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    (最終章)


〜Woodnoteさま(「青色廃園」「森の家」)から
「馬に描かれた館」3万アクセス記念:いただきもの〜
森の家」 番外編

青色廃園特別編・委員長の憂鬱もくじ 1★NEXT


   作:Woodnoteさま


 第一章:惑い

 日一日と暑さが増していく。梅雨明け宣言が出されてから、急に暑くなったようだ。空には入道雲が湧き出し、時折吹いて来る風も、熱をはらんでいる。冷房の入っていない教室は蒸し暑く、クラスのあちこちでハンカチを取り出して汗を拭く光景が見える。セーラー服の襟元をくつろげ、下敷きで扇いでいる子もいれば、汗でまとわりつくスカートをまくり上げ、机の下でぱたぱたやっている子もいる。男子がいたら、こんなことはできない。まさに女子高だけの授業風景である。
 頭がぼうっとなって、先生の声が素通りしていく。シャープペンを持つ手が汗ばみ、ノートに汗の染みができる。窓から入って来る強い陽射しにさらされた腕に、にじみ出る玉の汗。背中にべったりと張りつく制服の気持ち悪さ。退屈な授業は、いつ果てるともなく続いていた。
 期末テストまで、あと三週間足らず。分かってはいるのだが、頭がそれについていかない。こう暑いと、何をするのも嫌になる。テストだけでなく、受験勉強や部活のことも考えなければならないのだが、ともすれば集中力が散漫になるのを、どうすることもできない。塾の夏期講習のこと。デジタルノヴェルのこと。三者面談。夏休み中の部活スケジュール。そして修学旅行。するべきことは山積しているのに、とにかく身体がだるい。
 せめて、この暑さを何とかしてくれれば。芙美子の小学校時代の友人が通っているという、全寮制の女子高のことが、羨ましく思える。
 休み時間に、机に突っ伏してうだっていた私に、芙美子がため息をつきながら話してくれた、その設備の数々。冷暖房完備の教室や体育館。各クラスに設置された、一人一台のパソコン。喫茶室つきの図書室。和洋中華に日替わりケーキまで食べられる、三階建ての学生食堂。室内温水プールに八面もある夜間照明つきテニスコート。
 同じ私学で、どうしてこんなに違うのだろう。うちの学校は、生徒のコンディションなど、どうでも良いと思っているのだろうか。温水プールや喫茶室をよこせとは言わないが、せめてエアコンだけは入れてほしい。少なからず腹立たしくなる。
 私は手の甲でまた汗を拭った。

 ふと見ると、委員長が俯いて考え込んでいる。
 シャープペンをノートの上に投げ出し、一方の手を口元にやって、苛々と爪を噛んでいた。眼鏡がずり落ちそうになっているのも気にならないかのように、視線を机の一点にさまよわせている。こんな彼女を見るのは、初めてのことだった。
 どんな時でも冷静さを失わず、授業中は背筋を伸ばして黒板に見入っていた彼女が、心ここにあらずといった表情を見せるなどというのは、思いもよらないことだ。身体の調子でも悪いのだろうか。
 気になり始めると、どうにも止まらない。私の注意は授業からたちまち離れ、委員長に引きつけられた。教壇に立ち、黒板とクラスを交互に見つめて授業を続けている先生の視線を気にしながら、私は彼女の様子をそっと窺った。
 時折シャープペンを取り上げ、ノートに何か書きかけては唇を噛み、考え込んではペンを投げ出し、また爪を噛む。委員長は、ひたすらそれを繰り返していた。
 一体、何を考えているのだろう。自分のことのように、胸がそわそわしてくる。

 彼とつき合うようになって以来、彼女との親密度は増し、日常的に会話を交わすようになっていたものの、それは悩みを打ち明け合ったりするようなレベルのものではなかった。今まで『並みの』生徒であった私は、常に先頭に立ってクラスをまとめ、きびきびと振舞う頭脳明晰な彼女に、少なからぬ畏怖にも似た感情を抱いていた。
 そんな委員長が、私に見せる優しいまなざしと気遣い。それは時に私を戸惑わせ、時にくすぐったいような感情を呼び起こした。兄の恋人というよりは、妹に見せるような労わりの表情。それは、彼以外の誰からも寄せられたことのないものだった。そしてそれは、『廃園』の外にあったが、もっと近くに感じられ、時に肌に触れるほどの距離にありながら、決して不快ではなかった。とはいえ、私たちは『親友』というようなものではなく、私は彼女について、何ほどのことも知ってはいなかった。ただ私は、その居心地の良い空気を壊す必要を感じなかったし、彼の『妹』として、またクラスの委員長として、彼女に対し他の級友とは別の敬意を払っていた。

