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青潟大学附属シリーズ
3
それにしても、と上総は思う。
──俺よりひとつ下ってだけなのに、もう将来が決まっているっていうのも、なんだかな。
「三味線の方はこれから、本気でやっていくんだろ」
やっぱり硬い話の方が自分には楽だった。花森も、大きな口をあけて、「はあ」とおどけた後に、
「やっぱり好きなものは好きですもんねえ」
「いつから三味線というか、ほら、なんというか」
口篭もりながら、何か意味ありげなことをいいたそうな振りを、してみた。おどついているわけではないけれども、今の上総には将来の夢とか職業とかについて、語ることができるだけの芯がない。もちろん学校の授業などで「自分の未来像について」などと問われることはあるけれども、「語学を使える仕事」という程度の認識しかない。なのに、目の前でおしるこすすっている花森は将来の仕事、結婚、すべてを未来の予定表にしっかり書き記している。女子ってみんなそうなんだろうか。杉本梨南も、清坂美里も、そして別の連中もみなそうなんだろうか。
「俺が特殊だったのかもしれないけどさ、こういう日本伝統芸能を習っているとか言うと、周りの友だちからいろいろいやなこと言われなかったか? まず俺がいつも花森さん見ていて思うのは、それを全然感じさせないなあってとこと、見た目全然やっているように見えないってとこだろうな」
「人は見かけによらないいい例でしょ、勉強しましたか、立村先輩」
頷いて上総もお茶をすすった。少し濃い目に出ている真緑色。咽にちょこっとだけ流れるだけでも、味が染みてくる。
──第一、お茶の味がおいしい、というだけで変な目で見られたぞ、俺の場合は。
「俺は関係ないけどな。母さんが関係しているってだけだし」
「先輩も何かやればいいのに。今、日本伝統芸能のなり手が少ないって聞きますよ。うちのダーリン繋がりでもそうですけどね、稽古し始める人って大学に入ってからの人が圧倒的に多いんだそうですよ。でもなあ、立村先輩体力なさそうだから、踊りとか楽器、打楽器とかは難しそうですねえ」
「悪かったな」
──どうせ肺活量がなさそうだから横笛とかそういうのもだめだって言いたいんだろ。
女々しい男子、と思われているのは承知の上だが、でも落ち込むものは落ち込む。目の前にいるのが杉本だったらきっと 、
「先輩、なにまた男子の腐ったような態度取っているのですか。自分が不細工なのはよく理解しているのでしょうけれども、勝手に自信を無くすのはやめてください」
とか言われるのだろうし、美里だったとしたら
「立村くんはそういうととこじゃない、いいとこ私、いっぱい知ってるんだから!」
と励ましてくれるかもしれない。でも、自分の中にいる立村上総という名の存在は、果てしなく低く弱い。ちょっとした言葉でつつかれるたび、うなだれてしまう。
幸い、花森はその点、非常に鋭く感じ取ってくれる人だった。それこそ「見た目」よりも気が利く。利かさねばならない環境なのかもしれないが、すぐに笑顔を添えて、
「先輩、英語ぺらぺらでしょう、どこの国の言葉でも、教科書とテープと辞書があればOK、自動改訳機って呼ばれているって噂、一年の間でも有名ですよ」
持ち上げてくれた。うぬぼれちゃいけないとわかっていても、ついありがたく受取ってしまうのも自分の悪い癖だ。
「俺はそれしか出来ないからな。けど、正直言って、それを仕事にするってこと、今すぐは決められないな」
「仕事ですか?」
「そう、将来の仕事」
脇を、中年の着物集団が通り抜けていく。おかみさんの「ありがとうございます」という静かな挨拶が聞こえる。お互いに「ここは私が」「いえ、ここは私が払います!」と譲り合っているところが聞き苦しい。
