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青潟大学附属シリーズ  高校編


  作者:舞夜じょんぬ

31

 初日の試験を休むはめになったのはやはりショックでふてくされていた上総だが、二日目ともなるともう開き直るしかない心境で横たわっていた。
 熱も初日の三十九度近くから、三十七度にまでなんとか下がった。
「あんたの風邪は移るもんじゃないからね」
 ──別に帰ったっていいのに。
 泊まっていった母が、今度は熱いおかゆを用意して枕もとに置いてくれた。
 正直、もう少し喉越しのよいもの……たとえばそうめんとかゼリーとか……を所望したいところだが母には通じない。
「上総、早く身体元通りにしてもらわないと、来月のゆかたざらいの時に困るのよ。男手が足りないんだから」
 ──結局人足かよ。
 だいぶおなかもへってきたし、冷ましながら食べればそれなりに美味しい。たぶん冷凍庫に残っていたシーフードミックスを混ぜてこしらえたものだろう。えびやほたてが舌に馴染んで甘い。
「まだ、残ってる?」
「ああ、おかわりね」
 やはり母の態度は少しやわらか過ぎた。おかゆのように。
 さらに山盛りで茶碗に盛られた、シーフードおかゆを上総は一気に平らげた。
「明日は学校行くから、もう来なくていいよ」
「あんたに言われなくても、明日は仕事なの」
 枕に頭を乗せ、天井を見あげたまま上総は尋ねた。
「なんの仕事してるの」
「ちょっと、いろいろあるのよ」
 珍しく母は言葉を濁した。
「踊りの関係?」
「まあね」
 今日も袖のない鶯色のワンピースだった。髪の毛はやはりひとつにまとめて背中に流している。爪は透明のマニキュアのみ。それでもすぐに仕事を始められる格好ではいるようだ。
「たいしたことじゃないんだけど、ちょっと来月大きな会の手伝いで青潟を離れるのよ」
 ──ということは夏休み、母さんと顔を合わせなくてよい。
 ほっとするのもつかの間、即座に母は繋いで言う。
「できたらあんたにも、手伝いたのみたいのよね。賃金はずむわよ」
「悪いけど断る」
「いい小遣い稼ぎになると思うわよ」
 ──胃に穴があくのはいやだよ。
 罵倒しあいで、いつもなら母を宥めてくれる父もいないとなったら。
 母は無理じいする様子もなく、水さしと上総の食べ終わった食器をおぼんに載せ、部屋を出た。やはりおかゆ状態としか、見えなかった。

