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青潟大学附属シリーズ・中学篇
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木曜日 ゆめうつつ


 



木曜日 ゆめうつつ


 鬼門の六月だっていうのに。
 身体を冷やして家に帰った上総は熱で眠れぬ一夜を明かした。
 だるいのと寒気が走るのと。
 外は白い光が空に薄く広がるすっきりした天気なのに。
 身体を起こすことができなかった。
 時間が勝手に流れてゆき、気が付けば八時過ぎだった。もう、どんなに自転車を転がした間に合わないだろう。父が家の中にいたならば学校に欠席の連絡を頼んだのだろうが、とっくの昔に出勤してしまった。
 学校では無断欠席と思われるかもしれない。


 うつつに見える夢の中で、何度も響いた南雲の言葉。

「何かあったらすぐに自分の中にしまいこんでしまう、自分でがまんすればすべてことがすむとわかればあきらめる。とにかく人のことばかり気を遣っている。まあ並べればそんなことですよ。自分のすることをうまく隠して、相手にみんな手柄を譲るようなところがあるんですよ」
 
 わんわん響いた。何度も身をよじった。
 思わず枕に噛み付いた。歯軋りしながら頭を打ち付けた。

「でもなあ、一言くらい言ったっていいんじゃないかと思いますよ。俺たちはお前の味方だって。でないと、あいつのことだ、ずっと杉浦への告白事件を引きずることになってしまいますよ」

 杉浦加奈子から流された玉砕告白事件のデマ。
 いや、デマというには真実味がありすぎた。
 彼女の言うことは正しいと、重々承知していた。

 小学校時代に『ちょっと荒っぽいやりかた』で『仲良くしよう』と近づいてきた男子に『決闘』を申し込んだことがあった。
 頭を思いっきり叩かれることが、友情表現だとどうしても思えなかった。  
 かばんをかくされたり、掃除道具入れの中に閉じ込められたりすることも、そいつは『ゲーム』のひとつだと言った。

 でも上総にはどうしてもそう思えなかった。
 そいつの言ったことが正しいのだろう。
 誰も上総の味方にはなってくれなかったような気がした。
 自分の感じ方がおかしいという自覚はないわけでは、決してない。
 それでも上総は証明したかった。
 男子同士、一対一で勝負をつけ、潔くけりをつける方法はひとつしかなかった。担任のいる前で、さりげなく相手の筆箱をわざと落とすこと。手袋を投げつけるのと同じ由来だろう。いつしか『筆箱落とし』は、一対一の『決闘』申し込み手段となっていた。もちろん担任に、その意味はわからない。あえて大人がいる前で、にこだわるのはその場でそれぞれの仲間が手出しするのを避けるためなのだそうだ。
 卒業式一週間前、上総はそいつのカンペンケースを片手でゆっくりつかみ、ぱらりと落とした。散らばったシャープペンシル、消しゴム、定規を一切拾わずにそのまま自分の席に坐った。
 意味を知っている男子たちが息を飲み、やがてざわめき立った。
「まさかかよ」
「附属受かったから、頭おかしくなっちまったんじゃねえの、泣き虫が」
 耳たぶが熱くなり、心臓が跳ねあがりそうだったけれども、上総は知らぬ存ぜぬで真っ正面を見つめていた。

 それからの一週間は、男子、一部の女子の視線を痛いほど感じた。
 幸い決闘相手は上総が思っていた以上に紳士的な態度で『決闘』に望んでくれた。意外にも腕力ではなく、土手での自転車勝負をしようという旨の申し出を受けた。サイクリングロード沿いの坂でお互い、自転車をぶつけ合い、どちらが先に落ちるかを競う、他愛のないものだった。
 二年前だから、『他愛もない』と言えるけれどあの時は真剣だった。

 卒業式が終り、黒いトンビのコートを羽織ったまま上総は精一杯チューニングした銀色の自転車を引き出し、決闘に望んだ。
 もし、ここで騒ぎを起こしたことがわかったら、青大附中の合格が取り消されることも、カンペンケースを落とした段階で覚悟していた。
 なぜか負けることだけは、想像していなかった。

 結果、誰にもばれずに決着をつけた。
 計算違いだったのは、そいつを突き落とした瞬間に想像以上の怪我を負わせてしまったらしいということと、相手の態度が最後まで紳士であったことだった。見下ろした後、家に戻った後、いつ学校から連絡がくるか、いつ警察から連絡が入るか。電話をずっと見つめていた。鳴らない電話は、最後まで静かなままだった。
 相手は、決闘の掟通り、一言ももらさなかったらしい。
 無事に青大附中の入学式に参列できたのは決闘相手のおかげとも言えた。
 まさか決闘相手の恋人が、同じD組で待ち受けているとは思わなかった