「たぶん、私もああなるんだろうなあって思いますよ」
うるさい軍団が玄関口から去った後、花森は顔を思いっきりしかめた。
「言いたくないけど、女子ってああいうタイプの子ばっかりなんですよね。とにかくみんな固まって、べたべた語り合って、それでいて違うって人がいたらすぐに放り出すっていうんですか。お互い牽制球投げ合って抜け駆けしないかどうかをチェックしながら、いろいろ相談しあうんですよね。同じ位置にいなくちゃだめって顔して。ほんとああいうのってむかつくったらないですよ。私がたとえばですよね」
話の脈略がつかめぬまま上総も相槌代わりの頷きを返した。
「杉本さんと一緒にいたりするでしょう。今回のことみたいなことがあって、うちのクラスの女子たちもみんな、佐賀さん側につかないと立場ないってことになっちゃってますよね。私なりにも言いたいことあるし、杉本さんが精一杯訴えていることを無視するのは変だと思ってる。だから私のものさしでもって言うわけですよいろいろとね。そうすると大変なんですよ。私なんて所詮不良のくせにとか、そういうとこから始まって、最後には『男がいるくせに』ですよ。あの子たちの間、ま、男子たちも含めちゃいますけど、あの中で私みたいに、年上の『婚約者』がいることはご法度みたいですよね。同じクラスの男子とか先輩とかといちゃつくのはOKでも、ちゃーんと親の許しをもらってくっついて、朝、一緒に車で学校へ行くことはまずいみたいです。なんででしょうね。杉本さんはそういうこと、全然気にしないけど、女子たちの目つき、怖いですよ、ほんと」
──それはやはり、あれが、あれだからってことじゃないのか。
本人が気付いていないとは思いたくないけれども、男子代表で言わせていただくなら、「婚約者」でかつ、「避妊必要あり」の関係を持っている女子に対して、経験のない男子たち……女子たちはよくわからないが……はそれなりの視線を送るのはしかたないことだろう。雑誌のグラビアやビデオなどでしか見たことのない世界を、おそらく自分らが寝ている間にもぐりこんで実演しているであろう花森に対しては、つい妄想してしまうこともあるのではないだろうか。
「花森さん、先輩として一言言わせてもらえばありがたいんだけどな」
上総はできるだけ、花森を刺激しないような言い方をしようと決めた。でないと、「立村先輩もスケベですね」と軽蔑される恐れ大だ。
「学校内であまり、婚約者だとか、結婚だとか、将来のこととか話さないほうがいいんじゃないかな」
「どうしてですか?」
──変な目で見られる理由ってそこだもんな。
きっと花森は小学校の頃から、自分が三味線の道を歩み、高校卒業と同時に結婚することが当然のことだと思って育ってきたのだろう。でも、今の上総のように、得意なものがひとつだけしかなくてそこに頼った形での将来図しか見えない奴だっている。将来の夢なんて「サラリーマンになって嫁さんもらって子ども作って終り」という一行でしか片付けられない奴もいる。そういう中において、花森の完璧すぎる未来は、やっかまれてもしょうがないんじゃないだろうか。
言いたいことはあっても、花森に向いた形で説明することは非常に難しい。
「俺個人で言うと、花森さんはすごいと思うんだ。将来どうするかこうするかをみんな決めているところとか、それに向かって努力しているところとか。俺なんて全然だよ。とりあえずは附属高校に進んで、できれば英語科に行って、そこからそれなりの学部に進んで、できれば語学使える仕事したい、これだけだよ」
「それだって十分じゃあないですか。それは先輩の将来であって、まだまだ未来が拓けているってことですよ」
