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青潟大学附属シリーズ中学編
6
幕が開いては締まり締まっては開く。係の人が全部、舞台正面照明フロアでやってくれているらしい。袖から覗くと三百人の席はがら空きで、入れ替わり立ち代り、同じ柄の浴衣女性が入ってくる程度だった。ビデオが真っ正面で廻っているのは、正面奥で光っている赤いランプで確認取れた。上総のすることは、幕が閉まるや否や演目に合った背景の板を引っ張り出したりすることと、姉妹弟子の方に曲のテープを探して渡したりするくらいだった。腕力があれば問題なし。となりでテープを出し入れしている姉妹弟子の人に母は話しかけ、噂話に花を咲かせていた。踊り手が見える場所に立ち、先生はスリッパのまま「ここはこうで、ほら手は右で、足は左、首はこっちよ」とパントマイムで教えている。度忘れした人も多いだろう。いわゆる日舞版プロンプタというところだろうか。そういうのを観察のも面白かった。
「まあね、今回は十月の会に向けての下ざらいみたいなところがあるわよねえ」
先生には聞こえないように、小さな声でささやく母。上総にははっきり聞こえる。知らん振り。
「そうね、うちの先生も大きな会はひさしぶりだしね、初舞台の子が五人くらいいるし、ふたり名披露目もあるし。ものすごく忙しいってぼやいてたわ」
「あと二ヶ月でしょう? 言ったらなんだけど、間に合いそうなの? 他の人たち」
肩をすくめる。きびしいよ、ってことだろう。
「次が『幻お七』その次が、『玉兎』ね。テープ、どこいっちゃったのかしら」
清元「玉兎」、これはわかりやすい演目だ。側に小ぶりの杵と臼が用意されている。発泡スチロールでこしらえた上に茶色い紙を貼り付けて、いかにも木製です、という顔をしている。月から飛び出た兎さんがかちかち山のエピソードを交え笑いを取りつつ踊るものだ。背景は薄、山のもの。本式の舞台では使わないそうだが、まあ下ざらいだし、
「スポットライトで月を照らせばいいわよね」
と母も納得ずみだ。
「ないわよ、上総、あんたも探してくれる?」
「俺はテープなんて知らないけど」
文句は言っても探してみる。机の下にもぐりむが見当たらない。
「あら、藤野さんのお母さんから預からなかったの?」
「そうなのよ、どうしちゃったのかしら」
「詩子ちゃんが持っているんじゃなかったの?」
「いつもはお母さんが持ってきてくれてるんだけどねえ」
日舞の場合、大抵レコードの中身をテープに吹き込んで、それで稽古する。少しずつCDに切り替わったとはいえ、古い音はレコードものがほとんどだ。現在先生の使っているものもそうらしい。
「上総くん、いいわよ。たぶんまだ預かってなかったのよ」
ため息交じりに姉妹弟子の人は、プログラムにしるしをつけた。
「あと二番間に入るし。早いうちに気づいてよかったわ」
プログラムには、「一、玉兎 藤野詩子」と綴られていた。
間の二番は結構長かった。「あやめ浴衣」と「幻お七」。この季節感の差っていったいなんなんだ。夏かと思ったらいきなり冬。雪がふる演出ときた.しかも本当に上から紙の雪を降らせている。
「上総、あんた掃除お願いね。細かいごみで転んでしまったら大変だから」
仕方なくほうきを持参して待つ。
「変ね、詩子ちゃんも持ってないっていうのよ。ここにさっき置いたって」
「ええ? だったら私見ているはずよ。知らないわよ」
机を指差し、強く首を振る姉妹弟子さん。
「そうよね、変よね」
上総を見る。もう一度探せとの命令だ。しかたないので形だけ下にもぐって、ついでにほうきでわたぼこりをはく。
「ある? 落ちてない?」
「ないよ。全然」
真剣にふたりの女性、顔色が青ざめてきているようすだった。じっと見ているとさらに母が、もっと探せとばかりに手をぱたぱた振る。なにかしてないと文句を言われるだろう。しかたなくさらにもぐりこんだ。
──俺も、見てないけどなあ。変だ。
大抵カセットテープには演目が書かれていて、音担当の人は、プログラム通りにテープを並べている。落とすかなにかしなければ、なくするなんてことはまずないはずだ。上総が席についてから一時間近くたつが、「玉兎」と書かれたテープを見た記憶はない。
「どうしようか、困ったわねえ」
「『幻お七』は長いからまだ時間持たせられるけれども、上総、もう一回探して」
水面に浮かび上がることを許されない。上総はずっと四つんばいになり手のひらで床を撫でつづけた。「あやめ浴衣」が終わったらしい。かんざしとうちわを持って、「おつかれさまでした」「ありがとうございました」と挨拶する声がする。さっきの女子大生風の人だった。這いつくばっている上総を見下ろして、くすっと笑う声が聞こえた。
