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★ 師と少女がはしる月 1★NEXT
青潟大学附属シリーズ


 作者:舞夜じょんぬ

 今年のお年玉はあまり期待できないとあきらめていた。母が一緒に暮らしていた頃は、無理やり近所に挨拶周りをさせられてそれなりに実入りはあったのだが……すぐに「貯金するんだからね」と巻き上げられているが……今回は無理だろう。ほとんど年末年始、休みのない生活を送る父と、同じく家と学校のこととでてんてこ舞いの上総とは、のどかな正月気分なんて味わう暇もない。
 電話にかじりついて、来年以降のビデオ演劇撮影の打ち合わせに熱中していると、父が一言、
「上総、そろそろ電話から離れた方がいいんでないか」
 ──確かにかけ過ぎだけどさ。電話料金のこと心配してるのかよ。
「あと一人で終わるから」
 評議委員の連中はみな、年末年始それなりのところに出かけるかなんかしている。少なくとも上総のように部屋の掃除と飾り付け、おせち料理の準備……男ふたりならばシンプルなカレーライスだけでもいいのだが、母が正月に顔を出すことを考えるとそうもいかない。しち面倒くさい味付け卵をなんで作らなくてはならないんだろう、一人分だけでも! 黒豆は幸い除外してもらったけれども、たぶんまた
「上総、あんたまたまずいものこしらえてるんでしょ。いい? 彼女がいるから将来は作ってもらえるなんて大きな間違いなんだからね! そういう甘ったれた料簡があんたを軟弱にしているのよ!」
 ──まずいなら自分で作れよ、贅沢ものが!
 上総はいつも言葉を飲み込み、怒りに油を注がないよう気を遣いつつ過ごす。それが正月のパターンだった。母が来る前に、電話連絡関係はすべて済ませたい。それも本音である。たぶん別の理由で母は激怒するだろう。
「電話料金、いくらかかってるっていうのよ! あんたには足があるんでしょ! 自転車だってあるんでしょ。身体を動かして、とにかく人に会いなさいよ!」
 ──だからみんなうちにいないんだって。
 話をしても通じない母にはこれ以上努力するのも無駄だ。上総はあと一本、受話器を握った。A組の評議委員へ、年始の撮影開始時刻確認だ。なにせあいつは主役のルパンを演じるくせに、稽古する暇がほとんどないと言いやがった。大丈夫か、ほんとに。
 かけようと指をボタンに触れた時、白いフックを無理やり押す父の指。
「上総、本当に、もうやめとけ」
「なんだよ、あと一本だって言ってるだろ!」
 父にしては強引過ぎる。別にそんな長話をしているわけではない。
「実はな」
 言葉をにごらせて一言、父はくぐもった笑みをもらした。
「母さんから電話がかかってくるはずなんだが、たぶんお前がずっと回線を占領していたから、激怒してこちらに車で向かっている可能性が大なんだ」
 ──母さんから電話?  
  初耳だ。
 ちょっと待て。
「母さんが来るって、正月だろどうせ」
「いや、今日だ。今だ。今すぐだ」
 全身、凍ったかと思った。目の前の父も、茶のスラックスにさっぱりしたベスト、少しふかふかした感じの白いシャツを着ている。めずらしくきっちりした格好だとは思っていたのだが、納得だ。あの、意味なしに美的鑑識眼の鋭い母が来るのならば、わが身を守るゆえ当然のことだ。
「父さん、なんでそれ早く言ってくれなかったんだよ! で、いつ来るんだよ!」
「朝お前がずっと電話にかじりついていたから、声をかける間がなかったんだ。朝十一時くらいに家を出るから、その前に電話すると話していたぞ」
「十一時ってなんだよ」
 時計はすでに十一時半を回っている。あざ笑うのもいいかげんにしろ、振り子時計。
 すぐ手の届くところにぶさっと置かれているのは職業別電話帳。思いっきり床に投げつけた。こんなこと絶対に学校ではしない。けどせざるを得ない。だって一番被害が小さそうな投げるものってこれしか、ない。
「もう着いててもおかしくないよな。あ、俺今日これから、友だちに会うから母さんにそう言っといて」
 まずは逃げるしかない。母にまたぐちぐちと嫌味を言われて、最後にひっぱたかれる可能性大。泊りはしないだろう。あれでも一応、「元」妻であって、「現」妻ではない。父がなんとかしてくれるだろう。
 しかしなんなんだろう。哀れみのまなざしを投げる父。
「上総、運命だ、あきらめろ」
 おぞそかに父は窓の向こうを眺めた。わざわざ手を額にかざして眺めなくてもよかろうに。
「今、車が家の目の前についた。あらら、ご機嫌斜めだな。車、少し塀にすったな」 
 ──最悪なパターンかよ。
 望むらくは昨夜徹夜して飾り付けを行った玄関を見ていただいてご機嫌よくしてもらうしかない。あと食べ物も。年末、年賀状もまだ半分しか書いていないってのに、なんてことだ。