「拓けてなんかないって。俺はともかく、二年の連中と話をしてみても思うけど、みんな花森さんのようにしっかり考えている奴って少ないんだよ。そういう奴がさ、花森さんを見てたら惨めになってしまうんだ。女子はよくわからないけど、男子は単純だから、ああ俺は馬鹿なんだ、将来もなんも見えていない単細胞なんだといじけたくなってしまうんだ」
「それはそれ、これはこれじゃあないんですか?」
しばらく花森さんはわけのわからなさそうな顔をして、不幸があった時ご飯に箸をつきたてるような要領で、おしるこのお椀に箸をくっつけていた。ただ上総の言いたいことはなんとなくわかったらしく、大きなため息をついた後、
「やっぱり私、転校した方がいいのかもしれないなあ」
自分にだけ言おうと思っていたらしい言葉をぽつっとつぶやいた。
「今の先輩の話聞いてて、なんとなくわかりましたよ。私、この学校に向いてないんだなあ。決めました」
「何を?」
女子の話は飛ぶ飛ぶ。袖口から白い裏地が覗き、花森の拳骨が軽くテーブルを叩いた。大真面目な顔だ。
「私、転校します」
花森の言うところによれば、二年次以降の転校については今決めたことではないのだという。
「ま、先輩もご存知の通り私やりたいことやってましたしね。別に青大附中でなくちゃいけない理由もなかったし」
上総の言葉は決断する「きっかけ」ではあるけれど、もともと考えを積み上げて出した結論だとのことだった。
──けど、いきなり、俺の前で宣言しなくたっていいだろ。そんな重大なことをさ!
しばらく上総が絶句してしまったのを、花森なりに気遣ってくれたらしい。
「あんまり言いたくないんですけどね、私が婚約したってのも、親たちに無理やりってわけじゃあないんですよ。小学校の頃からこういうもんだと思っていたのもあったけど、そっちの世界の方が学校なんかと較べて、面白いんですよ。おさらい会とか、外の方で行われる三味線のコンクールとか、あとそうだなあ、今日みたいなお手伝いとか。勉強なんかしているより、ずっと楽しいし、そればっかやりたいっていっつも思ってたんですよ。友だちと遊んでいるよりも、そっちのお稽古の方が面白くてなんないし、雑用ばっかり押し付けられて怒られることもあるけど、杉本さんを叩きのめす馬鹿担任たちの罵り文句なんか聞いているよりもなんぼかいいかしれませんって」
──楽しい、か?
上総としてはノーコメントで通したい。母の文句はとてもだけど学校の叱られ文句よりもきつい。 「だから、冗談で親にも言ってたんですよ。将来、置屋さんで芸者さんの修行したいんだけどなあって」
「置屋で芸者って、住み込みでか?」
「今青潟にはそういう芸者さんを育てるところってないですよねえ。地域によってはあるみたいなんですよ。子どもの頃から住み込みで修行して、昼は仕方ないから義務教育の間通ってってとこが。私も話がないわけじゃあなかったけど、やっぱり高校卒業するまではそれなりの学校へ行かなくちゃって言われてましたし、仕方なく青大附中にコネ入学しましたけど。やっぱり一年いて、ここは違うなって思う毎日だったんですよほんっと」
お茶のお代わりをもらい、さらに花森さんはテンポよくしゃべりつづけた。早くて口、挟めない。
「どうせ同じ私立中学行くんだったら、もっと稽古の時間が取れて、いろんな演奏会にばしばし行けて、三味線だけじゃなくて笛とか太鼓とかそういうものも習える余裕のある学校の方がいいって小学校六年の時に言ったんですけど、青潟に住んでいる以上それはできないって言われたんですよ。けど、この前時辻さんから」
「うちの母さん?」 「あ、そうなんですよね。先輩見ていると時辻さんの息子さんだなんて見えないしつい他人っぽい言い方しちゃいますよね」
──母さんがいったい何を言い出したんだろう?
