〜空露澪さま(「とらぶるめーかーず」「ぶらいとわーるど メジロブライトの末脚」)から
「馬に描かれた館」10万アクセス記念:いただきもの〜
「とらぶるめーかーず」
番外編
7
ダービー前日、既にHollyhockさん……葵とのオフの約束も具体的に決まり、俺は京都駅八条口で葵を待っていた。
時計の方は十二時五〇分を差している。約束の一時まであと十分。
俺は携帯を取りだして、葵の携帯に電話を掛けてみた。
──もしもし。
葵の声が聞こえた。
「Hollyhockさんですか? ライアンの息子です」
──あっ、どうも初めまして! Hollyhockです。
「今、どこにいらっしゃいますか?」
──先程京都駅について、電車を降りたところです。もうすぐそちらに到着します。
「そうですか。八条口の改札前に、皐月賞の時の馬番馬名入りTシャツを着ていますのでそれを目印に来て下さい」
──解りました。それでは後ほど。
「あっ、ちょっと電話を切る前に……葵、俺の声……まだ解らへんか?」
──えっ、ライアンの息子さんですよね? どうしてあたしの本名を……。
葵の声に、驚きと疑問の感情を感じとる。
「そうやけど、本名、何でライアンの息子が知っているか考えてみろ」
──ライアンの息子さんって、まさか……繁なん!?
やっと気付いたか。と、そこへ改札口に殺到する人の波が訪れた。その中に葵を見つけた。
「当たり。それじゃ、待ってるで」
改札口を出た葵が、俺を見つけて走ってきた。
中二の時、星田駅に呼び出して告白した事を思い出した。それから付き合い始め、 数度の別れとよりを戻すのを繰り返しつつ、現在に至っている。
葵は俺をまじまじと見つつ、目を白黒させている。信じられない、といった表情だ。
これが証拠とばかりに、俺はダービーの入場券を二枚出して葵に見せる。
「ほら、入場券、お前の分もある。……まさか、hollyhockさんが葵やったとは。俺も迂闊やった。hollyhockを辞書で引いたらタチアオイって書いてあったもんな」
のぞみの普通車の指定席券を二枚買い、新幹線の改札口から11番、12番線のホームに出た。
邪魔にならないように、俺も葵も着替えなどの必要最低限のものしか持っていない。 カジュアルな私服だけで良いのは非常に楽だ。俺達が乗る新幹線が到着し、二人がけの席に座った。
当然ながら窓側に葵を座らせる。
新幹線が発車し、窓の景色を眺めていると必然的に葵も視界に入る。
一つ目のトンネルを抜け、実家の方を眺め、二つ目のトンネルを抜けるともう滋賀県になる。
「でも、何であたしがhollyhockって解ったん?」
「アホか、お前は。俺宛に出したメールの差出人のメールアドレスと、 ライアンの息子宛に出したメールの差出人のメールアドレスが一緒やったんやぞ。 しかも、俺に来たメールの差出人、hollyhockって書いてあって、最初の一行目でしっかりお前やって名乗ってるし。
それでなおかつ、ライアンの息子にはhollyhockとして愛の告白までしてくれるし……。照れくさいの通り越して笑たぞ。 お前……俺にライアンの息子の事で恋の相談して、それと同時に俺に告白してるんやぞ。こんな大ボケ知らんわ」
葵の奴、俺の言葉で顔がみるみる朱に染まる。
「知っててあたしをからかったの!」
葵は大声を上げたものの、新幹線の車内だと気付き、ちょっとばつが悪そうにしている。
「まあでも……七年ぶりやな。一緒に競馬見るの。あれからお前は競馬に付き合うてくれへんようになったし、 お前と別れた後に付き合うた彼女も、あんまりええ顔せえへんかったし」
しかしながら、葵は少しばかり不足そうにしている。
「桜花賞の夜、何て言うたか覚えてるでしょ? なのに、なんで知っててあたしを誘ったの?」
「確かに俺はもはやお前を愛してへんけど、それでもライアンの息子としてなら、Hollyhockとは メジロブライトのファン同士という絆が残されている。一緒にブライトは応援出来る。それが理由や」
それを聞き、葵はふんふんと頷く。
「まあ、あたしもブライトのダービーは生で見たいから……」
「ライアンの果たせなかった夢を……ブライトが叶える。七年競馬続けてて、ようやく新たなロマンを感じる事が出来た。 競馬はブラッドスポーツだ、って言われるけど、やっぱりマル父じゃないとそういうのって感じひんもんな」
「そうよね、サンデーサイレンスやブライアンズタイムの産駒が勝っても、気持ちの方はああ、またかって思ってしまう。 ファン心理としては父内国産馬のG1勝利って嬉しいもん」