 予想通りの展開と予想通りの制裁により、上総はすっかり気力を失いソファーに寝転んだ。反抗して文句を言うのも一つの手だが、エネルギー全開で勝負しないと勝ち目がない。また中途半端にいじけると今度はとことん叩きのめされる。ひとえに立村家はどうしようもない女性上位の家なのだと思う。大抵そういう家庭だと子どもは……特に男子の場合……女性を激しく嫌悪するようになると、ものの本にはある。幸い上総はそこまでひどくなかった。母を代表とする女性に対して、「親切にしないと後が怖い」という刷り込みはされているが、取り分けて憎いとは思わない。ただ、いつものように、
「頼むからほっといてくれよ!」
 とつぶやくにとどまる。
「電話料金誰が払っていると思ってるのよ。全く男のくせに長電話好きなんだからあんたは」
「たまたま今は、行事の関係で忙しいからかけているだけだよ。母さんみたいに無駄話で電話をかけているわけじゃないだって」
 ──しまった、口滑った。
 しとやかに見えるのは水色の和服姿だからだろう。七五三の三歳女の子が着るような羽織ものを着たままわめき散らされた。髪の毛もちゃんとアップにまとめている。急ぎでどこかに行くのだろうか。腰に手を当ててさらに続けた。
「いいわね、上総。少しは私の言うことも聞きなさいよ。今日は何も予定がないわよね」
「あるよ、うちで来年の準備とかしなくちゃいけないし、あと年賀状だって」
「そんなの、適当に書いておけばすむでしょう。どうせあんた、お父さんの印刷したもの使いまわしするくせに」
 図星である。
「それよりも、今から上総借りていきたいんだけど、いいわよね」
 「いいわよね」に反抗できる奴がいたら、それこそ勇気ある奴だ。父はそういうことに対して、負けるが勝ちを実証している奴である。
「上総がいいんだったら、久々に親子の語り合いでもしてきただろうかな。上総、お前だって二学期の成績はよくがんばったしな。御褒美でももらってきなさい」
 ──今まで何にも言わなかったくせにな!
 終業式後の成績表は一応父に渡した。数学以外はなんとか平均点をクリアしていたし、数学も狩野先生からの別便コメントが届いていたようだった。ちゃんと努力していますので安心してくださいという内容だったらしいが上総は知らない。
「へえ、見てないわよ。和也くん、あいつの成績表見せてもらえる」
「今もってくるからな」
 最悪もいいとこだ。上総は背中を向けてソファーの背をつまんだ。ソファーかけの上で死んだ振りをしていたい。すぐに母の手によって蘇らされた。
「上総、いい? これからなんだけど、『おちうど』にきてほしいのよ」
「何でだよ」
 志遠流日本舞踊初ざらいは年明けのはずだし、茶会関係はしきたりが複雑なのであまり手伝わされることがない。邦楽関連の情報も年末は聞いていない。
「いえね、年明けに、うちの師匠のとこからね、お名取さんが三人出るのよ。年明けに家元のご自宅で踊ってもらう予定なんだけども、やはり心配だから一度、正式に練習しておこうってことでね。ちょっと改まった形で行う予定なのよ」
「はあ?」
 言っている意味がわからず、上総は寝返りを打った。母の顔は相変わらず平然としていた。
「名取式、というのは上総も知っているわよね」
 ──ああ、いやおうなしにな。 あんたに教えられたよ。
 母が関わっている志遠流日本舞踊のお弟子さんが、日本舞踊を踊る際に使うことのできる名前を、家元よりいただくことになった。それゆえに儀式。「名取式」というもの。そのくらいは知っている。大体入門してから三年以上修行した後、ということだけどそれは流派によって全く異なるという。志遠流の場合は一応、三年以上お稽古した人なら試験を受けてその上で名前を頂戴する、ということになっているらしい。が、かなりのお金が動くことなので、急いで取る人は少ないとも聞く。母も三十年以上お稽古に通っているけれども、まだ名取ではない。将来上総が就職してから、名取費用および「名披露目」と呼ばれる舞台披露費用をすべて持つことに決まっているらしい。少なくとも母の頭では強引に予定が入っているはずだ。たまったもんじゃない。
「今年ねえ、三年ぶりに名取りさんが出ることになってね。師匠も喜んでるんだけど、なにせ家元にお会いするのは初めてだろうし、当日踊りを見ていただく時にもいろいろしきたりが面倒なのよ。だからここで少し、段取りの練習をしておこうかということになってね。『おちうど』を借りたのよ」
 ──それと俺が手伝いに行くのとどう関係あるんだよ。
「それで一応、師匠とお三人方に集まってもらったんだけどねえ。やはり、若いでしょ。お名取りさんたち。だから本番みたいに雰囲気をこしらえて、一度式のお稽古をしたいわねということになったわけなのよ。『おちうど』さんの方も、お正月過ぎるといろいろ立てこんでいて部屋借りられないそうだから、ねえ、上総。悪いんだけど」
 ──何考えてるんだこの人は。
 大抵、母が頭を下げた振りをする時は、相当上総が痛い目を見るはずだ。
 その通りだった。

