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青潟大学附属シリーズ中学編
9
大騒ぎの事情はほとんどの人に気づかれることなく、無事に舞台は終了した。
上総の見た感じ、みなまだまだ完成してないどころか、振りもあやうい人が多い印象を受けた。もちろんど素人ゆえに勝手なものだが。ただ、やる気のある人とない人が露骨に分かれているのも確かだった。
例の藤野詩子の「玉兎」も、あれだけ騒いだ後だけあって、ほとんどやる気なしモードだった。
──ただ、気持ちはわからなくもない。
舞台端で母から離れて観ていて思った。
──日本舞踊というよりも、一種の演劇っぽい踊りだからな。たぬきになったり兎になったり、観るほうは楽しいと思うけど、踊る方としては、ちょっと抵抗あるかもな。
いわゆる「男踊り」だけれども、きりっとした男衆めいたところがない。動物、兎、いささか道化じみたところが強調された踊りに見えた。
一切上総、母の方を振り返らず、最後の一番が終わった後にすぐ母と帰ってしまったらしい。
もちろん本人の母親からはそれなりにわびが入ったらしいがそんなことはどうでもよかった。
──なんで俺がこんなに人前で怒鳴られなくちゃいけないんだよ!
別に藤野詩子に遺恨はない。ひとこと、「気持ちがわかりすぎる」。
文句を言いたいのは母ひとりだ。上総が気を遣ったことをあっさりとひっぺがえし、「馬鹿息子!」と怒鳴るのだけはやめてほしかった。いくら血の繋がった親子とはいえ、言っていいことと悪いことがある。
──もう二度とやらないさ。ああ、もう絶対やらないさ。こんなプライド傷つけられることされて、俺だって馬鹿にされるのはごめんさ。
他の出演者が着替えながら、軽くお茶で乾杯している間、上総はずっと板の取り外しにかかりきりだった。朝は平気だったのに、終りはかなりしんどくなっていた。
「腰、悪くするんじゃないよ。大人になったら、困るぞー」
からかう声が聞こえる。頭を下げて、何度か往復してしまいこんだ。帰り際に楽屋へ向かうと、浴衣を風呂敷に包み込んだお弟子さんたちが、
「本日はありがとうございました」
と頭を下げて出口に向かっていくのが見えた。もちろん、藤野詩子の姿はなかった。
「上総、ちょっといい?」
さっきの罵りまくり女の姿はかけらもない。すっかり片付いた和室にて、残りのペットボトルのお茶を勧められ、上総は正座して頭を下げた。もちろん母にではない。先生にだ。もう一人の姉妹弟子の方もいらした。
「本当に上総くん、おつかれさまでした。よくやってくれたわ」
いきなり頭を撫でられて硬直する。きっと上総が泣き虫だった頃の記憶をたどっているのだろう。
「ほんっと、今日は上総くんのおかげよね。ほっとしたわ。また十月もお願いね」
母の顔をそっと見上げた。あの事件で少々、口を利きたくない気分だった。
「あんた、なによその顔。せっかく誉めてやろうとおもったのに」
やっぱり母である。一切無視することに決めた。
「沙名子さん、でもさっきのことはあなたが悪いわよ。上総くんが一生懸命に」
姉妹弟子の方が間を取り持とうとする。
「これでも親子なんだから、大体私の考えてることはわかるでしょ。それを何よ、そんな反抗期そのものの顔でにらみつけられたら、私だってたまったもんじゃないわ」
──こっちの台詞だ。親子だからって簡単に考えてることが分かるほど甘くない。
先生からはお弁当と一緒に、ぽち袋に入った御礼を一枚いただいた。どのくらい入っているかはわからない。三千円くらいだろう。補填はできるだろう。少し、ありがたく思った。
しばらくつきあってから、母に促され上総は一礼し立ち上がった。
「上総くんみたいな頭のいい子はそうそういないわよ。沙名子さん、本当にいい息子さんを持ったわねえ」