メジロブライトのサイアーラインをたどると、メジロライアン、アンバーシャダイとなる。 アンバーシャダイはサンデーサイレンスが登場する前に日本の血統界を大きく塗り替えた大種牡馬、ノーザンテーストの産駒なのだ。
去年の朝日杯三歳ステークスで一番人気に指示されたクリスザブレイヴはノーザンテーストの直子だが、 ノーザンテースト産駒なら既に多数のG1馬を輩出している。ただ、アンバーシャダイも晩成型で
ダービーには出走したものの勝っていないし、メジロライアンは一番人気でありながらアイネスフウジンの逃げ切りに屈して 二着となっている。更に言うならば、メジロブライトの母、レールデュタンの父はマルゼンスキー。
マルゼンスキーは当時、持ち込み馬であるが故に外国産馬と同様、ダービーに出走する事すら許されなかったという。
東京に着いたのは四時前だった。当然ながら、俺の方がこっちの地理に詳しいので葵の希望を聞きつつ案内するような形になる。
「……ホントは、東京ドーム、去年までに行きたかったなあ……」
葵が呟いた。去年のうちに、という理由に俺は気付いた。
「岡崎が引退したからだって言いたいんやろ」
俺も葵も京都の人間のくせに根っからの巨人ファンで、高等部から大学時代にかけては葵はやたらと岡崎に熱を上げていた。 昨年は岡崎が引退したし、一昨年は原、その前は篠塚と巨人の一時代を築いた選手達が引退し、確実に世代交代が進んでいると感じる。
今は松井の時代になっている。
ただ、葵にとっては八〇年代後半から九〇年代前半に掛けて活躍した選手達への思い入れが深い。 大学時代、一度は俺と一緒に東京ドームで巨人戦を観戦したい、と言っていた葵だったが、結局その夢は実現しなかった。
十代の頃は葵とこういう事をしたい、ああいう事をしたいなどと夢を語り合っていたものの、 どうしても叶える事の不可能な夢、というものがあるのも知った。例えば、中二の頃までチビで痩せっぽちだった俺が
騎手になりたい、という夢を描いたものの、その後の急激な身長及び体重の増加により中三の夏には身長は百六十センチを超え、 体重も四十五キロになってしまって受験不可能な体格になってしまったのだ。
変な話、俺が医学部に進学していたら葵の両親の評価も変わっていたかもしれないが、 スピ大の医学部など、とてもうちの両親が学費を払えないし、かといって国公立の医学部を受験するには
数学の成績が致命的だった。俺の成績では外部受験でも私立文系しか無理と担任に言われ、結局内部進学でスピ大経済学部に推薦して貰った次第である。
スポーツで身を立てるにも、京都でそれなりの成績を残しても全国レベルには到達しないし、普通の営業マンに落ち着いた次第だ。
プロポーズして、屈辱的な思いを味わい、葵に復讐したいと思う気持ちがある一方で、絶対にそんな事をしてはいけないという 俺に対する呼びかけの声があった。どういう訳か、声の正体はメジロライアンに扮しているのだ。側にはメジロブライトを従えているという夢を見たのだ。
メジロブライトに免じて、葵を許せという事なのか?
せめて、東京ドームの外観だけでも見せてやろうか、と思い水道橋へ向かう。
「折角やし、遊園地に入ろうか」
「うん……」
数々の絶叫マシーンで葵に悲鳴を上げさせ……嫌がっていたのを半ば無理矢理付き合わせた……それから観覧車に乗る。
「繁、あたし達……どうしても元に戻れへんの?」
「……どういうつもりやねん」
「えっ?」
「お前、康行が居るんやろ? 俺があかんかっても、最終的に康行の所へ戻ればええって思ってへんか?」
葵は涙を流し始めた。
「ちがう、あたし……康行くんの事は嫌いと違うけど、むしろ、結婚するんだったら他のしょうもない相手よりはずっと良いと思うよ。 でも、あたしはきっと、康行くんと結婚したら互いに気を遣うと思うの。なまじっか優しいばっかりに……それが却って重荷になる。
あたしの我儘やけど、気を遣わんとあれこれぽんぽん言えるような相手の方が良い。康行くんは、あたしが悪い事をしても責めへんのやもん。 桜花賞の日、あたしが繁と会うたのをどうも感じ取ったみたいで、皐月賞の時は、康行くんから淀へ行こうと誘ってきたの。
勿論康行くんは馬券を買わずに見るだけだった。けれども……繁に対して後ろめたい気持ちが残っていたから電話した訳で……」
そういう事か。けど、康行の奴……どうやらホントの優しさをはき違えている。あいつのやり方では、単なるいい人で終わるのも当然だ。 変な話、一つ間違えばそれこそ康行との友情を壊しかねない。俺は、一か八かの賭けに出るような発言をする事にした。
