〜空露澪さま(「とらぶるめーかーず」「ぶらいとわーるど メジロブライトの末脚」)から
「馬に描かれた館」10万アクセス記念:いただきもの〜
「とらぶるめーかーず」
番外編
19
二月になり、俺は正式に株式会社ナルセスポーツ代表取締役社長という肩書きを手にした。 それで、俺は葵と一緒に土曜日の午後という時間を利用して母校、スピリチュアル学園中等部へと向かった。
守衛さんに卒業生だという事を話し、来待先生が中等部長室にいると聞いた。
「そういえば、あたしずいぶん長い事来待先生に会うてへんなあ……」
「俺も年賀状、中元、歳暮のやりとりだけやぞ」
ここには、俺達の青春の一ページがある。かなり血気盛んだった俺は、事あるごとに当時の担任だった来待先生とは ドンパチをやって来た。有り難い存在だと思えたのは、担任と教え子としての繋がりも終わりを迎えようとしていた
中二の二月になってからだ。二度と口には出したくない葵の悲劇があり、俺もかなり無茶苦茶やってしまい、 それでも先生は俺を見捨てなかった。退学になってもおかしくない状況のところだった俺を、必死でかばってくれた。
中等部長室、早い話が校長室の厳かな感じのドアをノックする。
「来待先生、成瀬です。星田も一緒です」
「どうぞ」
返事を聞き、ドアを開けて葵と共に中に入った。
少々髪の方が薄くなっているものの、来待先生は中等部長としての風格が出てきている。
小学校時代の先生や、中三以降の担任の先生は俺にとってはイマイチ印象が薄い。俺が一番無茶苦茶していた時代に 俺の担任を受け持った悲劇があったにもかかわらず、真っ正面から俺と向き合ってくれた唯一の先生だ。
葵と同じクラスだったのは他に中三と高三の時だが、中三は女性教諭、高三は男性教諭だが未だ独身……というわけで 仲人には来待先生しかいないと考えたのだ。
「良く来たな。成瀬も星田も。まあ、座れ」
「失礼します」
見事に俺と葵の返事がハモり、先生が思わず笑う。
「相変わらず見事なコンビだなあ……」
「冷やかさないでくださいよ、先生」
と言いつつも俺は葵と並んでソファに腰掛ける。
「……何だかんだと言ってもな、俺はお前達の時のクラス、二Dを今でも忘れられないよ。特にお前達は」
確かに、俺の中二の頃はアホな事ばっかりやってきた。葵はしょうもないいたずらはしていないものの、 副委員長だったし、俺と一緒に一応クラスをまとめる立場にあった。登山キャンプの時に、遭難しそうになって
葵と二人きりの一夜を過ごしたり、創立記念日、丁度あの日は死んだじいちゃんが退院する日で 手伝いに行こうと思ったら、間違って学校へ行こうとしていた葵に会って、一緒に紅茶を飲んだり、
アイススケートをした時は葵もろとも転ばされたり……。
「あの事件があった時……私、ここを退学しようとまで考えていたんです。 でも、あの時はここに居る成瀬くんをはじめとして、トラブルめーかーずのみんながあたしを必死で守ってくれて、
来待先生も私の家までいらしてくださって……必死に説得してくださらなかったら、私はおそらく、 自殺して既にこの世にはいなかったでしょう。完全に立ち直るのに、四年ほどかかりました。
あの頃からの友達は……私にとっては大切な財産です」
「正直……あの時は本当に心苦しかったが、今の星田の表情を見て安心したよ。 近頃は……星田や成瀬のようにいじめを見てもかばう生徒が居なくて、ふがいなく思っているんだ。
それに、うちの学園ですら、援助交際をして停学処分になる女子生徒まででる始末だ。 この日本の未来はどうなるんだろう……全く」
そろそろ本題を切り出そう。
「先生、実は……僕達、この五月に結婚する事になりました」
「そうか! とうとう成瀬も身を固める気になったか……。まさか、星田を妊娠させたからとかじゃないだろうな?」
「違います! 僕は無実です……ちゃんと僕は……その……葵を……愛していたから……でも……ちゃんと……避妊は……」
あかん、首から上が熱くなってきた……。ちゃんと恋愛したから結婚する気になったのだと言おうとしたのに、 我ながら自分でもとんでもない発言である。
葵も真っ赤になって俺に突っ込む。
「馬鹿っ! そんな恥ずかしい事言わんといてよ!」
「……相変わらずだな、お前達は。けれども、良かったな。心からおめでとうと言わせてもらう」
礼を言う為に、俺は小さな深呼吸をする。
「有り難うございます。それで、来待先生には僕達の仲人役をお願いしたく、こうしてご挨拶に伺った次第です」
