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青潟大学附属シリーズ


  作者:舞夜じょんぬ

 次の日司は西月さんの方をそれとなく伺ってみた。
  二年間しっかと見つめてきた西月さん観察記録が司の頭には残っていた。本日の笑顔と平均比較対象するのはわけなかった。球技大会や学校祭、合唱コンクールではしゃいでいた時よりは静かに見えた。天羽に無視こかれて作り笑顔を見せている時よりは自然に微笑んでいた。おいしい給食を頬張っている時の満足げな表情が一番近い。誰からも噂になっていないことや、天羽や近江さんが司の行動を言いふらしていないところを見ると、クラスの人には幸いばれていないらしい。
  教室に入るまでは心臓が止まってもしかたないくらい跳ね上がっていたけれど、今のところは安心だ。司はそしらぬふりして教科書を広げた。
  西月さんがばらの花を受け取って、どう思ったのか知りたい。欲しくてならなかったばらの花、きっとうれしいに決まっている。天羽からではないけれど、欲しいものはプレゼントできた。押しつけだったらどうしようと思ったけれどもたいしたことではなかったらしい。いやがられたくはなかった。
  「下着ドロ」の片岡から渡されたなんてことがばれたらどうする。
  西月さんはクラスの笑い者になるかもしれない。そうさせないためにはどうすればいいだろう。
  ……けど、いつまでも隠しておけないよ。
  昨夜、桂さんに徹夜で説教されたのが堪えている。全部白状させられて、ひたすらいじけていた司に、桂さんは、
「司、俺もなあ、大学時代、本気で追っかけていた子がいたんだよ。全然相手にされなかったけどな、全身全霊かけて尽くしまくった。俺の四年間悔いなしってくらいにな」
  ……桂さん大学の話と一緒にするなよ。
  普段なら馬鹿にしたいところなのに、そうできなかった。
「司がその子に本気なら俺はなんも言わん。ただ、その子が必ずしも司のことを好きになるとは限らないし、もしかしたら彼女の死ぬほどいやな部分を見るかもしれない。司のことを先入観で見てひどいこというかもしれない。人を好きになるっていうのはな、そう言うとこまで覚悟して、惚れぬく。そう言うものなんだぞ」
  ……あの人にそんなとこあるわけないよ。 司は半ば反発を感じつつも黙っていた。
「それともうひとつ、覚悟しとくのは」
  桂さんの熱弁は続いた。
「振られても、嫌われても、彼女の幸せだけを考えてあげられるか。しつこくまとわりつかず、彼女が望んでいることが叶うよう、祈ってあげられるかどうかだ」
  ……わかってる。わかってるってば。
  いつになくまじめ一直線に語る桂さんに、司はなんどか 「ほっといてくれよ!」 と怒鳴りたかった。できなかったのは司を見つめる桂さんの眼差しに、怖いものを感じたからに他ならない。
  恋に報われなかった青春時代、今だ桂さんの傷跡てして残っているに違いない。うっかり文句いったら倍返しされるだろう。
「いいか、司。惚れるならとことん惚れろ。ぶつかっていけ。けど相手がやだといったらジ・エンドた。それ以上追っかけて彼女を悩ませるのはやめろ。ばらの花を捧げたい気持ちはわかるがこそこそするな。片岡司の捧げ物としてきっちり渡せ」
  ……そんなことできないよ。
  桂さんに反発したわけではない。西月さんが欲しがっている、百日通い詰めて欲しがっているのだ。もごもごと文句を言いつつ、司は後一週間ばらの花を買い続けることを決意した。
「しょうがねえなあ。三日もやってたらばれるだろ。いくらなんでもなあ」
  しかたなさげに桂さんは、司がばらの花を買いに行くことを許可してくれた。葬式に行く前に司を花屋へつれていき、学校へとんぼ帰り、その後まっすぐ家に戻る。これが条件だった。
 
