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青潟大学附属シリーズ中学編
4
「りっちゃん、どうした」
しばらく膝の頂点にジュースを乗っけたまま、りっちゃんがほうけていた。
悪夢のビデオ鑑賞会、あの衝撃がまだ抜けていないんだろうか。
「いや、たいしたことないんだけど。お前、こういうのって、友だちと観ること多いのか」
「そりゃあまあ。お笑いネタにもなるしさ。でも今回が初めてだな」
「なにをさ」
やはりきょとなんとした顔でもって、俺の方を見るりっちゃん。つくづく、本条先輩じゃないけれど、
「立村は俺の弟分だからなあ」
というのがわかる。
「アダルトビデオ観て、いきなり怒り出したのって、りっちゃんが初めてだ」
「だってそう思うだろ?」
まだ向きになっているりっちゃんがいる。俺はまあまあと黙らせて、もう一杯ジンジャエールを注いだ。
「するならふつうのことすればいいんだ」
「ふつうのことって、何」
やっぱり思ったとおりだ。りっちゃんは黙り込みじっとグラスの中の泡を見つめつづけて、話をごまかそうとしている。大抵他の奴だと、
「おいおいごまかすなよ」
とか
「お前の方で振っておいてなあに真っ赤になってるんだよ」
とか言うんだろうが、りっちゃんにそれは通じない。一緒にビデオを観ようと誘って、頷かれた段階で、りっちゃんは何かを言いたかったはずだと、俺は思ってる。そういう方面のことについて、俺と話をしたかったはずだと、かなりの確率で信じている。ただ、他の奴と違うのは、切り出すのにかなり勇気がいるらしいということ。バカ話でごまかせそうなことを、りっちゃんに限りかなり、真面目な顔で受け取らないとまずいらしいということ。
「やっぱり、こういう感じかたって変だよな。やはり」
いつもの口癖を二回繰り返し、猫が皿をなめるような感じでグラスの中をすすっている。
最後に、グラスを下ろし、ぎゅっと胸で膝を二山抱え込んだ。
「なぐちゃん、奈良岡さん見てて、ああいうことしたいとか思ったこと、あるか?」
──あたりまえだよなあ。
言葉で返す野暮なことはしない。俺は正面から笑顔で答えることにした。幸い、りっちゃんは言葉以外のボディーランゲージをすぐに読み取ってくれる。嫌われるんでないかどうしようか、ときょときょとしていた視線が俺の顔で落ち着いた。ほんのわずか、唇が開いた。
いつか話すこともあると思うけれども、五月、俺はどうしようもなくひとりの女子を追いかけつづけていた。過去形じゃない。今でも同じく走りつづけているって感じだ。
奈良岡彰子。
俺の中で追いかけたい。そう思えた女子は初めてだった。
周りからは、
「お前、もう少し選びようあるだろ」
とか、
「そりゃあねーさんはいい奴だと思うけどなあ、でも、ルックス考えたことあるのかよ」
とか突っ込まれた。言いたいことはわかる。要するに俺の今まで付き合ってきた女子とは違うって言いたいんだろう。気まぐれじゃねえかって言いたいんだろう。
でも、俺が彰子さんに惚れたのはそんなもんじゃない。
入学式にすれ違った時からの一目ぼれだ。
なんで一年の段階で告白しなかったのか、なんで別の女子と付き合ってしまったのか。いろいろ彰子さんがらみの出来事が起こった後、仲間に突っ込まれた。
「だってさ、彰子さんにはすでに小学校時代から彼氏がいたって聞いたもんでさ」
本当のことである。たまたま、彰子さんと同じ小学校出身の先輩と話をすることがあって、
「あの奈良岡さんって子な、外見に似合わず、めちゃくちゃもててるんだぜ」
と笑い話のように教えてもらったからだった。本気だった俺はすぐに確かめるべく、直接町まで行って確認した。たいしたことじゃない。彰子さんが通ったであろう中学の通学路に立ってみて、小学校時代の友だちを誘い女子をナンパしてみただけだ。いろいろ聞いてみただけ。幸い、そのナンパ相手と俺の友だちは巧くいったみたいで罪悪感はかかえないですんだ。そのカップルから情報をいろいろ仕入れていくうちに、俺には望み薄だということが判明した。
かなり一年時は落ち込んだ。ガキだったから、奪えばいいという発想まで行かなかった。
羽飛の言うとおり、俺は一年のとき、女ったらしだった。
好きな子をあきらめて、忘れるために付き合っていたのだといわれても言い返せない。
俺の憶測が全くのでたらめであり、彰子さんがフリーだということが判明したのが五月の中頃だった。
なんのことはない。彰子さん本人が堂々とクラス中に言い切ってくれたのだ。
それなりに彼女という存在を持っていた俺としては、かなり悩んだ。今までのように、「やはり本気になれない。ごめん」という振り方じゃないのだから。本気で付き合いたい子が出来てしまった。だから別れる。それってかなり尾を引きそうだった。しかも俺はその後間をおかず彰子さんに打ち明けるつもりでいた。当たり前じゃないか。いつ取られるかわからない。あのもてもて伝説を一年間、いろいろ聞かされてきた俺としては。青大附属ではそんな事実がないような扱いをされてきていたけれども、俺にとっては好都合だった。だって、そういう噂が流れたら、「じゃあ俺も」って手を挙げる奴が出ないとも限らない。
今だから言えるが、俺の架空ライバルは、水口要坊やだった。
──なあにが、「鯖の解剖」をするっていうんだ!