中一から中二に掛けての俺はとにかく反抗しまくりで、来待先生に対してですらタメ口を聞いていたのだ。 「そういうおめでたい話だったら、喜んで受けさせてもらおう。しかし……成瀬も立派になったものだな。
チビのくせにやたらと喧嘩っ早かったのに、ずいぶん背も高くなって……。しかも聞いたところによると、 お父さんの跡を継いだそうじゃないか」
中二の前半頃から比べると、俺の身長は約三〇センチ伸びている。あの頃は来待先生を見上げて上目遣いで いてたのに、今では立ち上がったら俺の方が見下ろしている始末だ。
「いえ、まだまだご指導いただかないといけない点は多数ありますが……」
「成瀬からそういう言葉を聞けるとは思わなかった。しかしながら、あの二Dがあったからこそ、 二人を結びつけたのかもしれないな」
「はい、その通りです」
葵が笑顔で答える。
「それで……結納とか挙式は?」
「結納は三月八日、挙式は五月十七日を予定しています。入籍は一応五月三日にしようかと思っていますが」
「五月十七日って、成瀬くんの誕生日なんですよ」
葵が言うと、来待が笑い出した。
「相変わらずだなあ成瀬は……自分の都合の良いように事を動かそうとするところは」
俺は来待先生の言葉に苦虫をかみつぶす。
「良いじゃないですか、こうしたら絶対に結婚記念日を忘れないでしょう」
「まあ、数学の成績は星田の方が上だったからなあ……」
相変わらず痛いところを突いてくる。私立文系しか進めないような成績だったから仕方がないが。
「しかしながら、二人の元気そうな顔を見られて良かった。またいつでもちらっと顔を出せよ」
「はい、有り難うございます」
中等部をあとにして、俺は葵と一緒に本屋に立ち寄った。市内でも有数の大型書店。 それこそ、様々なジャンルの専門書が並んでいる。
肩書きが一気に副主任から失業中を経て社長というとんでもない変化に、この俺でも少々戸惑いは隠せない。 大学時代のカリキュラムでは経営学も当然ながら選択した。どっちにしても将来的に俺が継ぐ事になっていたのだから。
ただ、本来なら俺が四十ぐらいになる頃に社長になるものだと思っていた。 それまでは例えもっと早くUターンしたとしても、親父についてしっかり実務を通じて学ぶつもりでいた。
式の日取りを決めた次の日から、引き継ぎという形で親父からは一通り教えてもらったものの、 二週間という期間は余りにも短かった。で、親父はといえば大型免許を持っていた為に長距離トラックの運転手になった。
お袋も親父が辞めた以上会社には残れないので、大型スーパーの婦人服売り場のパートをする事になったのだ。
大学時代、どうせ会社経営なんてまだまだ先の話だとタカをくくって提出すべきレポートだけ 同じ科目を選択していた学生のコピーを借りてろくに勉強もせずにちゃっかりと単位だけは取ってしまった事を後悔する。
「今頃になって、学生時代にもっと真面目に勉強したら良かったって思うなんて……」
高校時代まで、数学が大の苦手で数学だけは赤点の常連だった。中学から高校までは数学の追試に出なかったのは 皆無に近いと思う。他の科目の追試は数えるほどだし、得意の英語は一度も呼び出されなかったのに。
「何、経営理論……企業戦略に経営管理……!? あっ、そうか。繁も一応社長だもんね」
葵がまだ信じられない、といった感じで俺を見る。
「一応だけ余計や。商学部の方が苦しまんかったかもしれへん」
「でも、経済学部でも関係あるような事は勉強したんでしょ?」
「留年せんように単位取るんが必死やったんや。俺、ちょっと参考になりそうな本選んでるし、 お前は好きな売り場行っててええで。適当に雑誌でも立ち読みしてろ」
「うん、解った。あたしがあれこれ言えるような事勉強してへんもんね、学部が学部やし」
葵は他のジャンルの書籍の売り場へと向かった。まあ、俺にしても一回生の後期には 専門基礎科目としてミクロ経済学とかを学んだ訳だし、人並みの知識はあるつもりだ。
葵は人文系の学部を卒業しているので関連性は俺よりも少ない。だから、余り口出ししないのだろう。
様々な専門書を手にしてぱらぱらとめくり、なるべく今の俺にとって必要な情報が書かれた書籍を数冊選んだ。
それで、レジに向かう前に葵がどこにいるかを探す事にした。葵の事だから社会科学の専門書の売り場にいるとは思えない。 もっと一般向けの売り場にいるだろう。女性向け雑誌のところを探してみたが、葵はいない。
そうだ、葵って一時期やたらと車に熱を上げていたし、今だったら競馬に熱を上げているから、 と思って車とか競馬関係の書籍の売場も見たが、やはり葵はいない。実用書の方かな?
