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青潟大学附属シリーズ中学編


  作者:舞夜じょんぬ

12

 誰も轢かないですんだ。毎回母の車に乗る時はシートベルトを欠かさないようにしている。家の前に車をつけ、ようかく下ろしてもらえた。忘れてはならない、損失補てんだ。
「母さん、あのさ、昼間の分のお金だけど」
「ああ、さっきあんた五千円もらったでしょ。あれでちゃらね」
「それはちょっと違うって!」 
 母はあっさりと上総をかわし、さっさと玄関に向かった。
「悪いけど、今日泊っていくから。車、車庫に入れていい?」
 ──そんなの聞いてないよ、父さん、断れよ。
 冷や汗ものの理由はひとえに、
 ──今日、うちの掃除なんてしてないって。
 玄関に灯がついた。父は戻ってきていたらしい。日曜でも出かけることが多い父なのに、緊急事態発生ということで息子の帰りを待っていたらしい。
「ああ、沙名子さん、連れてきてくれたか」
「今日は特別の大サービスよ。いつもだったらその場でほったらかしてくるところだけどね」
「なおらいもなかったのか」
「仕方ないでしょ、やることやってくれた以上は、タクシー代くらい持たないと」
 ──本当に親かよ。
 後ろで立ち尽くす上総の、いつも思うことだった。
「上総、ほら、入りなさい。お前も疲れただろ」
「シャワー浴びて寝る」
 すでに靴をそろえて上がっている母の脇に、靴を脱ぎ捨て、部屋に戻った。一刻も早く、眠りたい。父がすばやく側に近づいてきた。耳もとにささやいた。
「さっき、清坂さんから電話が入った。かけなくていいのか」
「あしたでいい!」
 この神経の状態、この煮詰まった状態、誰が誰が分かるものか。
 ──だから要は父さんが手が空いてたらすべて丸く収まったんだよ。
 ──俺なんかが出て行かなくたって!
 もらった弁当を部屋で一気に食べ終えた。散らし寿司風の小ぶりな入れ物だった。量は少ないが、おいしい。いくら、さけ、玉子。桜の花をかたちどったご飯に振り掛けられている。さっきまでいらいらしていたのは、きっと腹ごしらえができてなかったからだろう。丁寧なつくりの割り箸だけを保存しておくことにして、台所に立った。

「と、いうわけよ。上総もねえ」
 また悪口言いふらしてるのか。たまったもんじゃない。こういう時は現場で見据えるのが大切だ。上総はためらうことなく居間に入った。風呂場に向かうつもりだったが、さんざん文句言われているようだったら抗議しなくてはならない。
「そうか、大変だな」
「だから十月の舞台も上総を借りたいってうちの先生が言うのよね。でも、学校があるでしょう。日曜なんだけどね」
「あいつも学校では、それなりの仕事しているようだしな」
 この両親でよかった点。とにかく成績のことについては全く文句を言わないこと。赤点を取っても「しかたない」で済ませてくれるし、理数系で下から数える方が早い順位であっても、「いいじゃないの、文系できるんだから」で流してくれる。委員会活動についてはそりゃあもう、鷹揚だ。
「どう? 上総、あんた十月空いてる?」
「たぶん学校祭の準備があるから絶対無理」
「そこをなんとか、してもらえないかしら」
 いきなり丁寧に迫るのはやめてほしい。ぷいっと横を向いた。
「冗談じゃない。もうやってもいないことでさんざん責められるのは嫌だよ」
「だからあれは」
 言い訳しようとする母をぴしゃりと封じた。
「もちろん、母さんが何考えてたかは想像つくさ。けど、あの場でさんざん殴られたり罵られたり、人前でやられたらたまったもんじゃないよな」
「あれはあんたでないと出来ないことだって、私も思っていたから」
「じゃあもし、俺が全然気づかないで無視していたらどうしてたんだよ。たまたま見つけたから」
「上総、あんたがやってくれるって思ったから、私は小道具のテーブルに行くようにって言ったのよ。あんたしかいなかったのよ」
 ──この言い方で、母さん、あんたは父さんも口説いていたんだな。
 冷静沈着、青大附中の次期評議委員長の顔に切り替え、上総は冷たく見返した。見抜いたか、母も泣き落とし作戦に出てきた。