「だからこの子は天才となんとかのすれすれなんですってば」
──なんとでも言えよ。
やたらと先生たちが上総を絶賛するのが気持ち悪い。早々に立ち去りたかった。
「あのね、上総。悪いんだけど荷物を持って家まできてもらえない?」
「車あるんだろ。自分で荷物持って帰れば」
「あんた、私から立替分のお金、返してほしくないの?」
──痛いところだ。
「だったら、車まで持っていきなさい。命令よ」
なくなく上総は藤の枝、ちょうちん、臼と杵、羽子板などを取りまとめてトランクに積まなくてはならなかった。先生のご自宅に小道具類を送り届けなくてはならないのだ。男手は最後の最後まで必要だってことである。
10
もちろん残ったジュース類、紙コップは自分の足下に積み込んで助手席に座った。腰が落ちついたとたん、一気に疲れがうわっときた。目を閉じて少しだけ寝たかったが、
「ほら、シートベルト締めなさいよ」
と、また頭を叩かれる。
「うるさいな。やればいいだろ」
仕方ない。損失補てんのためだ。
「親に人前で口ごたえするのやめなさいよ。全くあんたはガキなんだから」
「人前で自分の息子をさんざん罵るのもやめろよな」
もうふたりきりで走っているから、遠慮はいらない。これでもかなりお互い、罵りあいを耐えていたのだろう。上総もかなりこらえていたものがある。一気にぶちかました。
「だいたいさっきのはなんだよ。見つかったから渡しただけであって、なんで俺が落としたことになるんだよ。小道具のところで見つかったから」
「何言ってるの。あんた、もっと早く気づかなかったのが悪いのよ。全く、あんたも少しはまともになったかと思ったけど、全然だめね」
「言ってる意味がわからない」
あの、藤野詩子のことだ。
母はかなりの確立で彼女がテープを隠していたことに気づいていたはずだ。直接奪い取ることも可能だったはずだ。それをなぜ、にらみ合うだけにとどめていたのか。結局上総が動かなければ、あのままだったかもしれない。上総からしたら、割増金として千円くらいはアップしてほしいところだが、母のことだ、期待はできないだろう。でも、請求だけはしておく。
「上総、あんた彼女と何ヶ月付き合ってるの」
いきなり別方向から攻められ、息を呑む。
もちろん無視だ。
「そんなの今の話と関係ないだろ」
「女の子のことなんだから、今から勉強しときなさい。和也くんのまねしたら大変なんだから」
──自分のもとだんなを「くん」付けで呼ぶってのも、すごいよな。
父の名前の「和也」と母の「沙名子」から音だけ取って付けられたのが自分の名だ。だから嫌いだ。上総という自分の名前、その響きがいやだった。
しばらく母との言い合いを続けたがあきらめざるを得なかった。上総が「玉兎事件」の理由を問い詰めると、母は上総の恋人についてしつこいくらい責めてくる。どちらも答えたくないということで、結局は黙りこくった。
師匠のお宅に到着して、上総は大急ぎ、トランクの中から小道具を運んだ。家の人がすぐに出てきて受け取ってくれたので玄関先で用は足りた。一礼してまた助手席に戻った。
「じゃあ当然、家に送ってくれるよな」
まさか母のアパートからまっすぐ歩いて帰れ、なんていわれないだろうか。言わないとも限らない。そういう人だ。
「当然、とは何よ。まあ、そのくらいはしてあげるけどね」
「人をこき使ったんだから、当然って言ってどこが悪いんだよ」
師匠や他のお弟子さんの前では穏やかに振舞っているが、車の中ではいつもこうだ。上総がこの二年間で母と戦うすべを身に付けてきたから同等の立場でしゃべることができるようになったけれどもだ。
少し、頭の中を整理してみたかった。目を閉じた。窓辺の繁華街、月の光る田んぼらしきところ、しだれ柳に囲まれた道、すうっと気持ちよく車は走っていった。