──俺だって好きでやってるわけじゃないってのに。
突如、下から臼と杵を持ち出す人の姿が見えた。顔をのぞかせてみた。
「詩子ちゃん、やっぱりないわ、本当にここに置いたの?」
背中で臼と杵が隠れている。こくっとうなづいてぶっきらぼうに立っているのは、さっきのチアガール少女だった。唇をきゅっとかみ締め、そっぽを向いていた。
7
──何か、嫌なことあったのかな。
しばらくしゃがみこんで探すふりをしながら、様子をうかがった。
出入りの時からもそうだったけれど、かなり機嫌が悪かったのが印象に残っている。一度ではない、二回とも上総の目の前で母親と口論していた。気持ちはわかる。親にしつこくああだこうだ言われたらたまったものじゃないだろう。上総もその辺はわからないわけではない。経験的に。
たぶん、自分と同じくらいの年頃だろう。ちょっと濃い目に口紅を塗っている以外は汗でちょっとてかっている顔。くっきりしていて、たぶん大人っぽい部類には入るだろう。おすまししているが芯はありそう。気は強そう。上総の母と性格的にはほとんど変わらないのではないだろうか。自分から近寄りたくないタイプではある。
「だって、さっき、置きました」
ぼそっとつぶやき、手を後ろに回す。
「困ったわねえ。ないのよ。詩子ちゃん、本当にここに」
ばしんと、テーブルを叩く音。下に響く。
「置きました!」
藤野詩子という少女は口を尖らせたまま、言い張る。口紅が赤すぎるとキツネに見えるのかも、とぼんやり上総は眺めていた。
「詩子ちゃん、次の『幻お七』が終わるまで二十分くらいあるけど、それまでに見つからなかったらどうするの?」
母の声だ。何となく、険しい響きを感じる。嘘をついているのではと疑っているんではないか。なんとなく、直感だ。上総も似たことを感じていたから、親子の勘だ。
──母さん、やっぱりな。
「ないなら、踊りません」
「ふうん、それでいいの?」
落ち着いている。きっと聞いている側には冷静に感じられるのだろう。誰もおびえたように見えない。藤野詩子という子も受け答えは大人だった。
「だってないんですから、仕方ないです」
「せっかくあんなにお稽古してきたのに、もったいないでしょ」
姉妹弟子の方が間に入る。が、母の口調は険しいままだ。
「別にいいのよ、あなたが踊りたくないなら踊らなければ。でも、あとで公開するのは詩子ちゃん、あなたなのよ」
──そういうことか。
身体を小さくしてもう一度、上総はもぐりこんだ。目の前には今度、姉妹弟子の方のぞうりと、つま先だけ黒くなった足袋が見えた。
どういう理由かわからないが、あの藤野詩子という子は舞台にどうしても立ちたくないらしい。気分が悪くてどうしてもというわけではないらしいし、当日ここにきたのだから、踊る気は最初の段階であったのだろう。
しかし、テープがない。
確実に見当たらないということは、踊れない。流行歌と違い日舞の演目曲は代わりがなかなか見つからないものだ。本人の持参するテープがなければ、話にならないのだ。
テープを「なくされた」ということにすれば、踊る本人の責任にはならないし、むしろ担当者が悪いということになる。すなわち、姉妹弟子さんと上総の母親、もしかしたら側にいたということで上総にも責任がおおいかぶさってくるかもしれない。知ったことじゃないが、ただ、可能性としてはあるだろう。
母の声は落ち着いていた。
「それに、詩子ちゃん、十月の舞台はここよりもっと広いのよ。本衣装もつけて踊るのよ。初舞台なのに、いきなりそういう大きいところで踊って失敗したら、どうするの?」
責めだ。攻め立ててる。ようやく藤野詩子にも動揺の色が見え始めた。手を後ろでくねらせながら、背をぴったりと小道具を置いているテーブルにくっつけている。
「私がなくしたって言うんですか!」
強気の言い返し。
「そうは言ってないけれど、でも、それ以外考えられないわよ。今のところは」
──素直に認めたほうがいいのにな。この人には、生半可なやり方じゃかなわないよ。かわいそうに。
気持ちがわかりすぎるほど、わかる。上総は嵐が収まるのを待つことにした。そっと抜け出し、雪の背景を出すのを手伝った。先生が割り込まないと思って不思議だったのだが、どうやら別の先生がいらしたらしく、下手側でやたらと頭を下げつづけていた。母の気が立っているのも頷けた。
下手で待っていようかと思ったが、考え直して上手に戻った。
初めて藤野詩子が上総に気づいたようで、きっと見つめ、すぐに目をそらせた。