──俺だって料理のひとつや二つぐらいできるってのに!
真面目に、寝られない日々が続いていた。
その後いろいろあって、なんとか彰子さんとは「お付きあい」というところまで進んだ。なにせ小学校時代のファンから熱烈に愛されている彰子さんのことだ。いつ誰が手を出すとも限らない。俺としては精一杯の誠意をぶつけたつもりだったけれども、やはりかつての「南雲秋世女ったらし伝説」が轟いていて、彰子さんはかなり傷ついたと思う。それでも、俺のことを
「あきよくん、っていい人だね」
と笑顔で誉めてくれると、全て許されたような気になる。なんというか、甘えるということをしないのだ。女子って付き合いはじめると、あれしてほしい、これしてほしいというのが普通だと思っていたんだけど、彰子さんは違う。いつも俺が迎えに行くたびに、
「あきよくん、ありがと。いつもごめんね」
と微笑んでくれる。毎回だ。この人はいつも「ありがとう」「うれしい」その言葉をどのくらい繰り返しているんだろう。俺だけじゃない、他の奴にもそう言っているとわかっているけれども、それだけで俺は完全にくらくらしてしまう。
りっちゃんが言う通り、いつかは、「そういうこと」をしてみたいという気持ちはある。そりゃあある。まだキスすらしていない。今までの付き合い相手と違って彰子さんとは、俺のばあちゃん、父さん母さんすべてに紹介済みだし、すでに家族でのお食事会なんかもやっちゃっている。ひとりっ子……厳密には違うのだが……同士で、たまにはこういうのもいいだろうということで、中華料理屋でパクパク食いまくった。食べ物は食べるが、肝心要の彼女は食べない。不条理だが、しょうがない。俺が決めたんだから。
りっちゃんはまた同じ言葉を繰り返した。
「やっぱり、付き合っていると、そう思うよな」
何かを言いたくてならないのに、口に出せないで迷っている。要は俺にきっかけを作ってほしいみたいだ。なんか俺はりっちゃんの考えていることが手に取るようによくわかる。
「清坂さんとそうしたい、って思わないのか? りっちゃんは」
あごをちょこんと膝に乗せ、グラスを弾いた。鈍い音が小さく聞こえた。
「この前、うちに来てもらったんだ」
いきなり話が飛んだ。りっちゃんのくせ、その二だ。俺は相槌代わりに頷いて呼吸を合わせてみた。
「いつ?」
「終業式が終わってから、その、いろいろあって、約束してたから」
十二月二十四日が青大附属の終業式だった。まごうことなきクリスマスイブだ。俺もこの日は彰子さんを誘って俺なりのデートコースを用意したかったのだが、残念ながら向こう側の奴に先手を取られてしまった。いろいろあるのだ。とりあえずお正月の初詣については予定をいれておいたのだが。くやしいぞ。
一応りっちゃんが、六月から同じD組の清坂美里さんと付き合っているのは知っていた。なんとなくだけどりっちゃんを後押ししたのが、二年D組の男子連中だってこともある。俺としては当時、当然だと思ってしたことだったけれども、最近はどうも首をひねる時がある。ほんとによかったんだろうか、りっちゃん、と呼びかけたくなることがある。人の色恋沙汰に手を突っ込むのはどうかと思うけれど。
男としての建前上、りっちゃんがずっと好きだった清坂さんにつきあいをかけた、というのが定説になっている。けど、二学期に入ってからちょっと気になることがあって俺はりっちゃんに確かめた。はっきり答えなかったけれども、やっぱり清坂さんに押し切られたというのが本当のところだったらしい。結構女子って強いし怖い。
それはそれでいいと思う。それでふたりともうまく行っているんだったら。
りっちゃんなりに一生懸命清坂さんに話をしたり、一緒に帰ったりしているみたいだし。
ただ、なんとなく気に入らなかったのは、挟まる羽飛の立場だった。俺が考えすぎなのかもしれないけれども、ふたりの間を取り持とうとする振りして実は清坂さんとべったりしようとたくらんでいるとこが、なんとなく気持ち悪かった。
俺がりっちゃんの立場だったら、まず一言二言文句言うだろうな。
二学期に入ってから、たまたまりっちゃんと、羽飛、清坂さんとの間が険悪になった時期があり、俺も規律委員の立場としてちょこちょこ様子を見ていた。評議委員がクラスの統括を担当するとしたら、規律委員はファッション流行チェック……じゃなくて、細かい人間関係とかいやがらせとか、そういうので問題がないかどうかを確認する。表向きはスカートの裾だとかネクタイがゆるんでないかとか、その程度のチェックにすぎないけれども、結構裏ではいろいろやることが多いのだ。