実用書、妊娠、出産、育児関係の書籍が並んだコーナーに葵を見つけた。
しかしながら、葵が立ち読みしていた本を見て俺は少々引いてしまった。
「葵」
俺が声を掛けたので、葵は驚いたように慌てて本を閉じて元あった棚に戻したのだが…… やはり、開いていたページがページだけに葵もかなり赤くなって俯いている。
よりによって、葵が読んでいた本が初めての妊娠と出産に関する本で、しかも開いて必死に読んでいたのが妊娠中の夫婦の夜の営み……まさか……。
「お前……その……折角授かったんやったらおろしたりなんかするなよ。俺とお前の子供なんやし…… まあ、ちょっとフライングって事で……あれがちょっと穴あいてたんかもしれんし……
でも、そうなったらウェディングドレスのサイズとか考えなあかんのと違うか?」
他の客に聞かれないように、声を潜めて葵に言う。今、妊娠が解ったのだったら 五月だとそれなりに下腹は大きくなっているだろう。今の葵のウエストでウエディングドレスだって発注しているはずだし。
葵がキープしている何冊かの本を見て、俺は絶句した。赤ちゃんの名付け本とか、育児の本とか、不妊治療に関する本まで!?
「ちょっと……早過ぎひんか? そういう本買うのは妊娠解ってからで十分やろ。 それに……不妊治療って、何でや?」
「だって、あたし……生理が乱れても、妊娠した事一度もなかったのよ。ひょっとしたら……あたし、不妊症じゃないかって思うの」
「お前のお袋さんはそっちの専門やろ。それに俺は何となくお前の些細な態度とかで周期を感じ取ってたぞ。 絶対に避妊せんとあかん時とか、逆にコンドームだけでも大丈夫な時とか……」
あかん、こんな話本屋でするような内容じゃないだろ。
さすがに葵も気恥ずかしくなったらしく、妊娠&出産本と名付け本を手に俺と一緒にレジに向かった。 ただし、やはり少々抵抗があるのか、勘定の時は俺から少し離れて並び、出入り口で再び葵と合流して
本屋をあとにした。
バレンタインデー当日には俺のリクエストにより、葵は十二年ぶりに手作りのチョコレートを俺の為に作ってくれた。
中二の時、俺の為に作ったチョコレートが大失敗だったとかで、ちょっとした過ちを犯した葵。 そんなのがあったので、次の年からは葵からもらうのは洋菓子屋の高級チョコレートだった。
でも、俺がホンマに欲しかったのは世界に一つだけの葵が俺の為に作ってくれたチョコレートである。
葵のチョコレートを味わった場所……それは実は京都競馬場だった。
この年のバレンタインデー当日は丁度土曜日で、底冷えがまだゆるまない時期の京都開催。 京都記念は次の日なのだが、実はこの日、少々気に掛かる馬が東京競馬のメインレースに出走していたのだ。
サイレンススズカ。東京のこの日のメインレース、バレンタインステークス……重賞でもない、オープン特別だが ……に出走する。メジロブライトなどと共に、ダービーにも出走した馬。大物と言われながらも、
これまでは自らの持ち味を十分に生かし切れたとは言い難い戦績だった。
しかしながら、単なるオープン特別にもかかわらず、武豊がわざわざ東京で騎乗するぐらい期待を寄せていたのだろう。 圧倒的一番人気に応えて、逃げ切り、それも四馬身差を付けての快勝であった。
元々陣営は当初からこの馬が中距離馬だと認識していたらしい。菊花賞は最初から出走せずに 四歳秋は天皇賞に出走した。おそらく、宝塚記念や秋の天皇賞ではメジロブライトの前に大きく立ちふさがるだろう。
現五歳牡馬はスペシャリストが多いように思う。長距離で本来の輝きを見せたメジロブライト。 中距離での逃げでその天才ぶりを見せつけたサイレンススズカ。短距離・マイル路線には優等生ぶりを発揮しているタイキシャトルがいる。
