〜空露澪さま(「とらぶるめーかーず」「ぶらいとわーるど メジロブライトの末脚」)から
「馬に描かれた館」10万アクセス記念:いただきもの〜
「とらぶるめーかーず」
番外編
9
「ん、どうした?」
「繁くん、葵と……もうよりを戻す気はないの?」
「元トラブルめーかーずの仲間、それだけや。別にそれ以上の事なんて……」
すると、遥は俺に言い返す。
「嘘、そう思っているのなら、何で私の問いかけに対して目をそらすの?」
「お前……何が言いたいねん」
「四月、うちに電話してきた時……葵を泊めたんでしょう?」
「泊めてへん。あの日、晩遅くに帰った」
完全に勘違いしてやがる。シラを切り通すしかない。
「それじゃ、百歩譲って葵があの日のうちに帰ったとしても……あの後、葵と男女の関係になったわね」
「えらい想像たくましいな。学生時代にはそんな事言うようなタイプやあらへんかったやろ」
遥は学生時代、下ネタトークは大の苦手としていたはずだ。諸事情により、康行と別れざるを得なくなった後、 元々遥をたきつけて康行とくっつけたのはこの俺だという責任を感じていたから、何とか新しい彼氏を紹介してやらないといけないと思い、
紹介したのが兄貴だった。元々オクテで古風な感じの女の子が好きだと言っていた兄貴だったから、遥を見て一目惚れ。 大学時代から恋愛してめでたくゴールインした訳だ。
「康行くんだって……伯父様を見返したいと思っている。小児科医にはなれたものの……単なる勤務医ではきっと満足しないわ。 だから葵と結婚したいと思っている。葵は星田病院長の長女だし、婿養子になれば……将来は院長の座が待っているもの。
けれども、それでは葵の本当の幸せは得られないわ」
「それ……どういう事やねん」
遥の真意を知りたい。どうしていきなりこういう事を言い出すのか。
「康行くんが心底葵を愛して、結婚したいと思っているのなら、私はこんな事を繁くんには言わないわ。 けれども……康行くんが葵の不倫をあえて水に流して、それでも結婚したいと思っているのは単に葵のご両親に義理立てをしたいから。
葵を本気で愛している訳じゃないからなの」
「どこにそういう証拠がある?」
「チーコは知ってるのよ。康行くん……かなりスピ大病院のナース達に口説かれていて……」
「まあ、あいつの顔ならモテるやろうなあ……選び放題だろ」
「それが……」
確信に近い話を遥から聞き出せるかと思ったその時、兄貴の運転する車、スカイラインが俺達の目の前に到着した。
助手席側の窓を開け、兄貴が声を掛ける。
「遥、お待たせ。繁も一緒やったんか」
「どうしよう、憲嗣さん。繁くんに話したい事があったのだけれども……うちに呼んでも良いかしら?」
「ええよ。繁も乗って」
「ああ、すまん……」
そんな訳で、俺は当然ながらクーペだから助手席を倒して後部座席に乗り、助手席を戻して遥が乗る。 黒留袖姿の遥が後部座席に乗れる分けねえし、ましてや兄貴の嫁さんなんだから。
「チーコの次は聡美ちゃんね……けど、未だに不思議だわ。聡美ちゃんが藤崎(ふじさき)くんとなんて……」
兄貴と遥の家は、俺の実家のすぐ近所の新しく建て売りされた三階建ての家である。そっちへ車が向かう中、 助手席の遥がしみじみと言った。一応、遥も免許は持っているが、兄貴の車は大きくて恐いからという理由で、
自分は普段、兄貴が免許取り立ての頃に乗っていた軽自動車を運転している。
「まあ、確かに不思議な気持ちや。藤崎が俺の弟になるって……」
俺の言葉に、兄貴も運転しながら笑いをこらえていた。
藤崎庸之(つねゆき)は、大学時代に俺達……俺などは兄貴も聡美もだったので、サークル連中はみんな名前で呼んだ……が所属したテニスサークルで知り合った同期で、
一年浪人して入学してきたから俺達よりは一つ上になる。実家は横浜なのだが、大学時代ぐらい京都で暮らしたいと いうのでスピ大経済学部に入った。一回生の頃、俺が葵と付き合っている事を知らずに葵に必死にアプローチを掛けていたものの、
俺を含めた周囲の人間はみんな気付きつつも、肝心の葵が全く気が付かずに、あいつの行為を素直に受け止めたものだから、 俺としてもかなり心を乱された相手だ。幸い、康行とかがそれとなしに藤崎に俺と葵の関係を伝えて事なきを得たものの。
後に、聡美もサークルに入り……それまで異様に男子に対してクールな目を持っていた聡美が、 藤崎に惚れてしまったのだ。俺はそんな事もあり、入学当初は藤崎と仲が悪かったし、
遥だって藤崎には余り良い感情を持っていなかった。その当時、遥は遥で兄貴を巡る恋のライバルが現れたものだから、 陰で遥と同盟を結んでいた訳だ。それぞれの恋を守り抜く為に。
「確か……九月だったわね。結婚式」
「ああ、九月十四日。横浜まで行かんならんし……出席するのは?」