「葵、お前まさか……今でも……」
自分でもかなり心臓の鼓動が高鳴るのを感じる。
「あたしは……やっぱり繁の事が好きなの。はしたないって思うかもしれへんけど……あたしを……抱いて」
「ええのか? 俺がお前を抱いたら、単なる同情になるけど、それでも……」
葵は黙って頷いた。その視線からは、葵の意志がはっきりと感じ取れる。
葵との結婚話がダメになってからというもの、俺は決して女を口説く時に愛しているなどとは言わないと決心した。 生涯の伴侶を選ぶにしても、俺が相手に惚れる以上に相手が俺一筋に惚れてくれる事、それが大前提だった。
こっちから惚れると、どうしても弱みを見せてしまう。俺の立場を上に持って来るには、これしかないと思っていた。
──あくまでも、俺は単なる同情で葵にキスをする、葵を抱くのだ……。
自らにそう言い聞かせ、俺は葵を抱き寄せて唇を重ねた。愛情の為ではなく、自らの快楽の為。
観覧車を降りた後は、葵の気が変わらないうちに遊園地をあとにしてタクシーを拾い、行き先に歌舞伎町を指定した。明日は府中へ向かうという事を考えた結果だ。
タクシーを降り、数あるラブホテルの中のうちの一軒に入る。泊まるつもりで入ったので、何も慌てる事もないだろう。
部屋に入ってから俺はまずソファに腰掛け、競馬新聞を取り出して読み始める。葵はテレビでダービー関係の番組をしていないか、チャンネルを次々に変えつつ 調べている。ただ、時間的にタイミングがまずかったらしく、どの局もダービー関係の放送はしていなかった。
仕方なく、二人で競馬新聞をにらめっこして、自分達なりに馬柱に赤ペンで印を付ける。
「葵、風呂入れといて」
「うん」
葵がバスルームへ行き、風呂に湯を入れて戻ってきた。
「当然、本命はメジロブライトよね?」
葵が尋ねてきた。
「いきなりなんでそんな事を聞く?」
聞くまでもない話ではないか。メジロブライトを応援する為に、わざわざ東京へ出てきたのだ。
「だって、ライアンの息子さん、つまり繁はHollyhockがあたしだと知っていて、二人きりのオフ会を計画したのでしょ? 繁はあたしの事を憎いとかもう愛していないとか言いつつ、それでもあたしを呼んだんだよ。
その理由って、あたしがメジロブライトの追っかけをしているからとしか思えへんで」
「……そうや。それがあらへんかったら、今、俺はこうしてお前と一緒にいるはずがあらへん」
「そうしたら、もう一つ。明日のダービーに出走するメジロライアン産駒には、二頭いるわ。 単にメジロライアンの産駒を追っかけるだけなら、エアガッツでも良いんでしょ?
エアガッツの鞍上はライアンの主戦だった横山典弘騎手よ。繁のように単にメジロライアンの面影を追うのなら、 騎手も同じエアガッツを応援しそうに思うのだけれども……」
そこは大きな失念だった。本来、メジロライアンの産駒という事で追っかけるのならば、 馬連はメジロブライトとエアガッツの一点に絞るべきなのだ。皐月賞の時ですら、エアガッツの事をすっかり忘れていたという致命的なポカ。
メジロライアンファンとしてあるまじき行為だ。
「……同じメジロの冠を持っている方が、気分的にええやろ。だから本命はメジロブライト、対抗はエアガッツ。 あとはサイレンススズカ、シルクジャスティス、サニーブライアン、シルクライトニング、ビッグサンデーだな」
「ふーん、あたしは全部ブライトから流すよ。相手はシルクライトニング、エリモダンディー、ランニングゲイル、 マチカネフクキタル、トキオエクセレント、サイレンススズカ、大穴でゴッドスピード。
繁、あんた……シルクジャスティスとかサニーブライアンってねえ……サニーブライアンは絶対あんなんフロックだよ。 それに、あたしはシルクジャスティスって何となく嫌いなの」
「馬券を当てたかったら、好きとか嫌いとかって感情抜かんとあかんぞ。メジロブライトからエアガッツというのはあくまでも俺の応援馬券。 当てる方は……うーん、ブライト、スズカ、ジャスティス、サニー、ライトニングのボックスでいく」
葵の奴、馬券に思いっきり私情が入っている。恋は盲目、といったところだろうか? ましてあいつの場合、ヤネ……幹夫に惚れているのもある。しかしながら、俺の印象では幹夫は牝馬の逃げ、先行馬と相性が良いのだ。
牡馬クラシックでは用無しの扱いだ。ブライトは牡馬でしかも差し、追い込みタイプである。熱を上げすぎるのは危険な気がする。
この夜は遅くまで……それこそ風呂の湯が冷めてしまうほど……ダービー談義に花を咲かせた。