〜空露澪さま(「とらぶるめーかーず」「ぶらいとわーるど メジロブライトの末脚」)から
「馬に描かれた館」10万アクセス記念:いただきもの〜
「とらぶるめーかーず」
番外編
16
どこで話をしようかっていうのでかなり場所選びには苦労した。土曜日の夜にいきなりシティホテルの部屋を取るのは至難の業だし、 かといって、ラブホテルではそっち目的みたいに思われる。いや、そういう願望がないといえば嘘にはなるが、やはりここはTPOをわきまえるべきだろ。
康行の事で本気で悩んでいる葵を捕まえて、いきなり……って、葵だって気分が悪いはずだ。 だいいち、葵にその気があるならば俺にもっとすり寄ったりなどの仕草を見せるはずなのだが、そういうのが全くない。
「困ったなあ……ビール飲んでるし、ドライブって訳にいかへんからなあ……」
葵は焼肉を食ったり、喫茶店でロイヤルミルクティーを飲んだりした為、すっかり口紅が落ちている。 しかも、唇の色が青紫色ではないか。俺はコートを脱ぎ、葵に着せる。
「……着ろよ」
「だって、あたしが着たら繁が寒くなるやんか」
「かまへん。こんなぐらいでは風邪引かねえよ」
自然に、俺達の足は俺のマンションへと向かっていた。
オートロックを解除してエレベーターに乗り、玄関の鍵を開けて部屋に入る。
「……座って」
テレビを付けて、何気なしに見る。
「葵、俺は……お前に対してきつい事ばっかり言うてしまうけど、俺がマジでお前の事を嫌いやったら、 相手にせえへんで。結婚話がつぶれてしまって……お前に対して憎しみしか残ってへんとか言うたのに、
お前、いじらしいぐらいずっと側に付いててくれてたなあ。何でや? 今迄の俺の仕打ちって、 普通の奴やったら、最低とか言うで」
「だって、あたし……」
葵が声を詰まらせ、鼻をすする。それが俺の心を針で突き刺す。
「……別れた後も、ずっと繁の事を……」
次の瞬間、葵は俺にすがりついてきた。たまらなく愛おしくて、絶対に葵を他の男達には勿論、康行にも渡したくないと思った。
「葵、ごめんな……散々傷つけてきたのに、何でそんなにいじらしいんや……」
俺は葵を強く抱き締めた。それまで封じ込めていた俺の想いは、もはや押さえられなくなっていた。
葵の頬には涙の筋が出来ている。誰が何と言おうとも、葵は俺を必要としてくれていて、 そして、この俺も……葵がどうしても必要なんだ。
葵が両目を閉じた。俺は顔を近づけ、至近距離で俺も目を閉じる。
唇が重ねられた。こんなに純粋な気持ちでキスをしたのは、学生時代以来だ。
五年もの間、封じ込めていた熱情が蘇り、ようやく俺はこの時、本来の成瀬繁を取り戻した。
一旦キスを中断し、それまで封印していた言葉を口にする。
「葵、お前さえ良ければ……俺とやり直して欲しい。今度はどんなに反対されようとも、絶対に諦めへんし、 何とかしてお前のご両親を説得する。だから……俺との……将来の事を考えて欲しい。葵……愛してるよ」
「あたしも……愛してるわ。もう、二度と離さないでね……それと、今夜は帰りたくないの」
帰りたくない……などとそれも意中の女性から言われれば、またとないチャンス、などとは思ってしまう。 けれども、欲望のままに寝てしまい、もしも葵が家に帰ってから両親及びばあさんにあれこれうるさく言われるような事態は避けたかった。
焦らなくても、ちゃんと結婚してしまえば毎晩出来るものだから。
「お前……ええのか?」
「ええよ、どうせ……遅くなるって言うてあるもん」
再び、俺は葵とキスをする。更に激しく。
やっぱり、これほど可愛い……他の奴が仮に認めなくても、俺は断固葵を可愛いと主張する……と、それこそ食べたくなるぐらいだったりする訳で……。
けど、やっぱりここはちゃんと葵をうちまで送ろう。
「葵、送っていくよ。ホンマは葵を抱きたいけど、先々の事も考えたいし」
「繁……」
「今度の土曜日……それから、クリスマスイブ……葵と一緒に過ごしたい。それから、今年の有馬記念も来年の正月を迎える瞬間も……来年だけと違て、この先もずっと」
今年のクリスマスイブは確か水曜日。水曜日も木曜日も仕事はある。けれども、どうしてもこのいじらしい葵と一緒に過ごしたい、という気持ちがわき上がってやまないのだ。
「解ったわ。イブは……あたしと過ごしてくれるのね」
