〜空露澪さま(「とらぶるめーかーず」「ぶらいとわーるど メジロブライトの末脚」)から
「馬に描かれた館」10万アクセス記念:いただきもの〜
「とらぶるめーかーず」
番外編
10
チーコの結婚式以降はろくに遊びにも行かず、競馬もしていなかった。夏の間、せっせと貯金をして秋のG1シーズンに備えたのだ。 合コンの誘いとかもあったが断り続け、無駄金は一切使わなかった。
あの後、葵、康行、遥の誰とも連絡を取っていなかった。一応暑中見舞いを書いたぐらいだ。
やがて九月になり、メジロドーベルの次走、つまり秋初戦を知って愕然となった。
ドーベルはオールカマーから始動するというのだ。しかも、それは聡美と藤崎の結婚式当日。
ばかやろう、何でこんな日に結婚式をするんじゃ! と二人を恨みたくなる。
二人とも競馬はやらない。だから俺の都合など考えないのだ。
メジロブライトの秋初戦は京都新聞杯なので、オールカマーと同日、阪神で開催される神戸新聞杯に出走しないだけまだ救いであった。
てっきりメジロドーベルは次週のローズステークスかクイーンステークスからの始動だと思っていたのに……。 この辺りは陣営の思惑もあるので仕方がないものの、ドーベルを応援出来ないだろ。結婚式は二時からで披露宴は三時からだし……。
文句を言っても仕方がないし、新婦の兄である以上、結婚式や披露宴を欠席出来ない。前日、出発前にビデオのタイマー録画をしておいた。
両親は前日に聡美と一緒に挙式予定のホテルへ向かうので、俺は兄貴や遥と一緒に兄貴の車に乗せてもらって現地入りする事になった。
友引という理由でこの日になったのだが……大安に挙式しても離婚する夫婦もいれば、仏滅に挙式してもいつまでも仲の良い夫婦もいるのだ。 こんなの迷信だろ、と言いたくなる。
一応、夏の間、異様なほど倹約したのは結婚祝いに、十万円を包んだからだ。 兄貴と遥の時は、年齢が年齢だったので二人合わせて五万円で勘弁してもらった。ただ、今の俺の地位などを考えると
いくら俺が独身でも十万を包まないといけないと思うのだ。まあ、今度俺が結婚する時にはたっぷり集めてやる。
兄貴と遥が結婚する時に買っておいたモーニングコート持参で夜通し名神及び東名高速を走ってホテル入りした。受付の方は聡美の親友達がしてくれた。 小田もサニーエンジェルズにいた時は会計だったから、新郎側の受付として働いてくれた。
結婚式と披露宴が終わり、二次会はないので俺は小田と一緒にホテルのロビーでコーヒーを飲みつつ、 藤崎の事をボロカスに言ってみたりした。ある種、共にサニーエンジェルズの幹部としてやってきた友情の裏返しなのではあるが。
「でもさ、俺達の代の幹部で来なかったの、神城と星田だけじゃん。一応二人とも祝電は出してたけれど。繁、あいつら元気にしてるのか?」
元々関東の出身で、今も都内のとあるメーカーに勤務する小田に尋ねられる。結構いやな質問だ。
「さあ。二人の情報やったら、俺よりも遥の方が詳しいで」
「ふーん、サニーエンジェルズにいてた頃は、滅茶苦茶仲良かったのに。特に星田なんか、卒業したらすぐ結婚しようって勢いだっただろ?」
「とっくの昔に別れた。お前、四回の頃に気付かんかったか? 俺達の追いコンの時、俺は一人で帰ったし、 康行と葵は二人で帰ったんや。あの時、既に葵とは別れた後や」
二人してタバコを吸うものだから、灰皿があっという間に吸い殻がたまる。ちなみに康行と藤崎は吸わないし、女性陣は誰も吸わない。
「いや、一応……繁が星田と喋らないから、別れたんだなとはうすうす気付いていたよ。気付いてなかったのは藤崎だ。 あいつ、追いコンの時、俺に『繁の奴、照れて葵に全然話しかけないな』とか言ってた。一回生の時も馬鹿だ、こいつって思ってたけど、
四回になってもやっぱり馬鹿だって思ったし。他人の恋愛を端から見てたら面白い」
「悪趣味やな……そういうお前はどうやねん」
在学中は九〇年代になっても春が訪れない、とか言って嘆いていた奴だ。
「一応、相手は見つかったけど。同じ会社の後輩。ようやく俺にも春が訪れた……」
こっそりとツーショットで移った小田と彼女のプリクラシールを見た。なかなか可愛い子だ。
「さいでっか。俺は未だに猛吹雪やけど」