 試験科目は初日が五教科、その後残りの教科……音楽や保健体育……を二日目に行う形式となっている。英語科の場合はさらに英会話とヒアリングを含めた試験が待ち構えているので普通科の生徒と異なり拘束時間が長い。英語科の生徒たちのみこの日は弁当持参だ。
 ──と、なると、もうそろそろ終わったころかな。
 二度寝してもう一度目を覚ますと、巨大目覚まし時計は十二時五分前を指していた。
 だいぶ熱がひいたとはいえ、やはり頭はそれなりに痛い。寝すぎたせいかもしれない。たぶんこの調子で試験を受けても全教科……下手したら英語も……追試間違いなしだし、それなら休んで正解だったのだ。そう思うことにしていた。
 ──今回の試験は誰がトップだろう? やはり轟さんかな。
 特待生こそ諸般の事情で外されてしまったとはいえ、やはり頭脳抜群の轟琴音はそれなりにがんばることだろう。上総からしたらやはり、たかが古本を拾って売る程度のことでヒステリックに騒ぐ意味がわからない。天羽たちが轟を懸命にかばいたがるのもよくわかる。彼女は自分で道を切り拓こうとしているだけ。一方的な正義で物事を計るのには疑問符が付く。
 ──さすがに今年一年学年トップを取ったら、特待生、取らせないわけにいかないだろうな。
 たとえ正義感の強い輩に邪魔をされたとしても、そのあたりは堂々と切り抜けていくであろう、そんな気がした。
 ──それにしてもあの場で仕切ったのがもし、轟さんだったらな。
 二日前の壮絶なぶつかり合いとその結末に思いを馳せ、上総は枕もとの水さしからコップに注ぎ、一気に飲んだ。やはり水はぬるかった。窓から指す暑苦しい光りでぬるんでしまったようだった。
 ──もし、あの場で轟さんが行司だったらどちらに軍配を挙げただろう。
 いくら同情を乞うような言動を渋谷名美子がしたとしても、きっと轟ならば動じなかっただろう。公平にすべてを処理してくれたのではないかと、思わざるを得ない。また杉本も、渋谷を許すなどと血迷ったことなど言わなかったのではないだろうか。
 こずえが悪いとは思わないが、まず先に結論ありき、でもっていかれた感はある。
 藤沖の立場を鑑みた結果とはいえ、やはり上総には納得いかない。当事者の杉本が決断したのだから、上総も受け入れなくてはならないのだが、やはりなんというか、
 ──あのふたりにしてやられた。
 その心持ちは消えない。
 ──きっと古川さんは、最初から杉本の単純でおひとよしなところを見抜いて、そこを刺激するような展開で持ってったんじゃないか。藤沖がいきなり霧島さんのことを語り出したり、渋谷さんが犠牲者だとかわけのわからないことを言い出したのも、それは杉本の気持ちを動揺させるためなんだろうし。杉本は一方的に罵倒されれば刃向かうが、同情を乞われると弱いんだ。それに、佐賀さんの。
 そうだった。佐賀はるみ。最大の弱み。
 ──佐賀さんに謝ってもらって、溜飲を下げたいだけだったんだ。
 杉本梨南にとって、何よりも欲しいもの。
 それを手に入れるためならば、多少の傷などものともせず。
 そんなおめでたい杉本の性格を逆手に取った、この結末。
 ──本当に、それでいいのかよ!
 それだけではない。
 ──俺が最初から信じてないって、言ってないだろう? 俺、なんか間違ったこと、言ったか? そりゃもちろん、俺は現場にいない以上百パーセント信じることはできないとか言ったけど、それは当たり前のことだろう? それ以上に事実がどうであっても味方だって言ったこと、杉本、聞いてなかったのか? 
 良かれと思い最初に伝えたことが、どうやら杉本には違った形で伝わっていたようだった。
 ──最初から嘘でもすべてお前を信じる、って言ったほうがよかったのか? けど、それは、無理だろ? 嘘じゃだめだろ。だから、ああ言ったのになんでだよ。
 また熱が上がりそうだ。ぬるい水でもよい。全部飲み干した。
 日記のノートはすぐに机の奥へ隠し鍵をかけた。人の日記を盗み読みするとは最低の親だが、予想できなかったわけではない。だからドイツ語で綴ったわけなのだが、全くもって甘かったとしか言い様がない。
 ──次回からはフランス語を勉強して書くか。それともアラビア語か。
 やけっぱちで思う
 どちらにしても、明日以降の英語科へ向かう足どりが重くなるのは確かだろう。
 すっかり抜け落ちた数学の公式、化学の元素記号、世界史のローマ帝国建国前後、などなど拾い集める気力もない。
 上総はそのまま横たわった。クーラーをかけて寝るか、窓を開け放したままにするか迷ったが、どうしてもかび臭くなりがちなので少々暑さを堪えることにした。
 ──それにしても、藤沖はどんな顔して、したんだろう。
 熱にうなされた夢の中で、時折ちらつく記憶だった。なぜか先日の視聴覚準備室での出来事を巻戻すわけではなくて、藤沖と渋谷がふたりきりでいったい何を……という妄想のようなものだった。もちろんリアルに観るわけではなく、肌をくっつけあう雰囲気のみで目が覚めるのだが、全身が汗びっしょりになり眠れなくなる。
 ──信じられないが、事実なんだよな。
 上総の知る中で、おそらく女子とはそう気軽に付き合う性格ではないと思っていた藤沖が、よりによって後輩とそういう関係を結んでいたとは、今だに信じられなかった。むしろ上総や杉本梨南を言いくるめるためにそういった芝居を打っただけと判断した方が自然にも思える。そう割り切って受け止めればよかったのに、なぜ動揺してしまったのだろう? 思えばその事実を聞いた瞬間、上総の中でバランスが崩れてしまったような気がする。
 ──俺もなぜ、あんなこと聞いたくらいで自制心を保てなくなるか、だよな。
 渋谷の口から謝罪以外の言葉を引き出すことさえできれば、完璧に杉本は勝利できただろうに。どんなに杉本が満足したところでこれからの半年間は「修学旅行四日目夜におねしょしてしまった杉本さん」のレッテルを貼られるはめになる。それをはがそうとしても、言い訳も証明もできないのならば、もう無理だ。
 自転車の軋む音が家近くできりきりと聞こえた。
 まだ、夕刊が届く時間帯でもないのに。すぐにチャイムが鳴った。誰かが訪ねて来たのだろうか。上総は横になりながら、目を閉じた。寝ているふりをしておくに限る。