  もちろん覚悟はしているつもりだ。西月さんと二人きりのところですべてを打ち明けたいと思っている。ただ、西月さんを傷つける噂がこれ以上立つのは嫌だった。下着ドロの片岡に惚れられて、さらに彼女の立場が悪化するのは避けたかった。気づいてくれるのは西月小春さん一人だけでよい。
 「片岡、まずは第一歩踏み出したな」
 小声で体育の授業中天羽がハードルの順番待ちの間ささやいた。 アキレス腱を伸ばしている間、司は知らないふりをした。かまわずに天羽はひじをくいくいさせた。
「あいつ朝一番に来るから花をみた時、一人だけだったらしいぞ。機嫌よかっただろ」
……だって、欲しがっていたものだからさ。 とりあえず、嫌がられていないことは分かった。天羽がその後、いかつい体を持て余すようにしてぶるんと両手を左右に振った。
「だが、一つ計画違いがあったんだわこれが」
  わざとだろう、軽いおとぼけ口調で、
「ばらのナイトさまをあいつ、俺と勘違いしてやがる。たまったもんじゃねえよなあ。俺の方見て相変わらずにたにた近づいてくるんだぜ。たまったもんじゃねえよな」

  ……どうしよう。 司はひざを押さえて屈伸運動を続けていた。
  でないと、天羽の次の言葉が簡単に予想できてしまいそうだったからだった。
  ……片岡、ほんとのこと、百日かける前に言ってやれよ。お前が花持っていってやっている間、あの女、かわいそうに誤解しまくってるんだぞ。早くすっきりさわやかさせてやれよ。ちゃんと俺は不必要な誤解させねえように、冷たく無視しているけど、鈍だからこのままだと気づいてくれねえぞ。
  天羽はだいたいそんなようなことを言った。ハードルを飛ぶ順番がきて駆け去る間際、
「早いとこ、例の準備、しておくからな」


  頭がぼおっとしているうちに司の順番が回ってきた。いつもならひっかけないで飛び越すことができたのに、だめだった。危うくつんのめりそうになったり、ふみきりの瞬間タイミングをはずしたりと、結局タイムは今までの最悪だった。
「動揺するんじゃねえよ」
  天羽が軽く肩を叩き元気づけるような調子で声を掛けてきた。 反対側のグラウンドでも女子たちが同じくハードル走のタイムを競っているようだが、西月さんが果たしてこちらを見ているかどうかはわからなかった。天羽の方ばかり見ていたとしてもあきらめはつくけれど、司にもそれなりに意地がある。せめて天羽よりいいタイムを出していたならばと、鈍な自分を罵った。
  ……やっぱり言わないといけないのかな。 まだ周平には話したいないことを、まず先にクラスの人に告げなくてはならない。
  でも、なにを? なにを語らねばならないのだろう。
  司は男子更衣室に向かいながら、つかめないあの時の感情を手探りしていた。かちんと鳴る部分があるのに、それがどうして音がするのかわからない。
  ……どうしよう。
  司は同じ言葉を繰り返し、考えを麻痺させた。