「繁、お前よりすぎていないか? 高望みしていたら三〇過ぎても独身……なんてあり得るぞ。それとも、独身の方が気楽で良いと思っているのか? 気楽でも、ただいまって言って帰ってきても、お帰りって言ってくれる奴がいない生活って虚しいだろ?」
そこへ、兄貴と遥が来た。
「繁、帰るぞ。俺は明日仕事やし」
「ああ、すまん。小田、今度はOB会は?」
「両方出る。繁は?」
「京都新聞杯とかぶったし、二次会だけ」
「競馬よりパチンコの方がお手軽じゃないか? ギャンブルだったら」
「生憎やけど、俺はパチンコにはロマンは感じひん。長時間、台の前に座ってって嫌じゃ。それじゃあな」
「おう、お疲れ!」
こうして、強行軍で京都へと戻った。
そして、京都新聞杯当日は当然ながら淀にいた。しかしながら、気に掛かったのが葵が絶対に見に来ていそうなはずだと睨んでいたのに、 京都競馬場のどこを探しても葵らしき人影を見つける事ができなかった。メジロブライトとマチカネフクキタルの馬連一点で勝負したものの、
マチカネフクキタルが勝ち、メジロブライトは敗れ……しかも二着はパルスビートで馬券も外した。
その夜、とある飲み屋でサニーエンジェルズのOB会が行われた。九〇年度生、つまり俺達の学年で出席していたのは、 俺と小田の他に康行、藤崎、健、遥、あずさの七人だった。葵は欠席していた。
各学年ごとの近況などをその学年の会長が代表して話すことになっている為、俺が代表で喋ることになった。
当然ながら、一番のニュースは藤崎と聡美が結婚したことである。それを俺が報告すると、藤崎は同期や 在学中の直接の顔見知りであった先輩達に手荒い祝福を受け、一気飲みもさせられる始末であった。
近況報告も終わり、それぞれの小グループごとに固まって飲む。遥とあずさは女性同士の席にいる為、 俺の周辺にいるのは康行、健、藤崎、小田である。
「康行、今日はサニーエンジェルズの天然ボケ女王はどうした?」
健、藤崎、小田は大笑いするが、康行は少々俺のブラックジョークに対して渋い表情を見せている。
「ちゃんと名前で言えよ。陰口なんか嫌やぞ」
「神城、葵以外に誰がいるんだ? と言うよりは……どうして繁が知らない? 葵が来ていない理由を」
藤崎に尋ねられた。
「お前、聡美から何にも聞いてへんのか! っていうか、この前お前の結婚式の後、小田と喋ったけど、 俺とあいつは別れて五年になる。それに気付かんかったお前、アホじゃ」
「健、知ってたのか?」
藤崎が健に尋ねる。
「知ってたで。ただ、こういうのってむやみに喋らん方がええと思って黙ってただけ。 サークル内で噂広めて気まずい雰囲気になるの嫌やし」
「藤崎は健以上に馬鹿決定……と」
小田が呟いた。
「あのなあ、俺はちゃんと四年で卒業した。六年も大学通った馬鹿と一緒にせんといてくれ!」
藤崎が必死になって反論するところへ、小田が更にたたみかけるようにツッコミを入れる。
「ふーん、藤崎の言い方だったら、神城も馬鹿って事になるぞ。医学部を首席で卒業してるのに! 神城、藤崎を一発殴ってやれ!」
「いや、一発殴るだけでは足りひんわ」
康行は藤崎に冗談半分に首を絞めるジェスチャーをする。俺と健は腹を抱えて笑う。
「けど、神城。マジな話……星田は? 繁が別れている以上、一番有力な情報はお前が持っているんだろ?」
小田が康行に尋ねる。
「おじいさんが亡くなられて……今日は満中陰だからって」
「えっ、じいさん亡くなったんか!?」
俺にとっては初耳だったので、康行に尋ねた。まあ、落ち着いて考えてみれば、俺のじいちゃんとばあちゃんは俺が高二の時に亡くなっている。
「去年の冬から寝たきりだったんや。それでも黙ってダービー行ったから、かなりおじさんおばさんはお冠だったけど。 おじいさんの世話、ずっとおばあさんがしていて、葵は入退院の時ですら、完全無視やったし……」
「けど、それって信じられねえ。俺のじいちゃんの入退院の時、俺は荷物運びとか手伝ったで」
康行は適当に聞き流し、あえて俺に対して反論する意見を言わなかったのが少し気に掛かった。
帰りは康行と一緒だった。藤崎と小田は夜行バスで帰るし、健は実家暮らしだから方角が違う。遥やあずさは一足先に帰った。
俺は康行を連れて居酒屋に入ろうとした。
「なあ、繁。喫茶店の方が良くないか? お前、さっきも相当飲んだやろ。それもろくに食事も取らんと」
「大丈夫大丈夫! 俺の身体の丈夫さは俺が一番よく知ってる! ……??」