 玄関口でなにやら受け答えする母の気配を、ドア越しに感じた。
「あらいらっしゃい。ちょっと待っててね」
 どうやら上総の関係らしい。親しげな口調で話し掛けているところを察するに、おそらく青大附高の誰ぞが直接見舞いに来たのではと想像する。自分のパジャマがかなりよれよれで汗をかいていることに気がつき焦る。二日目だし、夏の盛りだし、いくら病人とはいえこのままで人には会えないだろう。誰か、にもよる。
 ──まさか関崎と古川さんなんて言わないだろうな。
 可能性はある。
 ──天羽と轟さんと難波なんて組み合わせかな。
 まだこちらの方が気も楽だ。
 ──あとは……。
「上総、起きてる?」
 一応ノックをし、母が入ってきた。腕に畳んだ浴衣、片手には六角形に畳んだ兵児帯を携えている。浴衣自体は白地に紺の地味目幾何学模様が施されているもので、おそらくだが日舞流派のおそろい用だろう。一言で片付けるならば、旅館か病院で用いられるたぐいのもの。
「女物で悪いけどあんた、これに着替えなさい。そんなだらしない格好だと人前に出られないでしょう」
「誰か来たの?」
 母の口許にかすかな笑みが浮かんだ。目がやたらとぎらついているのは気のせいだろうか
。身構える。こういう時の母は、何かを企んでいるか見抜いて攻撃してくるかのどちらかだ。
「羽飛くんと美里ちゃんだけど」
 なぜ、美里に対してだけ「ちゃん」付けするのかわからない。普通、苗字で呼ぶものじゃないか。つっこみたいが、何故か言葉を飲み込んでしまう。ベッドに浴衣と兵児帯を投げて渡された。
「少し居間でジュース飲んでもらってからあんたの部屋に連れてくるから、早く脱ぎなさいよ。あ、それと、羽飛くんだけよ。美里ちゃんは私がこれから『聖少女』に連れて行って、抹茶ケーキセットをご馳走するから、そのつもりでいなさいよ」
「え?」
 言われた意味がわからない。現段階で貴史と美里がふたり、玄関でお見舞いに来てくれたというのは理解した。たぶんあのふたりなら、どちらも上総の家に来たことがあるから不思議ではない。しかしなぜ、美里だけ母が連れ出さねばならないのか。
「なんでそんな面倒なことするんだよ」
「あんたねえ、自分の部屋にエロ本何冊隠してるの!」
 いきなり甲高い声で言い放たれた。窓を開けっ放しにしていたことを後悔した。たぶん、玄関のふたりには……主に美里……聞こえていないと信じたい。クーラーにすればよかった。
「失礼だな、親でも侮辱罪にあたると思うけど」
「隠すならもっと賢くやりなさいよ。なんで参考書のカバーやら『グレート・ギャツビー』の函の中やら、そんな一発でばれるようなところに『キャリアOLの危険な夜』とかいったものつっこんでるのよ。それも一冊二冊じゃないでしょうが。全く、そんな野獣めいた部屋にね、お年頃の可愛い女の子を入れるわけにはいかないのよ!」
 ──この人、親として認めたくない……!
 やはり、本性見たりのこの瞬間。
 日記を盗み見されていた段階で気付くべきだった。
 まさか、勝手に本棚までチェックを入れられているとは思ってもみなかった。
 熱なのかそれとも滾る血なのか区別がつかぬ。かろうじて発した。
「親子といっても他人だろ! 人のプライバシーを侵害する権利ないよな!」
「その言葉、自分でしっかり生活費を稼ぐことができるようになってから言いなさい、上総。あんたはまだ親の保護下にあるひよわな未成年なのよ、そのくらいわかるわよね」
「基本的人権は守られないってわけかよ!」
「権利ばかり主張するんじゃないの、あんたには親に従う義務がまだあるのよ。この家に住んでいる限りあんたはまだ、親の言うことに耳を傾ける義務があるし、もっというならあんたが何を考えているか馬鹿なことをしでかさないか目を光らせる義務と権利が私たち親にもあるの」
 ──酷い言い草だ。
 こぶしを思いっきり握り締めたまま、身体を起こして上総は布団をひっつかんだ。
「だからって、人の本棚を弄ることはないだろう? 本棚は自分の脳みそだって父さんだっていつも話してたじゃないかよ!」
「まあねえ、一応は脳みそかもしれないけれどもねえ、ただ真っ赤なスーツを来た派手なお姉さんの映像は入ってないはずじゃないの、あんたと違って和也くんの場合は」
「悪いけどその本は俺の趣味じゃない。母さん世代には興味なんかないよ」
 きっぱり言い放ってやった。
「あれ、俺の後輩に頼まれて預かってるだけだから。趣味悪いよな」
 思いっきり嫌味を混ぜてやった。
 例のグラビア写真集をもし見つけたとしたら、あれは霧島の趣味で選んだものであって上総の好みでないとはっきり伝える義務がある。母の眼をじっとにらみ据え、ベッドに座ったままぶつけてやる。母の表情が眼からどう変わっていくかを観察すると、
「上総、あんたねえ、ほんとおめでたい男ねえ」
「何?」
「勝手に決め付けて、言い訳するのは見苦しいわよ」
「誤解は早めに解く方がいいに決まってる」
「悪いけどなんで、私世代に興味ないってわざわざ言い切る必要あるのよ。あんたのお年頃ならば、美里ちゃんのような可愛い子がタイプでしょうにねえ。年増に興味ないってそう断言してどつぼに嵌るって勘違いもいいとこじゃないの」
 あっけにとられて黙る上総に、母はベッドの浴衣を指差し、背を向けつつ告げた。
「五分後に羽飛くんを連れてくるから急いで着替えなさい、まったく口ばっかり達者になっちゃて、頭はまだまだ子どものくせにねえ」
 ──勝手に決めるなよ! 
 一時だけでも「様子が変わったのか?」と不安を覚えた自分を笑ってやりたい。やはりこの人は、母親で烈女であることに変わりない。母がいなくなったところで大急ぎ、パジャマから浴衣に着替えることにした。着方は知っているが、襟から広げてみて愕然とした。
 ──これって嫌味かよ。あの人っていったい。
 浴衣の袖が腰近くまで長いままだった。
 ひとえにこれは、女ものをそのまま持ってきたに違いない。
 ──仮にも自分の息子だぞ。舞台で女踊りやるわけじゃないのに、正気かよ。
 それでもぱりりとした糊の利いた浴衣は、肌にひんやりと気持ちよく馴染んだ。襟をしっかり首筋にくっつけ、前をかきあわせ、いそいで兵児帯を締めた。さすがに丈は揚げをしなくても問題なく着られた。こんな幼稚園女児のお祭り格好でいるのなら、ベッドに入ったままの方がやはり、よさそうだ。

