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◆その37 中学三年六月渋谷名美子の秘密
青潟大学附属シリーズ


  作者:舞夜じょんぬ


37


母から預かった「修学旅行健康調査」の用紙を広げた。真夜中で誰もいない。静かな部屋の中で私はプリントの設問四を探した。
「お子様の夜尿症有無について正確に記載願います。なお、秘密厳守いたします。 有・無」
 
 ……母の手ではっきりと「有」の部分に印がついていた。

 さらに母から渡すよう厳命された白い封筒が並んでいる。糊で封印されている。
「いつになればこんなこと書かなくてもよくなるのかしら、名美子さん?」

 半分嫌味混じりで。一年の新歓研修旅行、二年の宿泊研修、そして三年の修学旅行。毎回渡されていた。
 たぶん文面は同じことだろう。読まなくてもわかる。

「娘はいまだに夜尿症が治らず、週に三回〜五回程度失敗します。病院でも治療を受けてますがあまり芳しくなく、修学旅行三週間前になっても治癒の予測がつきません。申し訳ございませんが、つきましては娘を真夜中二時頃に起こしてやっていただけませんでしょうか。この時間帯に排尿することが検査の結果判明しております。おお恥ずかしいお願いではございますが、なにとぞよろしくお願いいたします」
 だいたいこんな感じだろう。母は私がいまだにおねしょが治らずふとんを濡らしていることに腹を立てているはずだ。小学生ならまだしも、もう生理も来ている娘がいまだに世界地図を書いている現実を認めたくないと思っている。家族の恥、なんど一同からののしられたか数知れない。両親も、また兄弟も、そんな娘がいることを隠しておきたいとはっきり言う。
 遺伝性のものではないらしい。なぜなら、私以外の兄弟は一度もおねしょを経験したことがないからだ。なのになぜ、よりによって女の私が。
 病院でもかかりつけのお医者さんに申し訳なさそうな顔をしつつ宣告された。

「名美子ちゃんのおねしょは修学旅行までには直してあげたいけど、万が一のことを考えておむつの用意をしておいたほうが安心できるんじゃないかしら」
 つまり、事実上の治癒見込みなし宣告だ。
 覚悟がないわけではない。また、三年連続の完全徹夜で乗り切るしかない。

 私は母の手紙を破いて捨てた。部屋のゴミ箱に捨てるとおそらく母に見付かるだろう。公園のゴミ箱あたりだとばれないだろうか。
 ついでにプリントの「有」部分をボールペン専用の消ゴムでこすった。
 思ったよりも黒さが濃い。消えない。でも「有」から「無」への変更は三年連続していることだから、あせりはない。
 私は繰り返し丸を擦り続け「無」に丸をつけなおした。

 青大附属在学の友だちで私の秘密を知ってる人は、一人だけだった。
 先生も同級生も、誰も私がおねしょ常習犯だとは気付いていないらしい。
 居眠りできないのは、油断すると無意識のうちにたらしてしまうかもしれないから。
 怖い。今まで学校で失敗したことはないけれども、うたたねひとつで足をすくわれる恐怖をいつもかかえている。
 なんで私はこんな体にうまれついてしまったんだろう。
 普通に夜寝て朝目が覚める。そんな生活に馴染みたい。
 母の罵倒と兄弟の汚いものをみるような眼差し。
 毎月の検査でつめたいゼリーを背中に塗られて、エコーを受け、
「膀胱の機能が働きすぎるみたいだね」
 などとささやかれる惨めさ、わかってくれるわけがない。

 ──風見さん、きっと、私が治ったと思ってるはずよね。
 完璧すぎる風鈴頭の風見さんが、首をかしげている姿が目に浮かぶ。
 もう四年以上前のことだしまさか今でも私が、あの夜と同じ大きさの世界地図を描いているなんて思っていないだろう。
 五年の夏休みだったろうか。いきなり彼女が押しかけてきて、自然と泊まる手はずとなり会話が弾み、思っていたよりもまとも な子だと知り、ほっとしていた直後だった。
 きっと、気がゆるんだのだ。いつもならつけているおねしょシートを敷き忘れて忘れて横になってしまった。
 気が付くと、床まで染み透るくらいの量をまかしてしまっていた。決してめずらしくはないことだけど、家族以外にそれを見せたのは風見さんが初めてだった。  地図というより湖。
 死にたくなった。
 なんで私はいつもこうタイミングが悪いのだろう。せっかく風見さんが下手に出てきて、私なりに対等にうまく繋がれるかと思っていたのに。
 私はその日から、風見さんにすべてを委ねざるを得なかった。

