せないくせにってまたすねるぞ。あいつ、野郎っぽくみえて結構こまいところ気にする奴だからなあ。司、連絡してやれよ。どうせ一日二日休んだって、あいつの腕が落ちるわけじゃあねえだろ?」
 ──親友の証。
 手首に巻いた時計のアラームを小さく鳴らしてみた。桂さんもしゃがみこんだ。 「それに。お前報告することもどっさりあるんだろ。まあ休憩時間だしなあ。それほど長話できるとは思えねえが、でも、今の司はいい顔してるぞ。見せてやれ見せてやれ」  ──家庭教師の言うことじゃあないよな
「遠回りなところ通るよなあ。無理に船になんか乗らねえでもいいのになあ。な、司、ちゃんと前もって酔い止めは飲んどけよ」
 もう桂さんは司が周平を呼ぶつもりなのだと決め付けていた。わざわざアドレス帳をポケットから取り出し周平あての電話番号を調べているようすだった。ヤンキー座りのままっていうのがなんだか変だった。
 
「わかった、僕、手紙書く」
 すぐに机へ向かった。この数日間机の上が英語の問題集と発音テープで埋め尽くされていた。いろいろ考えるところあって、西月さんの出来事が起こって以来司は、ほんのちょびっとだけ勉強へ打ち込むことにしていた。手紙を書こうと思ったけれども、何から始めていいのかわからなくて結局挫折した。あらたまって文章を書こうとしたことなんて、国語の作文とか、学級日誌くらいだった。あんまり得意なことではない。ちらちらと机のあたりを蝿か蚊ののりでうろついていた桂さんが、机を指先で叩いた。
「面倒だったら、神乃世のお母さんところに連絡すりゃいいだろ。あ、そっか。お前母さんにまた話するのいやだよなあ」
 例の事件後、だったら当然説教の嵐だ。おぞけたった。身も心も硬直した司に桂さんはにんまりと笑いつつ、あらためてアドレス帳をめくった。
「わあった。司の代わりに周平へ連絡してやるから。八時だったら奴もそれほど、学校に遅刻なんてすることねえだろうって。それよかお前、勉強もやらないとまずいだろ。今日はまあ、得意分野の英語といくか!」

 ──周平、来るかな。
 周平に会いたい。たまらなく会いたい。
 桂さんと英語の宿題を終わらせた後、司はベットの上に横たわった。
 天井の野球選手ポスターがはがれかけていて、いまにも落ちそうだった。
 ──周平、あのさ、僕さ。
 ──ちゃんと言ったよ。約束したこと、全部言ったよ。
 ──付き合いなんてしないけど、お前との『親友の証』みたいなもの、全部言ったよ。
 本当はこのことをすべて打ち明ける相手こそ、周平のはずだった。周平はどう思っているかわからないけれども、司なりに本当のことをすべて話すつもりだった。夏休み、神乃世へ帰った時に、ちゃんと呼び出して、一晩かけてぶちまけるつもりでいた。
 もちろん「下着ドロ」のこともそうだし、西月さんを神乃世へ連れて行こうとしたことも。そして天羽ともういちど娶わせようとしたことも。あいつは言うだろう、「司、ばっかじゃねえの? 女なんかに狂うなんてなあ」と。でも、そういわなくてはならない相手が、周平なんだってことくらいはわかってもらえるんじゃないかと思う。あの事件以来クラスメートとはほとんど口を利いたことのなかった司が、いつのまにか泉州さん、天羽、西月さんの家族、そして西月さん、それぞれと繋がりを持つことができた。それだけで今の司は十分だった。
 ──十分なんかじゃないよ。
 そうささやく声に耳栓をした。
 テープを聴いた時に目覚めた声。
 ──ほしくたって、無理なものは無理なんだ。何考えているんだよ、僕は!