 着替え終えてウエットティッシュで額と首筋をふき取り待っていた。丁寧なノックの後で母に連れられて貴史が入ってきたのと同時に立ち上がった。
「お前、なにその格好」
 あっけにとられた後、大爆笑するのは止めてほしい。せっかく労をねぎらおうと思ったのになんなんだこの態度は。ベッドの端に座り直すと同時に母がリンゴとサイダーを一本、置いて行った。
「羽飛くんもいつもありがとう。このボケ息子がまた馬鹿なこと口走るかもしれないけど、もう熱もだいぶ下がっているから遠慮なく喝を入れてちょうだい。私はこれから美里ちゃんと女の子同士のお茶会してくるわ」
「え、あの、どこへ」
 戸惑うのも無理はない。貴史がどもりながら母に確認する。
「喫茶店だよ」
 上総が口を挟む。
「あ、でもあいつも顔出したがってるし」
 貴史なりに気遣いしてくれているのか言い返そうとするのだが、あの時辻沙名子に太刀打ちできるわけもなく、あっさりかわされた。
「男子は男子同士で語らってもらった方がいいのよ。一時間くらい家空けるからどうぞごゆっくりね。それと上総、飲み物足りないようなら、地下室のジュース自分で持ってきなさいよ」
 ──いったい何考えてるんだか。
 ここで母に逆らっても碌なことはない。むしろ美里にとっても和風喫茶「聖少女」のあんみつセットを御馳走してもらった方が嬉しいのかもしれない。目配せしてまずは貴史を黙らせ、上総はサイダーの栓を抜いた。冷えたままの瓶で手が少し濡れた。