「小春ちゃん、さっきはすごかったじゃん。いいタイム出してるし」
「ううん、そんなことないわよ。私運動神経ないし」
「そんなことないよ。小春ちゃんにはガッツがあるもん」
  女子たちが西月さんをかこむようにして騒ぎ立てていた。かわいらしくぶつしぐさをする西月さんの姿も見え隠れしていた。ぽっちゃりしたほっぺたにえくぼがふたつくっきり出来ている。
  もともと西月さんは見かけほど運動オンチではない。ものすごく速くはないけれど真ん中よりは上、という結果を出していた。司の観察したところ、それは彼女の努力以外のなにものでもない。放課後友達を誘って懸命にバレーのサーブを稽古したり、朝自主練習と称してランニングしたりと、ありとあらゆる手を尽くしている。トップには立てないけれど、中以上には位置している。
……僕も成績よくなって、運動ばりばりだったら、まだよかったのに。
  司は数学の小テストの結果をのぞき込んだ。ゴールデンウイーク以降、少しクラスの連中より遅れがでてきているような気がしていた。休みを二日も取っていたら当然なのかもしれないが、どうやってとりもどせばいいかもわからなかった。
「西月さん、よく一人でこの問題、解けましたね。よく努力してます」
  狩野先生は小テストで三人しか解けなかった問題の正解者として、西月さんをほめたたえたのだった。女子では二人だけだ。
  はにかみながら、
「この前、泉州さんと一緒に勉強して、とことん教えてもらったんです。私、数学苦手だから、克服しなくちゃと思って」
「そうですか、よく頑張ったのですね」
 狩野先生の言い方は白けているふうに聞こえた。きっと疲れているのだろう。他の男子たちが「いい子ぶってな」とささやいているのも聞こえたが、ただのやっかみだろう。司は単に、偉いとだけ思った。自分でやりたいとは思わなかった。 なにごとにも全力投球の西月さん。藤棚の前で純真な微笑みを浮かべている西月さん。クラスの数学得意な女子に苦手分野を特訓してもらって懸命に自分を伸ばそうとしている西月さん。司のあこがれている野球選手にそういう人がいた。テスト生として入団し、人一倍の努力をして一軍に上がり、苦節を重ねて抑えのピッチャーとなった選手だった。できればそんなことしないでヒーローになれたらいい。でも、もうそんなこと期待できないことを自覚している司には、西月さんの姿勢こそ尊敬に値するものだった。 どうして天羽はそんなところまで悪く取るのだろうか。

「片岡、お前天然記念物的性格だなあ。お前、本当に社長になって大丈夫か? 俺が言い出したことだけど、なんだか壮絶ないじめをしているような気がしてきたぜよ」
「なんで」
「だってな、西月がなんで泉州のあねごのことをだしにして自慢した?そこまで一生懸命努力した自分をほめてほしいからだろ。ほんとに努力している奴ってのはな、汗かいているとこをみせないし、きわめてつらっとしているもんだ。お笑い芸人が舞台で苦節うん年お涙ちょうだい語られたらたまったもんじゃないだろ」
……そんなものかな。
  天羽は付け加えた。
「俺はそういう連中を腐るほど見てきたんだ。ほんとにすげえってのはな、なあんもやってませんよ、って顔で満点だすような、そうさな、コネ入学でありながら全然そんなこと思わせないとある彼女のことさ」
  ……近江さんのことか。
  天羽が匂わせるのはたぶん、狩野先生の妹で現在天羽の彼女のことだろう。ほとんど授業なんてうわの空、文庫本をめくりつつクラスの女子から孤立し、それをむしろ楽しんでいる風な女子だった。男子の一部とはよくバカ話でつるんでいる様子、この前の小テストでは満点だった。やる気なしにみえても、西月さんよりは上だということを認めずにはいられなかった。
「俺も罪悪感持ちたくねえし、もっかい確認しとくわ。片岡、本当に、あの女なんかで、いいのか?」
  ……天羽には、わからなくてもいいさ。
「いいよ。このまます進めても」
 ……それまでに、もっかい、覚悟を決めよう。
  桂さんが迎えに来てくれたら、あのばらを買いにいこう。司は改めてそう思った。

  桂さんはやはり黒服のいかにもその筋の人、といった格好で現れた。
「司、行くのか」
「うん」
  司が目をそらしたまま、助手席のシートベルトを締めた。
「司ずいぶん腹が座ってきたなあ」
「関係ないよ」
  司は車がすぐに昨日立ち寄った花屋へ向かうのを、息を殺して待った。
「行ってこい」
 司の尻っぺたを思い切り叩いた。助手席のドアから降りた時、通行人の視線を一身に感じたのは気のせいなんかじゃない。司は足元だけ見据えたまま、花屋の入り口に立った。