「勿論。でも……」
マンションを出て葵の家の前まで来た時、俺は立ち止まって言う。
「出来れば、お前……ある程度覚悟して欲しいんや」
葵は不思議そうに俺を見る。
「何を?」
「多分、この先……もう一度お前は両親との決定的な対立を生み出すかもしれへん。それでも、俺に付いてきてくれたら…… その時は必ず、一生掛けてでも葵の事を幸せにする」
医者に比べれば、俺の収入など雀の涙だと思う。人並みの収入はあるものの。
元々、俺のお袋は親父との結婚を反対されて駆け落ち同然で結婚した。それで、俺と聡美が生まれ、 伯父さん伯母さんが交通事故で亡くなった事で、兄貴も引き取った。まあそれなりに、大金持ちという訳ではないものの、
三人ともがスピリチュアル学園大学を卒業しているし、聡美も嫁に行った今は夫婦水入らずの生活を送っている。
あとは俺だけなんだよな……。
三人の中で、俺が一番両親の手を煩わせた事はこの俺がよく知っている。これからは、俺が親孝行をしなければならない。 それと共に、葵に側に付いていて欲しい。……俺の妻として。
「そりゃあ、繁と結婚出来たら嬉しいけど……」
「年明けにでも、改めてご両親にご挨拶に伺いたいと思う。今度は何を言われても……何とかして説得する」
頷く葵が家の中に入るのを見送り、俺はマンションに戻った。
ところが、会社の方では少々厄介な状況になってきていた。
折からの不況により、経営健全化を図る為に俺が配属されている京都支社を閉鎖して、大阪支社に統合するというのだ。 単にそれだけならば、俺が大阪まで通勤すればいいだけの話なのだが、現大阪支社と現京都支社に勤務する社員から
希望退職者を募るというものだった。早い話がリストラである。
京都支社閉鎖の話を聞いてから、絶対リストラされると思っていたのになあ……。まあ、必要とされているだけまだマシだろう。
そんな中、俺は京都支社長に直々に呼び出された。
支社長室には俺と京都支社長の他に、俺の直属の上司である部長、そして所用でこちらへ来ていた大阪支社長がいる。
だいたい想像していたのは、元々俺が武者修行みたいな気持ちで就職したから、この機会を幸いに俺をリストラさせるというものだ。
「成瀬副主任、実は……」
聞かされた内容は、俺も全く想像していなかったものであった。単なるリストラ、というのとは全く訳が違っていた。 ナルセスポーツ……要するに俺の実家が経営するスポーツ用品チェーン店……を買収する計画を立てているのだという。
俺達の世代……要するに第二次ベビーブームの団塊ジュニア世代が社会人になった今、実家はかなり苦しい状況に立たされていた。 俺が学生だった頃は、バブルの追い風に乗って新規店舗を出店したり……この程度で済めば良かったのだが、
スポーツクラブも作ったり、リゾートホテルを造ったりまでした。そんな訳で、大学時代はかなりリッチに過ごさせて貰った俺だったが、 今はスポーツクラブもリゾートホテルも閉鎖してしまい、本業に専念している。ただ、それもこれまでの借入金が
バブル崩壊で返せずに四苦八苦している状況である事だ。
確かに、親父は本業だけやってたらこれほど苦しまなくても良かっただろうに、どうにもいかなくなって、 何とか倒産を免れる為に借金を重ねてきたらしい。
そこで、大阪支社長が助け船を出す事になったらしいのだが、それと引き替えに、俺と京都支社長の娘とを 結婚させるというのが条件になったのである。何でも、今はその娘はナルセスポーツの本社に勤務しているとか。
それで、俺はどうなるのかといえば、親父には引退して貰って傘下に置いたナルセスポーツに新しく社長として就任するというものだった。 全くの他人だと、親父もなかなか首を縦に振らなかったものの、俺が出向という形で就任するのならば、という事で
ようやく買収に応じたらしい。これが本当の「寄らば大樹の陰」という奴か?
けれども、面識のない支社長の娘との結婚なんて、俺には全く考えられないし、相手だって俺の事を知らない状況で結婚する気にはなれないのでは? と考える。
そんな中、師走の平日にもかかわらず、俺は支社長の娘と見合いという形を取る事になってしまった。
いくら、大樹商事とナルセスポーツの間で取引があると言っても、この時期、悠長に見合いなどしても良いものだろうか?