 西月さんはやはり、A組へと戻ってきた。
 次の日、何事も無かったかのように席に付いていた。どういう顔をしているか見られなかったのは、周りを女子のバリケードが囲んでいたからだった。
 時々、
「小春ちゃんこんなんじゃだめだよ! 言いたいことあるんだったらはっきり言わなくちゃ!」
と、聞き覚えあるどすの聞いた声が耳をつくこともある。一緒に餃子を食ったかのお方だ。
「近江さん、あんたって最低だよねえ」
 と、これは別の女子。
「天羽、あんた、小春ちゃんにあやまりなさいよ!」
 これも事情をよく理解していない女子たち。
 西月さんがそれについてどう思っているのかはわからなかった。ただはっきりしているのは、天羽が時折立ち上がって西月さんの席へ向かおうとした時に、何か訴えようとした目をしたことだけだった。授業中、天羽が困った顔をして前の方に座っている西月さんを見つめ、休み時間に入るや否やすぐ立ち上がり、もの言いたげな顔をした。
「ちょっと近づくんじゃないよ! あんたのせいで小春ちゃん口利けなくなっちゃったんだからね!」
 泉州さん以外の女子たちが騒ぎ立て、結局は半径三メートル以内に近寄れなくなってしまう。別の席で近江さんがあきれ果てた顔で眺めている。こちらの方もいろいろと面倒らしい。文句を言われてすこしうんざり気分らしかった。他の女子たちに噛み付かれんばかりで、口を尖らせたまま応対していた。
「近江さん、あんたいったい小春ちゃんに何を言ったわけ? あんた最低だよ!」
「その面さらしてどこへ行くつもりなんだろうねえ」
「早く土下座しな!」
 正直、その状況は怖い。A組の女子というのはどうも集団になると迫力が増す。むしろ司のように最初から無視してくれた方が、親切だったのではと思う次第だった。近江さんは全く動じることなく、
「私が関わっている証拠でもあるの?」
 ──ないんだよ。
 大抵、様子がおかしいと気付いて割り込む天羽の姿で終わる。
「やめろよ、近江ちゃんは関係ないんだ」
 明らかに天羽は、近江さんをひいきしていた。見るたび司は、西月さんの背中にどう言葉が突き刺さっているのかを想像し、息が苦しくなった。聞こえていないわけがない。

 泉州さんがまた伝達にきた。
「あのさ、天羽のことなんだけどさ」
 他の女子たちの目も気にしつつ、短く伝えてくれた。
「今日の放課後、連れて行くよ。無理やりにでもさ。あんたは桂さんを言いくるめて、ひとりでここのコンビニで立ち読みしてな。いつもいつも桂さんの保護つきで動くのはやっぱ、よくないよ」
「いいよ、すぐに家に帰ってから、ひとりで自転車で行くから」
 あまり天羽たちにも気付かれたくはなかった。
 時折司に、同じく物言いたげな表情で見る天羽。
 ──僕はちゃんとお前に言うよ。殴らないけど、でもちゃんと。
 司は、ほんの少しだけ簡単に思えるようになった英語の教科書を開いた。

 放課後、司はダッシュでいつもの林、砂利路へ向かい、すぐに車を出発させてもらった。
「おおどうしたんだ、司」
「ちょっと、すぐに買物があるんだ。あのその」
「なんだよ、お前どうした」
「あの、泉州さんと待ち合わせ」
 吹き出して、エンストしそうになった。
「お前、西月教授のお孫さんじゃあないのかよ。お嬢とずいぶん、仲よさそうだなあ」
「そんなんでもないよ」
 基本として桂さんの監視下でしか動けない司だった。
 薔薇の花を買いに行く時だってそうだし、神乃世への脱出作戦に至ってもそうだ。もちろん桂さんの助けあってこその出来事もその倍あったけれども、何もかも桂さんの手のひらの中で片がついてしまうのはもういやだった。
「あの、これからさ、コンビニで、修学旅行の時に何か買おうかとか、あの、その」
 しどろもどろになりながら司は続けた。
「だから、あの僕は」
 ──もう、ひとりで動くんだ。
「修学旅行前だし、やっぱり買いたいものあるし、桂さんにみんな頼るわけいかないし。やっぱり自分で買わなかったらいけないし。けど青潟には周平いないし、あの、泉州さんしか友だち、いないし」
 最後の一言。言った後で絶句した。

 言葉が途切れた司に、桂さんはしばらく沈黙していた。やがて父さんのようにやんわりと頬を緩ませた。
「わあったよ。お嬢がいるなら大丈夫だろう。けどな、早く戻れよ。ああそうだ。暑いしなあ。お嬢にアイスキャンディーくらいおごってやれ。お前一人いっつもお世話になってるんだからなあ。そっかそっか」
 ──なにがそっかそっかだよ!
 また知らないうちに桂さんが尾行したりしないだろうか。そんなことないだろう。これから父さんところで桂さんは仕事しなくてはいけないはずだ。
「じゃあ、なんも僕、悪いことしないから」
 早口でつぶやき司は玄関に走り出た。散らばった靴に躓きそうになった。かかとを踏んだままエレベーターに乗り込み、一息ついた。

 ──もう後戻りはできないんだ、周平。
 西月さんの求めているものを、司はしっかと獲りに行く。
   
   
 

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