  おばさんか司の顔を思いだし、
「おや、昨日のお兄ちゃんかい」
と、話したそうにするのをさえぎり、
「あのう、今日は同級生の人にあげたいんです」
自分でも驚くくらい大声が出た。
「そうなの、お兄ちゃん勇気あるねえ、偉いねえ」
  どうして自分は口軽くぺらぺら白状してしまうのだろう。昨日と同じばらの花を手に車へ乗り込み、学校へとんぼ帰り、人気のないのを確かめ、同じく「ありがとう」とつぶやいた。幸い誰にも顔を合わせないですんだ。
「よし、じゃあまっすぐ帰るぞ」
  桂さんはにやっと笑った。
「けどな、一週間過ぎたら、はっきり言えよ。いいな」
  ……そんなあ。
「現代日本は時の流れが早いんだ。小野小町の時代とは訳が違う。いいか、司、わかってねえかも知れねえけどな。いきなり知らない奴に追いかけられて、気持ち悪がられないってことないぞ」
  ……僕だってことばれたら、もっと気持ち悪がられるのに。
  西月さんが勘違いしていることを、司は決して口にはしなかった。

  司を置いてから桂さんはスピード違反確実な運転で、どこぞの葬式会場へ向かった。部屋にこもり制服を着替えてターコイズ半袖トレーナーと緩いジーンズにした。
  ……どうする、司。
  自分に問いかけた。
  ……きっと西月さん、花の送り主が天羽だと思って喜んでるんだ。僕だってわかったら傷つくよ。桂さんの言う通り、内緒のことは一週間が限度だよ。それはわかっているさ。けど。
  ごたついた机の上を両手でかき分けた。右側の棚には、藤棚の前の少女の笑み。ばらの花のあざとさとは似つかわしくなく思えた。 このまま気づかれないようにして、西月さんの笑顔だけ取り戻すことができたなら、願わずにはいられない。でも、それは不可能なことだった。もう走り出してしまったのだから。司は髪の毛をかきむしり頭の中を空にしようとした。いつもならばその後、外国のアクション映画ビデオを観て気分転換するのだか、中途半端に胸の穴あたりがうずき、苦しくなるだけだった。

  電話が鳴っていたのに気づかなかった。いつもなら桂さんがつないでくれる。司が直接受話器を取ることは、まずなかったし禁じられていた。
  ……しょうがないよな。
  司は声を出さずに受話器を取った。
「片岡さんのおたくですか」
  太いぶっきらぼうな声。女の人っぽい。 なんだ騒ぐことじゃあない。
「はい」
  答えると、受話器の向こうの声は急にくだけ、早口に言葉を回転させた。
「片岡かいあんた、ちょっと聞きたいんだけどさあ、あんたさっきうちの教室でなにやってたわけ。私見てたんだけどさあ、あんた天羽に弱み握られたってわけなの。いやがらせなの? はっきり言いなさいよ!」
「あの、誰?」
  司がかすれた声で相手の名を問うと、電話の主はあっけらかんと返してきた。
「ごめん忘れてた。泉州(せんしゅう)。しゃべったことないからわかるわけないか。とにかく、片岡、あんたに話があるのよ。今うちにいるんでしょ。なんであんなことしたのか言いなさいよ、ちゃんと出てきてさ」
  偉い剣幕だった。受話器の向こうからステレオデッキが大ボリュウムで鳴り響いているようだった。
  ……西月さんの友達って人だ。
  女子の名前はほとんど覚えていなかった。
  司が電話の主、泉州よし恵について知っていることといえば、ただそれだけだった。