 ある意味で、私の目標でもある委員長。その彼女が、こんなに苛立っているのを、私は見たことがない。何がそんなに彼女を落ち着かなくさせているのだろう。進学問題? それとも恋? あるいは単にこの暑さのせいなのだろうか。私の通俗的な想像は、そこまでが限度だった。
 授業が終わったら、声をかけてみようか。いやしかし、彼女のことだ。私などの気遣いは、いらぬお世話かも知れない。いつも彼女は、自分だけで答えを出してきた。私などの及びもつかない悩みを抱えているかも知れないのに、彼女はいつも凛として自分を保ってきた。たとえ今は思い迷っているとしても、早晩回答は出るのではないか。そう思うと、声をかけるのも憚られる。知らず知らず、つられて人差し指を口元にやっていたことに気づいた私は、慌てて手を机の上に戻した。

 その時、委員長が振り向いた。
 見つめていた私と視線が合い、ちょっと驚いたような表情が浮かぶ。ばつの悪そうな笑みが一瞬口元に浮かび、爪を噛んでいた手を上げて眼鏡を直した。
 私はどぎまぎして俯いた。何という不躾なことをしてしまったのだろう。彼女はきっと、腹立たしく思ったことだろう。止めようもない勢いで、首筋に血が昇っていく。私はぎこちなく教科書を手に取り、ぱらぱらとめくった。
 「月川さん。」
 いきなり指名されて、私はぎくりと顔を上げる。教壇の上に覆い被さるようにして、先生がこちらを見ている。級友たちの視線が集まり、全身がかっと熱くなる。
 質問が投げかけられた。慌てて教科書をめくったが、どこを指定されているのか全く分からない。そもそも授業を聞いていなかったのだから、分かるわけもないのだが、私は記憶の糸をたどり、何とか内容を思い出そうとした。
 隣の席の級友が、小声でささやいてくれる。私はほっとして、感謝の言葉をつぶやきつつそのページを開き、問題に目を落とした。が、それはつかの間の安寧だった。
 解答が分からない。心臓がどくんと跳ね上がる。慌しく前のページから斜め読みし、ヒントが書かれていないか確認する。次に黒板を見て、手がかりを必死に探す。どこにも答えはなかった。
 突っ立ったままの私を見て、先生の口からため息が洩れる。注意の言葉にしおれた私が、真っ赤になって着席すると、先生は次に委員長を指名した。そして次の瞬間、私はぽかんと口を開けてしまった。
 彼女は、いつもの表情に戻ってすっと立ち上がると、すらすらと答えを口にしたのだ。
 考え事に心を奪われていたようなのに、どうして答えられたのだろう。復習をしても予習をする習慣のない私は、唖然としてしまった。受験生としての心構えができていないと言われればそれまでだが、私は焦りを感じつつも、どこかまだ受験というものを遠くに考えていた。その甘さを衝かれて、ずんと落ち込んでしまう。これまでの積み重ねの違いを見せつけられて、思わずため息が洩れる。やっぱり、どこかしら浮ついていたのだ、私は。
 そんな私が、委員長のことを気遣うなんて、とんでもない思い上がりである。足場さえ固めていないのに、相談になど乗れる資格はない。私は、隣の席の級友にお礼をつぶやき、授業に集中しようと努めた。

 やっと授業が終わり、ほっと息をついて洗面に立とうとした私に、委員長が歩み寄って来た。眼鏡の奥で、瞳がかすかな笑いを浮かべている。
 「放課後、時間もらえる?」
 「え?」
 驚いて問い返すと、彼女はつぶやくような声で言った。
 「相談したいことがあるの、いい?」
 「え、ええ。」
 「じゃ、旧校舎の中庭でね。」
 そう言うと、席に戻って次の授業の教科書とノートを机の上に広げ、たちまち自分だけの空間を作り上げてしまう。いつもながらその鮮やかな頭の切り替えぶりには驚く。全体的に低めのトーンでぼーっとしている私と較べて、メリハリが利いているというか、けじめがしっかりしているというのか、とにかく切り替えが早い。私にはとてもまねのできないことである。第三者の立ち入りを許さない、近寄り難い雰囲気がそこにはあった。彼女が誰からも一目置かれている原因の一つがここにある。彼の家での彼女を知っている私にとっては、そのギャップは唖然とするほどだった。
 とはいえ、彼女が私に相談を持ちかけてくれたことが嬉しく、私は少しばかり浮き立った気持ちで廊下を歩きながら、あれこれとその内容を思い巡らせた。


   

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