 ──だからなんで、俺がそんな格好しなくちゃいけないんだよ。花婿さんじゃああるまいし。
 約三十分後、車に乗せられた時、かろうじて着替え用のジャケット、シャツ、スラックスの一そろいは風呂敷に包んで持ち込んだ。
「まあ、こうやってみるとあんたも、まともな男に見えるんだけどねえ」
 助手席で知り合いに会わないことをひたすら祈った。父の同情するようなまなざしに、思いっきりにらみ返してやった。どうせだったら父がやればよかったことなのだ。いつもそうだ、上総は父の盾みたいなものだ。
「で、母さん」
 上総は小声で尋ねた。
「この格好、いつまでしてればいいんだよ」
「お稽古終わるまで」
  胸のところに時辻家の家紋が白く入った黒い着物。女子のひだスカートに限りなく近い黒はかま。全部母に着せられた。何を好んでこんな格好で、学校裏の「おちうど」まで行かねばならないんだろう。たぶん今の時期、部活動で知り合いがうろうろしている可能性大だって言うのにだ。右、左、双方の腰のあたり、はかまの隙間が出来ている。なんだかすうすうして落ち着かなかった。
「上総、襟元だらしなくしないで。黙って床の間の前で座って、盃受けたりお免状渡したりする真似してくれればいいのよ。家元、男でしょう。うちの師匠だとやはり緊張感ないから、できれば男が一人手伝ってほしいって言ってたのよ」
 ──志遠流の家元が女だったらよかったんだよ。
 上総は無視して窓の外を眺めた。見慣れたブレザー制服姿の連中は誰も見なかった。雪を派手にはね散らかしながら、車は青大附中方向へひた走った。

 到着すると「おちうど」玄関前にはおかみさんがにこやかに待ち構えていた。母の態度がころっと変わるのは予想していたけれども、上総に対しても、
「んまあ、かあさくん、本当、はかまがよく似合うわあ」
 笑顔を殺さずに絶句している。何か、見た目に問題、あったのだろうか。
「あ、今年もお世話になりました」
 挨拶しないと殺される。上総は車から降りると頭を下げた。
「背もほんと、伸びたしね。沙名子さん、これだったらかあさくんで大丈夫だわ、家元さんもそんなに背、高くないだろうからねえ」
 ──背が低くて悪かったな!
 言われたくないことをなぜ日本伝統文化を愛する女性たちはみな、口にするのか。上総はかかとを心持上げるようにして歩いた。運転席から降りて来た母は横から上総をじっくりと眺め、
「ほら、上総、裾が落ちてる」
と腰紐のあたりをぐいとつまんだ。
「あんた、やせてるわりに背が低いから、迫力がないのよ」
 ──じゃあそういう奴捕まえてやれよ。
 車の中で母から詳しい事情は聞いた。名取式の際に、新名取の人たちが場慣れするため、できるだけ本番と同じ雰囲気でリハーサルを行うという、それだけだ。志遠流の家元となる人は、母の言い方によると「しなしなしていてそっち系の人」なのだそうだ。どっち系のひとなのだか。言葉を膨らませて上総なりに解釈すると、「肩のラインが細く、見た目少女めいていて、背が低い」タイプの人らしい。日本舞踊の流派を束ねる立場にいる人なのだから、リーダー性はある人なのではと思うがその辺はノーコメントにしておいた。ただ、母の言う、 「だから上総が一番イメージとして合うのよ」 には反論したい。自分の息子に投げつける言葉か。自分の子どもだったらいくら傷つけても平気なんだろう。