「しかしなんで美里だけ、なあ?」
 玄関の戸が閉まる音を聞きつつ、貴史は上総の机から椅子をひっぱりだし、ベッドの脇まで引きずってきて座った。ちょうど日のあたる位置。汗びっしょりかいてきたんだろう。制服のシャツはよれよれだった。二つボタンを外している。
「誰もいないんだからさ、脱げば」
「じゃあお言葉に甘えて」
 貴史は緑のランニング一枚となり、一気にサイダーを飲み乾した。
「今日は部活、休みなのか?」
「まあ、そんなとこだ」
 バスケ部に限らず、運動部の練習は試験が終わればすぐ行われるはずなのだが。あえて細かいことは問わず、上総は最初の質問に答えた。
「野郎ふたりが待ち構えている部屋の中に女子ひとり置いとくのは危険なんだってさ、あの人の持論」
「はあ、俺たちって狼扱いされてるってことかよ」
「そう、何考えてるんだか」
「もっともだ、俺も美里には立たねえよ」
 ──今、なんと言った?
 全く狙ったわけでもない、ただ自然にするっと出てきた貴史の言葉。
 息が止まる。
 こういう話、別に初めてというわけでもないのに。
 上総の沈黙に、貴史も最初目を丸くしていたが、すぐに頷いた。
「ああ、そっか。お前の立場ならな、まあそう思われてもしゃあねえか」
「別に、俺もそんなつもりないよ。誤解されて不愉快なのは俺も同じだ」
「そういうんじゃなくて、やっぱしさ、お前は美里のこと、それなりに意識したこともあったろ。まあ、俺くらいになればガキの頃からああいう付き合いだからな、乗りが違うだがなあ」
 思い当たる節がないわけではない。だから答えられない。中学時代まがりなりにも「両思いのお付き合い」を美里と経験した上総にとって、結末がどうであれそれなりの気持ちを持て余したことは確かにある。ただそれが、美里にとって欲しい感情だったのかどうかは別だろう。修学旅行四日目夜、美里とふたりきりで過ごした時、自制の掛け金を外さぬように膝を抱えてこらえた記憶は今も生々しく残っている。もちろん、その高まった気持ちはすでに手放していると言い切りたいのだけれども。
「でもなんで、わざわざ見舞ってくれたんだ?」
「当たり前だろ、長い付き合い」
 青大附属生たちはこうやって、風邪をひいて休んだりなんなりするとすぐ声を掛け合って見舞う習慣があった。ただ同じクラスの連中が殆どであって、他クラスの場合は遠慮してしまうことが多い。英語科のクラスメートが来てくれるとは思っていなかったのだが、貴史と美里の組み合わせというのもちょっとばかり予想外だった。
 貴史は膝に手を置いて、大きく溜息をついた。
「しっかしあちいなあ。なあ立村、今度プール行こうぜ」
「泳ぐのは苦手だからいい、それより」
 氷のまだ溶けていないサイダーをなめながら上総は尋ねた。
「東堂の件も含めて、結局清坂氏うまくいってるのかな、B組で」
「ああ、やっぱし聞かれると思った」
 膝を二回、ぱりぱり叩き、貴史はにやりと笑った。
「だから今日、お前の顔でも見て気晴らしするつもりだったんだがなあ」
 ──俺の顔が気晴らしになるんだろうか?
 疑問はあるが、せっかく話してくれるのならば聞いておきたかった。