俺は急に顔が引きつる。食い物は食いたくても食えなかったのだ。胸焼けが酷くて食おうという気が起きなかった。 空腹をビールで紛らわせたのが悪かったか? 俺は歩くことはおろか、立っていることも苦しくなり、その場にしゃがみ込んだ。
「繁! 大丈夫か!?」
「腹が痛い……」
「お前、すごい脂汗やぞ……今からする俺の質問に答えろ。まず一つ目。胸焼けとか、かなり胃液が上がるようなげっぷとかがあるか?」
黙って頷く。
「二つ目。最近、朝トイレに行った時、便の色が最近になって黒くなったとかは?」
当たり……そんなこと、大声で言える訳がないのでやはり黙って頷いた。
「それじゃ最後に、仕事で何か大変なこととか起きているか?」
会社の後輩が、大事な商談で遅刻したことから取引先を怒らせてしまい、最近俺はそこへ必死に謝りに回っている始末だ……そんな訳で三度頷いた。
「あかん、こんな所じゃどうにもならへんし救急車呼ぶわ」
携帯で康行が一一九番する。
恥ずかしながら、周囲には人だかりができ、そんな中で俺は到着した救急車に付き添ってくれた康行と共に乗った。 あいつは小児科医だから専門外ではあるものの、救急隊員に俺の症状を詳細に説明し、それを聞いた救急隊員が
救急指定病院にあちこち連絡を取った。
「成瀬さん、今から星田病院の方に向かいますので……」
「待ってくれ、星田病院だけは……どこか、別の病院でお願いします」
救急隊員は怪訝そうに俺の顔を見て言う。
「他の病院に急患さんがいらっしゃったりするのですよ」
そこへ、康行が俺に対して一喝する。
「アホか、お前は! 個人的恨みとかいう次元と違うやろ。総合病院やし、内科の先生は全然関係あらへんやろ。 ちゃんと診察して適切な処置をせなあかん! 自己判断で取り返しの付かへんことになったらどうするんじゃ!
すみません、構わず星田病院に向かって下さい。お願いします」
そんな訳で俺は救急車で星田病院へとかつぎ込まれた。診察の間、康行は廊下に出ていた。その間に俺の実家に連絡を取ってくれるらしい。
レントゲンやCT検査、さらには血液検査などもあり、ただでさえ腹が痛くてのたうち回っているところへ追い打ちを掛けるように 採血までするんかい! と突っ込みたくなる。
「成瀬さん、十二指腸潰瘍ですね。それも……完全に穴が開いた状態で、腹膜炎も起こしています。外科の先生に連絡して、緊急手術を行いますので……暫く入院していただきます」
それを当直の内科の先生から聞いた途端、俺はショックから気を失いそうになった。
病衣に着替えさせられ、手術準備の為の各種の検査とか、過去の病歴とかを聞かれたりする。それでもって点滴をされる。かなり嫌なのだが。
外科の先生がやってきて、手術に関する説明がなされる。要するに、内視鏡で見て潰瘍の穴を塞ぎ、それと共に腹膜内に たまっている膿などを出す為の管を俺の腹に付けておいて、少しずつ出すというもの。もし、内視鏡で上手くいかない場合は
その次点で開腹手術に切り替えるというもので、不測の事態が起きれば、輸血の可能性もあるということだった。とりあえず、患者本人のサインはしておいた。 ただ、家族の同意のサインも必要だというので、これは親父かお袋が来ないことにはどうにもならない。
「繁、あんた一体どうなったのよ……」
救急室に親父と共に入ってきたお袋の第一声だった。二人は俺の入院に必要な持ち物一式を鞄に詰めて持ってきてくれていた。
「OB会の帰りに急に腹が痛くなって立ってられへんで、康行が救急車呼んでくれたんや……」
「神城くんから電話がかかってきて、びっくりして二人で飛んできたんだ。 繁が今迄病気で寝込むなんてほとんど無かったからなあ……」
殺しても死なないなどと、学生時代には言われてきた俺だった。けれどもこの痛み……。
「親父、お袋。もしも先に俺が死んだら……ごめん」
「アホなことを言うな。先生の説明では十二指腸潰瘍と腹膜炎という事じゃないか。 すぐに手術をすれば治ると言うことだから、落ち着くんだ」
「だいたいあんたはたいそうなのよ。生まれ変わったとしても絶対あんたは女に生まれるべきじゃないわ。 そんな痛みで死ぬとか言うてたら、出産なんかどうするのよ」
「はいはい、産んでくれて感謝してます」
一通りの準備が終わり、いよいよ手術室へ。全身麻酔ということで、マスクを掛けられて暫くして、俺は意識を失った。