 引き戸を開けてもらい中に入った。裾が雪でぬれたのを感じた。そのまま店奥のエレベーターへ向かい、母と乗った。いつ急停止してもおかしくない年季の入ったエレベーターで、母はまた上総の襟を素早く合わせなおした。
「ほら、襟が緩んでる。今日はあんた、家元になりきってもらうんだからね。やることは車の中で説明したからいいでしょ」
 答える前に二階へ着いた。板張りの廊下に下りて、障子の閉じられた一方の部屋へ向かった。今日用事があるのは舞台と客席のある方ではない。いつもは楽屋として使っている和室だった。スリッパを履いて母の後ろをついて歩いた。
「上総、まずは師匠に挨拶して」
「わかってるよ」
 ぶっきらぼうに答え、上総は廊下に正座して母に並んだ。ぬくい空気が膝に流れ、母が戸を開けるのと同時に頭を下げた。
「ああら、上総くん、連れてきてくれたのねえ。ほら、みなさん、ごあいさつして」
 ──俺の方からしなくちゃなんないんだろ。
「御名前、おめでとうございます。本日はよろしくお願いします」
 三名の顔は、十月に行われたおさらい会で見知っていた。自分よりも割と大人の人たちだった。高校生ふたり、大学生ひとり。
「ありがとうございます」と棒読みで女性の声が重なるのが聞こえた。顔を上げ、今度は先生にもう一度挨拶しようとした時だった。

「やあだ、立村先輩、すっごい似合ってるんじゃないですか。いいなあ、杉本さんに見せてあげたいなあ」
 ──あんた、誰さ?
 この場所で「立村先輩」と呼ぶ人間は、まずいないだろう。
 みんな、「沙名子さんの息子さん」「時辻さんのおぼっちゃん」「かあさくん」「上総くん」このくらいの呼び名しか飛び交わない。声の主を見ると、上品に日本髪をこしらえ、くるくると頭のてっぺんに長い髪を納めている若い女性が正座していた。前髪もあげているので顔立ちくっきり、ぱっちり目に映った。見覚えはある。あるのだが、誰なのだか答えがすぐに出てこない。

 ──誰だ?
 ──似合ってるってはかまがか? 杉本さんに見せてって……?
 ──杉本? まさか?

「なつめちゃん、今日はおしとやかにしなさいよ。今日は上総くんの奥さまになってもらうんだからね」
 先生にめっと叱られて、たまご色に銀の小鳥をたくさんあしらった和服姿の声主は唇をぐいっと引き締めて笑った。
「はあい、わかってまあす。じゃあ先輩、今日は私のだんなさまね」
 言葉の出ないまま、上総は母にせっつかれて立ち上がった。「奥さま」を自称する人の隣りにもう一度正座しなおし、ささやいた。
「花森さん、今日なんで呼び出されたわけ?」
「ほら、名取式の時って家元とお名取りさんが向かい合って免状とか渡すって知ってるでしょ。先輩も。その時、三々九度みたいに家元の奥さんがお酒を注ぐんだって。それを今日、私がやるんですよ。だから先輩の奥さんですよね。今日だけは」

 ──まあいいか。
 先生、母、他の三人の新名取りさん。視線が妙にぺたぺたしていてうっとおしい。隣りの後輩、花森なつめに上総は視線でよろしくと伝え、もう一度裾をさばき直した。


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