「あの子が帯にテープを隠しているってことは、十分私も気づいてたわよ。でもね、あそこでもし私が、無理やり奪い取ったりしたらどうなると思うのよ。しこりが残るわよ。自分から白状してくれれば丸く収まったけれども、まあ難しいところだわね。あの子だって」
 言葉を切った。
「あんたが同じくらいの年頃だってこと、気づいていただろうしね」
 ──やはり、気づいてたのかよ。
 確かに、母は藤野詩子がテープを隠していたことに気づいていた。
「上総、あんたも彼女がいるならわかるでしょう。なかなか言い出せなくてって時には、男の方からリードしてあげることが大切だって」
 隣りで父が目で合図している。黙って聞いとけってことだ。
「あの時に、詩子ちゃんがプライドを傷つけないで、落ち着いて踊ってくれて、テープも見つかる、そういうシナリオを作ってくれるのは上総しかいなかったのよ。だから、でしょう。抜いてくれたでしょう」
 言葉が返せない。唇を思いっきり噛んだ。母の目が潤みがちだ。まずいこれは、落とされる。
「だから和也くん、上総は私にとって、かなり使える駒なのよ。うちの先生も詩子ちゃんがずっと『玉兎』のことですねてたのは気づいてたらしくて、困っていたようだけど。上総の働いてくれたおかげで丸く収まって、本当に助かったって言ってたわ。この世界は白黒はっきり形を出すことが、必ずしもいいことではないのよ。私の場合は割り切れないことが嫌いだからなかなか巧く行かないけど、上総が脇にいると本当に助かるのよ。あんたはそういう細かいところが女の子みたいに気が付く子だから、本当に」
 ──母さんそれって誉め言葉じゃないよ。女性蔑視もいいとこだぞ。
 手にもっていた、先の丸い割り箸をもてあそび、気持ちを落ち着けた。
 ──日にちだけ、聞いてやるか。
「十月の会って、いつだよ」
「十月の五日、ちょうどお月見なんだけど」
 しおらしく答える母。それにひっかかる自分に腹が立つ。でも吸引力は強烈だ。
「悪いけど、次の日たぶん、中間試験があると思う」
「試験だけ?」
 完全にしくじった。判断ミスだ。上総が気づいた時は遅かった。
「それだったらいいのよ。学校祭とかだったら仕方ないと思うんだけど、試験だったらやり直しきくからいいわよね。上総、よかった。あんたが居てくれるとほんっと助かるのよ。ね、お願い。あんたは私の自慢の」
「うそつけ!」
 聞いているとだんだん気がおさまらなくなってくる。なんでこうも神経逆なですることが得意なんだろう、この人は。タオルを棚からひったくり、上総はさっさと風呂場に向かった。頭を冷やしたい。

 シャワーを浴びている間にまた電話がかかってきたらしく、父が取ってくれていた。やはりここは立村家なのであり、母のうちではなくなったと思う時だった。着替えて洗濯機を回した後、すぐに以前母が使っていた部屋にタオルケットを運んだ。まだふたりは居間で談笑している。こんな仲がいいのになぜ離婚したのか、両家では最大の謎とされている。上総も正確には理解できない。
「上総、ちょっとちょっと、電話あったわよ」
 にやにやしながら母が手招きする。いやいや顔を出す。父がまた困った顔でこちらを見ている。あきらかに尻に敷かれている。
「誰から」
「さっきの、清坂さんからだ」
 髪の毛のしずくがたらっと落ちるのが分かる。冷たい。
「あんたの彼女でしょ」
「そんなの関係ないだろ」
「用件聞かなくていいの?」
「どうせこっちからかける」
 いつもだったらすぐに電話するのが礼儀だと思う。でもまさか、このふたりの目の前で、丁寧語使いまくっている自分を見られるのは最大の恥。
「上総、無理するな。一時間くらい前にもかかってきたんだ。かけてあげなさい」
 父までが母に加担する。もちろん両親が席を離れる気配はない。最後まで聞いてやろうという魂胆だろう。みえみえだ。こういう時、自分専用の電話がほしいと強く思う。
「わかった、今かけるから」
 吐き捨てるように答え、上総は背を向けた。別に聞かれて困るようなことはしていない。たぶん明日にずらした青潟市立美術館への待ち合わせだろう。
 受話器を取った。ダイヤルを回した。

