〜空露澪さま(「とらぶるめーかーず」「ぶらいとわーるど メジロブライトの末脚」)から
「馬に描かれた館」10万アクセス記念:いただきもの〜
「とらぶるめーかーず」
番外編
20
三月には葵と一緒に阪神競馬場まで行った。阪神大賞典を生で観戦する為だった。
その間に、当然ながら残り二ヶ月を切った式の準備というのも進めていて、招待状も送って出席の返事をもらっている。 招待客の中には、康行も当然含まれている。
しかしあいつの立場で考えてみれば、かなり嫌みかもしれない。結婚寸前までいった葵を、俺が奪ってしまったのだから。
今年もあいつからは年賀状が届いたものの、それまでは一言二言、手書きで挨拶文を入れてくれていたのが 今年の年賀状だけはそれがなかった。俺の方も、出したもののどう書いて良いのか解らずに義理か厄介のような年賀状になってしまったのは事実だった。
けれども今、葵の左手の薬指には俺が送ったエンゲージリングがしっかりとはめられている。
遥の司法試験合格祝い以降、康行には会っていなかった。俺自身が色々あったのもあるが、 葵との結婚を決めてからというもの、恐いくらいに俺自身に幸運が転がり込み続けたのだ。
葵の両親に結婚を認めてもらっただけではなく、資金援助までしてもらったし、葵に対する生前分与と 俺自身のそれまでの貯金を出し合って結婚後の家も買った。丁度、俺の実家と葵の実家の中間あたりの場所で駐車場も二台ある。
こんな状態で俺が康行に会うのはすごく気が引けたのだ。一つ間違うと、十四年間の友情をぶち壊しにしてしまうかもしれない。 聞くところによると、康行はもうすぐ終わる研修医としての過酷な勤務にひたすら耐えているらしい。
マンションに帰らない事もしばしばだという。内科系の様々な科のローテーションの結果、当初の康行の希望通り、 四月からは星田病院の小児科医として勤務するという事だ。ただ、菊花賞前夜に言われた言葉、
俺との友達付き合いを続けるなら、プライベートで葵と逢わないで欲しいというもの。 思いっきり逢っているので、康行に会わせる顔がないのだ。健や翔一とは一度、会ったのだが……。
パドックは朝早くから来て陣取っていたのもあってメジロブライトをまともに見る事が出来た。京都新聞杯以来だ。
「久しぶりのブライト……葵、お前……菊花賞見に行ったんやろ?」
ところが、葵の返事は意外なものだった。
「それが……行ってへんの。あの日、何とか午前中で仕事を終わらせて、昼からは家のテレビで見ていたのよ。 でも、最後の直線で思ったほど伸びないブライトに……どこかあたし自身が重なったの。
菊花賞ではとうとうクラシック主役の座を追われてしまった。共同通信杯を勝った時は 三冠取れるとまで言われた事もあったのに……」
「お前がブライトやったら、俺は河内になるで。単勝一倍台でも、記念馬券としてブライトの単勝百円ずつ買おうぜ」
マークカードに阪神11レース、単勝の三番を百円だけマークしたのを二枚購入する。
それとは別に払い戻し用では単勝で一万円つぎ込む。二万円にも満たない配当でも構わない。俺はブライトを応援する為に単勝を買うのだから。
さすがに複勝は元返しの可能性が高いのでアホらしいが。枠連及び馬連はどう考えても相手にはシルクジャスティスを指名するしかない。 他の馬とは格が違いすぎるのだ。阪神大賞典は春の天皇賞を見据えたレース。二年前にはナリタブライアンとマヤノトップガンが
マッチレースを繰り広げたように、大抵本命決着である。
そして、今年マッチレースは再び訪れた。当然ながら主役はメジロブライト、ライバル役はシルクジャスティス、その他の馬はエキストラ。 二頭がゴール版を駆け抜けた時、僅かながらブライトがジャスティスを鼻差で凌いでいた。
俺も葵も相当熱くなっていて、直線でのガチンコ勝負の一騎打ちでは大声でブライトに声援を送っていた。 確定の赤ランプが灯った時には、俺は葵とハイタッチをした。五月三日の夜に入籍届けを出す俺達の姿がおぼろげながら見えてきた。
二週間後は再び葵と一緒に阪神競馬場にやって来た。大阪杯、メジロドーベルが出走するから。メジロドーベルの単勝と エアグルーヴとの馬連を今回は少々チビってドーベル単勝が千円と馬連が千円。変な話、葵は比較的冷静にレースを分析していた。