  ……見られてた。
  頭の中、心臓、震える足。とにかく出てこいと言い張る泉州さんに、パニックを起こしかけ、どもりつつ時間稼ぎをしようとした。
「い、今はだめなんだ、あ、あの、部屋から出られないから」
「なにもあんたをリンチしようなんて思ってないわよ。私はほんとのことが知りたいの。なんで小春ちゃんの机に花なんか置いたのか。あんたがもししら切るつもりだったらこちらにだって考えがあるんだからね。片岡、あんただっていやでしょう。これ以上青大附中で最低男の烙印押されるのは。悪いこといわないから、ここらで少し気持ち楽にしたらどう?」
  ……まるで取り調べみたいだ。 思い出したくない二年前の記憶が、外の気温の重なりと一緒に甦ってくる。汗が気持ち悪くにじむ。受話器を握る手はべっとりとして鼻に臭う。
「じ、じゃあ、あの」
「片岡の都合のいい場所でいいわよ。どうせ天羽には気付かれたくないだろうしね。私も弱いものいじめは好きじゃないし。さしあたってあんたのうちでどう?」
  ……そんなあ、無謀だよ。
  言い返す間もなく、司は家の住所と最寄りのバス停、マンション名まで確認させられていた。泉州さんはすでに司の学校公表分データを調べ尽くしているようだった。
  ……もうだめだよ、周平。僕、やることどうしてこんなことになっちまうんだよもう。
  桂さんが夜遅くまで帰ってこないのが唯一の救いだった。司は床に投げっぱなしの制服とスポーツ新聞を拾い上げタンスに押し込んだ。 部屋を片づけることが得意な奴なんて、司の友達には今までいなかった。なんとか部屋にちらばっていた雑誌とスナック菓子の空袋はベットの下に押し込んだ。母がいる時なら思い切り怒鳴られただろうが、桂さんとだとお互いさまというところもあって、物が増殖するばかりだった。

……ほんとに来るのかな。 司も正直なところ半信半疑だった。泉州さんという女子について知っているのはただ一つ、西月さんの親友であるということくらい。髪を桂さんのように束ねていて、ぶっきらぼうに単語を響かすような話し方をする人だった。そのくらいだ。 今まで司との接点はほとんどない。 あの事件以来女子で声をかけてくれるのは西月さんくらいだったし、いきなり家に押し掛けるようなことはしないのではないだろうか。司も泉州さんが来た時どう返事をすればいいのか見当がつかなかった。
……初めましてじゃないしな、こんにちはかなあ。玄関で話すのか?部屋に入ってくるのかな。
  泉州さんはとにかく、彼女なりに納得いく答えを見いださない限り、司の家からは帰らないのではないだろうか。ようやく床の見える状態となった司の部屋。へたり込むとまた、暗い展開ばかりが思い浮かんでしまう。
……どうしよう。