 ──あ、立村くん?
 受話器を取るなり「清坂です」と答えたのは美里だった。心から安心して名乗り、まずは謝った。
「今日、電話くれたんだって?」
 ──うん、夜遅くごめんね。あのね、貴史とも話したんだけど。
 美里の声は少しだけはねていた。待ってくれていたんだろう。ほのかに心、ふるえるものがある。
 ──いつも、立村くんが来てくれるのはまずいなあって思ったから、午前中は品山に行こうかって言ってたの。貴史は立村くんのうち、知ってるでしょ。私も自転車で行こうかなあって。
 それはまずい。慌てて上総は遮った。
「いや、いいよ。俺の方が美術館に行く。大丈夫だよ。第一、品山は遠いからさ、この暑さだと日射病になるよ」
 ──でも、いつも立村くんひとりに負担かけてるみたいで、悪いもん。
 清坂美里、青大附中二年D組の女子評議委員。はっきりしていて、いやみじゃない。上総には過ぎた彼女だと言う人も多い。自分が一番それを自覚している。上総の親友たる羽飛貴史とは幼なじみということで、いつもふたりして上総のことを気遣ってくれる。このふたりが上総にとって最強の守り神と言って差し支えない。今だって、きっと貧血でぶったおれることの多い上総を思いやってくれたゆえの、申し出だろう。ありがたい。ふつうだったら絶対にそうしてもらっている。しかし。
 背中の目でびんびんと感じる。映る。四つの眼。
「ごめん。あの、俺もできれば品山から出て都会で遊びたいんだ。だから、あの、こっちから行くよ。いつものように美術館の前で待ち合わせで、朝十一時でいいかな」
 ──本当にいいの?
「いい、絶対それでいい! だから、羽飛にもそう伝えておいて、くれるか」
 もうこれ以上、背中の好奇心溢れるまなざしには耐えられない。早く切りたい。
 ──それならいいんだけど。ね、立村くん今日、どうしてたの? 
 答えられるかこういうとこで。しどろもどろになっていく自分の舌がなさけない。
「いや、あした話すよ。ちょっと忙しかったんだ。いろいろと。だから、今日はもう遅いから、明日の十一時半に」
 ──違うよ、十一時よ。間違えちゃやあよ。
「そ、そうだったよな、俺が悪かった。十一時に、じゃあ」
 受話器を置いたとたん、ふたりが笑いをかみ殺している姿が目に入った。たぶん呼吸ひとつせずに耳を傾けていたに違いない。息子がデートの約束……微妙に違うのだが……をしているところを聞いて、さぞやいろいろ想像しているに違いない。父も前から清坂美里の名前を記憶していたようだし、さぞや、さぞや。
「何がおかしいんだよ!」
 一声が合図となり、母がけたたましく笑い転げた。父の肩を軽く叩きながら、のけぞり甲高く。
「上総あんたって、思いっきり尻に敷かれてるわねえ。ほんっと和也くんそっくりよ。血は争えないってこのことよねえ」
 ──言いかえせよ早く。
 父に視線を向けるが、自分の方に火が飛んでくるのを恐れているのだろう。何も言わない。黙ってアイスティーをすすっている。
 だから尻に敷かれているって言われるのだ。
 
 これ以上両親の顔を眺めていてもむかつく一方なので部屋に駆け込んだ。いやみと思われようがガキと言われようが、思いっきり音を立ててドアを閉めた。なんとなく部屋を片付けておいたのは正解だった。机の上に重ねたプログラムを破り捨てようとして、ふとやめた。
 ──この演目で、十月か。
 机に両手をついて、見下ろす感じで読みなおした。プログラムには、すべて「一、幻お七」「一、藤娘」「一、鷺娘」と連なっている。どうして続き番号にしないのか不思議だが、そういうしきたりなのだろう。
 夏の月が藍色の空に浮かんでいる。まだ白っぽい。かすかに銀色の揺れが見える。月に兎が住んでいる、お月見の日には月で兎が餅をつく。お月見団子をこしらえて、薄と一緒に窓辺に置く。たぶん母はこの日、また泊りにきて上総と父を怒鳴りまくるだろう。
 「一、玉兎」の文字をじっと見つめた。くるものが確かに、ある。
 ──十月五日か。
 ──お月見か
 ──そういうことか。

 藤野詩子にあえて「玉兎」という演目を与えた理由。
 もちろん母の言う通り技量の問題や費用のこともあったのだろう。しかし、「初舞台」というのは初めての舞台で、一生に一度。思い出に残るものにしたいだろう。長い袖やきらきらした鬘ではないもので。
 先生たちはきっと頭をひねって考えたにちがいない。
 舞台の当日が中秋の名月とすると、見えてくるものがたしかにある。当然日程は一年くらい前から決まっていただろうし、その頃には演目も決めなくてはならなかっただろう中秋の名月に初舞台を踏むのだったら、兎となって思いっきり兎のように跳ねればいい。
 そう、先生たちが思い入れても不思議ではない。

 父からもらった手帳を広げ、上総は十月五日に「予定あり」のしるしをつけた。夜の蝉が鳴きつづけている。秋に近づくのを耳で感じる。
 ──けど、これをあの子に気づけ、って言ったって、わからないと思うな。誰か教えてやれよ。
 まだ気づいていないであろう藤野詩子という名の少女に届けばいい。上総は軽くうつむいて目を閉じた。月に祈った。

 

──終──

 

 

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