逆に俺の方がドーベルに参ってしまっている状態だ。確かにグルーヴは強い。ただ、有馬以来の初戦となるグルーヴに対し、 惨敗したものの日経新春杯を使っていたドーベル。つけ込むとすればそこしかない。結果、グルーヴが勝ち、ドーベルが二着、三着にはイシノサンデーだった。
こちらも馬の格の違いをまざまざと見せつけたレースだった。
「繁、エリモシックって……このレースで引退するのよ」
感慨深げに葵が言った。そのエリモシックは五着である。昨年、エリザベス女王杯を勝ったのだから牝馬としては立派な戦績である。 同期にとんでもないキャリアウーマンがいた為に、G1はおろか重賞勝利は一つにとどまったが。二着なら秋華賞やエアグルーヴの後塵を拝した札幌記念がある。
繁殖入りを目前にした引退レース、無事にゴールすればいいというものだったのだろう。
葵も既に三月一杯で病院事務を退職し、専業主婦になる事が決まっている。そのせいもあり、記念にエリモシックの単勝を百円だけ買っていた。 馬券勝負用はしっかりとエアグルーヴの単勝を買っていたのに。
「お前の連れにはエアグルーヴみたいな生き方してる奴もおるけど、エリモシックみたいな生き方もええもんやで」
エアグルーヴをはじめ、その上の世代ではダンスパートナー、更にもう一つ上はヒシアマゾンなど牡馬顔負けの牝馬もいる。 でも、ダイイチルビーの初仔、ダイイチシガーはグルーヴと同じくトニービンを父に持った良血だが、
オークス三着のあとひっそりと引退してしまった。華麗なる一族の末裔ながらも、母、祖母、曾祖母には遠く届かなかった。 でもいいではないか。ひょっとしたら、忘れた頃にこの牝系の血が蘇るかもしれない。どうせなら、ライアンと交配してくれと思うのは
個人的ファン心理なので余り大っぴらには口に出来ないが。
それから四月一杯までというものは、俺が仕事をしている間、葵はブライダルエステに通っていたらしい。 そのせいか肌もつやつやしてきていたし、より女らしい体型になっていた。ウェディングドレスを着た葵の姿……早く見たい。
ゴールデンウィークまっただ中の四月二十九日、俺はこの日引越しをした。それと同時に、葵の荷……タンスや家電製品、パソコンも受け入れる。
木造二階建て、一階はLDK、来客用和室、トイレ、洗面所、浴室。庭から裏に回れば納戸がある。二階は洋間が三部屋。一部屋は将来の子供部屋、あとの二部屋のうちの
一部屋は、奥の部屋は手前の部屋を通らないといけないので手前が共通で使うパソコン部屋……将来の子供の勉強部屋含む……、奥を俺達の寝室にした。
レイアウトの方は葵のばあさんの家相も考慮した方が良いとか言ったが参考程度にとどめ、使いやすさ重視で買った。家の名義は俺と葵が半分ずつという扱いだ。 葵と一緒に近所への挨拶回りも済ませた。一応、三日から葵がこっちに住む事になっている。
葵が契約しているプロバイダは四月一杯で解約し、俺が契約しているプロバイダに家族会員として追加する形を取った。
葵もそれに合わせてホームページ「サロン ブライト」は一旦閉鎖すると言ったのだ。ただ、メジロブライトがこれほど活躍している時に 閉鎖というのは余りにも勿体ないので、俺のホームページスペースの一部を利用して「サロン ブライト」を残す事にした。
それで、四月半ばから移行措置として旧サロン ブライトのトップページは移転案内を残し、メジロライアン大事典内にmejirobrightというフォルダを用意して
そこへ暫定的にサロン ブライトをアップロードした。メジロライアン大事典のトップページからリンクさせて。 さすがにこれには他のネットの常連さんは驚いたらしく、メールでの問い合わせが殺到した。
そこで、俺はメジロライアン大事典にご挨拶と称したページを入れた。
いつも、「メジロライアン大事典」並びに「サロン ブライト」をご利用いただきまして誠に有り難うございます。
この度、私事で恐縮ではございますが、メジロライアン大事典管理人、ライアンの息子と サロン ブライト管理人、Hollyhockは五月十七日付で結婚する事になりました。
ですが、もしもメジロブライトが春の天皇賞を勝てば、私達は五月三日のうちに婚姻届を提出いたします。
それに伴い、サロン ブライトはURLが変更になりました。新URL並びにHollyhockの新メールアドレスは以下の通りです。
仮URL(5/31迄残します) http://www.xyznet.ne.jp/~mejiroryanjunior/mejirobright/