 水浸しになっていたのに気付かなかった私を、いち早く目覚めた風見さんは揺さぶり、
「ナミー、大変だよ、おしっこ、床にもっちゃってるよ!早く目をさまして!」
そう起こしてくれた。目覚めて事の重大さに気付き、さらに恥の上塗りをしてしまった。
 いくら十一歳とはいえ、みっともない言い訳だ。
「風見さん、今ふとんの中にジュースを溢しただけよ。私いつも、ふとんのなかに持っていって飲みながら寝るくせがあるの」
 そんなことできるわけがない。みえすいた嘘。
 でも十一歳の私は必死だった。信じて、信じて、そう叫んでいた。
 もしここで私が認めてしまったら最後。
 風見さんはしばらく私の顔を見つめていた。こくっとうなづいて、
「ナミー、おふとん、交換しよ」
 あの風鈴頭を揺らして、私のふとんをめくりあげ、
「私がしたことにするよ。大丈夫」
 今と変わらぬ笑顔で、私のふとんに潜り込み、
「早く着替えたら。風邪引いちゃうよ」
 あっけらかんと言い放った。

 当然私の失敗は三十分も経たないうちにばれた。
「名美子さん、ただでさえみっともないのに、よりによって友だちに押し付けるなんて人間として最低よ!」
「トイレトレーニングやり直してこいよ。こんなきたねえ女、最低だな。俺たちの家族だなんて認めたくねえよ」
「ちょっとこちらに来なさい! 四つんばいになって、お尻を出しなさい!」
 風見さんの目の前で私はふとんたたきでおしりを十発くらいぶたれた。いつも布団をぬらした後は、母から厳しく罰せられるのが常だけど、いくらなんでも家族以外の人の前で叱られるのはつらすぎた。見かねたのか、泣きつづけている私を、風見さんはいきなり背中から抱きしめ、
「あの、私が、名美子さんのおねしょに気付かなかったからいけないんです! ごめんなさい! これからは私、ちゃんと名美子さんのこと気遣います!」
 土下座する始末だった。もちろん風見さんを責めることはなかったけれども、彼女が口を利けば利くほど、私の価値はどんどん下がっていく。きゃあきゃあうるさい転校生の彼女よりも、ずっとみっともないおねしょ娘の私。
 なぜ、彼女にかばわれなければならないのだろうか。
 なぜ、私は彼女に守られなくてはならないのだろうか。

 私に残されていた名誉回復の道はひとつだった。
 青大付属に合格するするこてにより渋谷家の娘としての面目を守ること。
 両親にとって私はできの悪い二番目の子どもだ。
 賢い兄弟とは違う。結果を出して、認められ、初めて私はこの場所にいることを認められる。そのためには誰もが納得する肩書きを手に入れること、それが手っ取りはやい手段だった。青潟のエリート中学・青大附属の生徒である証は、私のプライドを守り抜く最後の砦だった。

 風見さんは私の秘密を今のところ誰にもはなしていないらしい。佐賀さんにもまだらしい。もう忘れているに違いない。そうであってほしい。でないと私は彼女に見下されたままだ。あの日から四年間、風見さんは口癖のように言う。
「ナミーには楽しい学園生活してほしいんだ。だから私頑張るよ!」
あの佐賀さんをはやい段階で目をつけて、
「彼女、絶対ナミーの親友になれると思うんだ」と紹介してくれたし、
「霧島くんはきっと生徒会に入りたがってるよ」と誘うよう藤冲会長に助言してくれたのも彼女だ。
生徒会選挙で会長になれなかったかわりに、私は親友と片思い対象の男子の側にいられる。
 もちろんうれしいけど、もし風見さんが陰で動いていなければ。私ひとりの手で手に入れたものであったなら。

 私がほしいものはみな風見さんが用意してくれた。頼んだわけではない。生徒会役員の座もみな。おかげで私は今のところ手痛いミスをしていない。このまま順調にいけば私はしっかりものの生徒会役員として卒業できるはずだ。佐賀さんともこれからずっと友達でいられるだろうし、もしかしたら霧島くんも少しは私を意識してくれるかもしれない。今の私を保てれば。だけど、影武者のように立ち回る風見さんの存在に感謝できない私がいる。ナミーと呼ぶその隙間に、
「私はナミーの秘密を知ってるのよ、だから親友になりなさい」
そう私を脅しているように聞こえる。
 おねしょふとんを見付けられてしまった夜、私は彼女に「親友」と いう名前の口止料を払ったようなもの。
 ──私は絶対、しないから大丈夫。修学旅行では、絶対。だから、先生たちに言わなくても、大丈夫。

 開いたままのプリントには、「無」のところに強い筆圧の丸が浮かび上がっていた。
 絶対に大丈夫、私は青大付属のなかではおねしょなんてしてない。
 やってしまうとしたら、我が家の布団の中でだけ。家族以外、誰もしらない。学校に知らせる必要もない。
 ──風見さんに思い出させる必要もない。

 私は寝る前に病院から処方された薬を飲み、目覚ましを二時にセットし、お手洗いにむかった。銀色のおねしょシートを布団の上に重ねてある。今夜、おむつをつけるのは修学旅行で使うためじゃない。だって、私は家でしか絶対におねしょをしないと知っている。だから、誰にも教える必要なんてない。手紙なんて、渡す必要なんてない。

        ──終──
 

 



  
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