「十月の大きい舞台って、市民会館でやるの、母さん」
「そうよ。なかなか取れなかったんだけど、日曜の部が運良くね」
冷静に答える母の声。上総も荒れないように気をつけながらつなげていった。
「あの、藤野さんという人も、出るんだ」
「そうよ、『玉兎』でね」
「初舞台で?」
「そうよ」
意外だった。もうひとつ続けた。
「他の人、まだ初舞台やる人いるんだろ。五人くらいって聞いたけど」
「ほら、あの五歳のおちびちゃんでしょ、もうひとりが『手習子』、あとふたりが結構長く稽古してる子同士で『お染久松』やるのよ。この子は小学校四年生の仲良し同士」
母にひっぱられていやというほどおさらい会の演目を見ている上総には、だいたい見当がついた。
「あの藤野さんという人、長いの」
「中学に入ってから始めた子よ。まだ一年ちょっとじゃないかしら」
──だからか。
青潟市民会館の大きな舞台で、本衣装をつけて踊るというのは、なかなか簡単にできることではない。お金もかかるし、ある程度の踊りもできないとまずいだろう。白く顔を塗り鬘を被り、裾をずるずるに引きずって踊るのだ。体力だって相当いるだろう。少なくとも上総は御免こうむりたい。
「他に、中学生のお弟子さんっていないの」
「いるんだけどねえ、なかなか大きい舞台に出るだけの、あれがね、ないのよ」
──お金か。
「だから今回、藤野さんのお母さんに頼み込んでやっと出てもらえたんだけど、あんたも知ってるでしょう。女踊りの場合はやはり、ふつうのよりもかなりかかるのよ」
──ごもっとも。
「衣装もできるだけ簡素にして、鬘だけはやはりつけて、誰にでもわかるような演目にしようということでいろいろ考えて、あの子の技量に合ったものを選んだ、と先生はおっしゃってたんだけどねえ。大人がこう思っても、子どもはねえ」
──子どもだからわかるんだよ。そういうのは。
藤野詩子のほっそりした姿とえりあしと、きりりとした表情が目に浮かんだ。
「『玉兎』っていい踊りだと思うでしょう。上総も。上の先生たちもね、よく素踊りで組んで出したりしているのよ。ほら、うちの先生も、大きい会で……」
母は調子に乗ってべらべらとしゃべっている。この機会に、上総へ日舞のレクチャーをしようとたくらんでいるのだろう。もっというなら十月の会に手伝わせようと計算しているのかもしれない。
「わかった、もういい」
上総にはひととおり、図が見えた。
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いわゆる「初舞台」。純粋に「ゆかたざらい」や「初ざらい」の小さな会場で踊るのもそれだが、大抵の場合は「初めて本衣装を着けて舞台に立つ」経験が初めてのことをいう。上総もそのくらいは知っていた。母も「あの子は初舞台だから、きれいなもの踊りたいよねえ」とか「小さいから『子守』みたいな可愛い感じの方が、何しても可愛いものねえ」とか言っていた。初めて衣装を着けて華やかに踊るのだから、気持ちとしては見栄えのいいもの、イメージに合ったものをやりたいだろう。想像はつく。
小学生ふたりが「お染久松」を踊る。確かにかわいらしいだろう。恋人同士で心中の道行だ。だらりの帯にかんざしをたくさん挿した鬘、見るからにお人形のようだし、久松役も男役ということで、いかにも美少年風の若衆だ。華やかだろう。
「手習子」も、春ちょうちょの飛ぶ中、絵日傘を担いで長い袖と裾を引きずりながらお出かけする少女の姿を描いたものと聞く。何度か観たことがあるがこれも、ちょっとしたしぐさがめんこいと上総も思う。
──そりゃそうだよな。女子ならかわいらしいのがいいって思うよな。
瞬間、清坂美里の姿が思い浮かんだ。納得だ。