「立村くん、浜野くんって知っている? 彼が立村くんによろしくですって。立村くん、小学校の頃、とっても泣き虫だったんですって」 

 聞いた瞬間、ふらついて転びそうになった。
 身体にも響きが残った。

 杉浦加奈子は真っ正面から上総を見据え、やわらかく言った。

「それも彼が懸命に立村くんを仲間に入れてあげようとしたからなのよ」

 そうなのかもしれない。
 理解できなかった上総が悪いのかもしれない。
 謝ることも何度か考えた。

 でも、叩かれた時の痛みは本当だった。
 鍵をかけられて出られなくて泣きじゃくりながら叫んだ時の恐怖もいまだに消えていない。
 かばんがなくなって、夕方遅くまで学校の中をひとり捜し歩いたときの心細さも忘れられない。
 泣き過ぎると、いくら声を出しても涙が出なくなり涙腺らしいところが乾いてだんだん痛くなるということも、経験した。
 
 必死に青大附中を目指し念願の合格を果たした時ですらも、杉浦の彼氏には一言、
「青大附中には、俺の知り合いがたくさんいるんだからな、逃げられると思うなよ」
投げつけられた時、上総は覚悟を決めた。
 ──殺したっていい。
 ──死んだっていい。
 ──こいつを決闘で倒して、小学校から縁を切ってやる。
 もちろん杉浦にはそのことを話さなかった。どんなに説明したところで、上総の感じた痛みを理解させることはできないだろう。わかってもらおうとも思わなかった。
 
 杉浦加奈子が出した条件は、
「私の彼に、土下座して謝ってほしいの。立村くんが勘違いして自分のことをいじめられていたと思っていた逆恨みを反省してほしいの。決闘で彼を土手から突き飛ばして大けがさせたことを、ざんげしてほしいの」
 
 謝ってすむものだったらいくらでも頭を下げられる。やっと青大附中で認められてきたというのに、すべてがご破算になるくらいだったらと思ったこともあった。でも上総にとって、杉浦の彼氏と勝負した『卒業式の決闘』は、上総が六年間のうち唯一勝つことのできた、瞬間だった。
 いまだ後悔したことはない。
 たとえ、青大附中の合格が取り消しになったとしても絶対上総は、悔いないだろう。どんなことがあっても、あの時感じた感情だけは本物だった。

 一年の十一月末。
 上総と杉浦は最後の話し合いを行った。
 本品山中学のグラウンドでだった。
 もし青大附属入試をしくじってしていたとしたら、通わざるを得なかった学校だった。
「彼にあやまってくれるのかしら。それとも……」
 穏やかな笑顔で杉浦加奈子は上総に尋ねた。
 最終通告というのに、言葉に反してあどけない笑顔だった。
 ゆっくりと息を吸い、上総は目をそらせたまま言い切った。

「杉浦さんの言うのも正しいと思う。確かに俺は、敏感に感じすぎていただけなのかもしれない。でも、あの時のことだけは、うそだといいたくない。だから、言いたければ言えばいい。もう、俺はD組で受け入れられなくなる覚悟はしているから。杉浦さんが正しいと思ったことを、すればいい。俺はそれをすべて受け入れるから」
「そうなの、わかったわ。それならば、あとは私が正しいと思うことをするわ。ごめんなさいね」

 やわらかい笑顔で杉浦加奈子は恋人のもとへかけていった。バラック屋根の、体育道具をまとめた小屋で上総はしばらく座り込んでいた。
 これからどうなるのかわからなかった。
 誰もいなくなった後、何を感じていたのか、それすら覚えていなかった。
 表に出た時、今度は清坂美里がしゃがみこんでいるのを見つけてしまった。
 万事休す、の意味が、初めて分かったような気がした。
 
 ──自分がすべて悪いんだ。
 ──俺が結局、青大附中の評議委員になれる器じゃないってことを隠していたから、こういう結末になってしまったんだ。
 ──結局自分が悪いんだ。人が友達になろうとして気を遣ってくれたことすら、理解できない俺がばかなんだ。すべては俺の感じ方が狂っているせいなんだ。
 ──それでいて謝れない情けない人間なんだ。自分が間違っていることを認められないくせに、杉浦さんが言うのが正しいと、わかっているくせに。

「立村くん、加奈子ちゃんに振られちゃったね」
 杉浦加奈子を追い掛け回していたように見えたのだろう。それでもかまわなかった。
 自分が物笑いにされてばかりいた泣き虫だったことを知られるよりは、杉本加奈子に惚れぬいて追い掛け回している情けない奴の方が、ずっと救われていた。