きっとほこりっぽい格好をしていたから見苦しかったのだろう。
「上総、悪いんだけど、ちょっと小道具の方見てもらえる?」
いきなり、母に命令された。小道具はちょうど、藤野詩子がもたれている机の上に並べられている。
「『お七』の羽子板、あるでしょ。それと草履」
黄色い藁草履と、男役者の押し絵がされている羽子板だ。
「あの人がきたら、そこで、渡してちょうだい」
「え? そこで?」
問い返した。藤野詩子も戸惑った様子。はっと上総を見つめ、最後に母に視線を向けた。
「いいの、上総、あんたそこにいなさい。テーブルの向こうから、渡しなさい」
「渡しなさい」のところだけを力こめていた。母には逆らえない。言われた通り藤野詩子の真後ろに、テーブルを挟む格好で立った。箱に入った羽子板と、和紙に包まれた藁草履を取り出した。ちょうど「幻お七」を踊る人が現われたので手渡した。やはり、女子大生風の人だった。
背中の金色の帯が手の届くところに位置している。背中がぴんと張っている。ポニーテールの長い髪が揺れている。が、良く見ると震えている。
──やはりそうか。
そっと、左脇の帯が四角く浮き上がっているところを見つけた。
袖と脇のあいたところに、カセットテープの大きさで線が出ていた。膨らんでいる。背中に近いところから、つまめるくらい顔を出しているのは、「玉」と書かれた文字だった。
──ここに隠してたのか。
ぴたっと脇を締め、後ろ手をもぞもぞさせながら、それでも顔をきっと見据えたままだった。母も微動だにせず視線を受け止めている。わがままは聞かないわよ、言いたげだった。彼女はわからないかもしれないが、上総にはよくお見通しだった。
──とぼけたって無理だって。あの人には勝ち目ないよ。
もし友だちだったら教えてやりたかった。
──たぶん、見抜いてるんだ。うちの母さん。絶対に、この人がテープを隠しているって。
改めて思う。あの人は怖い。
自分の位置関係を改めて見直し息が止まった。
──母さん、まさか。
客席方向が暗くなり、照明が薄暗い。「幻お七」の出、羽子板を抱えたお七が戸を開けるしぐさをしながら、ちょぼちょぼと雪の中を歩く場面だった。母の目だけが猫目のように光っている。見据えられてる藤野詩子の表情はわからない。ただ、震えているのがはっきりと映る。紙の雪が、少しだけ幕の外に漏れた。
8
──あと十五分か。
動くな、と言われた以上、上総はテーブルの後ろで黙って立っているしかない。
母のことだ。上総がいることにより、目の前の藤野詩子を圧迫し、白状させようとしているのだろう。その辺の心理は大体想像がつく。なにせ十四年間もお付き合いしてきた相手だ。そのくらいのことはするだろう。
しかし、相手の彼女の方はどうだろう。
上総と彼女との間は約三十センチくらい。ちょうど細長い机を挟んだ分だ。暑いし汗の匂いもする。震えていると察するのは、髪の毛の揺れと手のひらだ。
──これは、逃げようたって、簡単に逃げられない。
もう一度母に視線を送る。光るまなざしから読み取れるのは、
「あんた嘘つくんじゃないわよ」
そのものだ。
もし自分がこの子の立場だとしたら、と上総はいつものように考えた。
──どういう理由があるにせよ、あの視線でにらみつけられたら逃れられないことは覚悟してるだろう。どうやって逃げ延びるか、もしくはごめんなさいと頭を下げるか。でもどちらもこの人はできないだろうな。
ぱっと舞台が明るく開けた。舞台が進んだ証拠だ。
──早くしないとまずいぞ、本当に。
幸いなのは、ここにいるのが上総と母、藤野詩子とテープ係の姉妹弟子の方だけだ。
台詞のある踊りなので、止めたり押したりしている。姉妹弟子の方はかまっている暇がないだろう。
この三人でかたをつけないとまずい。
四角いカセットテープが脇に挟まっている。取ろうと思ったら、上総が抜き取ることは可能だ。そして、「いま、小道具の中に落ちてるのが見つかりました」と言い訳して持っていけばいい。一番丸く収まりそうなのはそれだろう。
しかし、微妙な位置でもある。
夏休み直前、杉本梨南に「ごほうびをさしあげます」と言われていきなり胸を五秒間触らされたことがあるが、あれが生まれて初めて女子の身体を触った経験。向こうとしては握手のつもりで無邪気にしたことなのだろうが、上総にとっては三日間くらい寝られないくらいショックな経験だった。杉本の場合は特殊にしても、もし、同じくらいの女子の身体をへたして触ってしまおうもんなら、殴られるか怒鳴られるか痴漢行為ということで退学になるか、とにかく自分に火の粉がかかるのは避けられまい。
うまくひっぱり出せればいいのだが。
わきの下なんか触ってしまったら大変だ.