「東堂が美里を嫌っちまったのはもうどうだっていいんだがなあ」
 声を低くした。誰に聞かれているというわけでもないのだが。
「それよか、女子同士のなんたらかんたらがまあいろいろあるみたいだぞ。相変わらずな」
 ──確か静内さんとのトラブルがあるとかないとか。
 関崎の彼女候補ナンバーワンと噂される、静内菜種のことだろう。
 髪を束ねた清楚な感じの、あまり目立たない女子に思えた。そんな癖のあるタイプには思えない。
「美里曰く、『何にも言わないのに、静内さんの周りがみな女子の仲間たちで固めらてる。磁石みたい』だと。露骨な嫌がらせをするわけじゃあないんだが、美里がどうしても悪目立ちしちまうんだろうな。小学校と同じバターンだっての」
「そうなのか」
「他の連中からも、美里に近づくと碌なことねえよ、って感じで見られちまってるようでな。とにかく面倒なことになっちまってるらしい」
 だいたいそんなところだろうとは思っていた。外、A組から見ていてもそう感じるのだから、しょっちゅうしゃべりあっている貴史ならばなおのことだろう。
「立村、正直どう思う?」
 いきなり問われて上総も戸惑った。どう思う、と言われてすぐに答えられるわけではない。答えはあってもそれを貴史に言うことはできない。

 ──清坂氏は関崎に夢中だということを、羽飛、気付いているんだろうか。
 読めない答え。口に出せない問い。
 美里のことを誰よりも理解しているはずの貴史が、揺らぐ思いに気付かないわけがない。そう断言したくなる一方で、この脳天気な言動たるや、なんだろう? 美里のことを心配しているということは理解できるのだが、その理由を探ろうとしない。勘付かない。
 ──俺から見てもあからさまなあの態度を、どうして羽飛は気付こうとしないんだろう。
 このまま黙って見ていたら、明らかに美里は手痛い失恋を被ることになるだろう。
 それも、クラスの天敵たる静内といちゃつかれる可能性だってある。
 ただでさえクラスから孤立寸前の美里にとって、痛手にならないわけがない。
 ──それに、清坂氏は見た目よりもずっと弱いかもしれない。
 美里の傷口は、思ったよりも深いように思えた。かつて自分の側でああだこうだと騒ぎ立てていた頃の美里とは違う。言葉を控えるようなそぶりが見える。
 ──仮にそうなったとして、羽飛はどうするつもりなんだろう。
 幼なじみを心配しているだけのようにも見える。いいかげんアイドル鈴蘭優ファンはやめて現実に目を向けた方がいいのではとも思う。誰もが本来ならばベストカップルとして認めるべきふたりなのだから、素直に一緒にいればいいのにとも感じる。
「あのさ、羽飛」
 質問とは食い違う答えを返してみた。
「今、誰かと付き合う気、あるのか」