十二指腸潰瘍が再発するのではないか、と思ってしまう状況の中、俺はその日の夜、実家に立ち寄った。
親父と一対一で話をしたい。出来る事ならば……今回の縁談はご破算にして欲しい。
葵との結婚を本気で考えるようになった今では、俺にとっては煩わしい話である。
しかしながら、俺が下手な出方をしてしまうと、俺はリストラされると同時にナルセスポーツも倒産、といった事態に陥ってしまう。
お袋が風呂に入っている間に、居間で俺と親父は話を始めた。
「いつもだったら電話も無しに晩飯食わせてと来る繁が電話を掛けてから来るとはな……」
親父ももう五十になるもんなあ。幸い、それほど禿げてはいないものの、白髪は結構増えてきたらしく、 白髪染めを使っているらしいが、生え際はどうしても白髪が交じっている。ナルセスポーツ存亡の危機に立たされて、一気に老け込んだ感じがする。
「俺な……今日、支社長に呼び出されたよ」
俺がその一言を言うと、親父もそうかといった感じで頷いた。
「繁も良い機会だから、この際身を固めたらどうだ? 一人暮らしで不摂生な生活を送っているから十二指腸潰瘍で倒れたりするんだ。 俺も近頃は高血圧に悩まされているものの……母さんが食事に気を付けてくれているおかげで倒れずに済んでいるんだ」
じいちゃんが作った店を、潰したくないという親父の意地なんだろう。それは俺も解る。けれども、どうしても一つだけは引き下がれない。
「折角だけど……買収されて俺が出向するっていうのは受け入れるで。それが別に社長じゃなくても、平でも。 けど……支社長の娘との結婚だけは勘弁して欲しい。だいたい、俺は向こうを知らないし、あっちだって俺の事を知らんはずや」
「だから、見合いをするって話が出ただろ? 確かに、繁の気持ちを無視してというのは申し訳ないとは思っている。 けれども、こうするしか会社を潰さない方法が見つからないんだ。それに、支社長のお嬢さんというのは……お前の事を知っているぞ」
「へ……誰だよ?」
「物流部の菅原若葉(すがわらわかば)さんって知らないか?」
菅原という苗字に心当たりがあるのは大阪支社長だけ。それなりに聞く苗字だが、俺の身近では他に思い当たらない。
「知らん」
そんなもん、俺がナルセスポーツの従業員の名前まで覚えているはず無いだろ。たまに手伝いに行くだけだから。
「前に、スピリチュアルの体操服を二千二百着発注してしまった事務員、と言うたら解るか? 今二十歳だが……割と繁の好みのタイプだと思うのだがな」
そういえば……そんな事があった。あの時、物流部長に怒られて休憩室で泣いていて、確か俺がコーヒーをおごったっけ。
「はいはい。あの子が支社長の娘か……」
世の中は広いようで狭い、というのをつくづく感じる。あの時、俺は単なる応援要員という事もあったのである程度の役職者しか名前は覚えていなかった。
変な話、あの時点でこの話が出ていれば、俺は見合いはおろか、結婚までしていたかもしれない。一生俺の本当の気持ちを封じ込めたまま。
「彼女、繁の事が偉く気に入ったらしくて……自らのミスに責任を感じたのか、父親であるおまえんとこの支社長に 助けを求めたんだ。それで、今回の話が持ち上がった訳だ」
「けど、俺は彼女の事は殆ど知らん。あの時、とんでもないミスで泣いていたからコーヒーおごって励ましただけやで。 それに……俺は今、結婚したいと思ってる女性が別にいるんや」
それこそ、親父と一戦交える覚悟だ。葵の名前を出して、一体親父がどう思うか。あの時、親父は葵の親父さんと骨肉の争いを演じたのだし。
「誰だ? 社内にそういう付き合いをしている彼女でもいるのか?」
「うちの会社と違う。スピリチュアル時代の同級生や」
そこへ、風呂から上がってきてパジャマを着たお袋が入ってきた。
「繁、あんたまさか……まだ葵ちゃんを?」
お袋はいち早く俺の気持ちに気付いたようである。お袋の言葉を聞いた親父の表情が強張る。
俺は力強く頷いた。
「もう星田さんの事は忘れるんだ。彼女自身をどうとかこうとか言うつもりはないが、 星田さんと結婚するというのがどういう事か解っているのか? それが為に繁も今迄かなり苦しんできたんだろう?」
「そうよ、繁。星田さんは、葵ちゃんと康行くんを結婚させたいと思っているのよ。その為にはあんたの存在が邪魔なの。 そうじゃなければ、医者の立場にあるあの人達が私達にああいう言い方をするのは普通考えられないわよ。
まだね、鳥野(とりの)くんみたいな人生を送っていたら、そういう言い方されても仕方ないかもしれないけれども、 あんたは世間的にはまっとうな人生を送っているのだから、あんな風に言われる筋合いはないのよ」
鳥野隼(はやと)……スピ中時代の同級生で、一年の前半は当時、かなり柄の悪かった俺ともつるんでいた。 ただ、あいつのやり方に我慢出来ずに俺は抜け、やがて二年後半には腰巾着だった栗丘萌(くりおかきざし)まで抜けた。
その一方で、あいつは俺だけではなく、葵ともドンパチをやっていて、挙句の果てに、葵の小学校時代の同級生だった 不良連中とつるんで、葵をこれ以上ない方法によって屈辱を与えた。それを知った時、俺はそれこそみんなのいないところ、及び
葵と二人きりの時に泣いてしまった。結局、鳥野は少年院に入れられたあと、出所してから真人間になるべく……というか、 実情を聞いたら真人間とは思えないのだが……まともな高校を出ていない為に、まともな職業には就けず、フリーター生活を送り続けた挙句、
今はあの時の連中と共にヤクザに囲われているらしい。それでもって、元同級生の高鍋悠子(たかなべゆうこ)と同棲しているというのを噂で聞いた。しかも、高鍋のヒモ状態。
「けどさあ、お袋だって親父を好きになって結婚したんだろ? 親父の方も。それやったら、俺だってホンマに好きになった相手と結婚する権利かてあるはずやろ!」
「繁!」
俺は実家を飛び出して、車を飛ばしてマンションに戻った。