第二章:質問
時間はうんざりするほどゆっくりと過ぎて行き、私はじりじりしながら放課後を待ち受けた。もともと暑さでぼうっとなっていたところへ、委員長の相談である。わずかばかり残っていた注意力も飛んでしまい、私は何度も先生の注意を受けた。当の彼女はというと、私に相談をもちかけたことですっきりしたのか、すっかりいつもの表情に戻っている。私が注意されてどぎまぎするたびに、彼女は悪戯っぽい視線を送ってきた。これでは主客転倒である。相談を受ける立場の私があたふたしてどうするのだ。こういうところが、先生や両親の言う『落ち着きのない』ところなのだろう。自分の軽さが嫌になる。
やっとのことで授業が終わった。自己嫌悪に落ち込みながら教科書とノートを鞄に詰め、委員長の席を見ると、彼女はもう帰宅の準備を整えていた。目で合図して、すっと教室を出て行く。私は慌てて級友たちに挨拶をすると、副部長の裕美に部活を欠席することを告げ、引継ぎを済ませて彼女の後を追った。
旧校舎に続く渡り廊下は閉鎖されているので、一旦生徒玄関から出て新校舎を迂回し、グラウンドの傍らを通り過ぎて中庭に向かう。ペンキの剥げかけた木造の旧校舎に、青々と生い茂るヒマラヤ杉が覆い被さるように枝を広げているのが見えた。
近づくにつれて、清涼な空気が私を包む。『青色廃園』は、今日も私を優しく迎えてくれた。夏でも水の尽きることのない、深い緑をたたえた防火用水。水面に広がる波紋は、鮒が浮き上がってきたのだろうか。
廃園の奥にあるベンチで、委員長は待っていた。私がよく読書をしている所である。俯きがちに考え込んでいた彼女は、私が草を踏み分けて近づいて行くと、顔を上げて微笑んだ。
「ごめんね、突然相談を持ちかけちゃって。あなたのことだから、いろいろ考え込んじゃって、授業が耳に入らなかったみたいだったもの。今日は新記録だったんじゃない、先生に注意されたの?」
思わず顔を赤らめた私に、彼女は身体の位置をずらして席を勧めた。スカートのプリーツを捌いて隣に腰掛けると、彼女は一つ伸びをして空を見上げる。
「真理絵の顔を見たら、何かほっとしちゃった。」
私はおやっと思った。『真理絵』と呼ばれたのは初めてである。彼とつき合うようになっても、彼女は私のことを『月川さん』と呼んでいた。それは私と彼女との間に一定の距離を置き、自分と兄である洋さんとの間に線を引くものだった。級友ではあっても、あくまで私は兄の交際相手であり、それ以上の交友を彼女が求めていないことの意思表示であると私は理解していたのだが、いきなりその垣根が取り払われたような感じである。しかし、それは決して不快なものではなく、むしろ心地良い響きを持っていた。
私の表情に気づいて、委員長はまた微笑んだ。
「あ、ごめん。いきなり名前で呼んだから、驚いたかな? ね、いいでしょう、そう呼んでも?」
私が頷くと、彼女は自分のことも『耀子』と呼んでほしいと前置きし、言葉を継いだ。
「どう? 最近兄とはうまくいってる?」
「え? ええ。」
「あの人、ちゃんとフォローしてくれる?」
「いろいろ相談に乗ってもらったりしているけど・・・。」
「そう、良かった。こういう時期だから、なかなか会えないでしょう。心配にならない?」
「ん・・・でも、電話やメールがあるし。」
「お互いが信頼関係で結ばれてるって素敵ね。嬉しいな、妹としては。・・・あなたの信頼を得るほどの価値が、兄にあるとは思わなかったもの。」
「そんな・・・私の方こそ、洋さんに認めてもらうためにもっと頑張らなくちゃならないのに。」
「そういうところが、真理絵の素敵なところよね。兄があなたを好きになったのも、良く分かるわ。」
俯く私に和らいだ視線を向けた彼女は、そこでいきなり話題を転じた。
「ね、交際するって、どんな感じ?」
「え?」
唐突な質問の意味がつかめず、私は戸惑った。これはつまり、恋についての相談ということなのだろうか。それとも、私と彼のことを尋ねているだけなのだろうか。まさか一般論ということはないだろう。彼女の表情からヒントを得ようとしたが、そこには何も浮かんではいなかった。
理解しかねて黙っていると、彼女は眼鏡の奥から私を見つめて言う。
「あなたにとって、兄はどういう存在?」
「それは・・・」
私は、いくつもの言葉を思い浮かべた。そのどれもが、質問の答えとしては不足であるように思える。彼女はどんな答えを求めているのだろう。まずそのことに意識が向いてしまう。どういう答え方をしたら彼女が満足するのか、答えることによって、彼女がどんな相談を持ちかけてくるのか。思考が先回りするのは私の癖で、そのために提示された質問に答えられなくなってしまうのだ。
委員長は、それを見通しているかのように、根気良く私の回答を待っていた。いろいろと考えた末、私は言葉を選んで慎重に答えた。
「・・・同じ風景を持っている人、かしら。何も言わなくても、相手のことが分かるような・・・。うまく言えないけれど、彼が私の一部分と重なっているような気がするの。」
「重なっているような感じ、か」彼女は、私の言葉を繰り返して考え込む。「分からないな、その感じ。空気みたいとか、水のような存在っていうのなら理解できるけれど。」
これは、具体的な説明を求められているのだろうか。私は返答に窮して、彼女が言葉を継ぐのを待った。
「ね、あなた、兄とどこまでいっているの?」
唐突に切り込まれて、私はぎくりとした。思わず手が口元にいってしまい、顔に血が昇る。彼女はそれを見て、すぐに了解したようだった。
「ごめん、立ち入ったことを聞いちゃって。・・・そうか、キスまでか。」
私が俯くと、彼女はちょっと微笑んだ。
「真理絵って、隠し事ができないタイプだから。でも好きよ、あなたのそういうところ」そう言って、独り言のようにつけ加える。「・・・それだけで、そんな気持ちが持てるものなのかな?」
「え?」
「・・・ううん、ただ不思議だなって。」
「・・・・・・。」
彼女は、視線を彷徨わせ、廃園の佇まいを眺めた。私は、話の内容がつかめず、息を詰めたままその横顔を窺う。