──でも、これしか方法ないよな。
段々照明が暗くなってきた。時間はない。お七を演じている人が、いきなり舞台に横たわった。別に暑くて倒れたのではない。雪の中で行き倒れたお七がしばらくこの格好で寝ているそれだけだ。確かこの後は「狂い」と呼ばれる振りとなる。よくわからないがクライマックスのはずだ。
「手を、前に、ひじ張って、組んで」
上総はささやいた。両腕をつき、藤野詩子の襟足に向かって声をかけた。びくっと肩が震える気配あり。聞いている。
「それから、脇を浮かせるようにして」
素直にやってくれるかどうか不安だったが、上総の指示どおり、藤野詩子はそっと肩を高く上げ、両手を組み合わせた。袖がちょうどだらんとさがり、カーテン代わりになる。
「抜くから、少しだけ、がまんしてください」
それだけつぶやき、即座に「玉」と書かれた部分を指でつまんだ。体温だけが伝わってくるが帯以外には触れずにすんだ。かなり身体が凍りついた気配あり。ひっこぬいた時、テープケースはかなり汗でしめっていた。
「そのまま手を後ろに下げて、組んだままにしてください」
早口で最後に指示した後、上総は右手でテープをズボンのポケットに入れた。一度しゃがみこみ床を撫でる振りをした後、急ぎ足母のもとに走った。
「あの、これ、今下の方見たら」
ここまで言いかけた。ポケットから素早く取り出す。
「見つかったから、これ」
「玉兎」と書かれたケースを渡そうとした。
とたん。
「上総、あんたってどうしようもないばかね! 最低だわ! 何考えてるのよ!」
いきなりほおをはたかれた。準備してなかったからしりもちをつくところだった。かろうじてこらえた。男の意地だ。
「何だよ、殴ることないだろ」
まだ舞台は続いている。狂いの最中だ。雪がまた降り始めている中、上総は響かぬ声で言い返した。
「あんたが落としたんでしょ。わかってるのよ。あんた、さっきからここの席に座ってたでしょ。たぶん、背景を引っ張り出す時に、間違ってポケットに入れるか何かして、落としたのに気づかなかったのよ。ほんっと、あんたみたいな馬鹿息子、むかつくとしかいいようないわ! ほら、そろそろ終りだから早くほうきではきに行ってらっしゃい! 詩子ちゃん、ごめんねえ、私の勘違いだったみたいだわ」
もう一度母に、頭をはたかれた。人前だけに手加減していることはわかる。しかし、殴られるほど悪いことをしたとは思えない。
「さ、じゃあ、早く臼と杵の準備して。巻き戻して、ないわね。すぐにやるから大丈夫よ」
打って変わってこの態度はなんなのだ。言い返したい。怒鳴りたい。許されるなら殴り返したい。
でも、出来なかった。
──しかたない。こういう世界なんだから。
ほうきをひったくり、幕が下がるや否や上総は舞台へ駆け上がり、ばさばさと四角い紙の雪をはきあつめた。半紙を碁盤の目に細かく切りこぼしたものだった。十月の本番ではちゃんと本物の大道具さんを頼むけれど、今回は手作りだったという。あちらこちらに四角い紙の雪がからまっていた。ほうきで上をはたきながら上手の袖を覗くと、むすっとした顔のまま藤野詩子が、足袋の裏をぬらすべく手ぬぐいの上で足踏みしていた。