「片岡?あのさあ、来たんだけど入れないのよね、どうすればいいわけ」
 泉州さんは司のマンション入り口がオートロックだということを知らないらしい。部屋番号を入り口のタッチボタンで押すと自動的にインターホンにつながるようになっている。響きすぎて音が割れている。
……ほんとに来た!
  桂さんがいたら居留守使えたのに。 歯がみしながら司は重たい指でドアのロックを解除した。
「おじゃましまーす。っと、あんた、一人なの」
制服姿の泉州さんはきっと学校からまっすぐやってきたのだろうか。息があがっていた。見た感じ、髪はぼさぼさ、顔も浅黒かった。じっくり間近で観察したことはないが西月さんがきゃしゃに見えたのは、きっとこの人との比較対象にあるのだろう。目がつり上がり、眉が薄く細いとこは誰かににているような気がした。
「あがらせてもらっていいの」
  当然のような顔をして言ってのける泉州さんに気迫負けしてしまった。何の用だといやみったらしく言ってやりたかったのに。司は黙って自分の部屋を指し示した。
「じゃあ入るね」
  靴をかかと引っかけて玄関に脱ぎ捨て、さんはついてきた。気の進まぬ司がとろく歩くのを思い切り背中押した。 「さっさと入ってよ」 ……誰のうちだと思っているんだよ。 言い返せない。ここは片岡司の家なのだ。
「お茶とかお菓子とかどうでもいいから、早く話に入ろうよ」
  ……せっかちな人だなあ。 そんなもの用意するつもりなかったけど、言われるとどうしようもない。曇ったグラスに梅酢の薄めたやつを注いで持ってきた。
「あんたいやみ?」
  言いつつも泉州さんの態度はまんざら悪くはなかった。司が部屋のドアにもたれていると、
「ほら、片岡、話するからベッドの上にでも座れば」
  ……なんでだよ。
  見ると泉州さんは片膝を立ててあぐらをかく準備をしていた。 絨毯の上が多少汚れていようと、泉州さんは全く抵抗なかったようだ。すすって、
「やたらすっぱいんだけど」
  司も梅酢がおいしいとは思っていない。頷いた。
「あんた素直だねえ」
  感心したようにあぐら姿の泉州さんは両手を膝に置いた。
「なら話は早いわ。あのさあ、さっきのことについてなんだけど、天羽がかんでいるのかそれとも片岡の計画なのか、それを知りたい訳よ」
  ……どっちもどっちだし。
  司は静かに膝を見つめた。
「ま、答えは出ているみたいだけどね」
  ははっ、と付け足した笑いが続く。言葉を探して舌先で小さな音をさせていた司は、ふと泉州さんの視線の先が目の前の机棚に向かっているのを捕らえた。ちょうど、斜め上。
「なんで」
「あ、こいつやっとしゃべった」
  火花散りそうなくうきが、いきなりゆるんで力が抜けた。訳がわからない。司は泉州さんと机を交互に見た。すでに警戒心なんてさよならと言う顔の意味するところは、なんなのか。
「あまり言いたくないけど、片岡、もう少し上手にとぼけなよ。せめて机の上にあるもの、しまうとかさ」
  あらためて、さっき片づけたはずの机をなで回した。
……しまった。
  硬直したまま動けなくなったことに気付いたのは、泉州さんの次の言葉だった。
「片岡、あんたさあ、本当に小春ちゃんのこと、好きなんだねえ」
  棚の上には、藤棚背景の葉書、さらに机の上にはその前の年のものが透明のビニールシート下に挟まっていた。気付けよ、と頭を殴りとばしたい。今からでもとあわててひっくりがえした。
「もう遅いって」
  背中で泉州さんが笑いこけるのを無視して司はひたすら机の上、棚の上、あらゆる紙をひっくりがえし続けた。