 本当は頭を下げれば一番よかったのかもしれない。
 もしくは本当のことを貴史や美里に打ち明けて、協力を頼めばよかったのかもしれない。 
 やっと青大附中の評議委員として認められ、男子からは純粋な信頼をもらい、いじめられるなんて縁のない世界に入ることができたのに。
 泣き虫でちょっとしたことで落ち込み、口が利けなくなってしまい、唇をかみ締める小学生だった自分を知られたらどうなることだろう。
 想像するのも怖かった。
 美里も貴史も変わることなく、上総を仲間として認めてくれていたのが救いだった。

 それから一週間後。
 覚悟していた噂が流れてきた。
「立村くんが杉浦さんに告白して、振られたのに、いまだに追いかけてきて加奈子ちゃん悩んでしまっているらしいよ」
 C組経由でD組に流れてきた情報だった。
 女子が心なしかよそよそしくなったのは感じた。杉浦も表面上は穏やかに接してくれている。でも、一時期は
「立村くんってやっぱりよくわからない人よね。少し異常なんじゃない? 女子を追いかけまわすなんて」
と聞こえよがしに笑われた。
 評議委員会の時にも先輩達には
「お前、いきなり目覚めるのはいいが、相手もいることだからもう少し気を使えよとどやされる始末だった。
 そんな中、本条だけは何も言わなかった。
 黙って評議委員会に関する説明をこんこんとしてくれるだけだった。
 きっと、本条先輩も知っているに違いない。心密かにあきれているのだろう。
 一度植え付けられたイメージを覆すには、人一倍の努力が必要だと、自分でも覚悟していた。
 徹底して本条に教えを請い、今以上の自分になれるよう、上総は本条先輩にひっぱられるまま『ビデオ演劇忠臣蔵』に打ち込んでいた。あれだけ演劇関係にかかわりたくないと、言い張っていたくせにと、周りではささやかれ、笑われた。でも本条に認められるためだったら、奇声を上げて松の廊下で吉良を追い掛け回すことくらい、なんでもないことだった。

「あれだけ立村くんいやがっていたくせに、いい演技していたよね。浅野匠之頭役、本気で松の廊下、切りつけ追いかけていたよね。吉良役の結城先輩も思わず引いていたよ」
 ビデオが出来上がった後、D組を始めとする女子たちからはからかい調子の感想を口にした。何も言わず、黙っていた。
 自分の汚名を晴らすために、あと何ができるのだろう。
 そればかりずっと考えていた。

 クラスの連中があえて『杉浦さんとのこと』を突っ込もうとしなかったのは、それゆえ不思議なことだった。
 。いつその話題が出てくるのだろう、いつ、物笑いにされるのだろう、そればかりが怖くて、自然と無口になっていった。
 無意識なのか意識的なのか、貴史がうまくフォローしてくれていた。

「な、立村もそう思うだろ? ポーカーフェイスしてねえで、少しなんとか言えよな」
「ほら、黙ってても立村の言いたいことは大体わかるよな」
 その時はうっとおしい以外の何者でもなかった。
 杉浦さん疑惑が出てきてもおかしくない宿泊研修・夜の話題に、大抵の連中は上総に、
「お前は清坂だろ」
「立村、清坂に惚れているだろ」
とつっこみを入れてきたことすら、いらだたしい以外何も感じなかった。

 ──どうして俺はそんなことに気付かなかったんだろう。
 ──南雲をはじめみんなが俺の味方だって伝えようとしてくれたのに。
 ──ただ知らない顔をして俺は軽蔑のまなざしを向けてきたわけなんだ。
 ──恋愛ざたに熱を上げる物好きな奴らだと思い込んできたんだ。
 ──最低だ、俺なんか認められる価値なんてない。

「杉浦さんとのことは、大嘘だって分かっているよ。立村が惚れているのは清坂さんなんだろ」
という長い文章の略であることに、昨日まで気付かなかった。

 水を汲み薬を飲んだ。
 効くまでには時間がかかりそうだった。
 何度か電話がかかってきたのは覚えている。なかなか起き上がれずそのままにしていたら、父が慌てて受話器を取っていた。深夜、台所で冷えた麦茶をがぶ飲みしていたところを見られたらしい。
 目が覚めた時、枕もとにはみかんジュースの瓶入りがすとんと置かれていた。
 コップも並んでいる。
 なんとか、明日は学校に行けそうだった。
 ──でもどんな顔していけばいいんだ?
 天然果汁百パーセントのみかんジュースは、思った以上にすっぱかった。

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