新URL(5月中にオープンします) http://www.xyznet.ne.jp/~hollyhock/
Hollyhock新メールアドレス hollyhock@xyznet.ne.jp
私とHollyhockを結びつけたのは、お察しの通りメジロブライトです。一緒に応援するうちに、互いに惹かれ合いました。
これからもどうぞ、私達に暖かいご指導、ご声援の方をお願いいたします。
1998.4.29 ライアンの息子
このような挨拶文を入れたところ、特にメジロブライトのファンの常連さん達からはメール並びに掲示板にて 暖かい祝福のメッセージを頂いた。それと共に、メジロブライトが春天を勝って二人への結婚祝いになればいいですね、
という書き込み。幸い、今の常連さん達は良識のある方ばかりなので、掲示板に俺達を冷やかす 卑猥な書き込みがあると、いち早く俺にメールで知らせてくれたのでこっそり削除しておいた。
そして、五月三日の春の天皇賞当日。俺も葵も気合いを入れて京阪電車の初電で淀へ向かった。
二人で作ったメジロブライトを応援する横断幕も持って。この年、京都競馬場のスタンド工事の為、 入場券は前売りだったというので葵に買ってきてもらったのだ。
開門と共に、横断幕の掲示許可を貰ってパドックに掲げ、スタンドの方も二人の席をキープしておいた。
──末脚よ、届け。そして、輝け! メジロブライト
勝負服に合わせて、白地に緑のゴシック体の文字である。
とりあえず、場所取りしておいたスタンドで馬券検討に入る。当然ながら、本命はブライト。それでもって対抗。 俺はまずシルクジャスティスとダイワオーシュウが思いついたのだが……。
「あたし、ジャスティスの馬券は買わへんで。ダイワオーシュウも切る。ブライトの相手はユーセイトップラン、 ローゼンカバリー、マイネルブリッジ、それと二着ならあるかもしれないステイゴールド」
葵がアンチジャスティスって訳で、買わないというのは良いとしても、ジャスティス、オーシュウ切ってそれで ステイゴールド買うのか? しかしながら、葵は既に確信みたいなものをもっているようで、全く馬券検討に対して迷いは持っていないらしい。
「ステイゴールド? 最後に勝ったんって九〇〇万条件の阿寒湖特別やで。菊花賞じゃお呼びや無かったし」
メジロブライトが三着、シルクジャスティスが五着だったのに対してステイゴールドは八着ではないか。 ひょっとしたら晩成馬の可能性もあるだろうが、ここではちょっと力不足だろ、というのが俺の見解だ。
「うーん、でもね……どういうのかな? 前走の日経賞では四着だったけど、それまでの四走がずっと二着なの。 だから、何となく……来るかな? っていう予感がするの。だから、あたしはメジロブライトの単勝五千円と
馬連でブライト軸に今言った四頭千円ずつでいくわ。残り千円はブライト複勝」
「俺なあ……ブライトから流すのは一緒や。総流しにしたいところやけど、 さすがに七歳以上の馬は来いひんやろう。五歳、六歳馬に流す。あっ、でも長期休養明け二走目のマイネルワイズマンはいらんか。
イシノサンデーも中距離のイメージがあるからなあ……マウンテンストーンも連はちょっとって感じやし、ユーセイトップランもいらん」
ユーセイトップランは元々河内のお手馬だ。でも、前走の阪神大賞典でもブライトとかぶった為、前走と今回は 幹夫が騎乗している。勝てる見込みがあるから河内だってブライトに騎乗してるんだ。
ステイゴールドも当初、切るつもりだったのだが葵の言葉でどうしても切れなくなってしまった。
けど、オッズを見たらなかなか美味しいではないか。ブライト単勝五千円は葵と同じく、 馬連はシルクジャスティスには二千円、ダイワオーシュウ、ローゼンカバリー、ステイゴールドに各千円ずつ買う事にした。
馬番馬名入りTシャツを二枚買う。俺の分と葵の分。こんなペアルックも珍しいかもしれない。
昼飯を食って、いよいよパドックに陣取る。葵はこの日の為にデジカメを購入したというのだ。 パドックでのブライトの写真を撮り、ホームページにアップするのだとか。
当然ながら葵は撮影時のマナーというのは心得ていて、フラッシュをオフにして撮影している。 京都競馬場のパドックって円形で、比較的間近で馬を見る事が出来るのだ。