  ……どうしよう。
  全身は燃え尽きそうなほど熱い。背を向けているから泣きそうになっているところ挟まって見られないですむ。ひっくりがえした一瞬、目が合った西月さんの笑顔に、手が震えた。
  いくら隠したって無駄だと気付くのに少し時間がかかった。泉州さんが司の横に回ってきて、
「あのさあ、あんたが本気で小春ちゃんを好きだということはよっく分かった。そんなことからかう気なんてないから安心しな。それよか片岡、まず要点整理しようや」
 ……要点整理ってなんだよ。
  口の中でもごもご言いながら、意外とやさしい態度の泉州さんのペースに乗せられていた。
「人の家にきて」
「それはないだろうって?まあその気持ちわかるけどね、片岡、あんたそれだとしゃべりずらいでしょう。わざわざ来てやったんだからほんとは感謝されてもいいところなんだからさ。ほら、片岡、あんた全然飲んでいないでしょう。まず落ち着きな」
  梅酢の入ったコップを渡された。無理矢理口をつけさせられた。すっぱかった。
「だからなんで」
「単刀直入にいうわよ。あんた、天羽にそそのかされたわけ?」
  展開が早くてついていけなかった。たぶんこの泉州さんという人、司が天羽の一言をきっかけに行動しているのだと見抜いているのだろう。かなりの部分、当たっている。梅酢を飲むわずかの間に西月さんの写真を机の上に発見してしまったり、観察力は確かなものだ。司もここでへたなことを口走らない方が身のためだ。親友を追いかけているのが、かの下着ドロ野郎だと知って、泉州さんはなにをしたいのだろう。司に謝らせたいのだろうか。それとも振った天羽に雇われた最低野郎と軽蔑したかったのだろうか。表向き、天羽の態度は「恋女房を突き飛ばしたごろつき」そのものだ。本当は、西月さんに別の明るい未来が来るようにと思いやっているのだということを泉州さんは知らない。誤解を解いてやった方がよくないだろうか。すっぱい思いで司は舌打ちした。
「天羽は悪くないよ」
「はあ?」
  泉州さんには不意打ちっぽく思ったことを言った方がよさそうだ。
「あいつ、あいつなりに考えてるし」
「小春ちゃんを振るためにならなんでもするもんねえ」
  またあぐらをスカートのままかいた後、泉州さんは唇を曲げた。
「男子にはわからないかもしれないけどさ、あんなに仲良くしててその気にさせておいて、いきなり突き飛ばすっていうのは最低だよ。天羽が近江さんに浮気したのはしかたないよ。けど小春ちゃんがいる以上、あきらめるのが礼儀じゃない。それか土下座して許してもらうか。だって小春ちゃんにはなあんも悪いとこないのよ。小春ちゃん、もし天羽が二股かけたいならそれでもいいって言ったのに」
「だから、嫌いになってくれれば、みんなの同情は西月さんに集まるし、そうすれば西月さんも楽になるし」
……と、思うけど。
  天羽をかばってみるものの、歯切れが悪くなる。自分なりに天羽の言葉を解釈してみると、やっぱり西月さんが苦手だったんじゃないかとも思える。司からすると暖かい思いやりとしか感じられないことをたまたま天羽は苦手だったと。でもさんにそんなこと言ったらはたき殺されそうだ。言葉を選んだ。
「ふうん、で、あんたは恋敵をかばうわけだ。それでなんなの、小春ちゃんを奪ったっていいよって言われたわけ」
「奪ったってなんて言われてないよ、やるって言われただけだよ!」
……またやっちゃった、ああ。
  言った後で後悔してばかりだ。司は部屋の奥を眺めながら梅酢を飲み干した。
「片岡、で、もらうって言ったわけなの」
「言うわけないよ!」
  じろりと睨む泉州さんに挑発されたと気付くのが遅すぎた。思わず口が動いてしまった。
「僕はただ、天羽に言ってもいいって言われただけだよ。だから、それだけなんだ!」
「言ってもいいって、つまり、天羽には小春ちゃんなんてどうでもいいんだ、ってことをかなあ」
  ぶるぶると首を振り、司は思わず叫んでいた。
「僕がいいたいだけなんだってそれだけだよ!」
「言いたいことってはっきり言ってみな」 男口調でつっかえされ、舌が焼けた。
「要するに、小春ちゃんは僕のものだ宣言したって訳ね。天羽の思う壷ってことかあ。あっ、言い訳したって無駄だよ、あんたがなに言ったって、顔にみんな書いてるんだからねえ。こんなわかりやすい奴、見たことないよ。面白すぎるったらないよねえ」
  桂さんならなんて言うだろう。出ていけって言いたいのに、それができないのは司の中でびくつくものがいるからだった。おっぱらったらきっと、何かをなくしてしまいそうだった。見えないけれど泉州さんの顔には、どことなくなごめそうな色が浮かんでいた。
  司は黙ってもう一杯梅酢を汲むため、部屋を出た。

「なあに照れてるのよ、面白すぎるよねえ。だからかあ。片岡、あんた思ったより面白い奴じゃん」
  ……つまらない奴の方がいいよ。
  なんかわからないけれど、司と三十分以上会話が成り立った相手はみなそう言う。どこがどう面白いのかわからないけれど、司を西月さんに寄せ付けないようにという目的はなさそうだった。
「じゃあさあ、片岡、あんたがなんでばらの花を捧げるなんていうきざなまねしているのか、そこんところも教えてほしいなあ、ね、悪いようにはしないよ、小春ちゃんにも、今のところは言わないであげるからさ」
……本当かなあ。

  司は口をとがらせたまま泉州さんに向き直った。
  いい加減にしろとか、ふざけるなとか言いたかったけれど、一呼吸置いてでた言葉は、
「ほんとに、誰にも、言わないよな」
だった。
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