クラシックディスタンスにはシルクジャスティスがいるし、サニーブライアンも故障さえしなかったらと悔やまれる……。
牝馬だって、この世代は中距離ではメジロドーベルが最強だし……えっ、一つ上にエアグルーヴがいるって? ほっとけ。 マイルのキョウエイマーチ、短距離のシーキングザパール。七年ぶりに牡馬牝馬共にクラシックを追っかけたせいか
かなり思い入れが深い。七年前はメジロライアンしか見ていなかったから、牝馬はそれほど覚えていないのだが、 それでも漫画の熱愛説で有名になったダイタクヘリオスとダイイチルビーはライアンと同世代だ。
この日、やはりバレンタインデーというのもあったから、俺は奮発して大津市にある俺達が披露宴を予定している シティホテルの最上階で夕食を取り、その後は予約しておいた部屋で一夜を過ごす。それも……ダブル。
少々下心が見え見えかもしれないが、どうせ三ヶ月後には夫婦になるんだ。
葵は窓から琵琶湖を見渡せる夜景に見とれている。俺なりに考えた、一般的に女性が一番喜びそうなシチュエーション。 葵が手作りチョコレートという俺のリクエストに応えたのだから、俺だってそれなりの事はしなければならない。
たまに、男女平等を勘違いしている女がいる。みんながそうだとは言わないが、そういう考えをするような女に限って、都合が悪くなると女だからという理由で 逃げようとする。なのに、同じ仕事をしているという理由で同じだけの給料を貰えるはず、
女性だけ出世が遅いのはおかしいとかというそいつなりの正論を並べ立てる。それでいて、男が女におごるのは当たり前だと思っている奴。
悪いが、そういうタイプの女はこういうシチュエーションを演出するだけの値打ちがない。 何かしらのイベント関連の日、今夜のようなバレンタインデー、誕生日、クリスマスイブをシティホテルで過ごすには金が勿体ないと思う。
葵は小学生の頃、なまじっか頭が良すぎたばっかりに同級生の反感を買った事があるらしい。 付き合い始めた中二の頃は、女の子だからという言葉に反発もしていた。でも、体育祭のあと、一緒にレストランに行った時は
俺がおごろうとしたらまだ中学生だから割り勘にしようと言ってくれた。大学時代だと、デートで俺がおごった時はちゃんと礼も毎回言ってくれていたし、 その代わり、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントだってブランドものの財布だとかをもらったりしている。
ただ、就職した年の誕生日プレゼントは封も開けずに葵に送り返してしまった。今から思えば、かなり酷い事をした。
俺は背後から葵を抱き締めた。
「繁、見て。綺麗な夜景ね……」
「葵に見せるだけの値打ちがあると思ったから」
「明日で……丁度十三年になるのね。スピ中の廊下でぶつかった……」
二月十五日。良くも悪くも色々な意味での俺と葵の記念日である。
十三歳の時は葵の事を知りたくて、康行を付き合わせて早く登校したところ、 肝心の葵が遅刻寸前で飛び込んできて正面衝突。
十四歳の時は耐寒遠足で葵が不良どもに乱暴されてしまった。思い出したくもない出来事だが、葵はその後何とか乗り越えてくれた。
十八歳の時は葵と初めて一線を越えて一緒に朝を迎えた。
二十一歳の時は葵に最初のプロポーズをした。ただし、その時はあとで葵の両親に猛反対されたのだが……。
そして二十六歳の今年は独身最後の記念日だ。一番幸せだと思えた八年前と同様、今年も葵と二人きりで過ごす。
五年後、十年後、二十年後、三十年後、四十年後、生きてたら五十年後も葵と一緒に過ごしたい……。