一昨年の秋華賞で、圧倒的一番人気を背負ったエアグルーヴがパドックでのフラッシュ撮影にすっかり我を失った状態となり、 派手に入れ込んでいた様子がテレビでも映されてしまった。レース中の骨折というアクシデントがあったにしても、
精神的ダメージも相当大きかったと思われる。以来、パドックでは係員がフラッシュ撮影禁止のプラカードを掲げる始末だ。
この混みようでは本馬場入場に間に合わないと困るので、さすがに停止合図がかかって河内が騎乗してからの 撮影は葵も断念したらしい。俺は葵と手を繋いでスタンドへと向かった。
本馬場入場、シルクジャスティスが三枠四番、メジロブライトが四枠五番の為、この二頭が紹介されると立て続けに 大歓声が起こる。馬券人気の方はシルクジャスティスの方が上だった。何と言っても、昨年のグランプリホースだ。
長距離適性はブライトの方があるように思うのだが、阪神大賞典では斤量差が一キロあったのに、着差が鼻差。 叩き良化と斤量差が無くなるのを考慮されてジャスティスが一番人気なのだ。
いよいよファンファーレが鳴った。各馬がゲートに入る。ゲートが開いた。 ファンドリリヴリアが逃げるものの、ペースは異様に遅かった。ブライトは中団の位置で、ジャスティスはやや前にいる。
そして、最後の直線。
「ブライト!!」
「ブライト、差せーっ!」
俺も葵も我を忘れて絶叫する。ブライトは直線で外に出し他馬とは全く違う力強い伸びを見せる。
意外に伸びあぐねるジャスティスとは対照的に猛追するローゼンカバリー、そして、ブライトの勝利が確実となったものの、 同じ脚色で伸びているのはステイゴールドだった。
真っ先にメジロブライトがゴール版を駆け抜けたのを確認し、俺達は抱き合って喜んだ。
応援し続けていて、良かった……。勝ちタイムが歴代の優勝馬よりも遅いと穿った見方をする奴もいるかもしれないが、 そんなもの知らない。メジロブライトは俺と葵にとっては一番の名馬なんだから。
確定の赤ランプが灯り、払戻金が発表されると少々ざわめきが起こった。昨年の三強鉄板ムード、マヤノトップガン、 サクラローレル、マーベラスサンデーの本命決着とは違い、両雄並び立たずの結果となった今年は
単勝こそ二三〇円だったものの、馬連は四七七〇円を付けた。
俺達は天皇賞の表彰式を見届けた後、ホクホク顔で払戻機に並ぶ。俺も葵も五九二〇〇円を手にした。
気分良く横断幕を片づけ、家に帰った。
「葵、約束通り……今から区役所へ婚姻届を出しに行こう」
「うん」
引き出しから、既に必要事項を全て埋めてある婚姻届を出した。俺と葵の署名及び捺印もしてある。 不備がないかを確認し、婚姻届を手に俺の車で区役所へと向かい、無事に婚姻届の提出を済ませた。
「とうとう、あたしも今から成瀬葵なんだね……まあ、一応あと二週間は表向きは星田葵のままやけど」
「表向きとは認められへんでも……一応二人きりでパーティしようか」
「うん……」
そんな訳で家でビールを飲んで寿司を食っての二人きりのパーティ。
そこへ、電話がかかってきた。何だよこんな時に。いたずら電話だったら絶対怒鳴ってやる。
葵は録画していた今日の天皇賞のテレビ中継のビデオを必死に見ている。メジロブライトへの熱の入れ様は半端ではない。
「もしもし」
──繁? ごめん、こんな時に電話して。康行です。
「康行!? 久しぶりやな……」
──おめでとう。いよいよ再来週やな、結婚式。おめでとう。ホンマは今日、結婚祝を持って行こうと思ったんやけど、朝とか昼に電話してもずっと留守やったやろ。
朝とか昼なら留守で当然だ。京都競馬場にいたのだから。
──こんなに遅くから悪いけど、一応今日……大安やし、次の大安やと仕事があるから悪いけど、今から届けに行きたいんや。 それで……家の住所、教えて。葵にも届けようと思ったけど、肝心の葵が居いひんかったんや……。
そりゃそうだ。葵はずっと俺と一緒だったし。
「解った。おまえんとこのマンションあるやろ? そっから東にずっと進んで二〇〇メートルほどのところ。 田圃がつぶれて新しく何軒か家が建ってるんや。三軒並んでる角やし。成瀬って表札出してるからすぐ解ると思う」
──解った、そしたら今からみんなで行くから。それじゃ、また後で。
そう言って、康行は電話を切った。しかし……みんなでだと?
それから五分ほどして、ベルが鳴り、葵が玄関に出た。
「あっ、康行くんだわ。はーい」
俺も葵について、玄関に向かい、葵がドアを開けると……顔を出したのは康行だけではなく、翔一、遥、チーコもいる。