──衣装だって、華やかできれいな方がいいと、思うよな。
しかし、「玉兎」。
舞台の袖から振りだけ追った感じだと、あまりにも地味だ。
男踊りの場合は足を蟹股にしてしこを踏んだり……母にそういうと殴られるので言わないが……おおっぴらに広げたり、たまにはごろんとひっくりがえったりする振りが非常に多い。当然、裾もはだける。踊り方によっては生足が丸見えだ。舞踊だとわかりきっているから目をそらさないでいられるが、日常生活であれをやられたら、そりゃ退くだろう。
──初舞台で、あれは確かにきついよ。かわいそうだ。
──先生たちにはいろいろ考えがあるとは思うけど、俺があの子の立場だとしたら、そりゃあ、逃げたくなるよ。
さらに途中で「これはいさのよい」という掛け声めいた台詞まである。
もちろん台詞のある舞踊はたくさん存在するのはわかっている。「幻お七」だって
「おお、お前は吉さま」
とか横たわりながら叫んでいるし、「お染久松」だって、
「ヤアお染様、やっぱりあなたは山家屋へお帰りなされて下さりませ」
「わしや山家屋へ帰えるのはいやじゃわいな」
と掛け合いやっていたりする。
でもきちんと物語の台詞をしゃべっているように見えるし、棒読みであろうがなんであろうが、とりたてて違和感を感じたりはしない。衣装を着た人がふつうに話す台詞の類だ。
──足を蟹股にして、臼を担いで、ポーズつくって、掛け声か。
──絶対、これって辛いと思う。
そんなに詳しく見たわけではないにしても、大体同じくらいの年頃の少女が抵抗を感じないとは思えない。いつものくせで自分に置き換えてみて考える。いやだと思う。
たぶん先生たちは、「演目が合っている」とか「費用の問題」とかをかんがみて藤野詩子に「玉兎」をと、決めたのだろう。舞踊関係の理由なんて上総には一切見当がつかないことだ。でも、同じ初舞台の子たちが袖の長いだらりの帯を着せてもらえるのに、おそらく地味な衣装、しかも恥ずかしい格好をしなくてはならないこと。きっと、言葉には出せないものがあったに違いない。大人からするとたいしたことではないと見過された部分だろうが、藤野詩子にとっては唯一の抵抗だったのかもしれない。
──とすると、俺のしたことって、かえってまずかったのかもしれない。
──無理やり舞台に上げてしまったようなもんだもんな。
いつものことだ。上総は自分を責めてしまう、くせがある。
「上総、しかしあんたも、女心わかるようになったねえ」
──は?
目が覚めたが覚めない振りをした。窓から見えるのは少し光を跳ね返している川の流れ。品山が近づいてきた。
「そうとう、清坂さんってできる子みたいよねえ」
──関係ないだろ、そういうのは!
「その件についてはノーコメント」
「どうせ菱本先生にあとからたっぷり電話して聞くからいいわ」
寒気が走るが単なる疲れだと思いたい。
「ああいう時はね、女の子は面子を保ちたいものなのよ。同い年の男がいる前で恥はかきたくないものよ。全く詩子ちゃんもねえ、お年頃なんだから」
「よく言っている意味がわかんないんだけど」
いったんスピードを落とした。ゆるゆると川が瞬いた。家の灯りだ。
「ほら、さっきうちの先生からもらった袋、開けてみて」
父からもらった小さいバックに突っ込んでおいた。そうだ、中身を見ていなかったのだ。指先で取り出して、そっと口をめくった。一枚、か。引っ張り出してみる。
──五千円?
「どのくらい入ってた?」
「こんなに、もらっていいの?」
大抵二千円くらいもらえれば万々歳だと思っていた。想像以上だ。
「そういうことよ」
母はもう一度アクセルを踏み直し、ぶうんとスピードを上げた。警察に捕まったら絶対スピード違反だってことがばれるだろう。貴重な新札の五千円札を、きちんとしまいこんだ。母に取り上げられぬように。