「聡美ちゃんに聞いた話では、サニーエンジェルズの同期では私達と、小田くんと、南部さんとか矢倉さん、安城さん。 後は、聡美ちゃんの友達関係、私が知っているところでは新堂さんと浅見さん。さすがに呼べる人は少ないわ」
「俺の同期は他にはいいひんからなあ……」
「当たり前でしょ。憲嗣さんは聡美ちゃんの兄として参列するのだから。その代わり、今年のOB会は 散々二人を冷やかせばいいわ」
兄貴と遥の家に着き、俺はお邪魔する事になった。遥が着替える間、兄貴とビールを飲む。
俺は実家に電話して、今夜は泊まらせて欲しいと伝えておいた。
「繁、遥はお前と葵が幸せになる事を願ってるんや。俺にしても、お前には遥と引き合わせてくれた恩があるし、 確かに遥の意見にも頷けるけど……星田のご両親にちゃんと納得出来る形で話を持っていかんと……五年前の二の舞になるで」
兄貴に言われなくても、そのぐらい解ってる。
俺が物心付く前だったから記憶にないが、前に兄貴や両親から聞いた話では兄貴の実の両親、つまり俺の伯父伯母は 兄貴を祖父母に預けて出かけた際に交通事故で二人とも亡くなった。で、俺の両親が兄貴を養子にして引き取ったのだ。
当時四歳だった兄貴は一歳の俺にかなり当たり散らしていたらしい。実の両親を失ったショックと、お袋はまだ乳飲み子だった聡美にかかり切りだったから。 それを乗り越えてからは、兄貴もずいぶん俺の事を可愛がってくれた。
そのような事情があったから、兄貴の相手には遥しかいないと俺は考えたのだ。遥も幼い頃に両親が離婚し、母親に引き取られ、 後に母親が再婚したものの、義理の父親は病死したと聞いている。
「けどなあ、俺はあいつの親にボロカス言われたんやぞ。親父やお袋の事まで」
「あのなあ、結婚って最終的に本人同士の意志やで。誠心誠意、説得したか? 俺だって、 遥が長女やから、最初は反対された。でも、お義母さんに俺の生い立ちとか洗いざらい話して、
『俺にはどうしても遥さんが必要なんです』って訴えてようやく認めてもらったんやで」
「そんな説得するどころか、頭で反対されたのに……」
「まあ、星田の場合は実家が病院を経営してるからなあ……神城と結婚させたかったんが本音。 それはお前も知ってるやろ。まして、神城の母さんが亡くなっていて、星田がお前と別れた
寂しさからつい、神城とできてしまった時にこれ幸いとばかりに婚約させたとかって、俺は遥から聞いたし……」
遥も何も知らなかった頃は、康行と付き合うて、高等部の頃にはかなり深い関係にあったらしい。 二人が別れた後、兄貴と遥を引き合わせる前に、俺は兄貴をソープランドへこっそり連れて行き、
いわゆる兄貴の筆おろしの手伝いのようなことをさせたわけで、ついでに俺も別室で楽しんだ訳だ。 当然ながら、葵や遥をはじめとする、女性陣には極秘である。こんなのがばれたら、遥なんかは当然、不潔だと言うだろう。
って言うか、遥が康行と一線を越えてなかったら、こんな事する必要もなかったのだが、 なまじっかそういう関係になったばっかりに、遥は初めてじゃないのに兄貴は初めてだったというのは余りにも洒落にならない。
少なくとも、経験豊富な風俗女相手に女の扱いを知っておいた方が良いと思った訳だ。
「けど、それは葵と康行の問題やろ。俺は関係あらへん」
「関係あらへんと言うてる割に、星田の不倫を止めさせたのはどこの誰だったかな?」
「道に外れた事をして欲しくなかっただけや」
そこへ、着替え終わった遥が戻ってきた。
「二人の会話、私に筒抜けだったわよ。でもね、繁くんの性格だったら……葵の事、ホントに嫌いだったら 葵が不倫をしていても全く無視するんじゃないかしら。どういうのかな、繁くんって仲間と認めた相手には
それが良い結果になるか悪い結果になるかは別としても、親身になって相談に乗ったり、世話を焼いたりしていたじゃない。 葵の不倫を止めさせる為に、自ら動いたっていうのは……繁くん、今でも葵の事を愛し……」
「アホな事言うな、遥」
遥の言葉を遮って言い返した。
「繁くん、自分の心に素直になった方が良いわよ。いくら同じ競走馬を応援していても、 ホントに嫌いな相手だったら一緒に見に行くかしら? それも一泊で東京競馬場だなんて。
私は嫌いだったら喋るのも嫌だし、極力関わりたくないもの。まあ、いつまでも子供みたいな事をしていられないけれども……」
「……気分悪い、帰る」
俺は立ち上がって、玄関に向かう。そこへ、遥のとどめの一言。
「一つだけ言っておくわ。康行くんは……ホントは葵の不倫の事、許していないのよ。それでも、 葵を傷つけないように、あえて優しく接しているけれども……私には解る。葵が康行くんと結婚しても、
多分……二人、いや、繁くんも含めて三人とも幸せにはなれないわ」
「どういう意味や、それ!」