実際、りっちゃんが夏休みの宿泊研修中にやらかした事件が、おふたりさんとの間でなにやら尾を引きずっているのは確かだった。俺も詳しいことはあえて聞かなかった。後で本条先輩から全部教えてもらった程度の情報しかない。でも、もし彰子さんが清坂さんの立場だったら、きっとぽこんと頭を叩いて「もう、いざとなったら相談してね」とにっこり笑って終りだろう。そういうお方だ。我が花散里の君。
残念ながら清坂さんは花散里ではなくて、巴御前だったらしい。
羽飛と連合して、教室の片隅でりっちゃんを追い詰め、罵りつづける姿を見たら、たぶん俺以外の男みな恐怖すると思う。おそるおそる、「あの三人には一切、口を出さない方がお互いの身の為だ」とおふれを出したのも当然だ。規律委員としてではなく、人間関係を保つ上での、保身だ。
りっちゃんがその後何日か学校を休み、羽飛と清坂さんがなにやら相談し、次の週でまたもとのさやに収まったのはまずめでたいことだと思う。少なくともりっちゃんにとっては、すっぱりと縁を切られるよりはよかったんだろう。俺もよけいなこととは思ったけれども、羽飛にちらっとかまをかけてみたりもした。
──りっちゃんでなくておとなりさんってことだよな。
瞬間沸騰しそうになっていたところをみると、図星だろう。
この辺は、俺の個人的むかつきなので、あまりりっちゃんには話したくない。
いろんなことを考えながら、俺はりっちゃんに話を促した。
「クリスマスイブじゃん。どこかデートに連れてったんか」
「うん、うちに連れてった」
「うちって、りっちゃんの?」
「うん、家に誰もいなかったから」
そこまでりっちゃんははにかみもせず、素直に答えていた。「誰もいなかったから」とあっさり流してしまえるところがなにか、ひっかかる。それでそれでと、さらに糸をひっぱってみた。
「で、何した?」
ジンジャエールを舌先でちょこちょこなめながら、りっちゃんは片方の手でひとつひとつ数え始めた。
「前の日から来てくれるってわかってたから、ケーキとか用意したし。でもケーキだけだったら体によくないから、ちゃんと食事も用意したし。サラダとスープとパンプティングと、あとロースとビーフと、ジュースっぽいシャンペンと」
──俺も行きたかったなあ。
よだれが出そうだ。今のは全部手作りのはずだ。りっちゃんは料理がうまい。美味しいものを作ることができる。それは男女合同の家庭科の授業で前から知っている。
でも、なにかりっちゃんの口調には、クリスマスらしくない冷めた感じが残っている。
「ただ食ってただけか?」
「食べてから、テレビみたり、プレゼント交換したり」
「おお、クリスマスパーティーの定番だ」
あえて。何をもらったか、何をプレゼントしたかは突っ込まずにおいた。
「それから?」
「それだけだよ!」
突然、りっちゃんはグラスを両手で握り締め、唇をかみ締めた。何か気持ちが高ぶりそうになると、いつもこんな顔でこらえるのがりっちゃんのくせだ。普通に見せようとするんだろうけれども、うまくいってない。隠しているつもりなんだろうとは思う。必死にポーカーフェイスを通そうとしているんだろうとは思う。ただ、周りの奴には丸見えなんだ。気付かないふりをしてくれていることを、りっちゃんは知らないのかもしれない。
「ごめん、いやな。俺がもし彰子さんとふたりで、りっちゃんと同じシュチュエーションだったとしたら、どうしたかなあって思っただけなんだ。俺、ご存知の通りスケベだから、押さえてられたかなあとか、思ったりしてさ」
笑い話でごまかしたかった。そしてついでにため息もついた。全く、小学時代からのマドンナを恋人に持つと、独り占めできないのが悔しいのだ。
「じゃあ、何すればよかったんだよ。なぐちゃん。俺は何もしてないのにさ、なんであんなこと言われなくちゃいけないんだよ。ちゃんと、向こうが喜んでくれるようにって、ずっと今までひどいことしてたからせめてなんかしようって、思ってただけなのにさ」
「誰に言われたんか」
目が大きく潤んでいる。泣きたいのをかなり無理にこらえているみたいだ。顔を見ずに、俺は例の裏ビデオを拾って本棚にしまおうと立ち上がった。
「うちの、親にさ」
短く言葉を区切り、茶色くともった灯りの中、りっちゃんは膝を抱えてうずくまった。
今は十二月二十五日の夜。あと五分でクリスマスは終わる。
たまたま昼、くさった気分で小学校時代の連中とゲーセンをうろついていたら、ひとりぼっちでうろついているりっちゃんを見かけた。焦げ茶のピーコートに共布のハンチング帽を被っていた。ゲーセンで遊ぶ格好ではなかった。目がうつろですぐに出て行こうとしていたのを、俺がひとりで追いかけたというだけのことだ。
うちに泊りに来る? と誘ったら頷いた。うちにはばあちゃんしかいないし、いつも友だちを連れ帰っては泊めてたりするので、なんの気遣いもいらない。りっちゃんもその後、自分の家に留守番電話へメッセージを入れていたようだから、たぶん家出したわけではなさそうだった。