上総も今の母は、一緒に住んでいた頃の「母」とは違う感覚で見ているかも、しれない。
「青潟市外の方だったら、そういうことできるかもしれないって学校があるんだそうです。公立だけど」
思わず、茶を吹きそうになる。公立中学ということか? 笑う花森が、口を押えてしばらくむせた上総の顔を覗き込む。
「全校生徒が各学年五人くらいしかいなくて、統合されてしまうのも時間の問題ってとこなんですけど、そこに今のダーリンの先生が住んでるんです。ダーリンも将来のこと考えると、今自由が利くうちに内弟子に入って勉強したいって言っているし、それだったら私も『内弟子』に加えてもらって、一緒に家政婦さん生活してもいいかなと思って」
──内弟子? 家政婦さん? いったい、この人、なに考えている?
親元離れて住み込みというだけでも上総の想像を絶している。
「内弟子」という制度が伝統芸能の世界には存在していることも知らないわけではない。
師匠の身の回りの世話をしながら、芸を盗んで磨き学んでいくという制度と聞く。上総も母から聞きかじった程度のことだから、正式には異なるのかもしれないが、花森がこれからしようとしていることはそれに近いのではないだろうか。しかし、この人はまだ十三歳だ。上総よりひとつ下というだけの。親の決めた婚約者がいて、将来結婚する、そこらへんまではまだ予想がつくにしても、なぜ今、そんなに急いでしまうのだろう?
「ということは、青大附中から出て行くってことか?」
当たり前のことを上総は尋ねるしかなかった。
「でないと、出来ませんからね」
当然のように花森も答える。
「どうしてそんなに、急ぐんだよ。卒業してからでも間に合うんじゃないのかなって俺は思うんだけどさ」
「卒業と同時にお嫁さんですから、私には時間ないんですよ」 言われてみるとそれも正しい。
「結婚することには何にも抵抗ないですけど、そうしたら自分の稽古する時間がなくなっちゃうし、今のうちに生きている師匠たちのすっごい演奏とかいっぱい聴いておきたいんですよ。ほら、いるでしょ、本の虫って人。私、三味線の虫なんだって思います。すっごい人たちの演奏はレコードだけじゃあだめなんです。生でいっぱい叩き込みたいんですよ」
──わかる、わかるよ。俺も言いたいことはわかる。けどさ。
別に、決断を出した花森を押えたいわけではない。聞けば聞くほど、花森の覚悟が本物であり、ふだんだったら応援してやりたいと思う。上総の中でも、純粋に「すごい」とたたえたい気持ちはないわけじゃない。もちろんその中にほんの少しやっかみめいたものがないとは言えないけれども、それは花森とは関係ない。自分がまだガキなだけだとあきらめられる。
ただ、うまく言えないけれども、とどめねばとあせる気持ちがうごめいてしまっている。
「あのさ、俺は花森さんが決断出したことについてはすごいと思うよ。けど、せっかく青大附中に入ったんだったら、それなりにいいことだってあるだろうし、それを捨てることについてはどうなのかなって思うんだ。この学校、変な話、エリートっぽく思われているし、卒業だけでもしておけばそれなりの箔がつくんじゃないかってさ。俺なんてこの学校に入れる頭もってたのかっていつも思うけど、それでもちゃんとなんとかなってるしさ。一年B組の状況については確かに俺も悲惨だなと思うし、杉本のこともあるから大変だと思うけれども、でも青大附中のステータスを捨てるのは、やっぱりもったいないよ。それに」
自分らしくない。本当のこと言えば青大附中のステータスなんて、まやかしだと思っている上総の本音。
むしろ、花森のようにやりたいことを見つけてそこに突き進める力こそ、うらやましく思っているくせにだ。
きっと上総が何かのきっかけで「海外留学したら?」と進められたとしたら、きっと家の経済的理由で断るだろう。
やってみたい、今のうちに吸収したい。その激しい渇望感。
──けどさ。
ここでもし、花森を押しとどめなかったとしたら、四月以降はどうなる?
──花森さんが今の一年B組にいなかったら?
上総が意図しない言葉、つぶやいたとたん花森へ届いてしまった。
「あと二年、杉本はひとりぼっちになってしまうしさ」
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