「自分の心に嘘を付いて最愛の相手以外と結婚しても、必ずどこかでゆがみが生じてくるって言いたいの。 康行くんがいくら一所懸命葵を支えよう、幸せにしようと思って一緒になったところで、
それが結果的には葵も康行くんも傷つく事になるのよ」
「康行が傷つくってどういう意味や。あいつ、葵以外に惚れてる相手いるのか?」
俺と葵が別れた後、いうなれば、身近にいた康行に葵がよろめいたとかいう話は遥がそれとなしに教えてくれた。 俺は見ていられなくて、就職活動で精力的に首都圏を回った。葵も就職活動に明け暮れていたし、
康行は実習に追われて四回生以降は三人で会う事はほとんど無くなった。トラブルめーかーずで あの当時、俺が定期的に連絡を取っていたのは四回生時に既に留年が決定していた健と大学院に進む事が決まっていた遥だけの状態になっていた。
チーコや翔一はサークルが違ったし、瑞穂は既にスピ大を中退して上京していたし、あずさは教育実習や卒論に追われていたから。
だから、葵とか康行の情報は変わらず付き合いを続けていた遥から仕入れていたという状態だった。
「それがね、よく解らないの。康行くん、いくら自分が好きになったところで結ばれない現実があるというのを なまじっか知ってしまったから、本人は女の人に『良い人なんだけど……』で振られるとかって言ってるけれども、
康行くんが相手の人に本気の愛情を見せていないからじゃないかと思うの」
「あいつをそうさせた原因にはお前も含まれるやろ」
兄貴には聞かれないように俺と遥は外に出て話す。この辺は遥の実の父親とか、康行の出生の事が絡んでいる。 双方のお袋さんが康行と遥の結婚だけはどうしてもダメだと言って別れさせた。
遥との結婚を考えていた康行はかなりショックだったみたいで、正直なところ、一応結婚出来る間柄なのだが、 親戚の思惑などがあり、それはどうしても叶える事ができなかったのだ。しかも、その後康行のお袋さんが
心労から体調を崩してしまい、帰らぬ人となってしまったので、康行自身が相当恋愛に対して臆病になっている一面はある。
遥が幸せにならない事には自分も幸せになれないと言って、葵と深い仲になるまでは特定の彼女を作らなかった康行だが、 遥を兄貴とくっつけるよりも先に、康行の彼女探しをしてやった方が良かったのでは? と後悔する事もある。
「夢ばかりは見ていられないのよ。現実も見つめないと。変な話……私からしてみれば、 康行くんも葵も夢しか見ていないように見えるの。康行くんは幼い頃から葵に追いつきたいという一心で、
医学部に入って、小児科医になったわ。傍目には親もいないのによく苦労して医者になったわねって評価されるまでになった。 でも、おじさんおばさんの……それこそ康行くんが生まれる原因になった恋とかそういうのが、康行くんの恋愛観に大きくのしかかっているのよ」
「けど、そういうの……葵が俺と別れた寂しさからって理由で康行に甘えるぐらいやったら、葵が康行の本質に気付いて、 包み込むように愛する事はできひんかったんか? 恋愛って互いを高め合うような関係でないとあかんのと違うんか?」
「残念ながら……葵にはそこまでの包容力はなかった。チーコのような性格だったらそれができたかもしれないけど、 葵はそこまで視野が広くない。葵ってひたむきで天真爛漫なんだけれども、逆にその性格が社会人となってからマイナスとなっている……。
長期的に物を見るという能力に欠けていると言えばいいのかなあ……」
遥の話を聞いていると、康行よりもむしろ葵に対して腹が立ってくる。
「そんなんただの葵の甘えやろ。康行と一緒に居っても俺が忘れられへんで、不倫なんかやらかすんやし……」
「繁くんには私が葵の悪口を言うているように聞こえたの? 私が思うのは、葵だったら本当に好きな人のお嫁さんになって、 相手の人一筋に愛して、その人に仕えている方が……要するに専業主婦になった方が向いているのじゃないかって思うの。
適材適所、ね。葵、私達には一生結婚しないでバリバリ仕事するなんて言っているけれども、 葵の性格では多分、普通の会社では適応出来ないと思うの。包容力のある人が側にいてこそ、葵の魅力は最大限に発揮されると思うのよ」
「その包容力というのを俺に求めているのか?」
「そうよ。並の男性では葵の相手は務まらないわ。康行くんは身近にいるだけに葵の本質を知っているものの……康行くんでも役不足なのよ」
結婚に対する淡い幻想を抱いていても、葵が相手ではそれもぶち壊されてしまう。平穏な幸せ、というのはとても望めそうにない。
「悪いけど……今の俺にそんなものを求めても応えられへん。それじゃ、帰るし。お休み」
「うん、お休みなさい……」
わずかな街灯と民家の灯りのみの暗闇の中、やはりワイシャツとネクタイ以外は黒ずくめの俺は実家に向かって歩いていった。