 あっけに取られた顔でしばらくひょっとこ状態に変化した貴史、その表情が笑えた。思わず吹き出しそうになると、思いっきりはたかれた。
「お前なんも聞いてなかったろ!」
「いや、なんとなく。相変わらず鈴蘭優を追いかけるよりも、そろそろ生身の」
「悪いが俺は生の女子に幻想なんぞ抱いてねえよ」
 ひとりで大笑いしだした。椅子をくるくる回して足をぶらつかせた。
「やんや、目が回るぞ今の発言。立村、お前からそんな質問食らうとはなあ」
「真面目に聞いたんだけど」
「お前も知ってるだろ? 俺と美里がガキの頃からそういう目で見られてたってこと。それを否定するのにすげえエネルギー使ってたってこともな」
 確かに。事実がそこにあるのだから仕方がないといえば、仕方がないのだが。
「悪いけどな、もしここでだ。美里がベッドの上で水着姿で寝ころがってたとしても、俺はびた一文手をつける気はねえよ。だって、くらくらこねえもん」
 ──本当か?
 自然の衝動を否定するその言葉には、上総から疑問符がつく。
「やっぱりなあ、お付き合いするんだったらそれなりに、こうやってだ」
 いきなり貴史が押し倒してきた。病み上がりの身体にはやめてほしい。第一、そちらの趣味はない。貴史は笑いながら上総の肩をぽんぽん叩いた。
「こうこなくちゃ、嘘だろ? 悪いが俺もそっち趣味はないけど、お前どうなの。本条先輩ともしや一線越えたとか」
 思い切り膝で急所を狙ったがはずれた。ひょいと逃げられた。
「言っていいことと悪いこと、あるだろ?」
「悪い悪い。俺だって好みはちゃんとあるんだってこと」
 上総は身を起こしてはだけた裾を直しながら溜息を吐いた。
 ──どちらにしても、羽飛が清坂氏と友情以上の付き合いを考えているわけじゃないってことだな。
 
 もし貴史が美里のことをそれなりに想っているのなら話は簡単だ。
 あっさり美里をくどいてもらえばいい。
 しかしその気持ちがさらさらないようならばしかたない。友情でもって支えるしかない。
 だが上総からすると、やはり貴史の気持ちがまだ読みきれない。
 
「じゃ、もしも清坂氏が別の奴と付き合ったらどうする?」
 こぼしそうなグラスをテーブルに置いた。
「お前とより戻すんでなくてか」
 上総は首を振った。まず、もう、ありえないことだ。
「たとえば誰だよ」
「誰って、わからないけど」
 関崎の名は出さなかった。どうやら貴史、本当に見当つかないらしい。
「あいつの面倒見られる奴ってそういねえだろ」
「面倒みるかどうかは別として、もしそういう相手がいたとしたら、もし清坂氏がひとりになってしまったとしても、たぶんめげないですむんじゃないかって気はするんだ」
「じゃあ立村、お前がそれ適任じゃあ」
「ないよ」
 今度はきっぱり否定した。はっきり言っておいた方が話、ごたつかなくてすむ。
「たぶん清坂氏ももう、望んでないよ。俺とは中学三年間で懲りたろ」
 無言で貴史は上総を見つめた。
「本当だよ」
「まあいっか。でもな、俺からすると美里ってそんな誰が好き彼が好きって女々しいことでふらふらする女子じゃねえと思うんだがなあ」
 ──羽飛、お前、やはり気付いてないんだな。
 近くにいすぎるとたぶん、感じないのだろう。
 上総は言葉を飲みこんだままでいようと決めた。

 貴史が話にならないとすれば、上総はただ見守るしかない。
 関崎に玉砕覚悟でぶつかっていき、こなごなに砕け散り、B組で孤独となるであろう美里を。
 たぶん、美里は上総と違い、孤独に慣れていない。杉本のようにすべての連中から嫌われる経験をそうしていない。誰かが必ず味方でいてくれると信じている。
 ──羽飛だけでも味方ならな。
 今の上総が杉本の側にいる距離よりも、貴史と美里の間は想像以上に広いように思えた。
 
  
 
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